第3話 ゴールデンアワーと宵の空




 紅茶と茶菓子だけでなく、お昼ご飯代わりのサンドイッチまで振る舞ってくれたリラエに礼を言い、お昼過ぎに裏庭でのお茶会に別れを告げた。寮に向かうと言うと、リラエはミラの部屋まで付き添うと言ってくれたが、そこまで手を煩わせられない遠慮した。それでも、ありがたいことにその場にいたメイドの一人を案内役としてつけてくれたおかげで、ミラは迷うことなく自分の部屋に辿りついた。

 自宅と比べればこじんまりとしているが、歴代の生徒が整えた家具たちは品がよい。実家らの荷物は既に届いており、部屋の中ではよく見知ったメイドが荷解きをしているところだった。


「ティアーラ!」

「あら、ミラ様。お帰りなさいませ」


 ミラを出迎えてくれたのは、栗色の瞳と髪を持つどことなくリスに似た愛らしい少女だった。

寮生活を送るうえで、使用人を一人まで連れてきていいという規則を知って、ミラは真っ先に彼女を選んだ。

マルノ侯爵家のメイド長メルティアの孫であるティアーラは、ミラと姉妹のように育った、気心の知れた間柄である。


「ほとんどのお荷物は整えておきました。学用品はあちらに、お洋服や装飾品はドレッサーに収めてあります。それから、スコル様から伝言をいただいております。天文館の夜間の使用について許可が出たそうです」


 誇らしげに仕事の報告をするティアーラにミラは惜しげもない拍手を送った。ずっと一人で心細かったが、ティアーラが傍にいるなら不安に思うことない。とても優秀なメイドであり、ミラを一番理解してくれる友人がいることを心の中で精霊リヴェアに感謝した。


「それじゃあ、さっそく天文館にお邪魔しようかしら」

「いいえ、ミラ様。それはなりません。このあと入学式、その一時間後には歓迎のパーティーが控えているのです」

「ええ、もちろん知っているわ。でも入学式は夕方の六時からだと兄さまが言っていたわ

。まだ時間があるもの」


 だからお願い、天文館へ行ってきてもいいでしょう?というミラの甘えた声を、ティアーラは毅然とした態度でばっさり切り捨てた。

 幼いころから共に育ってきたティアーラは、ミラがどれだけ星が好きで、星にかける時間を惜しまないか知っていた。

このまま、天文館へ行かせてしまえば入学式ギリギリまで戻ってこないことは目に見えている。ただでさえ、入学式からパーティーまでのドレスアップの時間が短いというのに、まだ身に付けるドレスも、靴も、アクセサリーも、髪形も、何一つ決まっていないのだ。


「残念ながらそれは出来ません。これからパーティーで着るドレスを決め、小物なども合わせなければなりませんから」

「そんなぁ……」


 星が大好きで、自分の容姿に無頓着な主人に代わりその美貌を磨いたのはティアーラだった。星の観測ですぐに現れる目の下の隈を栄養のある食事で薄くし、冬の乾いた夜風に晒された髪や肌を丁寧に保湿してきた。美しい主人をさらに飾り立てることに情熱を燃やすティアーラにとって、この歓迎パーティーは腕の見せ所なのだ。

 やる気に満ちたティアーラに、ミラは天文館へ行くことを諦めて大きく溜息をついた。

主人とメイドという立場ではあるが、ミラはティアーラに口で勝てない。

未熟な令嬢の部分を補ってくれるという自覚があるぶん、ティアーラには頭が上がらないのだ。


「……わかったわ。天文館に行くのはお預けね」

「心配せずとも、天文界へ行く機会はすぐ参りますよ。さぁ、まずはドレスを決めましょう」


 ドレスや私服の閉まってあるドレッサーを開いて、ティアーラは楽しそうに目を輝かせた。



 慌ただしくパーティーで身に付けるドレスや小物を決めたあと、入学式に出席するため、ミラはティアーラから浴室に放り込まれた。大して動いてはいなかったものの、春の陽気のなか二時間近くお茶会に参加していたのだから、身を清めるにはちょうど良かった。

 風呂から上がると、丹念にいい匂いのするクリームを塗りこまれ、緩く波打つ紺色の髪も花の香りのするオイルで艶々に仕上げられた。予備の真新しい制服に腕を通し、軽く化粧を施す。それだけで十分美しいと頷いて、ティアーラは満足げに微笑んだ。


