思い出の花畑

 足どりはとても重かった。

 背中に思い石がのしかかっているかのような圧を感じる。

「平気?」

 心配して顔をうかがってくれたビビに、小さく点頭して返す。

 数日前にミアイアル先生から通達された任務が、影の討伐だったからというのもある。

 それだけでも気分は沈むのに、目的地が故郷の近くだった。

 偶然だったのか、大人たちの魂胆かはわからない。

 うちの反応で、ミアイアル先生の心配で、皆にもそれは知られた。

 ビビ以外の皆も、時折うちに視線を向ける。そばにビビがいるからか、声をかけられるまでに至ったのは数えるほどしかなかった。

 唯一、クリシスさんだけはうちに不変の態度を貫いていた。

 任務の目的地に近づくにつれて、故郷に似た風景になる。うちの精神は磨耗を続けた。

 影相手に、完璧に動けるかわからないのに。その背景は故郷に似た光景。

 思い出したくない光景がフラッシュバックして、また動けなくなってしまわないか。皆に迷惑をかけてしまわないか。危険を与えてしまわないか。

 不安と恐怖がとまらない。

 ぐらつく心を支えてくれるのは、そばで支えてくれるビビ。そして胸に秘めたペンダント。

 恐怖を押しつぶすように、ペンダントをぎゅっと握りしめる。

「ご無理はなさらないで」

 見かねたかのように、フィリーさんの手が背中にそえられた。伝わる体温すら怖くなる。うちのせいでこの体温を奪ってしまうかもしれない。そう思えて。

 心配をかけてしまっている。自覚が、胸を締めつける。

 大丈夫。

 そう返すべきなのに、余裕のない心はそれをよしとしてくれない。

「つらかったら言ってね。休んでいいから」

 目的地がうちの故郷に近いと知ってから、ミアイアル先生に反対の声を多くあげてくれたビビとフィリーさん。うちがこうなると思ったからこそ、気をつかってくれたんだ。

 ミアイアル先生も理解を示してくれたけど『異見を唱えたのに押しきられた』と教えてくれた。ミアイアル先生はミアイアル先生で、うちたちの知らない場所で戦ってくれたんだ。

