第4話 小さなレディ


 学舎の一階、一番奥にある大広間に足を踏み入れて、ミラは小さく息をのんだ。

 シャンデリアの煌々としたあかりと蝋燭のゆらめく光が混じり合い、眩しいくらいの光に溢れた会場内には、ドレスアップした少女たちや、大人びた礼装服を着こなす少年たちがいた。彼らは会場の美しさを口々に誉めそやす。

 窓際にあるロングテーブルには、様々ご馳走が並べられており、ナフキンやテーブルクロスはすみれ色で統一されていた。

 戸惑いながら会場内に入って行く新入生たちの間を、揃いのお仕着せをきたボーイたちが忙しそうに歩き回り、乾杯のための飲み物を配っている。粛々とした雰囲気の講堂で行われた入学式と違い、こちらはその華やかさが際立っていた。

 何よりも見事だったのは、大広間の天井。星座の彫り込まれたレリーフと、美しい彩色のなされた星図に、ミラは目を奪われた。

 

やがて教師陣と、上級生が入場し、あれだけ広かった会場が人の熱気に包まれた。それぞれの手に飲み物が行き渡り、学長が乾杯の音頭を取る。


「星の導きに感謝して、乾杯」


 シンプルな乾杯の合図に、周りの生徒たちも軽く杯をあげ、飲み物を煽った。ミラも金色の泡がゆらめくそれを一口含む。シャンパンのような見た目だったが、どうやらリンゴの炭酸ジュースらしい。鼻に抜ける爽やかな香りが心地よかった。

 美味しいね、と呟く声や、拍手の音。乾杯を終えた生徒たちはそれぞれ、自由に動き始めた。

食事のあるテーブルに向かう人もいれば、近くの人と談笑を始める生徒もいる。中には果敢にも先輩に突撃しに行っている人もいるようだ。そんな中、ミラは真っ先にスコルとリラエの方に向かった。

 それに気づいたリラエが、笑顔で手招きをする。


「ミラさん。ドレス、とっても似合ってるわ」

「リラエ様も、すごくお綺麗です!」


エメラルドグリーンのドレスに身を包んだリラエは昼間よりグッと大人っぽい。リラエのような綺麗な人に褒められたのが嬉しくてミラは頬を染めた。


「入学式の方にもいらっしゃってましたよね。ありがとうございます」

「気にしないで。ミラさんを見たかったっていうのもあるんだけど、スコル君の『妹』になりそうな子を探しに行ったっていう理由もあるの」

「そう、ですか」


 来年、リラエは卒業する。その前に『妹』を見つけてあげたいというのも姉心なのかもしれない。


「ミラさんが『妹』になれればよかったのだけれど、実の兄妹はダメなのよね」


 リラエの言う通り、実の兄妹が『兄妹』になることは出来ない。

もしそれが出来たら、立候補したのに。

ちらりとスコルを見て、ミラは小さく苦笑いした。どうやら兄には『妹』に興味がないらしい。他の誰とも交流せずに、ミラとリラエが話に花を咲かせているのを黙って見守っていた。


「あの、スコル様。少しだけお話を伺ってもよろしいでしょうか」

「……今日は姉の付き添いできているんだが」


 そんな兄に焦れたのか数人の女子生徒が、恐る恐る、と言った風に話しかける。すぐにスコルは伺うように『姉』に目を向けた。

まあ、と目を丸くしたリラエに、少女たちは軽くお辞儀をして遠慮がちに口を開いた。


「リラエ様、少しだけスコル様とお話してもよろしいでしょか」

「もちろんよ。私のことは気にせずどうぞゆっくりなさってね」


 にこやかにそう言ったリラエに、少女たちは嬉しそうにお礼を告げる。和気あいあいとした雰囲気の中、スコルの機嫌があまりよくないことに、ミラは気づいた。

 冷静沈着な兄にしては珍しい。

どちらかと言えば、スコルは表情が変わらない方だ。だからこそ、笑ったときや怒ったとき、心の底からそう思ったのだと分かる。

 苦手なタイプの御令嬢がいたのかしら、とスコルを囲む少女たちを見るが、当の本人は周りの少女たちなど見ていなかった。まっすぐに、灰褐色の瞳はこちらを見ていた。

ミラたちを……正確に言うのなら、ミラの隣に立っているリラエを。


「困ったものよね」


 熱のこもった視線を受けてなお、リラエは気にしない素振りで呟いた。その言葉は兄を指している。

 この二人は、どういう関係なんだろう。

ふと思う。

 ミラが修行に明け暮れていたころから、この二人は出会い、『姉弟』になった。

最初に『姉』ができたと聞いたとき、家族そろって驚いたものだ。あの兄の『姉』になるなんて、どれだけ寛大な人なんだろうと、勝手な想像をしていた。でも実際はお互いに信頼があった。ミラの知らない時間を共に過ごしてきたのだろう。

