表裏のビビ

 結論を導き出せないまま、時間は冷酷にすぎた。

 うちの感覚を戻すために、模擬戦闘がくり返された。うちはどうにか、戦況を見つめられるまでに動けるようになった。

 でもこれは模擬戦闘。本物の影相手だと、どうなるかはわからない。

 そもそもうちは模擬戦闘でも戦ったり、回復したりの補助をまともにできないでいた。

 機会を見誤ったら、逆に迷惑になる? 足をひっぱって、ケガをさせる?

 最悪の可能性としてちらつく、影に飲まれて消える姿。

 逡巡ばかりのぞかせるうちは、皆やミアイアル先生に励まされながら、どうにか模擬戦闘を続けていた。

 そしてまた、討伐任務が下された。

 前回の件があったからか、今回の討伐対象は影ではなかった。前の洞窟で遭遇したネズミやコウモリに似た相手みたい。

 どんな対象であっても、うちにとってはなれない実戦だ。不安は大きくなる。

「今回の任務はトカゲの討伐。奥地にいる巨大なボス級を倒すのが目的よ」

 任務場所の洞窟の入口を前に、セリオさんが任務内容を発話した。いつもよりひきしまった声は、緊張をより高める。

「道中の敵も、倒せるだけ倒すんだよな?」

 ストレッチをしながら、アヴィドさんは質問を放つ。伸ばされた腕に隆起した筋肉は、頼れる威力を裏づけてくれる。

 ミアイアル先生は『無理のない範囲で倒してほしい』と話していた。気乗りはしないけど、ほかの人はそうではないんだ。

「次々と返り討ちにしてやろー!」

 片手を天にあげたビビさんの声音は、とても軽やかだ。『今からしようとしているのはピクニックだったっけ』と誤解しそうになる。

「体力を使いすぎないようにしないといけませんわね」

 風になびく髪をかきあげるフィリーさんの語気には、まだ余裕が感じられる。さわさわとそよぐ髪はおだやかで、これから戦いに身を置くとは思えない。

「自信ないなぁ。ぼく、耐えられるかなぁ」

 エウタさんの弱気な声は、少なからずうちの心をやわらげた。うち以外にも不安を感じる人がいるんだ。

 エウタさんの不安は戦闘面というより、体力面に思える。それでもうちの心は、細微ながら救われた。

「本来の目的は、ボストカゲの討伐。それには主要アタッカーのクリシス、ビビ、アヴィドの力が不可欠になる。クリシスたちの体力に応じて、ほかの敵の討伐は見極めましょう」

