右翼の常套手段

 翌朝、スキンヘッドのガタイのいい男が環境事務所の窓口に立った。

 「おい所長はいるか。いるなら出せ」ドスの利いたがなり声に所内に居合わせた全員が凍りついた。

 「どんなご用件ですか?」窓口に一番近い保全班の大西敦子技師が精一杯の勇気を出して対応した。

 「お嬢さんには用がない。所長はいるかと聞いてんだ。右翼の椿だと言えばわかるよ」自ら右翼を名乗るのはゴロの決め事で、せいぜい左翼ではないという程度のサインにすぎない。椿が名刺に綴った全日本同悠連合という組織名にも実体はなく、ほんとうは一匹狼だった。常に団体ありきの左翼とはそこが違っていた。

 「ちょっと待ってください」大西は喜多の後ろまで泣き出しそうな顔で逃げてきた。あいにく高岩町の状況報告のために仙道技監と伊刈は市の本課に、長嶋も県警本部の生活経済課に出掛けて留守だった。

 「僕が対応します」大西に頼られたのが嬉しかったのか、それとも怖いもの知らずなのか喜多が立ち上がった。

 「一人で大丈夫か」遠鐘が心配そうに言ったが、いざとなると臆病なのか自分が代わりに行くとは言わなかった。

 「どのようなご用件ですか」喜多がカウンターに向かいながら言った。

 「お前に用はねえ」役不足だと言わんばかり椿は喜多を無視した。

 「ご用件がわかりませんとどうしていいものやらわかりません」

 「自社処分場のことだよ」

 「それでしたら私がお聞きします」

 「おまえみたいなペーペーじゃ話になんねえよ。所長に会わせろ」

 「それはちょっとすぐには」

 「一県民には会えないってのか。そんなに所長は偉いのかよ。いいよ勝手に行くから」椿は踵を返して所長室に向かった。慌てて喜多も後を追った。奥山所長は個室で執務中だった。

 「あんたが所長さんかい」椿が挨拶をしているところに喜多が飛び込んだ。

 「どちら様でしたか」部屋に響き渡るような張りのある奥山所長のバリトンが予想外だったのか、椿は一瞬ひるんだ。

 所長はゆっくりとデスクを離れてソファに移動した。相手が興奮しているときにはゆっくり動きゆっくり話すのが効果的なのだ。

 「難しい話じゃねえんだよ。市の指導に従ってよ、処分場の承継届を持ってきただけなんだよ」ソファに対坐しながら椿が言った。

 「書類をお持ちなら私が拝見します」喜多が立ったまま声をかけた。

 「これだよ」椿は振り返りもせずにしわくちゃになった書類をセンターテーブルに投げ出した。

 「申し訳ありませんがこれは受け取れません」書類を一瞥するなり喜多は勇気を奮って言った。曖昧な態度が一番いけない、ダメならダメとはっきり言えと仙道が言っていたのを思い出したのだ。

 「ちゃんと見たのか」書類を受け取れないとのっけから言われた椿が気色ばんだ。

 「ここは風見環境が閉鎖した処分場ですから」

 「だからなんだよ」

 「なんだと言われてももう入りませんので」

 「入るならいいんだろう」

 「入りません」

 「入るよ。掘り広げればいくらでも入る。上にだって積める。現場を見もしないで勝手な言い草はやめなよ。所長さんそうだろう。こいつに世間の常識を教えてやってくれよ」

 「現場は見ています」喜多も後に引かなかった。

 「担当が受け取れないものは私にもなんともしようがございません」奥山所長が落ち着いた声できっぱり言った。

 「あんた所長なんだろう。所長がいいって言えば部下は逆らえないんだろう」

 「そういうものではございません。法律の判断は誰がやっても同じです」

 「現場はもう動いてんだよ。その書類は置いていくよ」

 「これは受け取れません」喜多は手にした書類をあわてて返そうとした。

 「いらなければ棄てなよ。俺はもう出したんだ」椿はけつをまくって立ち上がった。

 「待ってください」書類を返すタイミングを逸して喜多は呆然と椿を見送った。

 「技監はいないんですか?」奥山所長はゆったりとした口調で言った。

 「本課に行っています。ちょうどこの現場のことです」

 「じゃ帰って来たら善後策を検討してください」所長が何事もなかったように執務に戻ったので喜多も退室した。

 仙道技監と伊刈が戻るのを待って対策のミーティングが開かれた。

 「椿は所長になんと言ったんだ」仙道が喜多に尋ねた。

 「埋め終わっても掘り広げればまだ入るし上にも積めると言ってました」

 「この届出書、こっちは受理していないって言っても、あっちは出したっていう一点張りだろうな。それが連中の常套手段だからな」

 「僕が椿さんに返してきます」喜多が恐る恐る発言した。

 「そう早まるなよ」仙道が喜多をいさめた。「よく見てみろ。椿の名前はどこにもない。承継者はエターナルクリーンになってるだろう」

 「つまりエタの捨て場ってことですね」伊刈が目を輝かせた。

 「それはどうかな」

 「僕がエタに行ってきます」喜多がムキになって言った。

 「おまえ一人で行くってのか」

 「でも返すなら早いほうがいいです」

 「ほう責任を取ろうってのか。お前には珍しいな。だがムリするな。ここがどんな会社か知ってるか」

 「いえ」

 「だと思ったよ。バリバリのフロンドなんだぞ。だいたいおまえまともな産廃業者にだってろくに行ったことねえだろう」

 「ヤクザが怖くてこの仕事はできません」

 「なんだおまえ誰に聞いた台詞だよ」

 「技監もうそれくらいでいいじゃないですか。明日にも喜多さんとエタに行ってきます」伊刈が喜多をフォローした。

 「それにしても早々とまたでっかくなりそうなヤマを当ててくれたもんじゃねえか。警部補にもついていってもらえよ」

 「わかりました」

 「技監、僕も行っていいんですね」喜多が意外そうに確かめた。

 「何言ってんだ。おまえが最初に行くって言い出したんだろう。がんばってこいや」仙道は喜多の背中をポンと叩くとミーティングを切り上げた。

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