「綺麗です、ミラ様」

「ありがとう、ティアーラ」


 入学式は制服の着用が義務だからこれくらい自然な美しさでいい。あまりごてごてと飾り立ててしまうとシンプルなワンピース型の制服から浮いてしまうのだ。

 美しく飾り立てた主人の披露は、数時間後の歓迎パーティーまで取っておこう、とティアーラはその姿を頭に思い描いた。きっと私のお嬢様はどの令嬢にも負けない美しさに違いない。


「それではミラ様、お気をつけていってらっしゃいませ。入学式が終わりましたら、すぐにこちらに戻ってきてください。私も使用人棟に戻らず、こちらの部屋で待機させていただきますので連絡も不要です」

「はーい」


 送り出してくれるティアーラに軽く手を振ってミラは自分の部屋を後にした。近くの部屋から女生徒たちのさざめくような声が聞こえてくる。きっとミラと同じ新入生なのだろう。自分たちと同じように、メイドとお嬢様が騒ぎながら支度をしているのだろうか。

ティアーラのお陰で早めに支度が出来たミラは、学院の中をぼんやりと眺めながら入学式の会場へと向かった。

 入学式の会場である時計塔の講堂は歩いて五分もかからないところにある。時間は十分あるのだから、美しい学院を堪能したかった。女子生徒用の生活棟四階から降りて、前庭に出る。自分の部屋から窓ガラス越しに見ていた風景がその場所にはあった。

 ちょうど太陽が沈み、目に見えるすべてが黄金色に染め上げられている。薄紫のすみれも、青々とした草木も、澄んだ川の水面も、全てが金色に変わっていた。幻のような風景に、ミラは立ち止まり、その景色に見惚れた。


「……ゴールデンアワーって言うらしいよ」


 ふいに聴こえた声にミラは振り返り、また息をのんだ。空の色と同じ黄金の髪を持つ、不思議な引力を持つ男子生徒だった。

整った顔をしているが、それ以上に目を離したくても離せない、風格があった。

そのまま、足をつき頭を垂れてしまいたいような衝動に襲われる。

 それでも膝をつかなかったのは、ただ星詠みの乙女としての矜持だった。


「……ゴールデンアワー、ですか?」

「そう。太陽が落ちたのに、光だけが残る優しい黄金の時間のこと」

 

 澄み切った青空と、漆黒に塗りつぶされる夜を結ぶ、空が蕩けるほんの三十分足らずのひと時。

 不思議で美しい黄金の時間。まるで、ゴールデンアワーを教えてくれたこの人のようだ。


「さて、新入生だとお見受けしますが、講堂への道のりは大丈夫ですか?」


 おどけた風な口ぶりでそういう男子生徒は上級生なのだろう。暗に不安ならエスコートしますよ、と言われミラは悩んだ。普通のレディであればその誘いを受けるのだろうが、未熟なミラはいつボロがでてしまうか分からない。

 この男子生徒を幻滅させたくない一心で首を横に振った。


「かしこまりました。星詠みのお嬢さん。では、またあとでお会いしましょう」


 不躾なミラの態度にも怒ることなく、彼は爽やかに笑いながら軽く一礼をし、その場を去った。少なくとも向こうは、ミラが星詠みの乙女であることを知っていたようだ。


「名前くらい、聞いておけばよかったわ……」


 一人きりになった中庭でそう思ったものの、時すでに遅い。ただ、彼の黄金の髪と、またあとでという言葉がミラの中に小説のワンシーンのように残っているのだった。たっぷりとした黄金色に満たされるゴールデンアワーのただなかでミラは一人、ぼんやりと立っていた。


 黄金を持つ彼と別れ、ようやくミラは入学式の会場へと向かった。まだ人がまばらな会場に滑り込み、目立たない端の方の席に、腰を下ろした。

 ほどなくすると、入学式に出席する新入生たちで講堂は埋まり始めた。在校生用の二階席も賑わいを見せ、スコルや、リラエの姿もあった。さっきの不思議な先輩がどこかにいないかと探すが、綺麗な金髪を持つのはリラエだけで、それらしい姿の生徒を見つけることは出来なかった。


 がっかりする暇もなく、入学式が始まり、壇上には紫のマントを羽織った壮年の男性が立っていた。若いころはさぞ女性にモテていたであろう鷹に似た精悍な顔立ちで、ストイックな雰囲気を醸し出している。


 「この学院に入学された皆さんを歓迎すると同時に、星降る国リヴェールの名門校の生徒として相応しい行動を心がけていただき……」


 朗々と響く声で新入生を鼓舞する言葉に、全員の目線が奪われた。例にもれず、ミラも壇上の男性に目を向ける。すると、ゆったりと周りを見渡す男の琥珀色の瞳とぱちりと目線が重なった。

