動けない

 翌日から、頻繁に模擬戦闘がされるようになった。入学したばかりのうちは『頻繁に』なのかは判別できない。もしかしたらこの学園は、これが日常なのかな。

 戦いと無縁の生活だったうちにとっては、間違えなく『頻繁に』だった。

 学園の方針なのか、うちが少しでも戦えるようにする目的なのか。真実はわからない。

 ミアイアル先生からは、模擬戦闘をさせることを何回も謝られた。抵抗することは無意味、迷惑をかけるだけとわかっている。無言で従った。

 最初は、怖くて動けなかった。回を重ねるにつれて、徐々に動けるようになってきた。とは言っても、胸を張って『戦える』と言えるレベルではない。

 それでもビビさんは『すごい』とほめてくれた。ビビさんはずっとうちを支えて、励まし続けてくれた。うちが動けるようになったのも、ビビさんの言葉があったからだったのかもしれない。

 ミアイアル先生は、うちの体調や精神を最優先に考慮してくれた。そのたびに中断させてしまった模擬戦闘に感じた申し訳なさも『ネメの体調が大切』というビビさんの笑顔で、少し楽になった。

 うちにあたたかい声をかけてくれる人は、ビビさん以外にもいた。激励やアドバイス、皆の戦闘のクセの情報とか、内容は多岐に渡った。結局、クリシスさん以外からは全員助言をもらった。

 少しずつ薄まった恐怖は、戦況を見られる精神状態を作ってくれた。それぞれの戦闘スタイルの違いもわかってきた。

 ビビさんは氷属性の魔法を使って、攻守のバランスよく動いている。使える武器の数も多くて、戦闘内容に応じて変更していた。小ぶりだったとはいえ、斧も使えることには驚いた。

 セリオさんが使う雷魔法は、敵をしびれされる効果もある。うまくしびれさせられたら、戦闘を有利に運べるみたい。戦況を見極めて前衛、後衛を動いていた。戦い中でも冷静な判断ができる人みたい。

 フィリーさんは風属性で、補助を得意とした後衛タイプ。使える属性といい、うちと立ち位置が似ている。

 エウタさんは闇属性で、守護系の魔法が得意な後衛みたい。攻撃は苦手で、それが『最初は怖かった』発言につながっていたみたい。

 光属性のアヴィドさんは武器の扱いは随一で、使える武器の種類も誰よりも多かった。広範囲をまきこむような、豪快な魔法攻撃を得意としていた。戦闘中は表情が変わったように見えたのもあって、少し怖かった。

 そして炎属性のクリシスさん。一目置かれただけあって、戦闘力はずば抜けていた。アヴィドさんも強さはのぞかせたけど、それとは違う強さ。アヴィドが全をまきこむ強さで、クリシスさんは個を確実にしとめる武術みたいな。武器は剣しか使えないけど、剣の扱いは誰よりも優れている。流れるような動きは、芸術性の高い舞にすら見える。

