第3話 恋心のアンドロイド

 大学に着き駐輪場に入る。エンジンを止めヘルメットをシートの下に入れる。このシート下のメットインスペースはかなり便利だ。フルフェイスのヘルメットがすっぽりと入るし、結構な荷物が入るのでカゴは不要だ。

 見知った顔が笑いながら声を掛けて来た。

「相変わらずうるさいなぁ。新しいの買えよ」

「気に入ってるんだよ。もう買えない絶版ツーストだからな。羨ましいか?」

「そんなわけあるか」とまた笑う。


 今は小型車やオートバイ、原付はそのほとんどが電動車に変わっている。ガソリン車はマニア向けの高額な代物だ。ガソリン車の中でも特に希少なツーサイクルエンジンの可動車両を所持しているのはステータスが高いのだ。これは、ガソリン車マニアの仲間内でのステータスで、普通の趣向の連中には無意味なところが寂しい。


 午後一発目は外国語。もちろん英語を選択している。俺は英才教育とやらで小さい頃から英語はみっちりと仕込まれた。ゆえに、教養課程の英語程度ならばどれだけ寝ても不安はない。講義が始まる前から居眠りの準備をしていたのだが、今日の講義は古い映画を字幕無しで見ましょうというものだった。

 お題は『ローマの休日』。往年の名女優オードリーヘップバーン主演の名作だ。部屋が暗くなり映画が始まる。オードリーはやはりきれいでスマートな体型が目立つ。身長は170cm、スリーサイズは上からB85W51H85だったか。素の状態でウェスト51センチなのだろうか。コルセット的なもので縛ってその数字になってるんじゃないかとか考える。


 細すぎだよな。

 やはり椿さんみたいなふくよかなタイプがイイ。

 ん?椿さんが気になる。

 さっき初めて会ったアンドロイドなのに気になって仕方ない。


 一目ぼれかもしれない。


 アンドロイドに?そんな馬鹿な。

 でもあの胸はイイ。

 オードリーよりもずっとイイ。

 そんな事を考えているうちに眠ってしまう。


 いつの間にか俺は公園のベンチに座っていた。隣には椿さんが座っている。ここはどこだろうと周りを見渡すが記憶がない。目の前には池があり、錦鯉が泳いでいた。

「ここどこですかね?」

「さあどこかしら?」

 曖昧な返事を返す椿さんは先ほどの夢と同じ服装だ。

 ニット帽にTシャツ、黒いサングラスで目元は見えない。Tシャツのロゴは『直線番長』とか笑えるセンスがいい。薄手のパーカーを羽織り白いホットパンツからは健康的な肉付きの良い素足がさらされている。短い靴下にスニーカー。ラフな格好だ。

「ここはどこですかね?」

 白々しくもう一度聞く。

「さあ」

 小首をかしげながらとぼける椿さんはにこにこ笑っている。

「俺はさっき大学に行って講義受けてる最中だったんですが、どうも居眠りしたみたいで気が付いたらここにいました。これ、夢ですよね。夢」

「そうですね、まあ夢という理解で間違いではないと思いますよ。ところで正蔵様、さきほどの続き、いたしませんか?」

 さきほどの続きとは、抱き合ってキスしたアレの続きって事だろうか。椿さんがグッと近づいてくる。夢の中とはいえ真っ昼間の公園ではさすがにマズイと思い違うことを聞いてみる。

「それは、大変、喜ばしいのですが、その前に、サングラスを取って素顔を見せてもらえませんか。気になるんです」

「気になりますか?」

「はい」

「では、恥ずかしいのですが」

 椿さんはうつむいてサングラスを外す。まぶたは閉じられていた。そのまま俺の方へ向きまぶたを開く。その瞳の美しさに息を飲む。瞳という表現は間違っているかもしれない。彼女の目にはいわゆる白目の部分が無い。黒、いや濃いブルー一色なのだ。そしてそれはミラーコートしてあるレンズのようで七色の光を複雑に反射している。

「この目、派手なので恥ずかしいんです。でも、法令で規制されてまして、人間と一目で区別出来るようにとこういった眼球を装着するように義務付けられています。それと、こちらも」

 ニット帽を取り額を見せてくれた。そこには刺青のような刻印があり、メーカー名と型式、登録番号が記載されていた。綾瀬重工製家事支援アンドロイド、型式XRH03A1、登録番号YA500B2271と読める。

