密会調査

 伊刈の手元にはランクルの女から渡されたメモが残っていた。これだけはチームの誰にも内緒にしている切り札だった。

 

 ユキエ 090 3152 01**

 

 メモに書かれていたのは名前と携帯番号だけだった。彼女の意図だけでも確かめようと伊刈は思い切って電話をかけた。

 「はいエンジェルキッスです」応答したのは予想に反して男の声だった。からかわれたと思ってすぐに切った。しかしやっぱり気になってもう一度かけて店の場所を確かめた。

 「歌舞伎町の二丁目ですよ。コマ(旧新宿コマ劇場)まで来たらまた電話くださいよ」風俗店の営業口調で男が愛想を言った。

 「ユキエちゃんは出てますか」伊刈はだめもとで名前を口にしてみた。

 「ああ週末には出ると思いますよ」男はちょっとあせって答えた。

 土曜日の夜、歌舞伎町に一人で出かけた伊刈が路地裏に捜しあてたエンジェルキッスは小さなヘルス店だった。意を決して狭く汚い階段を昇った。初めて風俗店に寄ったウブな学生みたいに期待と不安で心臓がどきどきした。若い男が二人で店番をしていた。

 「いらっしゃい。お客さん初めてですか。いい子ご案内しますよ」店番の男の一人がお決まり無責任な挨拶をした。伊刈は男の視線から顔をそらしながらカウンターの壁に陳列されたヘルス嬢のインスタント写真を見た。ユキエの名前もそれらしい写真もなかった。

 「ユキエちゃん指名できる」

 「ああ大丈夫ですよ」店番の男は作り笑いで即答した。電話に出た男とあせり気味な受け答えが似ているようだった。

 前金精算を済ませしばらく小さなソファで待たされてから狭苦しい廊下を抜けて二畳くらいしかない個室に案内された。待っていた女はユキエとは似ても似つかない小柄な年増で日本人ですらないようだった。

 「よろしくお願いします」挨拶もそこそこに女はキャミソールのような薄手のドレスを脱ぎ始めた。

 「きみはユキエじゃないね」

 「ユキエの友達ならサービスするよ」

 「ユキエじゃないならチェンジだ」

 「そんな子ここにはいないなの」彼女は服を脱ぐのをやめなかった。

 「帰るよ」

 「遊んでいってくれないと私困る」女は勝手に伊刈の着衣に手をかけた。

 「君のせいじゃないから」女の手を振り払って伊刈は薄汚い個室を出た。

 「お客さん、もうお帰り?」店番の男が愛想笑いを崩さずにしらばっくれた。

 「彼女はユキエじゃない」

 「ユキエさんですよ」名前なんてどうにでもなるのが風俗店の常識だとばかり店番の男は肩をすくめた。「指名料追加してくれたら好きな子にチェンジしていいですよ」

 「ばかばかしい。帰るよ」

 「そうっすか。こんどはいい子つけますからまたお願いしますねえ」階段をそそくさと降りる伊刈の背中に店番の男が心のこもらない社交辞令を投げつけた。

 あんなメモなんか信用するんじゃなかったと後悔しながら店の階段を降りたとたん人相の悪いチンピラたちに囲まれた。

 「おい、ちょっと顔かせ」リーダーらしい男が言った。二の腕の筋肉が隆々と盛り上がっていた。プロのファイター崩れのようだった。

 伊刈は雑居ビルの隙間の路地に引きずり込まれた。ビルの裏にドブ臭い洗い場のようなスペースがあった。

 「ユキエとどういう関係だ?」リーダーらしい男が言った。

 「ここに移ったって聞いたから来てみたんですよ」

 「ふざけるなよ。ユキエを指名する客がきたら締めろと言われた。おまえ何をやった」

 「何もしてませんよ。ただのなじみ客ですよ」

 「二度と来るなよ」

 いきなりみぞおちに蹴りを入れられ伊刈はその場にうずくまった。手加減したのだろうが十分すぎるほど効いた。男たちが引き上げていく足音が地面に転がった側頭部に響いた。痛みをこらえてなんとか起き上がり、ふらふらと路地に戻ったとたん後ろから肩を叩かれぎくりとして振り返った。