 それぞれに特色があって、それぞれの活躍をしていた。

 そんな中でうちは、いまだに風属性しか使えないまま。かろうじて使える回復魔法を、どうにか唱えられた程度。弓も持ってはいたけど、結局使うことはなかった。

 この学園にいるだけあって、うち以外の人はちゃんと動けている。うちというカセのせいでこの動きになるだけで、本当はもっとできるのかな。

「いけないね」

 そんなうちの思いを分断したのは、模擬戦闘を見ていたミアイアル先生だった。

「どこがだよ! 完勝したじゃねーか!」

 反論するアヴィドさんは、前線であれだけ動いていたのに息1つあがっていない。積んだ鍛錬の時間が違うんだ。ほかの人も、大きな疲労をのぞかせていない。

「このレベルの敵なら、アヴィド1人でも勝てただろうね。でも、実際の敵はもっと強い。アヴィドが本気を出しても、手が出ないほどにね」

 ゆっくりと重々しく発する口は、一切の笑顔がなかった。いつものぞかせているほがらかさが消え失せている。今の言葉は、それだけ重要な内容なんだ。

 皆にも伝わったのか、ミアイアル先生の言葉に黙って耳をかたむける。

「君たちは、それぞれの力は満足なまでにそなわっている。高みを目指すには、協力しあうことが大切なんだ」

「合成魔法を習得しろ、ということですか?」

 質問を返したセリオさん。模擬戦闘後のミアイアル先生からの助言に質問をするのは、いつもセリオさんだ。高い向上心が伝わる。

 マルチエレメントとは別に、血筋に関係なく使える合成魔法というものがある。

 息をあわせて魔法を詠唱すると、その威力が重なって放たれる。単品で魔法を使うより威力をあげられるらしいけど、息をあわせるのは結構な困難だと聞いた。

 補助魔法や回復魔法でも、攻撃魔法と重ねると強力な攻撃魔法になるらしい。戦いで使えたら、頼れる手段になるだろうな。

「それもあるね。戦闘時に統率がなく、個々が個人として動いている。これだと、それぞれの力をあわせた足し算にしかならないよ」

 故郷の人たちは統率があった気がする。厄日の動きは記憶できていないけど、日常的に協力しあって動いていた。あの有事の中でも、無意識に連携ができていたのかな。

「特にクリシス。君は単独行動が目立つ。仲間から大きく離れて戦っている瞬間も多い。離れたら、後衛のサポートも届かない。仲間を意識するべきだ」

「そうね。いつも単騎突撃するでしょう? よくないことよ」

 セリオさんの声にも、クリシスさんは視線をよそに向けたまま無言を貫いた。

「後衛のサポートなんてなくても勝てるってか? 結構なご身分だぜ」

 アヴィドさんの悪態にも、クリシスさんは届いていないかのように身じろぎすらしなかった。

「合成魔法、できるのかしら」

 重苦しくなりそうな空気を嫌うように、頬に手をそえて不安げな声を漏らしたフィリーさん。

 クリシスさんに集中していた視線が散見した。それぞれが合成魔法を考えたのか、ほかの人も表情は晴れない。唯一、ビビさんをのぞいては。

「やってみよっ!」

 すぐさまフィリーさんを誘って、2人で合成魔法を試みたビビさん。衆目の中で発動したのは、それぞれの魔法だった。合成魔法になった様子はない。

「えー、なんでぇ」

 頭を抱えて落胆の声を漏らすビビさん。仕草のせいで強い落胆は感じられないけど、残念に感じたのは真実だよね。

 フィリーさんも頬に手をそえて、暗くなった視線を床に落とした。小さくあいた口からは、ため息が聞こえてきそうだ。

「どれだけ仲がよくても、戦闘中に息をあわせることはとても困難なんだよ。だからこそ、成功した際の見返りは大きい」

 親しげなビビさんとフィリーさんの合成魔法があんなだったんだ。合成魔法を成功させることは、難解なんだ。ミアイアル先生の言葉は、安易に理解できた。

 戦闘時に息をあわせるのは、より困難になるよね。まともに戦えないうちにとって、夢のまた夢の話だ。

「うー、戦いって大変だ」

 エウタさんも小さく泣きごとを漏らした。

 『最初は怖かった』って言っていたのを疑ってしまうほど、エウタさんも満足に動けているように見えた。『エウタさんはカセなんかではない』と理解できる。皆にとって欠かせない、大切な仲間になっている。お荷物なのはうちだけ。

「戦闘で協力すりゃー、オレらは最強ってことだな!」

「そう簡単に片づけていい内容ではないでしょ」

 1人奮起したアヴィドさんを、セリオさんがたしなめた。2人の視線は、終始無言だったクリシスさんに注がれる。クリシスさん、協力とは無縁の戦法なのかな。戦術まではわからないから、うちには2人の視線の意味までは理解できない。晴れない表情を見るに、懸念の材料ではあるようにほのめかされた。

「合成魔法は大変だし、強制はしないよ。君たちがまず考えるべきは『協力と連携』だ」

 このクラスの人たちは、男女関係なくそこそこの仲のよさがある。協力しあって戦うのは、案外できるのかも。その中にうちはとけこめるのか、一切の自信がない。

 兄さんがいないとなにもできなかったうち。襲った不安に、無意識にペンダントを握りしめる。無機質な感触は、鼓舞を作ってくれない。

 ロクに戦えないうちが『協力しあう』だなんて、無理がある話だよ。

 兄さん、うちはどうしたらいいの?