 冷静に判断してくれるセリオさんの存在は頼もしい。

 『目標以外の敵を倒すかは見極める』って表現は、ボスの強さを暗に物語る。真実味があるからこそ、不安をあおられた。

 前回の依頼ではそんなことはしていなかった、と思う。今回は必要なら、前回以上に強い敵なのかな。

「たかがトカゲだろ。そんなの相手に体力は使わない」

 開かれたクリシスさんの口に、アヴィドさんが鋭い視線を飛ばす。反論はしなかった。不快をあらわにしただけで視線を外す。

 戦いを前に、空気を悪くしたくなかったのかな。口論の体力を惜しんだ? 口論程度なら、アヴィドさんの体力には響かないか。

「油断しないで。いつどんな事態におちいるかわからな――」

「イレギュラーがいるからだろ?」

 セリオさんの喝破を遮った冷めたクリシスさんの言葉は、考えなくてもうちを指しているとわかった。

 前回の依頼も、うちなしで完遂できた皆。今回の依頼も、きっとそうなんだ。

 実戦でも戦える力をうちが身につけられるように、うちにあわせた低いレベルの任務になったんだ。

 うちがいなかったら、皆ならさらりと完遂できる内容。うちが加わったせいで、どうなるかわからない。

「全員、レギュラーだよ! ゲストなんていないもん!」

 うちの隣のビビさんが、反論を放った。どうしていいかわからなくて、視線を揺らめかせることしかできない。

「クリシス、単独行動は禁止よ。ボスの討伐は主要アタッカーが必須。クリシスが欠けたら、完遂が困難になる」

 強い態度で臨んだセリオさんに、クリシスさんは言葉を返さなかった。うちに一瞥が向いたのは『うちさえいなかったら単独行動はしない』って意味だったのかな。

 うちの動きで、討伐に関係しかねない事態になっちゃうのかな。そうならないようにしないといけない。

「平静にならないといけないですわ。ミアイアル先生も『協力が大切』とおっしゃっていましたもの」

「ぼくも後ろで後援するよ!」

「どんな事態になっても、支えあったらへーきだよ」

 決起のように拳で天を突いたビビさんの声が、高らかに伸びた。冷えかけた空気がほのかに浄化する。

 続けられた言葉はどれも、きっとうちを擁護した言葉。

 ありがたさよりも、胸の痛みを感じる。

 うちという不純物がいるせいで、また悪くなった空気。皆はどんな思いでうちをかばったのかな。

 口ではこう言ってくれたけど、本心で言ってくれた人はどれだけいるのかな。

 また動けなくなったら、皆に迷惑がかかる。

 前回より強い敵なら。動けなくなったら、今回は皆に被害が及んでしまうかもしれない。

 もし、ケガをさせてしまったら。

 ちらつく恐怖のまま、ペンダントを握りしめた。

「協力しあったら百人力! 大丈夫っ!」

 明るく響いたビビさんの声は、うちを見ての言葉ではなかった。あえてなのか、本当に皆に言ったのか。

 声がはずむたびに、悪い空気が押し出されていくように感じる。ビビさんに空気を変える負担を与えてしまったのかな。うちが来てから何回も何回も、ビビさんに負担をかけさせてしまったのかな。

「戦況を見極めて、私もバックアップする。でも、無理をしすぎてはいけない」

 皆を見て、セリオさんは激励の言葉を放った。ビビさんは大きく点頭して、やる気を見せる。

「言われなくてもわかるっての」

 あきれたアヴィドさんの発話が届く中、うちは1人うつむいた。

 今のうちに逃げ道はない。

 この任務を棄権しても、別の任務を命じられるだけ。うちにあわせて、皆がどんどん低ランクな任務をこなすことになる。

 逃げ続けて、課せられる任務が低ランクになり続けて。痛いほどの圧を皆から感じるほどになっても。

 大人たちは、うちを諦めてはくれない。マルチエレメントの可能性がある限り、うちは戦場にくり出され続ける。

 うちの未来に結局戦場しかないなら、一刻も早く現状を受容するしかないんだ。

 皆の現状をこれ以上悪化させないためにも、うちは実戦でも動けるようにならないといけないんだ。皆を影の危険にさらさないためにも、強引にでも覚悟を作らないといけないんだ。




 洞窟に踏み入れて、歩く皆のあとを恐々と続く。片時も隣を離れないビビさんのおかげで、恐怖は幾分感じないで済んだ。

 不穏な空気におおわれた洞窟は、四方八方からおぞましい視線を感じる。考えすぎたせいでそう感じるだけかな。

 とりとめのない視線を送っていたうちは、皆より反応が遅れてしまった。

 前方にいる、トカゲの姿に。

 恐怖を感じるより早くクリシスさんが切り込んで、その姿はあっという間に消えた。

「すごーい」

 音のない拍手と軽やかな喝采を送ったエウタさんを、クリシスさんは一瞥もしなかった。剣をしまって、歩みを再開させる。

 ほかの人も、構えた武器や詠唱を解除する。出遅れたのはうちだけだった。

「この程度なら、ボスもすぐに終わりますかしら」

「らくしょー、らくしょー!」

 通常のトカゲより大きいけど、このトカゲは討伐対象のボスとは違う。これより大きいなんて、ボストカゲはどれだけになるの?