 わかった以上、もう反論する人はいなかった。ビビは落胆して、謝罪の言葉をくれた。

 うちは戦うと決意した。どんな場所であろうと、どんな敵であろうと、それが揺らいではいけない。

 気持ちが揺らいだ瞬間、体が動かなくなってしまう。動けないと、皆にどんな被害を与えてしまうかわからない。

 兄さんみたいな人を増やしたくない。兄さんみたいに失いたくない。

 だから、動かないと。戦わないと。

 弱々しい決起は、すぐにしぼんで消えそうになる。

「大、丈夫」

 どうにか奮い立たせたくて発した言葉は、情けないものだった。余計に心配をかけちゃったかな。

「合成魔法、やろーとすんなよ。その様子じゃ、できやしねーよ」

 責める意図はないと理解できるのに、放たれたアヴィドさんの声に胸が痛くなる。

「決めつけんなー!」

 両手を多くく振って、強い反論を見せてくれたビビ。

 通常の魔法より威力が増す合成魔法。使えたら、影によりダメージを与えられるはず。

 でもこんな状態のうちが、いつもみたいにビビと息をあわせて合成魔法が使えるとは思えない。失敗したら、ただの隙になる。

 皆もあれから2人での修練を開始したらしいけど、うちたち以外に成功した人はいないみたい。

 マルチエレメントといい、合成魔法といい、どうしてうちなの? 動ける人が使えたらよかったのに。

「ぼくたちが支えるから、安心して」

「待機してくれたほうが、よっぽどだ」

 場の空気を変えたのは、クリシスさんの言葉だった。うちたちに一瞥もないまま発せられた言葉は、いつものように冷酷で。

「クリシス」

 セリオさんの鋭い声にも、動じる様子すらほのめかさない。

 アヴィドさんは明らかなまでに不快をあらわにしたけど、空気を読んだのか口に出しはしなかった。

 クリシスさんが知るうちは、これだけなんだ。

 模擬戦闘でどうにか動けるようになっても、任務では萎縮してしまう。無力なうち。それがイライラにつながって、この態度を出させている。

 うちがしっかりしないと、皆とクリシスさんの距離もちぢまらないまま。

 お願い、動いて、うちの体。

「いましたわ」

 フィリーさんの視線の先には、濃い霧の中で揺れるかすかな黒があった。

「でけーな」

 遠い距離にあるのに、かすかな姿をとらえられる。今まで相手にしたどの影よりも大きいんだ。

 巨大な影。

 故郷を襲ったそれがちらついて、思わず身震いした。

 そんなうちにビビの、フィリーさんの視線が飛ばされる。

 しっかり、しないと。

 うちがここでおびえたら、皆が攻撃に移れない。余計な心配をかけて、満足に戦えなくさせてしまいかねない。

「平気、だから」

 奮い立たせた言葉は、さっきよりまともな声が出せた。うちがそう信じたかっただけかもしれない。

 顔をあげた私に、ビビはゆらりと点頭して返した。不安が隠しきれない表情が見てとれる。

 フィリーさんも不安をのぞかせながらもうちから離れて、戦闘準備に移った。

 ちゃんと、しないと。

 戦える。戦える。

 まぶたを閉じて大きく息を吐いて、不の感情を追い出す。気分だけの問題だけど、気持ちが与える影響は大きい。

 開眼して、戦闘準備を済ませた。

 影に真っ先に切り込んだのはクリシスさん。素早い動きと高い威力で欠かせないアタッカー。炎属性をまとった剣が、モヤに陽炎のように揺れる。

 続いたのがアヴィドさん。武器で攻撃することが多いクリシスさんに比べて、アヴィドさんは武器も魔法も使う。複数の武器を駆使するから、攻撃を加えながらも戦況を見られるんだと思う。