 「あんた探したよ。これ預かったよ」さっきユキエの振りをした女がドレスの上に安物のジャンバーを羽織って立っていた。伊刈の服が泥だらけなのを見て驚いていた。

 「遊んでくれたらよかったのに」何かを押しつけるように伊刈に手渡すと外国人の女は階段をかけ上がった。

 掌に握らされたのはコインロッカーのキーだった。歌舞伎町から近い西武新宿駅周辺のロッカーのナンバーを一つ一つ照合して歩き、一時間かけてサブナード地下街でキーに合うロッカーをやっと探しあてた。どきどきしながら扉を開けるとブティックのショッパーに厚手のノートが一冊入っていた。

 

 6・12ホ3・75エ10・250レ5・125エ9・225 T/27・675/T270・Z135・R270…………

 

 ノートには、暗号のような記号と数字が何ページも走り書きされていた。何の予備知識もなかったら暗号は解読しようがなかった。しかしこのノートはランクルの中で控えた備忘録ではないのかとあたりをつけた。しばらくそんな思いで想像力をめぐらせながら眺めていると、日付、ダンプの台数、金額などをあらわず記号の意味がだんだんわかってきた。「ホ」、「ム」、「ヤ」、「ク」などの記号は産廃の排出場所だと思われた。たとえばホは布袋、エはエターナルクリーンのことかもしれなかった。業者名の略号だと推定される記号は全部で15種類あった。つまり15社が六甲建材の不法投棄に関与していたことになる。エターナルクリーンの立入検査では六甲建材へ運ばれた産廃は七千万円分しか確認できなかったが、このノートにはその三倍以上の金額が記載されていた。利益配分も解読できた。マンボ(捨て場のチケット)は一枚二万五千円で、そこから仲介屋の椿が一万五千円抜き、さらにそこから稜友会が五千円ピンハネしていた。六甲建材の取り分は一万円だった。マンボは一万枚発行されており、総額は二億五千万円だった。投棄量に換算すると二十万トンに相当した。これは六甲建材事件の全容を記録した帳簿だった。警視庁が手に入れたら決定的な証拠になるに違いなかった。どうしようか伊刈は迷った。まさか風俗嬢から受け渡されたとは言えない。悔しいが返却するしかない。そのつもりでノートに添えられた新たな電話番号をネットで調べた。今度は池袋の風俗案内所だった。

 日曜日の夕方、伊刈は池袋北口の風俗街のど真ん中に小さな案内所を探しあてた。

 「ユキエって子を探してるんだ」危険を承知でまた指名した。

 「名前だけじゃあわかりませんよ。どこのユキエちゃんですか」店番の男が疑う様子もなく能天気に聞き返した。

 「歌舞伎町のエンジェルキッスにいた子だけど」

 「ああそのユキエちゃんなら知ってます。こっちではデリなんですよ。ホテルで待っててもらえますか」

 店番の男が紹介したのは休憩二時間二千円の汚いレンタルルームだった。部屋番号を案内所に電話し、二人掛けの小さなソファに座って待っているうちにやっぱりやめればよかったと後悔した。前回はチンピラに蹴られただけで済んだが、今度襲われたらそれだけでは済まないだろう。三十分ほどじりじり待っているとチャイムが鳴った。覚悟を決めてドアを開けた。

 「お久しぶりね」本物のユキエが緊張した顔で入室してきた。廊下に人影がないのを確かめて伊刈はドアをロックした。

 「案外いい部屋じゃないの」ユキエは皮肉たっぷりに言うと、ビニールレザーが敗れかけたソファもさして気にならない様子でモデル並みにきれいな足を組みながらタバコに火を点けた。小悪魔的な小顔にタバコをはさんだ透き通るような指先がよく似合った。