 不安になるうちをよそに、1人であっさりトカゲを倒したクリシスさん。

 この任務は、やっぱりうちのレベルにあわせた内容だったのかな。ちりっと胸が痛んだ。

「油断はいけない。1人の怠慢が全体を崩すことだってある」

 人差し指をぴっと突きつけて、セリオさんは警告した。

 ビビさんは意に介さない様子だ。対象的に、反省するように微笑して肩をすくませたフィリーさん。うちは油断する余裕もないけど、皆は違うのかな。

「『協力』だろ? わーってるって」

 セリオさんのマジメさを前に、アヴィドさんもあきれまじりに漏らした。

 うちが動けなくなるだけで、皆に危険が及ぶ可能性がある。

 ミアイアル先生の言葉がよぎって、ぞくりと背筋が冷たくなった。

 クリシスさんの攻撃を見る限り、ボス相手でも警戒するほどの強さはないのかな。でも今後、もっと強い相手と戦うことになったら。どうなるかわからない。

 今から動けるようにならないと。なれを作って、戦闘の苦手意識を消さないと。

 皆のためになれなくてもいい。せめて皆に迷惑をかけない、足手まといにならないようにしないと。皆に危険を渡さないようにしないと。

「心はいつでも、おててつないで! 皆で仲良く任務遂行っ!」

 ずっとうちに優しくしてくれたビビさん。ビビさんを傷つけたくはない。




 道中、何度かトカゲの襲撃にみまわれた。

 個々はそれほど強くはないみたいで、後衛はほとんど出番なく終わった。

 体力面の心配はしていたけど、出現数が多くなかったら長期化しないで倒せている。杞憂だったのかな。あるいはあの言葉も、うちだけに向けた心配だったのかな。

 そんなのもあって、うちはまだ活躍の機会を見つけられないでいた。逆に言ったら、無力さを痛感しないで済んでいた。

「疲れはない?」

 道中、こまめに心配の声をくれるビビさん。皆の目を気にしてか、うちにしか聞こえないほどの声量。

 周囲に気づかれたら、またクリシスさんとの口論がはじまる懸念があるのかな。気をつかわせるのは心苦しい。

 こんな状況になって、クリシスさんが嫌われて孤立しないかの懸念もよぎった。他人を心配する前に、うちがしっかりしないと。クリシスさんの発言も、動けないうちが原因だ。うちが動けるようになったら、クリシスさんに心配する必要もなくなる。

「平気」

 ただ洞窟を歩いているだけに等しいうち。模擬戦闘のおかげで体力はついたみたいで、まだ大丈夫。

 精神的な疲労は感じるけど、この程度で弱音は吐いていられない。敵が影ではないからか、楽に勝てているからか、前回より心の負担も少ない。

 この調子で進められたら、少しずつ戦いにもなれることができるかも。足手まといから抜け出せるかも。

「い~っぱい倒したね」

「この調子なら、ボスも楽勝だろ」

 余裕をにじませる雰囲気も、うちの負担を軽くした。油断とは違う、心の余裕が微細でもあるかのように感じられた。

「いつ出現してもおかしくない。警戒はとかないこと。油断も禁止」

「りょーかいっ」

 発言を体現したかのように警戒を続けるセリオさんと表裏かのような、ビビさんの跳ねた声。その明るさも、うちの負担を軽くしてくれた。

「ピリピリしすぎ。ハゲるぜ」

「わたくしが警戒しておりいますわ。大丈夫ですわよ」

 大丈夫。今回は動ける。

 思いを強めて歩き出して、しばらくしてからだった。

「目標ですわ」

 フィリーさんの言葉を合図にするように、示された方角に視線を移す。行く先をふさがるようにたたずむ、巨大なトカゲを視界にとらえた。

 距離があるここからでもわかる。今まで戦ってきたトカゲとは段違いの巨躯だ。あれが、今回の敵。

 それぞれが武器を構える。少し遅れながら、うちも弓を構えた。今回は影ではないから、武器に魔力を宿す必要はない。

 誰よりも先に、クリシスさんが切り込んだ。

「クリシスっ」

 セリオさんの声には、クリシスさんはやっぱりとまらなかった。聞こえる声量だったのに、明確に無視をしている。

 素早い剣さばきは、戦いになれていないうちにはどうなったのか視認できない。大きく体をよじって苦しんだトカゲを見るに、効いたんだとは伝わる。

 痛々しい光景は、視線をそらしたくはなる。戦況を見ないのは危険だと、模擬戦闘で学んだ。衝動をこらえて、目の前を見続けた。

 トカゲの形をしているけど、トカゲではない。影かなにかしらの影響で、トカゲではなくなってしまったモノ。だから討伐しなくてはいけない。情を作ってはいけない。

 ビビさんとアヴィドさんも、武器を構えて前線に駆ける。

 クリシスさんと口論をしている印象が強いアヴィドさんなのに、戦場では互いに邪魔にならないように攻撃しているように見える。うちさえいなかったら口論もなくて、もっと協力して進められたのかな。

 クリシスさんを気にかけることをやめたセリオさんも、皆の攻撃の隙をついて雷魔法を放つ。命中こそするけど、しびれさせられない。トカゲ相手にしびれは効きにくいのかな。

 そんなセリオさんを見てか、仲間の補助になる魔法を詠唱しはじめたフィリーさん。補助魔法を得意とするフィリーさん。トカゲを弱体化させるのが無理なら、仲間を強化する考えなんだ。

 エウタさんも皆に守護の魔法を使っている。前衛を優先して、そして後衛、うちにも使ってくれた。

 そこまで来て、戦況を見られているうちに気づいた。

 見極められるまでの知恵はないけど、恐怖はありながらもどうにか自立できている。

 見るだけだといけない。

 見極めて、考えて、動かないと。

 行動しないと、動けないまま終わった前回の任務と同じになる。

 標的は大きいから、うちでも攻撃を当てられるかも。構えた弓につがえて、弦に指をかける。細かく動く前衛に逡巡した。

 まともに見極められないうちが強引に矢を放ったら、戦況を悪くする? 最悪、仲間に当たりかねない?