 ビビも前線に出て、攻撃に加わる。影相手に戦う姿を見るのは、ほかの誰よりも恐怖をあおる。前の任務で見た光景がいまだにちらついているのかな。

 影が巨大だからか、セリオさんとフィリーさんも攻撃に参加している。前衛の3人と比べると威力は低そうだけど、積み重ねたら確実なダメージとして蓄積できる。

 エウタさんも後衛でバックアップして、活躍する。

 なにもできていないのは、うちだけ。

 『平気』って言ったんだ。動かないと。戦わないと。

 言い聞かせても、目の前で揺らめく巨大な影に、体は萎縮をはじめた。

 大丈夫、大丈夫。

 ペンダントを握りしめてくり返しても、体の震えを小さくするのがやっとで。

 魔法を詠唱する余裕すら感じられなかった。

 詠唱できないなら、武器で。

 風属性を宿した弓を構える。

 腕が震えるのは、力をこめているから。

 己に負けないために、自身に暗示をかける。

 剣や魔法を食らっては霧散する影は、標準をあわせにくい。うちの腕が震えているから、余計に。

 それでもうちは、弓をおそろうとはしなかった。

 戦わないと。その使命は強く残ったから。恐怖は消えないけど、その恐怖と同じくらいに。

 震える心を打ち払うかのように、弦から指を離す。

 反動を食らって、弓から飛び出す矢。

 鋭く風を切った矢は、揺らめく影に命中した。

 その衝撃で霧散した影は少ない。うちが与えられる威力の小ささを痛感する。

 絶え間なく攻撃を続けるアヴィドさんやクリシスさんに比べたら、うちの弓なんて細微でしかない。

 それでも積み重ねたら、きっと威力にはできる。

 まだ恐怖は消えてはくれないけど、うちでも攻撃を与えられた事実は、微細ながら自信を作ってくれた。

 影に攻撃するだけでなく、うち自身も救ってくれるかもしれない。影相手にわきあがる恐怖を払拭できるようになるかもしれない。

 負けないで攻撃を続けたら、きっとそうなれる。

 信じて、矢をつがえた。

 震えも恐怖も、さっきより小さくなったように感じた。うちがそう思いたいだけかもしれない。

 力をこめているから、震えるだけ。

 さっきと同じ暗示をかけて、弦をひく。

 大丈夫、大丈夫。

 荒れそうになる呼吸を、感情をこらえて。

 離した指に、影にまっすぐと突撃する矢。

 今回は狙いを外して、影をかすめるだけになってしまった。霧散した量も微々たるもの。

 この結果に臆したらいけない。

 再度、矢をつがえようとした瞬間。

 影が大きく震えた。

 後退とは違う動きに、うちの体はひるむ。

 瞬間、小さな影のような物体が、うちたちに向かって無数に飛んできた。

 狙いは定まれていない乱れ打ちは、木や地面に付着してじわりと粘液に変化して消える。残ったのは、腐食した自然。

 はじめて見る攻撃だけど、危険性はゆうに想像できた。

 攻撃が向かった先を見てしまったうちは、気づけなかった。

 うちに向かってくる攻撃の存在に。

 周囲の声で察知できた際には、もう眼前にまで迫ってしまっていた。

 大きくなる影。

 ちらつくフラッシュバック。

 動かなくなる体。

 あわやうちにふれかけた攻撃は、鋭いフラッシュで消失した。

「しっかり!」

 近くから届いたのは、エウタさんの声。

 その姿を見て、エウタさんが保護魔法を使って攻撃から救ってくれたんだと理解した。

 うちを襲ったのは、助かった安心より。

 より繊細に想起してしまったフラッシュバック。

 影に飲まれかけたうち。

 保護魔法で救ってくれた兄さん。

 故郷に似た光景で、まるでなぞられるようにくり広げられて。

 強引に押さえつけていた恐怖が行く場所をなくして、うちの体中を満たした。




 ビビやフィリーさんの声で平静を戻したのは、皆の手によって影が討伐されたあとだった。

 安全な場所まで移動して、皆で休んでいる。

「やっぱりつらかったですの?」

「無理しなくてよかったんだよ?」

 ビビもフィリーさんもうちを心配して、優しい言葉をかけてくれる。ほかの皆は内心、どう思っているの? 怖くて、周囲が見られなかった。

 ペンダントを握りしめて、うつむいて地面だけを見つめる。

「今回はてこずった。ケガはなくてよかった」

 セリオさんの言葉で、今回の戦いのレベルがわかった。皆は苦労して戦ったのに、うちはなにもできなくなってしまったんだ。申し訳なさで胸がしめつけられる。

「お守りがいなかったら、もっと楽にできただろ」

 やっぱりクリシスさんは、うちをそう思ったんだ。わかってはいるし、言われる理由も納得できる。それでも、心は痛んでしまう。

「いい加減、その態度を改めて。今回だってクリシス、孤軍したでしょう?」

「そのほうが力が出せる」

 うちなんかがいるから、クリシスさんに余計にそう思わせてしまったのかな。だとしたら、皆に顔向けができない。

 なごやかなセリオさんの誕生日会でちぢまったように感じた皆との距離に、じわりとヒビが入るような感覚。

「いつまでも1人で戦えると思うなよ。今後、もっと強い影と戦う可能性だってあるんだぜ」

 しびれを切らしたのか、アヴィドさんも参戦した。うちのせいでクリシスさんが責められているように感じて、胸が痛い。

「俺より、そこで震えるヤツに言ったらどうだ?」

 向けられた鋭利な言葉に、ピクリと体が反応する

 本当にそうだ。戦えたクリシスさんより、動けなくなったうちのほうが責められるべき。クリシスさんの発言は、今回も的を射っていた。

「平気だもん。ちゃんと戦えたもん」

 そう言ってくれるからには、ビビは前線で戦いながらもうちを気にかけてくれたんだ。うちがふがいないせいで、全力で戦わせられなかったんだ。

「俺には棒立ちにしか見えなかった」

 高圧的な言葉は、鋭利なトゲとなってうちの胸に刺さった。

 的確で正当だからこそ、言い返す言葉もない。実感として深く心に突き刺さる。

「このまま相手をしたら、道連れになる未来しかない」

 続けられた言葉は、とても冷酷で。

 血管に炭酸が浸入したかのごとく、全身に衝撃を作る。

 うちのせいで。

 うちがいるせいで。

 うちのせいで、兄さんが。

 くり返される言葉。よぎる記憶。

 うちがいたら、皆が犠牲になる?