スコルが、リラエの傍を離れたくないような素振りを見せたことに、ミラは少なからず驚き、嬉しく思った。


「あの子、あれでも人気あるのよ。ロイヤルスターだって言われてね」

「ロイヤルスターですか?」

「そう、特に人気のある四人の男性を女の子たちがそう呼んでいるのを聞いたわ」


 ロイヤルなんて柄じゃないだろうに、と二人はくすくすと笑った。


「スコル君、侯爵家のアルディラン君、私の従弟のレグルス、それからもう一人……ミラさんも知ってる人よ。誰だと思う?」


 自分の兄に、侯爵家の嫡子、リラエの従弟のレグルスと言ったらこの国の第二王子のことだ。ハイクラスな男性たちに交じるもう一人を思い浮かべる。リラエはミラも知っている人だと言ったが、この学院の知りあいなんてほとんどいない。名前だけなら知っている人もいるが、顔と一致しいてる人なんて片手で数えられるほどしかいないのだ。


「思いつきません……私、あまりどなたがこの学院にいるのか、知らないんです」

「ふふ、でも、知ってるはずよ。私、見たもの」


 見た、と言われて、真っ先に中庭であった人のことを思い出した。彼なら、女子生徒に人気があってもおかしくないし、優雅な身のこなしをしていたから、身分が高いのかもしれない。でもミラは彼の名前なんて知らない。


「さぁ……どこかの侯爵家の方でしょうか?それとも、生徒会長様ですか?」

「ルナル君?残念ながら違うわ。正解はね、ルハウト様よ」


 ルハウト様、と言われミラの頭にはポンと、鷹のような雰囲気を纏う男性が思い浮かんだ。


「学長様ですか!?」

「そう。規則上『兄』にはなれないけど、密かに人気があるのよ」


 確かに、精悍な顔立ちは、年を取った今でも損なわれていない。名門校の学長に就いているのだから、家柄もいいのだろう。入学式のときに見せた、微かな微笑みを思い出して、ミラはなるほど、と感心した。

 誰が言いだしたことなのか分からないが、ロイヤルスターを選出した女子生徒はセンスがいい。


「リラエ様、お話し中失礼します。そちらの御令嬢に紹介していただけますか?」

「あら、噂をすれば……ね。ミラさん、こちらアルディラン・コルタウくん」

「ご紹介いただきました、アルディランです。星詠みのお嬢さん、初めまして」

「初めましてアルディラン様……。ミラ・マルノです」


 ぎこちなくお辞儀を返すと、青年は目尻を下げて嬉しそうに微笑んだ。


「スコル君の妹君、彼とは友人なんです。よろしくお願いします」


 ロイヤルスターの一人、アルディランは柔らかな物腰の青年だった。ブラウンの癖毛に、紅茶色の瞳。ひょろっとしているが高い背。ふわりと甘い笑顔を浮かべ、人の目を見て話してくれる紳士的な態度。甘くて優しい、ミルクチョコレートのような人。


「お会いできて光栄です。僕、授業で習って以来、リヴェールの古い星図に興味があって、ミラさんと話してみたいと思っていたんです」

「授業で?ノイモントの授業は興味深いことをなさっているんですね。楽しみになってきましたわ!でしたら、この天井の星図も……」

「すごい資料ですよね。少しだけ詠み解けるようになりました。分かってくると面白くて、この広間での行事が楽しみになりましたよ」


 気を使ってくれたわけじゃなく、心から星図が好きらしい。打てば響くような会話に楽しくなってつい、あれこれと話しかけてしまった。

 空気を読んでくれたのか、いつのまにかリラエはその場を離れ、別の女子生徒と話している。

星詠みの知識は基本的に星詠みの乙女に口伝で伝わる。隠しているわけではないが、中々表に出ない話を、アルディランは興味深そうに聞き、時に質問を交えながら言葉を交わした。逆にミラも最新の学説には疎く、最近出た研究書や、それを呼んだアルディランの意見には刺激を与えてもらった。

 いくつかの論題を経て、豊穣の星についての意見を交わし終わると、アルディランはにっこり笑った。


「ミラさんのお話、とても面白いです。ですが、喉が渇きませんか?飲み物をもらってきますので、少し待っていてください」


 そう言うと、アルディランは広間の真ん中の方へ消えていった。ミラも人の邪魔にならないように窓際の方に移動して、その帰りを待つ。窓の外を見ると、そこから見える空は、とっぷりとした暗闇に塗り替えられていた。

 ちょうど目線の先に、さっき話していた豊穣の星を見つける。近くの星を確認すると、晴れ星と淡く光る雨星がキラキラとしていた。

明日は晴れのち小雨。

農民にとっては恵みの雨と成長の日の光になるのだろう。

 この程度の星詠み……星詠みにも満たないような小さな予言は、息をするようにできるようになった。憧れの人であるスピカに追いつきたくて頑張ったことは、確実にミラの力になった。