 うちのせいでケガをさせたくはない。

 うちは回復魔法も使える。回復なら邪魔にはならないはず。

 見た感じ、後衛の人はまだ余裕がありそう。使うなら前衛の人。

 誰に使うかも決めないまま、ひとまず詠唱する。詠唱も遅いうちは、好機になるまで詠唱しないでいたら結局無意味になる。誰に使うかは、詠唱を終えてから考えたらいい。

 詠唱を終えた魔法を放たないで自身にとどめられる時間も、うちはまだ長くはない。だからって、詠唱しながら戦況を見極められる器用さもない。

 間違わないように詠唱して、詠唱が終わったら魔法の効果が消える前に使う。

 詠唱と思考に集中をさいたせいで、周囲への注意が散漫していた。

 うちに向かう大トカゲを目視するまで気づけなかった。

 体躯とは不均衡なほどに機敏な動きは、うちとの距離をあっさり詰めて。

 姿形は違うのに、うちを飲もうとした影と重なって見えて。体は鉛のように硬直した。

 弓を構えることはおろか、逃げようと足を動かすことすらできなくて。

 迫り行く大トカゲの動きを遮ったのは、意識を失ってしまいそうなほどの鋭いまたたきだった。

 一瞬奪われた視力が回復した瞬間には、目前まで迫っていた大トカゲが四肢をくねらせて痛苦をのぞかせていた。

 瞬間、大トカゲにふり注いだ光のトゲ。さっきの光はアヴィドさんの光魔法だったんだと、ようやく認識に至った。

「大丈夫!?」

 駆け寄って、声をかけてくれたのはビビさんだった。至近でくり広げられる戦闘を前にしても、動けないままのうちの顔をのぞく。

 その瞬間ですら、アヴィドさんが、クリシスさんが、武器で魔法で攻撃を続けて、大トカゲに傷を負わせる。

「危ないから、さがって――」

 ビビさんの声はとぎれた。大トカゲが動きを見せたから。

 うちをかばうように、ビビさんは前に出た。大トカゲが向かったのは、うちのいる方角とは正反対だった。

 アヴィドさんやクリシスさんの追撃を食らいながらも、洞窟の奥に素早く駆けていく。

「逃げる気かよ!」

 イラつきまじりのアヴィドさんの声に、うちは立ちつくすだけだった。

「追うよ! 回復する手段でもあったら、こっちが不利になる」

「当然だ!」

 セリオさんの号令に振り向きながら返事をしたアヴィドさんの視線が、うちでとまった。つられるように、全員の視線がうちに動く。

 また、動けなくなったうち。

 影相手なら、厄日があるからまだ許容されたかもしれない。今回の相手は、影ではない。なのに、うちは無力なままだった。

「だいじょーぶ?」

 無雑なエウタさんの言葉が、胸に刺さる。うちの無能のせいか、戦場だからか、自意識過剰か、皆の視線がいつもより冷たく感じる。

「へい、き」

 そう言うしかなかった。弱音を吐いても、状況は悪いほうにしか変わらないことはわかっている。

 事実、どうにか歩けそうなほどの精神はある。それだけだけど、皆はうちに戦闘面の期待はしていない。こう言っても差し支えはない。

「行ける?」

「待って。もう少し平静に戻ってから」

 セリオさんの催促を、ビビさんは否定した。

「こんなヤツにあわせる理由がどこにある」

 反響して響いたクリシスさんの言葉は、一切の乱れを感じさせなかった。あれだけ戦っていたのに、呼吸に荒れがない。

「協力ですわ」

「やってられるか」

 『これ以上つきあっていられない』と言わんばかりに、クリシスさんは大トカゲの消えた方角に進み出す。

「待って。単独行動は――」

「平気。行けるから」

 セリオさんの声をかき消すように、どうにか発した。震えてはいなかったと思う。

 ビビさんの心配そうな視線が刺さったけど、小さく点頭して『平気』と示す。