 うちがいるせいで。

「そんなことないも――」

 嫌だ。

 うちのせいで、皆を失いたくなんてない!

 沸騰した感情に促されるまま、その場を駆け出していた。

「ネメ!」

 名前を呼んでくれたのが誰なのかわからなかった。うちの理想が作り出した幻聴だったのかもしれない。

 こぼれそうになる涙は、とまることを知ってくれない。駆ける風に乗って、ほろりほろりと横に流れる。

 駆け続けた足は、やがてある場所についた。

 無意識ながら選んでいた場所。

 まだ、残っていた。

 兄さんにつれてきてもらった、兄さんのとっておきの場所。

 あの頃より自然は減って、花の数も種類も少なくなったように見える。でも、花畑と呼んでいいレベルには残されていた。

 よかった。思い出はまだ、残っている。

 ゆらりゆらりと歩いて、花畑の中心で腰を落とす。

 あの頃は、隣に兄さんがいた。

 隣で笑って、うちにペンダントをくれた。

 なによりも大好きだった兄さん。誰よりも優しかった兄さん。

 だったのに。うち自身の手で消してしまった。無力で震えることしかできなかったせいで。

 つらすぎる光景を、うちはくり返してしまうの?

 うちのせいで、うちがまともに動けないせいで。

 今回だって、エウタさんに助けてもらった。

 保護魔法が使えるから、それで救ってもらった。そうでなかったら、ビビみたいに身をていして守られたかもしれない。

 影が複数いたら、詠唱の隙を狙われてケガを負っていたかもしれない。

 うちのせいで傷つく可能性は、幾多にもある。ありすぎる。

 地面に咲く花に視線を落とす。

 今は伸びやかに咲く、その姿。

 1輪でも病気になったら、同じ土壌にいるほかの花たちにも影響がある。

 それと同じ。

 たった1つの存在が、全体に悪影響を与えることだってあるんだ。とり返しのつかないレベルの影響になる可能性だって。

 一緒にいて、皆に計り知れない傷を負わせてしまうくらいなら。

 ずっとここにいたほうがいいの?

 皆も学園も切り捨てて、1人で誰も傷つけない道を選ぶほうが。

「見つけましたわ」

 花畑に、まぼろしのような声が届く。

 花から視線を離せないうちの視界に、優雅に近づく足元があった。

「大丈夫ですの?」

 ふわりと腰を落としてうちの顔をのぞいたのは、やわらかい笑顔のフィリーさんだった。

「心配しておりますわ。戻りましょう?」

 本当にそう思ってくれた人は、何人いるの?