 「ほんとにユキエさんですね」

 「もっと若い子がお好みならチェンジしてもいいわよ」ユキエは余裕の表情で冗談を言った。エターナルクリーンで出会った可憐なイメージとは別人のように妖艶で、タレント崩れの愛人といった印象だった。

 「あなたより若かったら条例違反(未成年買春)になる」

 「わかってないのね。この世界では若すぎてダメということはないわ」

 「本題に入りましょう」

 「あなた有名なのね」

 「有名?」

 「みんな噂してたわ。これから犬咬はやりにくくなるだろうって」

 「よくわからないですがノートありがとう。持って歩くのは危ないと思ったから、また同じロッカーに入れましたよ。これがキーです」

 「何かわかったのかしら」

 「六甲建材の現場に入ったダンプの台数と利益の配分が書かれていました」

 「まあびっくり。たった一日でそこまで解読してしまうとはさすがね」

 「組織を一網打尽にできる証拠ですね」

 「ならそうしてちょうだい。ノートはさしあげるわ」

 「不法な手段で手に入れた証拠では使えないんですよ」

 「面倒なこと言わないで。あたしがあげるというんだから不法ではないでしょう」

 「いずれ警察の強制捜査があると思います。いったん会社に戻して、その時に見つかったことにできればいいんですが」

 「ムリね。ぐずぐずしていたらあたしも危ないわ。大伴は殺されたのよ」

 「ホテルに一緒にいたのはあなたでしょう」

 「そうよ。大伴が苦しみ出したので車に薬を取りに行ったのよ。病死で片付けられてしまったけど薬がすり替えられていたんだと思うわ。だって薬を含ませたとたんなのよ」

 「毒殺だったら検視でわかるんじゃないですか」

 「解剖しなければわからないわ。解剖なんてほとんどやらないものなのよ」

 「なぜ二人もの社長を殺す必要があったんですか」

 「あら赤磐まで殺されたとは言ってないわよ」

 「違うんですか?」

 「言っとくけどあたしはどっちとも関係ないわよ。怖くなってノートを隠しただけよ」

 「もしかして社長が誰かをゆすっていたとかないですか。警察関係者とか」

 「何もかもお見通しなのね。大伴がゆすってたのは首相も狙えるような先生よ。それで口封じをされたのかもね」

 ユキエの言っていることがほんとうなら、布袋産業の捜査に介入したのは仙道技監が言っていた元公安庁総監程度じゃなく、もっととんでもない大物だったことになる。

 「警察はほんとは全部知ってて調べようとしないのよ。警察より先にあなたが調べにきたから頼んでみることにしたの。検査のやり方気に入ったしね。あたし商業(商業高校卒業)だから簿記がわかるの。あなたの帳簿の調べ方はとてもスマートね」

 「それでノートの暗号に貸方借方がある意味がわかりましたよ」

 ユキエは時計を見た。「歌舞伎町ではお金をムダにさせたわね。その分もサービスするわ」ユキエは組んでいた足を解いて立ち上がり髪を下ろした。

 「大阪弁ぽいなまりがありますね」

 「それがどうしたの」

 「大阪でモデルをしていましたね。オートメッセ(カスタムカーショー)に出ていた小百合の写真をネットで見ましたよ」

 「そこまで調べてたのね。やっぱりあなたを甘く見てたわ。遊ぶ気がないなら帰るわよ。でもまたきっとどこかで会うでしょうね」ユキエは予言めいた言葉を発しながらコインロッカーのキーを掴んだ。

 「また指名できますか」

 「お金を払えばいつでも会えるわよ」ユキエは使い捨てのライターを取り出してテーブルに立てた。側面にクラブらしい店名が書かれていた。

 伊刈は彼女の後を追わずに窓を少しだけ開けて路地を見下ろした。黒塗りのリムジンが迎えに来ていた。低速で走行音がしないので風俗嬢に好まれるトヨタプリウスなんかじゃない。デリヘル嬢の送迎でないことは一目瞭然だった。

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