 数回の模擬戦闘があって、それから数日後のことだった。

「任務が課せられたよ」

 皆がいる教室で、ミアイアル先生が口を切った。

 はじめて課せられた任務。内心、恐怖が身を襲った。

 うち以外の人は、誰も反応しなかった。まるで日常かのように教室の椅子に座ったまま、ミアイアル先生を見据えている。

 任務が学園の単位になるなら、珍しいことではないのかな。うちの転入のせいで、しばらく任務を控えてくれただけだったのかな。

「内容は『影の討伐』だ」

 ミアイアル先生が発した単語に、小さく体が震える。

 よりによって、戦いが強いられる任務になるの? 影と戦わないといけないの? 嫌だ。できるわけがない。

「影、って」

 ビビさんの懸念するような視線が、一瞬うちに向いた。一瞥を見たミアイアル先生は、おだやかな表情のまま続ける。

「小型だよ。大丈夫」

 影にも大きさがあるらしい。うちの故郷を襲ったのは超大型だったと聞いた。

 だからって『小型の影』と聞いて、安心できるわけがない。小型とはいえ、故郷を、兄さんを奪った影なんだ。

「模擬戦闘より強くなるのは確実だ。気を抜いてはいけないよ」

「いきなり影だなんて!」

 教室内に響いたビビさんの声ですら、恐怖の材料になる。悲鳴を呼び起こす高音は、故郷での詠唱と重なって。

「ごめんね。理解してほしい」

 1回だけうちに向いた、遺憾をかすませるミアイアル先生の視線。考えなくても、事情は察した。

 大人たちの策略だ。『うちが少し動けるようになった』と聞いて、影との戦闘にならそうとしたんだ。

 ミアイアル先生はうちを思って反対したけど、力及ばなかったんだ。ミアイアル先生は悪くない。

 告げられた現状は、うちの望まない未来を作る。

 ふつふつとよぎる恐怖を、ペンダントを握りしめてこらえる。それでも、小刻みに震える体をとめられなかった。まだ消えない、あの光景。

 ミアイアル先生が続けた説明は、既に耳に届かなかった。

 うちだけ別空間に切りとられたかのようにちぢこまって。無限にわく恐怖を追い払うことだけに必死だった。

 説明を終えたのか、ミアイアル先生は教室を出た。影の話は終わったのかな。ひとまずの安息を入手する。

 恐怖は皆無にならなくて、ペンダントを握る手は離せないまま。強く握って、小さく深呼吸して、恐怖を少しずつ浄化する。

「任務、初だよね?」

 頭頂部に届いた声に、顔をあげる。恐怖を薄めるようにほほ笑むビビさんがいた。震えた声が出そうで、ゆっくりと点頭する。

「平気?」

 不安をほのめかす声は、うちの精神を考慮してのことかな。

 どう言っても、現状は変わってくれない。『無理だ』と言っても、説得されて参加を強要される。ビビさんたちに説得の手間をかけさせることになるかもしれない。

 これ以上迷惑を、負担をかけさせたくない。強引にでも点頭する選択しかできなかった。

「緊張するかもしれないけど、大丈夫。あたしたちが支えるよ!」

 うちの心情に気づかなかったのか、あえてなのか。ビビさんは笑顔と声音を輝かせた。

 絶えない笑顔で、模擬戦闘でもずっとうちを励まし続けてくれた。それ以外でも気をつかってくれて、申し訳なくなるほどだった。

 任務は、模擬戦闘とは違うよね。敵は当然として、空気も。

 それを前にして、うちはまた動けなくなってしまうの? 小型とはいえ影を前にして、また前のうちに戻ってしまうの?