少しだけ下を向く。

 華やかなドレスと精一杯のオシャレは、ティアーラに。

 アルディランとの間を取り持ってくれたのはリラエ。

 やっぱり、自分には何もない。この会場で一番未熟なレディはミラだ。

アルディランにも、リラエにも、繕った自分を見せていることが恥ずかしい。本当は、星詠みしか取り柄のない小娘なのに……。


「ふぁ、あ……」


 一人で静かに物思いにふけっていると、忘れていたはずの眠気に襲われた。ただでさえ昨夜は夜更かしして空を眺めていたのに、朝からあちこち行動していたのが相まって、小さな欠伸が止まらない。

 星を眺めていたのも今はタイミングが悪かった。

 良くも悪くも、星空を見ると力が抜けてしまう。空を眺めながら寝落ちしたことが何度もある体は、素直にその眠気に身を任せようとしていた。


「遅くなってすみません。最初に配られたリンゴのジュースと、ブドウのジュースもありました。選べなくてどちらも持ってきてしまったのですが、ミラさんはどちらがいいですか?」


 タイミングよく戻ってきたアルディランが二つのグラスをミラの前に差し出した。眠さでぼんやりとした頭が、選ばなきゃとミラの腕を急がせる。

 ふわふわとした動きでグラスを選ぶミラを訝しんだ青年は、心からの厚意で、ミラの様子を見ようと体を動かした。



ガシャーン、という音がやけに大きく広間に広がり、そこにいた人々の視線が、一点に集まった。


 眠気に抗った手の動きと、青年の厚意はすれ違い、ジュースを選ぼうとしたミラの手に叩き落されるような形で、無残にもグラスは床に落ち、粉々に砕けた。泡の立ったリンゴのジュースと、濃い紫のぶどうジュースが床を汚し、広がっていった。


「あ、わたし、」


 グラスの割れる大きな音で覚醒したミラは、ことの大きさに青ざめた。

広間にいる全員が、二人のことを見ていた。うとうとしていたという罪悪感のせいで、その目線の一つ一つがミラを責め立てているような気がした。

実際は、二人が怪我をしていないか気遣うようなものだったが、パニックを起こしているミラは気付いていない。


「ミラさん、落ち着いてください。大丈夫ですよ」

「わたし、その、ごめんなさいっ」


 優しくなだめてくれるアルディランにきちんとしたお礼さえも言えない。呼吸が上手くできなくて、言葉が口から出てこなかった。

 こんなの、レディとしての振る舞いじゃない。

 しんと静まり返った会場内に、混乱が最高潮になった。


 ここに私の居場所なんてない。


 衝動的に足が動いていた。止めるような言葉を投げたアルディランを振り切り、会場の出口へと走る。


「ミラ!!」


 たくさんの視線と兄の声。それでも足は止まらなくて、はしたないと分かっていながら、ミラは会場の外へ飛び出した。




 どれくらい走っていたか分からない。夢中で逃げて、息が切れて立ち止まると、時計台の真下だった。

 このまま生活棟に戻れば、たぶんティアーラがミラの帰りを待っている。きっと彼女はミラを慰めて元気づけてくれるだろう。でも今は、帰りたくなかった。

こんなに綺麗にしてもらったのに……。

情けなくて泣きたくなる。


 どうにも帰る気がなくなって、時計台を通り抜けて裏庭に出た。パーティー会場の喧騒から離れたこの場所は静かで、一歩一歩、踏みしめるごとに失っていた冷静さを取り戻していった。

 目的の場所は分かっていた。一度も行ったことがないけれど、場所だけはきちんと覚えていた。だってその世界はミラの生きる場所だから。


「……あった」


 時計台から五分ほど歩いた場所に、ノイモント学院の天文館は存在した。学院の建物よりもさらに古びていたが、手入れされているのか、周りには雑草一つ生えていない。

 丸みを帯びた形の建物にミラの心音が高鳴る。

 もし、施錠されていたら大人しく帰ろうと決めて、ミラはドアノブをゆっくりと回した。


 抵抗もなくドアノブは回り、キィーっという甲高い音を立てて扉は開いた。真っ暗な室内だったが、そのまま足を踏み入れる。最初は何も見えなかったが、徐々に目がなれてきた。天井から淡い月の光が差し込むおかげで、少しずつ部屋の中があらわになる。


 室内から空を観測ができるように大きな一枚ガラスがはめ込まれた天井。円形の室内の真ん中には大きな天球儀と、望遠鏡。壁には方位に沿った星図が書き込まれている。天文館としては見事な部屋だが、あまり使われていないのか、本や紙の束が床の上に直接置かれており、使われていない机や椅子が何台も放置されていた。


 その椅子の一つに腰かけ、ガラス越しに星を見る。少しだけ加工されているのか、星がよく見えた。

 ようやくミラは自分の世界に戻ってこられた。ここが居場所で、あの華やかな世界は自分には向いていない。なぜ自分はこんな学院に入学してしまったのだろう。


はぁ、と大きなため息をついた。


「大きなため息だね、お嬢さん」


 突然後ろから響いた青年の声に、ミラは驚いて振り返った。


 ゴールデンアワー。それは太陽が沈んだ後の優しい光の時間。

そう教えてくれた青年が、見つかってしまったね、と困ったように笑っていた。

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