「……怖い」

 誰からも心配されていない可能性よりも。もっと怖いものがある。

「クリシスがどうであっても、皆様はあなたのお仲間ですわ」

 違う。そうではない。

「うちのせいで皆が傷ついちゃうかもしれないなんて、嫌だよ」

 ビビは軽症で済んだ。エウタさんは魔法を使ったから、ケガはなくて済んだ。

 でも、運がよかっただけ。

 これからも守られ続けたら、皆がどうなるかわからない。

「助けあうのも、協力ですわ」

 そう、なのかもしれない。

 うちだって、皆の足手まといにはならないように戦いたい。戦うって決意したのに。

 兄さんの記憶がよぎったら、一気に体が束縛されてしまう。

 動けなくなったうちは、皆に守られるしかできない。助けあうなんてできない。

「怖くて、動けなくなる。次もそうなるかもしれない」

「動けるようになるまで支えますわ」

 届いたのは、いつものフィリーさんとは比べものにならないほど力強い声だった。

「迷惑、かけるよ」

 首を横に振って返す。

「支えたいと思う感情は、迷惑だなんて感じませんわ」

 まっすぐとした言葉は、とても虚偽を述べているようには思えなかった。

 うちを戻らせるための姑息とか、戦闘中も動けるようにして戦力を増やしたいとかの裏を感じられなくて。

 ゆっくりとフィリーさんに視線を移す。おだやかな笑顔は、心にじんわりと届いた。

「わたくしも、あるお方に救われましたわ。家の事情で自由にできなかったわたくしを、あのお方はこっそりつれ出してくれましたの」

 起立したフィリーさんは、風景を見回すようにくるりと体を回転させた。楽しそうに髪の毛がふわりと舞って、フローラルが香った。

「つれられた『とっておきの場所』に、わたくしは感動いたしましたわ。そこにあるのはただの花畑なのに、家にあるどの花より美しく見えましたの」

 両手を背中に回したフィリーさんが、まっすぐとうちを見る。

「無断の外出が見つかったら、わたくしの家族にどう言われるかわかりませんわ。それでもあのお方はわたくしに優しくして、励まし続けてくれましたの」

 その口から語られる過去。当然うちは知らないはずなのに。

「結局わたくしは、あのお方に少しも恩返しできないまま終わってしまいましたわ。だからせめて、あのお方が大切にしていた人を支えたいですの」

「……兄さん?」

 変わらない笑顔で続けられた言葉に、うちは無意識に発していた。

 文脈を無視した単語なのに、フィリーさんは目を細めて笑う。

「『大切な家族にプレゼントしたいけど、どんな品なら喜ぶかわからない』と言われましたの。わたくしがそのペンダントを選んだのですわ」

 やっぱり、フィリーさんが語る『あのお方』は兄さんだったんだ。

 ここにうちがいるとわかったのも、兄さんにつれてきてもらったことがあるから、うちが『とっておきの場所』として話したからだったんだ。

 ペンダントを握りしめて、フィリーさんを見る。

 うちとフィリーさんは、学園まで面識はなかった。体が弱かったうちは、外に出られなかったから。兄さんからフィリーさんの話を聞いたこともない。

 こっそり遊んでいたから、念のためにうちにも黙っていたのかな。話したら、うちが会いたがってフィリーさんを家に呼ぶ必要が出てしまったかも。こっそり遊ぶより、見つかるリスクが高そうになる。懸念したんだろうな。

「あのお方からお話を聞いて、いつか会いたいと思っておりましたわ。こうして会えて、とても喜ばしいですの。ですから、迷惑だなんてありません。そばで支えられるなんて、これ以上ない幸福ですわ」