 回復する手段が本当にあったら、うちが動けない間に回復の時間を与えてしまう。すぐに追いかけないと、戦況を揺るがしかねない事態になってしまうかもしれない。

 1人で先に向かってしまったクリシスさんも気がかりだ。体力に余裕はありそうだったけど、単独だと集中して狙われる。さっきみたいにはいかなくなるはず。

「無理はしないでね」

 変わらない表情のまま、うちにだけ聞こえる声で届けられた。ビビさんの優しさを材料に、ゆっくりと足を動かす。

「よっしゃ。行くぞ!」

 駆けるアヴィドさんに続こうとしたセリオさんが、うちに振り返った。

「決して、無理をしてはいけない。無理だと思ったら、戦線から離れてもいい」

「欠員をカバーするのも、仲間の仕事ですわ」

 2人の優しい言葉も、暗にうちの無能、不要を物語るように思えた。足手まといにならないで済むなら、そっちのほうがいいよね。

「ぼくたちが支えるから、ビビは安心して前に出ておいで」

 いまだにうちへの心配が抜けない様子のビビさんを気づかってか、エウタさんが笑顔で伝えた。同意するように、フィリーさんも点頭する。

 逡巡をのぞかせながら、ビビさんは大トカゲの方角に駆けた。

 うちのそばを離れるビビさんをなぜか直視したくなくて、そっと視線をそらした。




「お疲れ様」

 大トカゲの討伐を終えて、皆で学園に戻った。7人全員でミアイアル先生に報告を済ませる。

 やわらかなミアイアル先生の笑顔を前に、本当に任務を終わらせられたんだと実感した。

「ケガ人はいない?」

「全員、軽症で済みました」

 芯のあるセリオさんの声がちりりと届く。

 うちは結局、なんの役にも立てなかった。足手まといにもならなかった、と思うけど。それだけで。

 大トカゲの射程にも行けなかったから、うちでもケガはしないで済んだ。無能だったから、ケガをしないで済んだ。

「それを聞いて安心したよ」

 ミアイアル先生と一瞬、視線があった。聞きたいことがぼんやりわかった気がした。うち個人として平気だったのか、気になったんだよね? 動けなくなった事実はあるけど、前よりは進めたはず。ミアイアル先生に余計な心配をかけさせたくない思いもあって、小さく点頭する。伝わったかはわからない。

「少しずつでも協調になれたら、もっと効率よく倒せるようになるよ」

 うちが動けなくなったことやクリシスさんの単独行動があるからか、それに返される言葉はなかった。

 あえてスルーしたのか、意に介していないのか、ミアイアル先生は笑顔を崩さないまま言葉を続けた。

「ゆっくり休むといいよ。休息も欠かせない、大切なことだ」

「はい。失礼しました」

 形式ばったセリオさんの一礼に、フィリーさんも続いた。エウタさんとビビさんは小さく手を振って、ミアイアル先生に別れを告げる。生徒にそんな態度をされても気にならないのか、ミアイアル先生は笑顔で手を振り返した。うちは小さく礼をして、別れを告げた。

「この結果を踏まえて、次の任務はより困難な内容になるかもしれない」

 満足な距離をとった頃、セリオさんが独り言のように発した。

「強い相手になるの? 嫌だな~」

 にごりのない高音域のビビさんの声は、廊下全体に反響したように流れた。ミアイアル先生に聞かせるために、あえて大きな声を出したわけではないよね?

「そうも言ってらんねーだろ。現に楽勝で終わらせたんだぜ」

 討伐に時間こそかかった大トカゲだけど、皆の被害はとりたてるほどではなかった。体力だけ高くて、攻撃能力はよくなかったのかな。

 アヴィドさんの『楽勝』の言葉を体現するように、長い戦いを勝利で飾ったあとは休憩もなく帰路についていた。アヴィドさんやクリシスさんも息があがるほどの長期戦だったのに。歩くのに支障はないどころか、帰り道で小型のトカゲを倒す余裕を見せていた。