 安心が作った隙間は、すぐに不安が占拠した。

「動ける、かな」

 その不安しかない。ミアイアル先生の話を聞いただけで、ペンダントから手を離せないほどの恐怖に襲われたのに。

 本物を前にしたら、なにもできなくなっちゃうかも。その思いしかない。

「怖くなったら、さがっていいよ。あたしがどうにかする」

 いなくても成立するなら、うちは最初からいないほうがいい。ミアイアル先生に言って、うちだけ不参加にさせてもらえないかな。

 単位も関係するなら、無理なのかな。単位なんてどうでもいいのに。学園生活なんてどうでもいいのに。

 初任務が影なんて『マルチエレメントを使えるようになって、大型の影を倒して』って意味なのかな。だったら『不安だから』ってだけだと、不参加は許可されない。

 断れない任務。だからビビさんもこう言って、無力のうちを受容してくれるんだ。

「私もいるわ。ネメは安心して構えたらいいの」

 セリオさんも続けてくれる。皆のためにも、せめて邪魔にならないようにしないといけないんだ。足をひっぱることだけはしたくない。

「そうですわ。ミアイアル先生も『協力が大切』と申していましたもの。頼っていいんですわ」

 両手をぱんとあわせて、ほがらかな笑顔を見せてくれたフィリーさん。

「みんな強いから、へーきだよ」

 エウタさんも寛容に伝えてくれた。エウタさんも最初の頃は、こうして支えられたのかな。

 エウタさんみたいに戦える日は、うちに来てくれるのかな。期待を裏切る結果になってしまうのかな。思いを無に帰することになってしまうのかな。

 積み重ねられる期待は、うちが乗ったらすぐに崩れてしまいそうなほどにぐらつく。目を背けて逃げられたら、どれだけ楽なのかな。

「小型なら、オレだけで倒せるだろ。気負いすんなよ」

 アヴィドさんも激励の言葉を続けてくれた。アヴィドさんだけで倒せるなら、うちは突っ立ちだけでも大丈夫かな。動けなくなっても、最悪の事態にはならないかな。

 申し訳なさはあるけど、恐怖を殺して動こうとして足をひっぱりたくはない。最低限の動きでも許されるなら、少しは楽になれる。

「足手まといにはなるなよ」

 教室を凍りつかせたのは、冷酷に響いたクリシスさんの声。

 ピクリと体が震えて、恐々とクリシスさんを見る。鋭い視線が刺さって、逃げるようにすぐにうつむいた。

「クリシス!」

 机をたたいて強く反論したセリオさんを無視して、クリシスさんは一瞥もなく教室を出ていった。

「ちょっと!」

 叱責を続けて、セリオさんは追うように教室を出ていく。

 アヴィドさんは、クリシスさんの背中を鋭く見送った。

「だいじょ~ぶ、だいじょ~ぶ」

 思った以上におびちゃっていたのか、うちの両肩に手を置いてビビさんは優しく慰めてくれた。

 クリシスさんの言葉が刺さったのは、きっとうちに自覚があったから。まだ訪れていない未来なのに、うちは足手まといにしかならないと実感できてしまったから。

 影の話題だけで、強い恐怖を感じてしまったうち。影を前にしたら、きっとこれ以上の畏怖にさいなまれる。そんな状態になったら、戦うどころではない。

 影とは異なる敵相手の模擬戦闘でだってまともに戦えなかったのに、よりひどくなる。回避行動すらできなくなって、ビビさんたちに守る負担を与えかねない。

 すなわち、足手まとい。それ以上の言葉はない。

 クリシスさんの言葉は、きっとなにより的を射ている。

「ぜったい、無理だけはしないでね」

 ビビさんの言葉にも、わきあがる感情をとめられなかった。




 あっという間に任務遂行当日になった。

 ミアイアル先生やビビさんたちの助言を参考に準備は進めたけど、気分はずっと沈んだままだった。ほとんどの人が『なにかあってもフォローする』と言ってくれた。

 フォローされないといけないような状態になること自体が嫌だ。うちが恐怖で動けなくなることと同意だ。

 あんなに怖い思い、もうしたくない。

 そう思うと同時によぎる、目の前で闇に飲まれる兄さんの姿。嫌なくらいに鮮明に、何回も何回もちらつく。

 どれだけペンダントを強く握っても、兄さんの優しさやぬくもりより、あの瞬間の恐怖が勝る。

 どうにか奮い立たせたいのに。それができる唯一のペンダントですら、恐怖を想起させるアイテムになりそうで。

 睡眠すら悪夢に邪魔されて、ここ最近心休まる瞬間を見つけられなかったような気がする。

 おびえきった心のままでは、当然まともに動けるわけがなくて。

 討伐対象の小型の影がいるという洞窟。じめっとした空気が漂って、不穏さをにじませる。

 洞窟内を歩くのは、うちと6人のクラスメイト。ミアイアル先生はいない。基本的に、教師は任務には同行しないらしい。『同行しなくても完遂できるランクだ』という証明でもある。わかっていても、恐怖は消えてくれない。

