美人秘書
都心に向かう高速道路を見下ろすように幸徳富士と呼ばれる残土の大山がそびえていた。そのふもとには産廃銀座と言ってもいいほど処分場やスクラップ置場が密集した旧幸徳町(現市河市)があった。エターナルクリーンの場内に積み上がった産廃は高速道路からも目立っていた。焼却炉の胴体は真っ赤に錆び、腐食した溶接部からは煙が漏れていた。踏み固めた廃材を台座代わりにしたユンボのアームの先に装着された三本指のロボットハンドが、開けっ放しにされた炉の投入口へ焼却物を投げ入れているのも見えた。施設基準も処理基準も保管基準も違反だらけの施設のようだった。あらかじめ立ち入りを通告しておいたのに、Xトレールが入ってきても場内の作業員たちは見て見ぬふりだった。
「犬咬市の者ですが社長様はご在社でしょうか」伊刈が事務所の受付で案内を請うと、中年ながら上品な女性事務員がやっと出てきて二階奥の社長室へと案内された。
大伴は応接セットに座って来客と歓談中だった。
「社長、役所の方がお見えです」
伊刈らを見たとたん、それまで高笑いしていた客が背を丸めて逃げ帰った。大伴は五十がらみ、小太りの赤ら顔が興奮しやすい性質を伺わせた。
「近所の工場から苦情でもあったかい?」大伴は余裕の表情だった。
「いいえこちらの地元の自治体じゃないですから。犬咬の処分場の件で参りました」伊刈が挨拶した。
「心当たりないねえ。まあお掛けなさいよ」
三人がソファに座ると小顔の際立った美人が洗練された仕草でコーヒーを出した。チャーミングなだけじゃなく手足もすらりとしているし指先まで透き通るような色白だ。喜多はあまりの美貌にあっけにとられたような顔をしていた。
白いカップから上質の豆にしかない甘い油脂の芳香がただよってきた。しかしコーヒーには口を付けず、伊刈は椿が置いていった届出書を示した。
「いきなり本題に入って恐縮ですが、この書類をご存知ですか?」
「こんなもの知らんねえ。社判は確かにうちのだが俺は承知してない」大伴はろくに見もせず言下に否定した。
「椿をご存知ですか」
「売り込みに来たね」
「何を?」
「穴だよ。よく聞きもしなかったがあんたらのとこの穴じゃないか。要らないと言ったよ。なんだか怪しかったし高かったからな」
「いくらと言ったんですか」
「一台二万五千円で一万台だとさ。ほんとは何台入るんだね」
「一台も入りません」
「じゃあ買わなくてよかったな。あんな連中の売り込みなんてそんなものだな」
「この届出書をお返ししたいのですが」喜多がどうしてもそれだけは自分で言いたかったように発言した。
「俺が出したんじゃないからな。勝手にこさえた椿に返せばいいんじゃないかね」
「椿の連絡先をご存知ですか」
「知らんね」
「もう一つだけいいですか」伊刈が刑事ドラマの主人公のような口調で職質を続けた。「黒いランクルをご存知じゃないですか」
「なんのことだい」
「お知り合いで黒いランクルをお持ちの方をご存知じゃないでしょうか」
「あんた言うことが思わせぶりだね。いくら役所だって失礼じゃないかね。そもそも俺はなんの疑いを受けてるんだい」何が気に障ったのか大伴はいきなり激昂した。興奮が増幅するタイプなのだ。「表の高速を見なよ。ランクルなんぞ何万台も走ってるだろう。それを全部調べたらどうだい」
「ご存じないってことですね」
「知ってたって言う必要はないだろう」川劇(中国四川省の仮面劇)の隈取(くまどり)を取り替えるように大伴の顔がみるみる高潮した。
「こちらの処分場が通常出している最終処分場がどこかお聞きしてもいいですか」伊刈は冷静に職質を続けた。
「また今度にしてくれないか。心臓の薬を飲む時間なんで失礼するよ」落ち着きを取り戻した大伴はぷいと立ち上がった。
事務室までどなり声が聞こえたのか事務員たちが腫れ物に触らないように下を向いていた。激昂したら手に負えないワンマン社長なのだろう。ただ一人だけコーヒーを給仕した女だけがプロの笑顔で検査チームを見送ったのが妙に心に残った。
「喜多さん、随分嬉しそうだったじゃない」車に乗り込むなり伊刈が喜多をからかった。
「なんのことですか」
「しらばっくれるなよ。社長の秘書を見てにやけてたじゃないか。ミニの裾からのぞいた脚ばっかり見てるからコーヒーでも零しやしないかとはらはらしたよ。それにしてもきれいな脚だったよな」
「そんなの見てないですよ」図星を指された喜多が紅潮しながら反論した。
「まあいいや。ランクルの話題に振って社長を怒らせたのは僕だからな。長嶋さん、あの女何者ですかね」
「たぶん素人じゃないですよ。まだ若いですが相当の場数を踏んでますね」
「産廃業者には美人が多いって聞くからあんなもんなんじゃないの」
「そうなんですか」喜多が興味を隠そうともせずに言った。
「喜多さんと同じで産廃業者ってとこに今日初めて立ち入ったんだから美人が多いかどうかなんて知ってるわけないだろう」
「班長まじで勘弁してくださいよ」
「夢を壊して悪いけど社長の愛人だろうな。年配の事務員も妙に色っぽいし元愛人なのかもな」
「やっぱそおっすよねえ」長嶋も頷いた。
「そのくらい僕だってわかってますよ」喜多はせめて赤面を隠そうと窓外の景色に視線を逸らせた。
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