 フィリーさんの手が、うちに伸ばされる。

「ずっとそばにいて、支えますわ。もっとゆったりと構えてよろしいですのよ」

 うちはゆったりしていないように見られたのかな? 不安のせいで、常に余裕はないように見えたのかな。

「信頼して、背中を任せてよろしいですわ。今のあなたは、どこか距離を感じて時折悲しくなりますの」

 その言葉に、どくりとした。うち自身も自覚があったからだと思う。

 ビビたちを大切に思う感情はあるのに、一定以上の距離を詰められないままのうち。

 フィリーさんには感知されたんだ。もしかして、ほかの皆もそうだったのかな。

「ごめんね」

 皆は大切な存在なのに。そう思ってはいるのに。

 いつか消えてしまう恐怖から、深く踏み込むのを迷ってしまううちのまま。

 心の底から大切に思う存在を、うち自身の手で失ってしまうかもしれないから。

「あのお方は、誰よりもあなたを大切にしておりましたわ。わたくしはそれと同じくらい、あなたを大切にいたしますわ」

 うちに優しくしてくれた兄さん。ずっとそばにいてくれた兄さん。

 その兄さんは、うちを守って消えてしまった。

 うちは兄さんに守られた。その事実は、忘れたらいけない。

 ペンダントをきゅっと握りしめる。

 これを渡す際、兄さんは言ってくれた。

 うちが笑顔ですごすのが、兄さんにとっての幸福だと。

 兄さんがいない現実を悲観するだけではいけない。それは兄さんの理想に反している。

 兄さんに救われた命。兄さんのために生きないといけない。

 悲しみを乗り越えて、笑って。兄さんが好きと言ってくれた笑顔をまとって。

 伸ばされたフィリーさんの手を握って、ゆっくりと立った。

「ありがとう」

 兄さんの、皆の支えをたくわえて、力にしていこう。

 恐怖に動けないままではいけない。

 皆に迷惑をかけるし、兄さんにとっても本望ではない。

 今度こそちゃんと、動けるようになろう。

「わたくしが、皆様がそばにいますわ。そう考えたら、どんな恐怖も細微に感じられますわ」

 その言葉は、フィリーさん自身の経験談なのかもしれない。

 皆がいる。

 皆を心から信頼したら、恐怖に負けない力が出せるようになる?

 大丈夫、きっと乗り越えられる。

 つながれた手から感じるぬくもりに、なぜか力強くそう思えた。

「皆にも、謝らないと」

 勝手な行動をして、困らせてしまった。

「元気な姿を見せるだけで満足してくれますわ」

 それならいいけど、クリシスさんからの心証はまた悪くなっちゃっただろうな。こればっかりは、うちがしっかり戦えるようにならないと変えられないよね。

 皆のためにも、クリシスさんが孤立しないためにも、うちがちゃんとしないと。

「その前に、試したいですの」

 話の要点がつかめなくて、首をひねって返す。

「合成魔法を、あなたと」

 意外な提案に、言葉に詰まった。ミアイアル先生から言われた以上、意外すぎる内容ではなかったんだけど。

 ビビ以外とやるのははじめてで、持ちかけられることもはじめてで。

「ビビとの合成魔法を見た瞬間から、あこがれておりましたの。あなたとなら、できる気がしますわ」

 セリオさんの言葉は、うちの心にすとんと届いた。それはなぜか、うちにも『できる』って思いを作る。

「うん。挑戦しよう」

 言葉を合図に、2人それぞれ詠唱する。互いに風属性とはいえ、使う魔法は違うから詠唱は異なる。

 どちらからでもなく目配せして、魔法を放つ。

 ときはなたれた魔法は絡まりあって、威力を感じる合成魔法となった。

「できましたわ」

 隣から聞こえる高揚した声を、うちはぼんやりと聞いていた。フィリーさんがどんな表情なのかはわからない。目前でくり広げられた合成魔法から、目が離せなかった。

 ビビだけでなく、フィリーさんとも成功させられた。

 こんなうちでも少しずつ、確実に力をつけられているの?