 男性はその事実に気付くと、どこか嬉しそうに瞳を細め、一息ついてまた口を開いた。


「今年は星詠みの乙女を本校にお迎え出来て、大変光栄に思います。皆さんにとっても良い星の導きがあらんことを心から願っています。ノイモント学院学長、ルハウト・フォール」


 突然肩書きで呼ばれ、目が合ったとき以上に心臓がドクンと鳴る。周りの視線が星詠みの乙女を探そうと彷徨い、やがてミラに集まった。ひそひそと何かを話す声が聞こえてくるがその内容までは聞こえない。悪い噂じゃありませんようにと願いながら、視線に負けないように前を向いた。

 ルハウトは綺麗に腰を折って礼したあと、もう一度ちらりとミラを見て微かに微笑えんだ。そして、大きな拍手に包まれる中、どこまでも優雅に壇上から降りていく。鳴りやまない拍手の中、次に登壇したのは生徒代表のルナル・エリダーニという五年生だった。エリダーニ子爵の長男であり、生徒会長でもある男子生徒だったが、周りの女子生徒のひそひそとした話曰く、生徒会長とは言え、在校生の中では、王の姪っ子であるリラエの人気の方が高く、なぜ彼が生徒会長になったのか疑問の声があるらしい。

 噂の真偽は分からないが、一生徒として兄妹制度を推奨する言葉は分かりやすく、面白かった。

その会長から引き継いで、今度は教師陣による兄妹制度についての話。歴史、概要、これまでの成果に始まり、実践的な誓約のやり方まで、多岐に渡っていた。


 およそ一時間の入学式のうち、結局半分以上が兄妹制度についての説明ばかりで、二階席のからは数人の寝息が聞こえてきていた。しかし、新入生は男女問わず、その話に食いついていた。

 ミラはティアーラとの約束があるため式が終わってすぐに席を立ったが、周りの生徒たちは興奮冷めやらぬと言った様子で、兄なら誰がいい、自分に姉なんてできるだろうか、と口々に言いあっていた。

 そんな生徒たちの間を縫いながら、ミラは寮の自分の部屋へと急ぐ。学長や同級生に存在を認識されてしまっている以上、ミラはこの後の歓迎パーティーを無事に乗り越えなければいけないのだ。


「戻ったわ!」

「お待ちしておりました。さ、まずはワンピースをお脱ぎください」


 既に準備を終えたティアーラは、てきぱきとミラを着替えさせていく。手早くコルセットをつけ、昼間に選んでおいたドレスに袖を通した。

深い青色に染められた布地でできたクラシカルなドレス。腰元からふんわりとひろがるスカートと、肩にほんのりかかるくらいの袖はレースが使われており、ところどころ金の糸で星座の刺繍が縫い込まれている。それから、シャンパンゴールドのヒール。編み込みながら一つにまとめた夜色の髪にはクリーム色の小花たちがあしらわれていた。

 ミラの支度を整えて、ティアーラは完ぺきだと頷いた。髪と瞳の色と相まって、夜の妖精のような姿に、ほう、とうっとりとしたため息を零した。


「私、いい仕事しましたわ」


 今回を逃せば、ティアーラがミラを美しく飾り立てる機会なんてない。今後主人が誰かを『兄』に選んだなら、『兄』が責任を持ってミラをドレスアップしないといけない。

 ミラも、そしてティアーラも好みに合わせてドレスを選べるのは、本当に最後の機会だった。そんな最後の機会を悔いなく仕上げ、ティアーラは楽しそうにミラの髪を飾る小花の位置を直した。

自画自賛するティアーラに、ミラは小さく拍手し、ありがとうと礼を述べた。ティアーラによって美しくなった自分と鏡越しに目が合う。本当に別人の様で、不思議な感じがした。


「とても綺麗です、ミラ様。どうぞ自信をもって楽しんでいらしてください」

「ええ……せっかくティアーラが綺麗にしてくれたもの。精一杯レディになってくるわ」


 もう窓の外はすっかり暗くなっている。ミラにとっては落ち着く、静かな夜の時間だ。親しみがあって、好きで、愛おしい、ミラと同じ色を持つ世界。

 パーティー会場から星空は見えないけれど、この世界が外に待ってくれていると思えば、強くなれる気がした。


 ティアーラの笑顔に背中を押され、扉を開けた。大丈夫、この扉から出たら、立派なレディになることができる。そう、自分に魔法をかけて、一歩、小さな部屋から踏み出した。


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