 これには、アンドロイドを単なる機械としてしか認識しない人間側の傲慢さを感じた。

「椿さん。アンドロイドは奴隷じゃないですよね。こんな印を付けられて生活するなんて信じられない。もっと人と同じように扱うべきだと思います」

 俺の話を聞いた椿さんは抱きついてきた。

「ああ、私の事心配してくださるのですね。嬉しいわ!」

 頬にキスされた。

「だってそうでしょ。人と同じ感情を持ってるのに人とは違う扱いだなんて苦痛でしょ」

 語気を強めて言う。

 椿さんは「ありがと」と言って俺から離れた。

「一般的にはこれで良いと思いますよ。だって、私みたいな意識や感情を持ったアンドロイドなんて居ませんからね。他には妹が二人、佳乃夏美よしのなつみ佳乃翠よしのみどりだけです。私達、特別製なんですよ」

 その一言に唖然とした。

 確かに、人間そっくりのアンドロイドは開発された。それは見かけだけでなく言動も人間そっくりなのだ。ただしそれは、膨大な感情表現のパターンから最適なものを選択しているだけで、感情を持っている訳ではない。目の前にいる椿さんがあまりにも人間臭いので忘れていた。彼女は意識や感情を持っている唯一のアンドロイドということになる。

「じゃあ椿さんは、日本で唯一、いや、世界で唯一の感情を持ったアンドロイドなんですね」

 俺の言葉に頷き椿さんは立ち上がって「えっへん」と胸を張る。

「そうなのです。私は地球上で唯一無二の存在。意識を持つ、別の言葉で言えば、魂を持つアンドロイドなのです」

 プルプル揺れる胸元が悩ましい。

 魂とか、その存在すら曖昧な概念を堂々と持っていると言い放つ椿さんである。

「だから椿さんは人間らしいと言うか、人間そのものって感じなんですね。だからそんなに魅力的なんだ、そうかそうか」

 妙に納得してしまう。

 すると椿さんはしゃがんで俺の右手をつかみ、上目遣いで見つめてくる。

「嬉しい。それ本心なの?」

 そう問いかけてくる椿さんに力強く頷く。

「もちろん本心ですよ。先ほどの講義が映画鑑賞だったんです。ローマの休日って言う古い映画だったんですが、主演のオードリーヘップバーンよりも椿さんの方がよっぽど魅力的だなあって思ってました」

 キャーキャー言いながら椿さんが抱きついてきた。

「ホントにホントに、ねえ、ねえ、それって、私の事が好きだって、思ってイイのかな??ねえ、ねえ!」

「椿さん落ち着いて、興奮しないで。確かに、俺は椿さんの事が好きになりましたよ」

「うわぁーい!!」

 今度は飛び上がって喜ぶ。

 揺れる胸元。眩暈がしそうだ。

「私達、両想いですね」

「それは椿さんが俺の事を?」

「大好きです。ずっと前から、正蔵様の事が好きで好きで痛いくらい大好きでした」

「だからいきなりキスとかしたんですか?」

「好きでもない人とそういう事はしません。正蔵様、これからも椿をお側において下さいね」

「ところで、ずっと前からって、何時からですか?」

「それは秘密です」

「教えてくださいよ」

「だめ」

「椿さんは製造より1年くらいなんですよね。だったら1年前からですか?叔母さんの所に俺の写真とかあったんですかね」

「お答えできません。ん、あら残念」

 椿さんは急に真顔になる。

「楽しい時間もここまで。そろそろ講義が終わります。教室へお戻り下さい」


 その一言を聞いた瞬間教室にいた。

 映画の上映が終わりカーテンが開かれる。照明が点灯し部屋が明るくなった。

 目が眩む。

 何かレポートでも提出させられるかと思ったが、そのまま解散となった。こんないい加減な講義があって良いのかと疑問に思うが、個人的には大賛成。次回はスターウォーズシリーズを希望したい。

 トイレをすませコーヒーを飲む。次は経済原論だ。こいつを落とすと卒業できない難関講座である。講義室の真ん中に陣取り気合いを入れる。最近はやる気が皆無だったのだが、今は違う。あの妙なアンドロイドに出会って心根が変わったのか不思議な気分だ。

