イベント回収。~自閉症の音声コミュニケーションにおける弁別と翻訳の話
少し前から父のことをプロップだと思っている。
この言葉はどうやら、そもそもは演劇の世界で『小道具』のことを指しているようなのだが、私がこれを初めて知ったのは、ゲーム用語としてだった。
この場合要するに、いかにもな感じで置いてある宝箱とか、道をふさいでいる岩とか、それっぽいことが彫ってある石板のことである。フィールドの上のオブジェクトのうち、『調べる』などのアクションを起こすと情報が出てくるやつ。
先日帰宅して、台所で鍋の火加減を頼まれていた時のことだ。
隣の流しに何か持ってきた親父があれこれと喋り出し、その流れで、
「お母さん最近疲れてるから」
などと言い出した。
しかしこれは、何か具体的な──疲労を訴えているとか、伏せっている時間が長くなったという──エピソードを伴う話ではない。もしも突っ込んで聞けば、親父は「あの時もそうだった、あの時も」「最近増えたんだ」と主張するかもしれないが、この『最近』は、私の記憶に残っているだけでももう二十年は続いているし、その言を信用するなら、母はずっと忘れっぽく、疲れていて、イライラしている。
台所で話題にしている場合ではない。医者に連れて行った方がいい。
この言い回しに関しては、『それっぽいこと』を言いたいだけなのではではないかと私は睨んでいる。その昔、中学ぐらいの時分に気が付いたのだが、親父の台詞にはドラマで流れていたのをそのままコピペしてきたようなものが実に多い。しかもそれが、五年ぐらいで入れ替わったりする。
……で、こちらとしては親父のことを登場人物ではなく舞台装置だと思うことにしているのだが、このときも、ゲームで言うNPCを相手にしているような気持ちで、母のためにその認識を改めるとかではなく私自身が家族っぽい会話というイベントを回収したセーブデータを作るために訂正を試みた。
なお、別にスチルはない。
「いや、最近はちょっと余裕出てきたみたいだよ。話わかってくれるまでが早くなってるし」
この返答は、親父の予測の範囲になかったようである。
「あ? 何だって?」
後述するが、別に私の言いたいことを否定したくてこう返しているのではない。単純に『聞き取れなかった』のである。
同じ台詞を3回ぐらい繰り返す羽目に陥ってから、私はついこぼしてしまった。
「お父さんとは言葉の問題で通じないんだけど、お母さんとは気持ちの問題で通じないんだよな」
その瞬間引き戸をガラガラと音を立てて現れた母が
「逆じゃないの」
とそれはそれは不満げにつぶやいた。コントかと思った。
そもそも人間の耳というものは、実は言語音を一つ一つ文字に直してから認識しているわけではない。
手元に正確な資料の控えがないため間違ったことを言っていたら申し訳ないのだが、たとえば「ようのへんきは?」と発声した時に、イントネーションや状況が合っていれば「晴れてるね」と返事してくれるのが日本人というものだ。
ほんとか? と思ったら確かめてみる方法がある。実在の人間相手に試しても伝達に失敗した時に変な人だと思われるだろうが、わざわざ人間を捕まえなくとも、現代人必携の箱とか板にはマイクが付いていることと思う。
実際にこの文を書くに当たって実験してみたところ(2016年現在)、Google音声入力とYahoo!音声アシストではしっかり、天気予報を表示してくれた。
Cortanaさんは「道路編キハ」という鉄分高めの文字列をBing検索してくれた。まだ一歳にも満たないしこんなもんか。
私は手元にないので確かめられないのだが、Siriさんをお持ちの方がおられれば情報をお寄せ下さると幸いである。
大学時代、障害学の講義で受けた実験で判明したことだが、私の耳(もしくは脳)はCortanaに近い。
面白いことに、他の学生が単音(「あ」)→二音(「あた」)→語句(「あたたか」)と的中率を上げていくのに対し、私のスコアは下がっていったのだ。
──その場では面白がられただけで終わってしまったが、もしかしたら、自閉症者が空気を読めないのには行間や表情をキャッチしにくいこと以外にもこういった側面が関係しているかもしれない。
あくまでも主観の上での話をすると、聞いた音から推測できる言葉の数が少なく、しかも、既に予想しているものと異なる言葉だととても参照に時間が掛かる、要するにCortanaさんだと円がぐるぐるしている状態が長いという自覚もある。
私よりコミュニケーションが不得手な親父にも、同様のシステム障害が存在していると考えても不思議はない。
つまり、あらかじめ想定していなかった回答を受けた場合──親父はこのパターン自体が既にとても高頻度のようだ──文字単位でひとつでも耳が聞き漏らせば、まったく変換ができなくなる。
逆に一般の人の聞き取りは、ミスタイプをしても「もしかして:」を出してくれるGoogleやATOK変換に近いといえよう。ATOKはいいぞ。
他方、おかんに関してはまず、「私と娘の間に気持ちの問題は存在していないはずだ」と考えること自体が、健常者故のある種の傲慢さを含んでいるのだ。
「なんでこんなことやったんだ!」という形の叱責がある。
うちの親父もよく使うのだが、もし世間一般の親父殿にそう聞かれた時、なんでやったのかと理由を話し始めれば、「ごちゃごちゃ言うな!」と火に油を注ぐ結果になるだろう。
しかし、うちの親父にもし初っ端から「ごめんなさい」と言えば、「俺は理由を聞いているんだ!」と高確率で返ってくる。別に理由を言ったからと言って即座に許されるわけではなく、最終的には非を認めて謝ることを求められているのだが、親父が意図する言葉の意味に忠実に従う必要があるのである。
もっとも、本人が妙な法則を確立していて、外から見ると意味不明な論理になっている場合も多いのだが。……はじめに解読しておく必要があるわけだな、なにしろ石板だからな。
……で、私はこの二者で言えば真ん中へんのコミュニケーション様式を採用しているのだが、怒りや混乱でワーワー言っている最中に「何で!」と叫んでいたら、本当に理由が気になっている。
が、まあまあ理解はされない。
同じ言葉を聞き、同じものを見て感じたことは、同じようなものになるはずだという考えは誰にでも存在する。健常者側だけでなく我々にもだ。
しかし私は既に、多くの人が自分と異なる感受性を持っていることを知っている。
そのため余裕がある限り、他人との会話では基本的に自分の中で翻訳したものをアウトプットすることにしている。
それは母親相手と言えど例外ではない。
そっちも翻訳してから話せとは言わないので、差異が存在していること、翻訳の努力をなきものにしないでいただきたい。
というのが、私が「気持ちの問題はない」と無邪気に信じる健常者のふるまいを、傲慢と感じる所以である。
……と、場を改めて母に解説したところ非常に感じ入った様子で、
「よおおおくわかったわあ。
でもお母さんすぐ忘れるから、書いといて」
と言われたため記す次第である。
AS, I go along 紫嶋桜花 @wwwit
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