「今回みたいな戦力の分散は危険になるでしょう。今後、発生しないように留意しないといけない」

 セリオさんの言葉は、クリシスさんだけではなくうちにも向けられたことだよね。自覚はある。肝に銘じないといけない。

 なにもできないままのうちでい続けるにしても、せめて足手まといにならないようにしないといけない。

「お前らがいて、なにになる」

 その言葉を最後に、クリシスさんは足早に輪を抜けてしまった。少しの声はあがったけど、どれもクリシスさんをとめるまでには至らなかった。

「わたくしも努力はしているのに。修練が足りませんの?」

 言葉を素直に受容したのか、フィリーさんは頬に手をそえて憂苦をのぞかせた。

 うちの存在が、クリシスさんに今の言葉を言わせたのに。無関係のフィリーさんまで傷つけてしまった。

「あんなヤツ、気にするいわれはねーよ! オレたちはオレたちだけで協力すりゃいーんだよ!」

「クリシスは満足な強さを誇っている。でも、いつまで通用するかわからないでしょう?」

 たしなめるようなセリオさんの言葉にも、アヴィドさんの不満げな表情は変わらない。

 クリシスさんの言動が、いつも空気を変える。クリシスさんの発言を作っているのはうちだ。うちのせいでこの空気になって、クリシスさんまで孤立したような状況になる。

「クリシスって本当、強いよね。1人でバシバシ倒せちゃうんじゃないかなー」

 羨望のようなエウタさんの声に、不快をあらわにしたアヴィドさんの視線が飛んだ。気づいたエウタさんは口を閉ざして、身をちぢませた。

「昔はそうでもなかった。いつからか人が変わったかのように、修練に励むようになって」

 クリシスさんの消えた方角を見つめて発したセリオさんは、どこか悲しげに見えた。強気な態度ながら、いつもクリシスさんを気にかけていた様子だった。クリシスさんを責めたいわけではなくて、本当は誰よりも心配しているんだ。クラスになじめるように、セリオさんなりに努力しているんだ。

「修練に裏打ちされた強さなのですわね」

「強いなら余計、協力しなきゃ! 百万力だよ!」

「あれがおいそれと協力に賛成するわけねーって」

 ビビさんの意見に反対なのか、協力が得られるわけがないって思いだけなのか、アヴィドさんは軽く払拭した。

 クリシスさんと対立が多いアヴィドさん。セリオさんみたいに、奥に秘めた感情はかすめられない。うちが来る前から、アヴィドさんとクリシスさんは理解しあえない関係だったのかな。

「なせばなる!」

 諦めの色をのぞかせないビビさんは、両の拳を握って気合を見せた。奮起させるように点頭した仕草で、ツインテールが軽快に舞う。

「クリシスには、私からも言っておく。いつでも迎えられるように準備をしておいて」

「いつになることやら」

 アヴィドさんの軽口に、セリオさんはかすかに眉をひそめただけだった。




 皆と別れて自室で休息中も、セリオさんの言葉が再生して休めなかった。

 今後、もっと困難な任務が待つかもしれない。

 今回だってなにもできなくて、動けなくなってしまったんだ。

 前回も今回も、うちが動けないことで生じた被害はなかった、と思う。全員大きなケガはなかったから、少なくもと大きな被害にはつながらなかった。

 敵が強くなったら、どうなるかわからない。

 うちが満足に動けないせいで、皆に被害を与えるかもしれない。甚大な被害につなげることになるかもしれない。

 その思いは、うちを恐怖におとしいれる。

 うちのせいで。

 その言葉は呪詛のように、心に深くクイを打ちこんで。

 うちにはできない。

 動けない。戦えない。

 『うちのせいで』の恐怖は、満足に体を動かしてくれなくなる。『動けないからその結果になる』とはわかっているのに。

 理解していても、悪循環から抜け出せない。強引に作った『戦わないと』という決意程度では、抜け出す手段になってくれない。

 悪循環の荒波にもまれるうちに、1人また1人と消えてしまうかもしれない。うちのせいで消えてしまうんだ。消してしまうんだ。

 ゆらりと歩いて、自室の扉を開けた。

 伝えよう。ミアイアル先生に『戦えそうにない』って。

 現状を変えられるかなんてわからない。でもどうにか、皆の被害を消し去りたかった。無意味の可能性が高くても、皆を傷つけない可能性にすがりたかった。

 足どりが重いのは、自分の無力を再度痛感したからなのか、ミアイアル先生を困らせるであろう未来を実感してなのか。

 牛歩の進みは、聞きなじみある高音域を拾った。

「皆だって、思いは同じだよ!」

 無意識に顔を向ける。少し先にビビさん、そして壁に背を預けてよそを向くクリシスさんがいた。

「俺にメリットがない」

 空気と会話するかのように、ビビさんを一瞥もしないクリシスさん。空間すら忌むように、眉間にシワが寄っている。

「あるよ! うんと強い敵にも勝てるようになるよ!」

 両手で大きな円を描くような動きと跳ねるツインテールで、言葉に乗せた本気度が伝わる。

「お前らの後援がついたとして、勝てる敵のレベルに大差はない」

 届いたやりとりで、クリシスさんに戦闘の協力を仰いでいるのだとわかった。

「月とスッポンにレベルに変わるよ! 劇的だよ!」

 ビビさんの訴えにも、クリシスさんは表情すら変えない。ビビさんの主張を嫌うように、視線はなにもないよそに向いたまま。

「厄介なのがいるってのに、劇的な変化が望めるわけがない」

 ピクリと反応したうちの体。自分のことを言われたと反射的に理解しているんだと、実感できてしまった。

 嫌になるほど感じてきた、うちの無力さ。クリシスさんの言葉を否定できるだけの力を、うちは持っていない。今までの現実を見るに、受容しかできない。

「なれてきているよ! 模擬戦闘では動けるようになったじゃん!」

 こう返すからには、ビビさんもうちをそう認識していたんだ。クリシスさんが語る『厄介』なんて、うちしかいないから当然だ。

 優しくしてくれるほかの皆も、うちを歓迎してくれたわけではない。現状を悪くしないために、仕方なくかばってくれたんだ。

「だとしても、どれだけかかるか」

「協力しあったら乗り越えられるの! エウタだってそうだったじゃん! クリシスの力も必要なの!」

 力説を続けるビビさんを、クリシスさんはうんざりと一瞥した。うちをひたすらに擁護するビビさんは、うちと同程度に気にさわる存在になっちゃたの? 明るくて優しいビビさんなのに、うちのせいで嫌われる起因を作ってしまったの?