「合成魔法を使える日が来るなんて、とても喜ばしいですわ!」

 両手を組んでうっとりとまぶたを閉じるフィリーさん。

「うち、励むね。フィリーさんを支えられるほどの存在になれるように」

 守られ続ける弱い存在でいたらいけない。

 戦闘中、誰もうちを気にしなくなるほどに安心して任せられるような存在にならないと。

「よそよそしく呼ばれるとさみしいですわ、ネメ」

 その言葉に、とくりと心臓が跳ねた。

「ありがとう、フィリー」

 こんなうちでも見捨てないで支えてくれた存在。大切にしないと。




「ネメ-! よかったー!」

 戻ったうちを迎えてくれたのは、ビビのあたたかい歓迎だった。フィリーさん以外の5人が待ってくれていた。

「本当に見つけられるなんて」

 姿を見せたうちに、セリオさんは小さな瞠目を見せた。もしかしたらビビの歓迎に驚いただけだったのかな。

「勘がさえましたわ」

「ありがとー! 本当にありがとー!」

 もしかしてフィリーは、1人で捜索に出たのかな。うちが花畑にいると踏んで。

「よく迷わなかったね。ぼくだったら、はじめての場所なんて無限ループだよ」

 エウタさんの隣で、アヴィドさんもうちに安心の視線を送ってくれている。

「ごめんね。皆も、ごめんなさい」

 クリシスさんは、うちを一瞥すらしなかった。うちの謝罪は届いていないのかな。『謝罪なんかより行動で示せ』と思ったのかも。

「こちらこそごめんなさい」

 セリオさんの謝罪は、きっとクリシスさんの代わりに告げたものだよね。クリシスさんのさっきの言葉の理由もわかるから、うちは『気にしないで』と首を振って返す。

「どこで見つけたの?」

「近くの区域ですわ」

「小さなお花畑。兄さんにつれていってもらった場所だったんだ」

 答えたら、質問者のエウタさんの表情が明るくなった。

「お花!? 見たいなぁ」

「あたしもー! ちょっと寄ってこうよ!」

 思いがけない展開に、うちは当惑するしかなかった。

「ワガママ言わない。無事に帰るまでが任務でしょう?」

「そんなの見てどーすんだよ、帰ろーぜ」

 真っ先にセリオさんとアヴィドさん2人の反対意見が飛ぶ。口を開きこそしないけど、聞こえていないかのごとく一瞥もないクリシスさんも反対意見だろうな。

「帰り道に寄るだけじゃーん」

 花畑のある方角と帰る方角は同じだ。ビビの言葉はあってはいる。

「まとまって動くことも大切」

 あくまでもセリオさんは考えを曲げない。いつもは仲がいいのに、対立する点はちゃんと対立するんだ。

「影以外の敵もいない、安全な場所ですもの。少しくらい平気ですわよ」

「ぼくたちは早足で花畑を見て、帰りに合流するのは? 迷惑にはならないでしょ?」

 意見を変えない2人に、セリオさんは難色を示した。

「そこ、遠いの?」

「懸念するほどの距離ではないですわ」

 フィリーの声に、セリオさんは長く息を吐いた。

「私は行かない。とめもしないけど」

「ありがとー!」

 響いたビビのお礼に、セリオさんは『認めたわけでもない』とでも言うように首を横に振った。それでもビビの笑顔は変わらない。

「しゅっぱーつ!」

「おー!」

 すっかり行く気のビビとエウタさんを前に、声をあげる人はもういない。結局、うちとビビとフィリーとエウタさんが花畑に向かうことになった。

 あきれ顔のセリオさんの奥で、クリシスさんだけでなくアヴィドさんまでもが鋭い視線をうちたちに向けたように見えた。




「すごーい」

 花畑につくなり、エウタさんはとてとてと駆けた。花の量も種類も胸をはれるほどではないのに、そう言ってもらえるとうれしい。

「見たことない花ばっかだ!」

 ビビも首をきょろきょろ動かして、珍しげに花を観察している。

「長居はいけませんわ。置いていかれてしまいますわよ」

 合流する条件で道草を許可してもらったようなものだ。少しでも遅れたら、問題になりかねない。

「わかってるよー」

 ビビの軽い返事は、フィリーの忠告が右から左に抜けたのではと思えて不安も誘う。時間になったら声をかけたらいいし、深くは心配しない。

 この花畑に兄さんがいた光景しか見ていないうち。その花畑に、こんなにも人がいる。

 誰もが笑って、花畑をあたたかくくるんでくれている。

 新鮮でおだやかな光景は、うちの心をじんわりと満たしてくれた。

 平和な空気を壊したのは、突如かすめた不穏な気配だった。

「影ですわ!」

 誰よりも早く察知したフィリーが、指して叫ぶ。指の先には、揺らめく1体の影があった。

「倒したじゃん!」

 声をあげながらビビは武器を出して、魔力を注ぐ。

 早い反応に、うちも弓に魔力を注いだ。ほかの2人も手早く戦闘準備に移る。

「いくよっ!」

 氷属性をまとった斧を、ビビは影に食らわせる。一見強そうな攻撃なのに、ビビの火力不足なのか、霧散は思ったより多くはない。

 フィリーも風をまとった矢を放つ。狙いをそれて、かすめるだけで終わった。

 うちも戦わないと。

 弓を構えようとして、気づく。

 この場にいるアタッカーは、ビビ1人。

 食らう攻撃が少ないこともあってか、影の動きは軽やかだ。弓を当てられる自信が弱まる。

 影の大きさは、さっき戦ったのよりは小さい。でも最初の任務で戦った影より大きく見える。

 この大きさの影を、うちたち4人だけで倒せるの?