 それぞれが持つランプでてらされるのは、ゴツゴツとかたそうな土の壁。地面の土も、やわらかな感触はない。

 フィリーさんは、暗闇をてらす魔法も使えるらしい。戦闘系任務の際は魔力を節約するために、使用は控えるとか。

 意外にも、この中で誰よりも気配の察知能力に優れたフィリーさん。感知を優先してほしいって配慮もあるみたい。

 術者のフィリーさん周辺しかてらせない魔法と違って、ランプならフィリーさんと別行動になっても探索はできる。明かりの色も各自で違うから、遠くからでも誰がいるのか判別できる。

 片手をふさいで戦闘の邪魔にならないように、腰のポーチにつけていたり、腕輪と一体型だったり、形もそれぞれ違う。

 影の影響か、巨大化したネズミやコウモリがはびこっていた洞窟。任務には含まれていないけど、皆はそれを手際よく倒していく。

 体力や魔力は消費するけど、ここの敵は感知すると追い回すから倒さないと厄介みたい。影との戦闘中にほかの敵からも襲われたら、予想以上の苦戦を強いられかねない。形勢が崩れる可能性だって考えられる。

 セリオさんの雷魔法でしびれさせられるのもあって、苦戦もしないみたいだ。『肩ならし』とでも言わんばかりに、次々と倒されている。

 うちの存在が周囲をやきもきさせているのは、肌で感じていた。それでも体が思うように動かなくて、戦闘中は一切役に立てないままだった。

 ここまでどうにか大きなケガもなく進めてきたけど、最後まで無事でいられるかわからない。

 動けるようにならないといけないのに、はじめての実戦に恐怖が勝ってしまう。戦闘が終わってからしか、まともに回復魔法を使えていない気がする。

「もうすぐ最奥ね」

 セリオさんの言葉に、ビクリと体が反応する。『洞窟の最奥に小型の影がいる』と聞いていた。目標の影が近くにいるの?

 しめった空気は不変で、不穏さは走らない。感知できないのに、体はこわばって呼吸を苦しくする。

「緊張するなぁ」

 言葉のわりに、一切の緊張を感じさせないエウタさんの声音。『戦闘が苦手』というエウタさんですら、緊張を感じないの?