「想像もできないほど、怖い思いをしたんだよ! もっと優しくしてあげて!」

「そっちがやったらいい。俺までまきこまれるいわれはない」

 『これ以上相手をしたくない』とでも語るように、クリシスさんは無視してビビさんの前から去った。ビビさんは口を開いたけど、発せられる言葉はない。

 ぽつりと残されたビビさんは、見えなくなった背中を前に小さくうつむく。いつもは見せない悲痛を感じて、ちりりと胸が痛んだ。もしかして、前からかげで言ってくれていたのかな。

 申し訳なさに満たされていたら、ふいにビビさんの視線がうちに向いた。

「あ……」

 口から漏れた声と、小さな瞠目。うちの存在を認識されたんだと感知した。

 反転したかのような笑顔になって、軽やかにうちに駆けるビビさん。

「お散歩? 休まなくて平気?」

 うちの前では明るくふるまってくれるビビさん。うちの隣で、うちを励まし続けてくれたビビさん。

 そんなビビさんが、人知れずあんな表情を浮かべたなんて。うちのせいでそんな表情をさせたなんて。

 ビビさんに説得の負担もかけて。クリシスさんに辛辣な言葉をあびて。嫌われそうになって。

 すべて、うちのせい。

「いいよ」

 いたたまれない思いのまま、1つの言葉を発した。

「なぁに?」

「うちを擁護しなくても」

 発話した瞬間、ビビさんが離れる恐怖に襲われた。あふれさせたくなくて、ペンダントをきつく握りしめる。

「見たの?」

 盗み聞きみたいで迷ったけど、点頭した。うつむいたままのうちは、ビビさんの反応をうかがえない。空気の重みが肩にのしかかる。

「クリシスね、ずっとあんな感じなの。怖いかもしれないけど、悪い人ではないんだ。嫌いにならないでね」

 きっと真実だよね。うちの無力さが、クリシスさんにあの言葉を作らせただけ。うちが来る前は、あそこまで冷酷ではなかったんだ。

 小さく点頭する。

 クリシスさんの言葉は、いつも核心を突いている。傷つきはするけど、嫌いにはならない。これで嫌いになったら、ただのうちのワガママだ。甘えだ。

「ミアイアル先生が言うみたいに、協力って本当に大切だと思う。あたしは全力で支えるよ。クリシスにも、そうであってほしいの」

 ビビさんの手が、うちの頭に乗せられた。ふわふわとした感触がこそばゆい。ゆっくり顔をあげる。優しい笑みがあった。

「なんでも相談してね。1人で抱えてばかりじゃなくて、もっとあたしたちを頼っていいんだよ」

 こんなうちにずっと優しくしてくれる。どれだけ無力でも、励まし続けてくれる。クリシスさんを説得してくれる。

「どうしてそこまでしてくれるの?」

 不変の優しさは、じんわりと身にしみる。同時に、疑問も運んできた。

 うちを擁護しても、ビビさんに利点はない。むしろ、クリシスさんとの関係を悪化させる材料にしかならない。

「大切なお友達だからに決まってんじゃん!」

 夢みたいな言葉は、現実としてしっかり耳に届いた。太陽のようにまたたく笑顔は、うちの不安をじんわりとかすような感覚をほのめかす。

「それだけ、で?」

 友達と思ってくれただけでも驚きだけど、友達だからってだけでここまでしてくれるものなの?