 しかし、残念なことにそのやる気も30分しかもたなかった。巨大な睡魔に襲われ、俺の理性はあっさりと陥落してしまった。


 俺は再びあの公園にいた。ベンチに腰かけている。隣には椿さんが座っている。

「あら。また私に会いに来てくれたの?講義の方は大丈夫かしら」

「大丈夫じゃない気がします。やる気になってたんですけど、途中で意識を失ったようです」

「意識を失ったとか大げさですわね。ただの居眠りなのに」

「あはははは。面目ない」

「夜間のバイトはもうお辞めになった方がよろしいのでは?」

「そうですね。そうします」

「急に辞められますか?」

「それは大丈夫です。昨夜で一応区切りはついていたので。今後、続けるかどうかは来週返事をする事になっているんですよ」

「良かった!それでは私とイチャイチャしながら勉学に励むことができますねっ。ねっ!」

 女性とイチャイチャしながら勉学に励むと言うのはどうなのだろうか。励むよりは疎かになるような気がする。こんな他愛もない会話でもニコニコ笑顔の椿さんだった。

「ところで正蔵様、携帯の電源は切ってますか?」

「ああ、俺は講義に出るときはいつもオフにしてるよ。どうかしたの?」

「今、大学内で不審なウィルスが蔓延しているようです」

「それってペストとかの伝染病かな?」

 わざととぼけた返事をしてみる。椿さんは笑いながら俺の肩を叩く。

「コンピューターウィルスの事ですよ。分かっててとぼけるんだから。それに、ペストはペスト菌による感染症で、ウィルスではありません。間違えると恥をかきますよ」

 人差し指を立てて横に振る。それはダメダメですよ〜のゼスチャーだ。

「大学内が混乱してきましたね。そろそろお戻りになってください。携帯の電源はオフのままで」

「わかった」

「パソコンや家電も電源は入れないで」

「ああ」

「正蔵様のスクーターは関係ありませんのでご自由に」

「椿さん、差別してませんか?」

「いえ違います。大いに自慢して下さい」


 気がつくと俺は講義室にいた。30分位眠っていたようだ。辺りがざわついている。講義室内では他の学生連中が、携帯が繋がらないとか、ノートPCが勝手にダウンしたとかこそこそ言ってる。外でも繋がらないとか、動かないとかの声が聞こえる。講義が終わる時間になってもチャイムは鳴らなかった。教授は講義終了を告げると足早に出ていった。研究室のPCでも気にしているのだろうか。

 椿さんの予告通り、何やら怪しいウィルスが様々な端末に感染し悪さを始めたようだ。携帯電話、パソコン、学内の設備、自動車、バイクなど全てダウンしており動かない。校舎から外に出ると人だかりができていた。覗いてみると、そこには椿さんがいた。

「君、学部はどこ。山大でしょ」

「他所の大学?」

「写真撮っても良い?」

 十数人の男子学生に囲まれている。写真を撮ろうとして携帯をいじくるが、皆正常に機能しないようでおかしいとか動かないとか言っている。写真が撮れた奴は一人もいない。

 椿さんは俺を見つけると走ってきた。いきなり腕に抱きつきいかにも恋人同士だという態度をとる。

「綾瀬じゃないか。お前、彼女と付き合ってるの?」

「名前教えてよ」

「スリーサイズも是非」

 特に親しくもない連中だったので適当にあしらってその場を離れる。椿さんは出会った時の服装に着替えていた。アパートの補強について聞くと終了しているとのこと。手際の良さに感心する。

「誉めてくださってもけっこうですのよ」

 胸を張り自慢気なポーズをとる椿さんは夢の中の彼女とそっくりだ。

「それは現場を見てからで。とりあえず、アパートへ帰りましょうか」

 頷く椿さん。二人で駐輪場へ行く。電動バイクや自動車は全滅のようだ。路上で立ち往生している車両もある。その横を自転車で悠々と走り去る奴の表情は何故か自慢げだ。

 俺もキーを差し込みエンジンをかけてみる。一発でかかった。ヘルメットをかぶりスクーターに跨る。しかし椿さんは立ったままだ。

「えーっと椿さん。何に乗って来られたのですか?」

「徒歩で来ました」

「これからどうするんですか」

「こうするんです」

 スクーターの荷台に横座りする。

「あの、椿さん。原付は二人乗り禁止なんですが」

「大丈夫大丈夫。私は人間ではなくアンドロイドなのです。単なる荷物ですから気しなくてオッケーなのです」

 ニコニコ笑いながら俺の腰に腕を回す。豊かな胸が背中に押し付けられ胸がドキドキする。警察官に対しアンドロイドだから荷物だと強弁できるのか甚だ疑問に思うのだが、こうなっては行くしかあるまい。俺はスロットルを開け走り始めた。

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