 主要アタッカーはビビだけ。うちはまだ攻撃にはなれていなくて。

「皆を呼んだほうがいい、かな?」

 『勝手な行動したからだ』と言われるのを承知で。それでもこの状況は、助力をあおぐほうが最善だよね?

「そうしよう! ぼくたちだけだと不利だよ!」

「呼んでまいりますわ!」

 誰よりも早く、フィリーが駆けていった。

 これで1人戦力が消えた。皆が来るまで、うちたちだけでしのがないと。

 誰よりも負担が大きいのが、前線で戦い続けないといけないビビ。

 後衛のうちたちは、ビビの邪魔にならないように戦ってサポートしないといけない。

 大きな動きの相手に、弓を当てられる自信はない。

 だったら、回復魔法で。

 弓を諦めて詠唱しようとして。影を前にしているのに、恐怖は限りなく小さくなっている事実に気づいた。

 思い出の花畑がそうさせたのか、フィリーの言葉が支えになったのか。

 冷静に詠唱できている自分が、そこにはいた。




 合流した皆と協力して、どうにか影は倒せた。

「今回は倒せたからよかったものの、毎回こうなると思わないこと」

「はぁ~い」

 セリオさんの小言を前に、言いだしっぺのビビとエウタさんは肩を落とした。

 うちの勝手な行動で起こったようなものだ。うちにも説教はつとに響く。

「家族なんかを相手にすっから、こんな目にあうんだろ」

 今回ばかりは、さすがにアヴィドさんも擁護の姿勢を見せなかった。

 クリシスさんも言葉こそ発しはしないけど、眉間に深く刻まれたシワが強い不快をあらわにする。怒るのも嫌になるほどにさせちゃったかな。

「そんなことを言ってはいけませんわ。ネメのお兄様との思い出の地なのですのよ」

「たかが家族じゃん。抱えてどーすんだよ」

 アヴィドさんのその言葉には、侮蔑がかすめられたような気がした。迷惑をかけすぎて、あきれられちゃったかな。

「なにをおっしゃいます――」

「強くとめなかった私にも非はあるけど、次からは気をつけること」

 険悪になりそうなムードを嫌ったかのように、セリオさんの声が響いた。

 察してか、フィリーはそれ以上言葉を続けなかった。アヴィドさんも視線をそらして、それ以上の干渉をさけた。

「でもお花畑、きれいでしょ?」

 反省していないのか、切り替えが早いのか、エウタさんは笑顔で顔をあげた。

 花畑で戦ううちたちに合流したから、今いる場所も花畑。結局、全員が花畑を見る結果になった。

「きれいではない花なんかないでしょう」

 怒るセリオも花をめでる思いはあるのか、視線がちらりと地面の花に落ちた。

 戦闘での被害は最小限に終わって、多くの花は無事に残ってくれた。思い出の地を守れてよかった。皆に感謝だ。

「いやされるよね。来てよかった。ぼく、後悔はないよ」

「いつか倒すことになった影を今倒したって考えたらいいじゃん!」

 ビビらしい前向きな考え。そう考えたら、不幸な遭遇に思える今回の件も、悲観だけで終わらないで済む。

 うちもそう考えよう。うちの身勝手で起こったようなことだけど、前向きに解釈することくらいは許されるよね?

「はいはい。暗くなる前に帰るよ」

 あきれ声を発したセリオさんの歩みに続くように、皆も歩き出す。うちは再度、花畑に振り返った。

 兄さんとの思い出の地は、新たにフィリーとの思い出の地にもなった。

 こうやって思い出を重ねて、きっと大切な日々を作るんだ。

 幸せな生活を送ることが、兄さんにとっての幸せでもあるんだよね?

 恐怖も不安もまだ完全には消えないけど、励むよ。

 見守っていてね、兄さん。

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