 大切な友達がいたとしても、うちはここまでできる自信がない。ましてや、出会ったばかりの相手のためになんて。

「……正直言うと、それ以外にもあるかな」

 一瞬、笑顔が崩れた気がした。気のせいかと思うほど、すぐに戻って。

「あたしもね、家族がいないんだ。ある事件で、全員死んじゃった」

 思いがけない言葉に、ピクリと肩が震えた。乗せられたままのビビさんの手のぬくもりで、すぐに薄まる。

「悲しくて悲しくて、当時はすっごく沈んだよ」

 笑顔の絶えないビビさんからは、想像もつかない過去。

「お姉ちゃんが準備してくれていた、あたしへの誕生日プレゼントを見つけて。救われたの」

 ビビさんの手が離れて、うちの双眸をまっすぐと見つめる。

「そえられたお手紙に『お姉ちゃんはずっとビビが大好き。ビビが笑顔でいてくれるのがお姉ちゃんの幸せ』って書かれていたの。あたしはふさぎこむのをやめて、明るく笑顔で生きる決意をしたんだ」

 清々しいまでの笑顔は、内に秘めたる強さすら感じさせた。崩されない笑顔の裏には、そんな物語があったんだ。

「きっととっても傷ついたんだよね。怖かったんだよね。でも、あたしがいるよ。皆がいるよ。それを知って、少しずつでも元気になってほしいの」

 その言葉は、今までのどの優しさより強く深く身にしみた。

 明るかったビビさんも、つらい経験があったんだ。うちだけが悲劇にみまわれたわけではないんだ。

 ビビさんも最初は、恐怖で身がすくむ瞬間もあったのかもしれない。乗り越えて、奮起して今があるんだ。

 うちだってそうならないと。

 ビビさんも悲しみを乗り越えたんだ。うちもそうならないと。つらさを免罪符に立ちすくんではいけない。

 逃げたって、現状はよくならない。故郷が戻ってくることもないし、兄さんも戻ってきてくれない。

 だったら。つらさも悲しさも恐怖も乗り越えて、その先にある未来を目指すしかないんだ。

 どんな結末が待つかわからなくても、一筋の光明があると信じて立ち向かうしかないんだ。

「……ありがとう」

 この小さなお礼が、自分を変える小さなきっかけ。長い長い階段を1歩だけ進んだにすぎない。

 少しずつでも努力したら、ビビさんみたいに笑えるようになるのかな。

「お友達として、とーぜんだよ!」

 明るくてあたたかい言葉。心がぽかぽかとぬくもりにくるまれる。

「ビビさんと同じクラスでよかった」

 無意識に口から出た。

 模擬戦闘ですらまともに動けなかったうちを励まし続けてくれたビビさん。任務中もうちの隣にいて、ずっと気にかけてくれたビビさん。

 ビビさんがいなかったら、とっくに心が折れたよ。ビビさんがいてくれて、同じクラスで本当によかった。

「もー、死亡フラグみたいなこと言わないでよ!」

 明るく怒るビビさんに、思わずほころんだ。

「ってか『さん』って! ビビでいいよ! こっちもネメって呼んじゃうし!」

「いいの?」

「あだ名でもいいよ! 勝手に作って呼んでいいよ!」

 笑顔でまくし立ててくれる。あだ名をつけるのははずかしい。いきなりなれなれしすぎるし。

「それは遠慮するね、……ビビ」

 『そう呼ぶよ』という意味も含めて、最後に名前を呼んだ。敬称なしなんて少しどきどきしたけど、ビビは変わらない笑顔のままだった。

「満足満足! これはもうお友達ってより、親友だね!」

 いきなりのグレードアップに、内心たじろいだ。はずんだ口調のせいで、冗談なのか本気なのかわからない。ひとまず、笑みを返すしかなかった。




 それから、ビビと話す機会が見違えるほどに増えた。前々から声はかけてくれていたけど、心配ばかりで会話としては続きにくい内容だった。それが日常会話も少しずつできるまでになった。

 ビビに導かれるまま、クラスの皆とも徐々に言葉を交わせるようになっていった。クリシスさんとは相変わらず交流がないままだったけど。それは私だけではないし、仕方ないのかな。

 交流したり、一緒に学食を食べたりもするうちに、ミアイアル先生からも『ひとまず安心した』と言葉をもらった。うちが孤立しないか、内心不安だらけだったのかな。

 それらもあってか、うちは模擬戦闘で後援らしきことができるまでに動けるようになった。皆と比べたら、まだその動きは若輩者だけど。初期と比べたら、マシにはなれたかな。

 早く詠唱できるようにもなって、攻撃魔法も使えるようになって、少しずつ力を手にしていくのを実感できた。

 うちの成長を見るたびに、激励してくれるビビたち。

 その輪にいると安らいで、ビビたちを大切に思っているのに。

 影に飲まれるかのように見えたビビがふいによぎって、それ以上の距離を詰めるのをやめてしまう。

 心に急速にブレーキが効いて。

 大切な存在のそれ以上の侵入を拒んでしまっていた。

 うちのこの心情は、きっと誰にも気づかれていないよね。

 気づかれる瞬間が来たら、この関係が壊れてしまうのかな。

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