歓迎会

 朝陽駅前の『上野屋』二階の三十畳敷きの広間を貸切にして伊刈の歓迎会が開催された。上野屋はもともとは老舗の旅館だったが今は宿泊客をとらずに田舎の宴会場になっていた。昭和初期から使っている木造二階の建物はだいぶガタがきていたが、肩の凝らないアットホームなもてなしと、もともと割烹旅館だったことを忍ばせる板前の腕が魅力で、環境事務所の飲み会はいつもここと決まっていた。もっともほかにあまり選択肢が多くないということもあった。

 「おまえ県庁じゃ目立ったかもしれんが環境の現場は甘くねえぞ」仙道が早くも赤ら顔で伊刈にからみだした。

 「全然なめてません」

 「環境六法くらい読んできたんだろうな」

 「まだこれからです」

 「それじゃ廃掃法(廃棄処理法の旧い略称)も読んでねえんだな。あれはよ、ひどい代物だよ」仙道の口癖の法律批判が始まった。「公害法はよ、人の命にもかかわることだからなかなかよくできてんだ。ところがよ、廃掃法だけはどうしようもねえんだ。もうちっと気の利いた法律にしねえと不法投棄はなくならねえよ。抜け道だらけのザル法だからよ」

 「でも本省は法律は完成したと言ってるんでしょう」

 「なんだそんなことだけ知ってんのか。誰に聞いた?」

 「本課に出向した宮越にです」

 「県庁からは環境に二人来たんだったな。どっちが上なんだ」

 「宮越は一つ上です」

 「明暗分けたな。本課と出先じゃ産廃は天と地だ。いや天国と地獄だ。それでなんの話だった」

 「ザル法が完成したってお話でした」

 「そうまさにそうなんだよ。県の産廃課にいた時に国の会議に出席したこともあったけどよ、そこで本省の課長がなんつったと思うよ。法律は完成した、後は自治体のやる気次第だなんてほざいたんだよ。ばっかじゃねえの。それじゃまるで全国最悪の不法投棄をかかえるうちの市は全国最低のやる気のない市みてえじゃねえの。現場がない国は自治体のせいにしてりゃいいんだから暢気なもんだな」そう言う仙道も不法投棄を国や法律のせいにしていることに気付いてはいないようだった。

 「でもその課長は現場を知ってるって自慢してるそうじゃないですか」喜多が助け舟のつもりか、二人の話に割り込んできた。

 「ははん喜多よ、おまえにしちゃあ言うねえ。あの課長もともとどっかの県庁に部長で出向してたってんだろう。だからって現場の何がわかるってんだよ。フランスに一遍旅行したらフランスのことはなんでもわかるのかよ。寿司を一度食ったら寿司が握れるのか。それはわかったつもりってんだろう。本省の課長なんぞ現場のほんとの話はなんも知りはしねえよ。おいそんな能書きはいいから班長に注げ」

 「班長お酒は何がいいですか」

 「なんでもいいよ。ビールでもお酒でもチューハイでも」

 「お好みはないんですか」

 「あるけど今夜はみんなに合わせるよ」

 「班長って合わせるタイプには見えませんよ。なんにでも好みがうるさそうです」

 「おい能書きはいいって言ったろう。なんでもいいから早く班長に注げ」気が短い仙道が喜多をせかした。

 「技監は何を飲まれますか?」喜多が切り返した。

 「俺は熱燗だよ。見ればわかんだろう」仙道は自分からお猪口を差し出した。あいにく徳利は空だった。

 「あ、すいません熱燗もらってきます」喜多は慌てて立ち上がった。

 「僕もちょっと失礼します」伊刈は目の前のビールのグラスをぐいと飲み干すとトイレに行くふりをして立ち上がった。

 うまく仙道の法律談義をかわした伊刈は喜多を廊下で捕まえた。

 「昼間は案内役を買って出てくれてありがとう」

 「中にいたくないだけです。うちってみんな技師さんばっかりでしょう。事務屋は今まで僕だけで肩身が狭くて。だから班長が来てくれるのうれしかったんです」

 「事務屋は二人だけか。環境だからしょうがないか」

 「そうですね」

 「班長は県庁で海の家撤去訴訟を始められて、それで撤去の達人と呼ばれてるんですよね。すごい人なんだって技監が言ってました」

 「その話はやめとこう。喜多さんは環境の仕事はいくらか経験あるの?」

 「聞いてませんでした? 僕、新卒なんですよ。産廃問題にも環境問題にも学生時代には全く関心ありませんでした」

 「そうか。なんか堂々としているから新卒には見えなかった」

 「やる気がないですからマイナスオーラが出てるのかもしれません。公務員をずっと続けるつもりはないんです。公務員の鑑みたいなオーラが出てる班長とは正反対ですよ」

 「入る前から辞めるつもりってどういうことなのかな」

 「うちの事務所じゃもう有名だから最初に言っちゃいますけど、父の税理士事務所を継ぐのが天命だと子供の頃から思ってきました。市に入ったのは父の発案で行政の内情を知る敵情視察なんです。国税専門官だってよかったんですが、地元の市庁が経験面でも人脈面でもプラスが多いと薦めたのも父なんです。それにちょうど中核市になったばかりで募集定員が多かったですしね」

 「お父さんを尊敬してるんだな」

 「どうでしょうか。父は何事につけ全く冒険をしない面白くない人なんです」

 「敵情視察にしてはとんでもないとこに配属されたもんだな」

 「そうなんですよ。希望は財政課か税務課だったのに辞令に書かれていたのはキャリアの足しになりそうもない環境事務所、それもこともあろうに不法投棄の担当になった時は驚きました。オーマイゴッドって感じです。即刻辞めようかと思いましたが初日だけでもと出勤してみました」

 「はっきり言うなあ。それがどうして一か月もだらだらいちゃったんだ」

 「自分でもわからないんですよ。税理士試験あと一科目合格したら三月で辞めます」

 「いいねそういう考え方は好きだ。若い時から公務員が天職なんて考えてるやつは苦手だ」

 「でも班長は行政のエキスパートなんでしょう?」

 「先頭切って走ると必ずしっぺ返しがある。海の家の時も元ヤクザをヤクザ呼ばわりしたって因縁をつけられて検察庁に告訴までされたんだ。まだその時効も明けてないうちにまたヤクザの現場に出向だよ。天寿天命を全うしたかったら人の先には間違っても立たないことだな」

 「なんか班長らしくない意外なご意見ですね」

 「とんでもない。僕は案外喜多さんと似てるかもしれないよ」

 「え、どこが似てるんですか。全然わかりません」

 「僕も県庁に入った年には辞めるつもりで鞄にいっぱい勉強の本を詰め込んでたんだ。マイナスオーラじゃ今の喜多さんに負けてないかもしれない」

 「ほんとですか」

 「僕の父は経営コンサルタントだったから公認会計士を狙ってた時期もあったよ。子供のころから決算書とか帳簿とかには親しんでたからね。ちょっと生い立ちも似てるだろう」

 「ほんとに意外です。急に共感を感じちゃいました」

 「事務屋は二人きりであとはみんな技術屋さんだっていうし、うまくやれそうな気がしないか」

 「そう言っていただけると心強いです」

 「戦友として死ぬときは一緒に死のうや」

 「はいとも言えませんがよろしくお願いします。あのそろそろ技監の席に戻らなくていいんですか」

 「別にいいよ」

 「僕は熱燗貰ってきます」伊刈の人心掌握術に乗せられた喜多は元気よく帳場に降りていった。

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