 うちは緊張する余裕すらない。恐怖と不安に支配されて、歩くのすらやっとなのに。

「楽勝だろ。さらっと倒せる」

 両手を広げるアヴィドさんのポーズは、言葉を体現しているみたいだ。戦闘も余裕みたいだったし、本当にそう思えるのかな。心も強いんだ。

「頼もしいですわ」

 日常のように前進する皆の背中が、どこか遠い存在に見える。

 当然だよ。うちとは住む世界が違った人たち。影さえなかったら、うちはこんなことをする必要もなかった。戦うことすらしなかった。

 本来なら、出会うこともなかった。無縁のままでいられた。影という因果で、うちとの縁を結ばされてしまった人たち。

「大丈夫だよ」

 ずっと隣でうちを支えてくれたビビさんが、うちにだけ聞こえる声量を届けてくれた。恐怖に襲われながらもうちが歩けるのは、ビビさんのおかげかもしれない。

 小さな励ましも、心にまでには届かない。ペンダントを握る力が強まるだけ。

 奥に進むにつれて重くなって、とまりそうになる足。わずかにしか残っていない気力だけで進める。

「お疲れではないかしら?」

 振り返ったフィリーさんが、おだやかな笑みのまま声をかけてくれた。考えなくても、うちにかけた言葉だとわかる。

 うちの隣のビビさんはしゃきしゃきと歩いて、戦闘でもキビキビ活躍していた。フィリーさんがビビさんを気にかける理由はない。

 精神的には、とても消耗している。体も重いけど、疲労のせいなのか精神のせいなのか判断できない。

「この程度で疲れるようなら、ここで切り捨てるべきだ」

 洞窟内に反響した、クリシスさんの冷酷な声。足がとまりそうになる。

「そんなことないもん! いけるもん!」

 ビビさんの強い否定で、どうにか歩みをゆるめないで歩き続けられた。

 迷惑はかけたくない。でも、戦えないうちが洞窟に1人残されるのも不安で。

 コウモリに襲われても、うちは恐怖におののくことしかできない。影以外との戦闘でも、うちはまともに動けないままだったんだ。

 クリシスさんはそれ以上の言葉を続けないで、視線を目的地に戻す。

「『協力しあう』って言葉を忘れたの?」

 すぐさま飛ばされるセリオさんの声。クリシスさんがこんなことを言うたびに、うちをかばう言葉をくれる。

 前々からこうだったのか、うちを思って反論を投げるのか。うちにはわからない。

「使えないヤツとできる協力はない」

 さらりとかわして態度を改める様子もなく、歩みをゆるめようともしないクリシスさん。

 使えない。

 本当にそうだよ。この洞窟でちっとも活躍できていない。こう思われるほうが自然。

 皆の優しさに甘えないで、ちゃんと動けるようにならないと。邪魔にならないためにも。足をひっぱらないためにも。

「お前みたいな男と協力なんて、こっちからお断りだぜ」

 アヴィドさんの悪態に、クリシスさんは一瞥すらしなかった。アヴィドさんもクリシスさんをかすめてもいないのに、2人の間にはバチバチと確執を感じる。

「けんかはやめようよ。仲良くしないと」

 駆け寄ったエウタさんが、アヴィドさんとクリシスさんの背中をたたいた。かけ橋のような行為を嫌うように、クリシスさんはすっと離れる。

 また、うちのせいで悪くなる空気。いたたまれなさに心を痛める余裕すらない。

「大丈夫だよ」

 クリシスさんの言葉を払拭するように、ビビさんが同じ言葉をくり返してくれた。

 どれだけ怖くても、不安を訴えても、うちはこの現状から抜け出せない。ビビさんたちに邪険にされたとしても、大人たちがそれをよしとしてくれない。クラスを変える程度しかされないよ。

 『マルチエレメントが効くかもしれない』って可能性が、まだあるうちは。

 耐えるしかない。どれだけ怖くても、理不尽でも。今以上の悪い環境にしないために、自己を殺して命令に従わないといけないんだ。

「いましたわ」

 細い右手を洞窟の奥にすっと伸ばしたフィリーさん。暗闇の中に動くものがかすめるような気がする。

「小型とはいえ、決して油断しないこと」

 セリオさんの声をきっかけに、それぞれが構えた武器に魔力を宿す。

 影には、武器攻撃が通じない。武器に魔力をこめたら、影相手でも威力を与えられることが判明した。

 魔法でも攻撃はできるけど、詠唱の隙ができる。ウェイトなく攻撃できる魔力を宿した武器は、影との戦闘に欠かせないらしい。

 うちも流されるままに続く。

 戦いに無縁だったうちは、武器なんて使えなかった。戦いには欠かせないから、ミアイアル先生たちの指導で武器を習った。

 戦闘になれていないのもあって、後衛で攻撃できる弓をひとまずマスターするようにすすめられた。どうにか扱えるようになったけど、皆と比べるとぎこちなさが目立つ。

 それでも、やらないといけない。直立不動は許されない。

 魔法を唱えて、弓に風属性を宿す。同じ風属性のフィリーさんと比べると、威力は心もとない。

 なれない作業にもたつく間に、クリシスさんが単独、影に駆けていく。暗い洞窟に、炎が揺らめく剣の残像が光った。

 『単独行動は控えるように』と、模擬戦闘でもミアイアル先生に何回も注意されていたクリシスさん。実戦でもするなんて。

「ちょっと、クリシス!」

 気づいたセリオさんの制止が響く。クリシスさんの足はゆるむことはなく、炎の剣が影をとらえた。

「あの野郎!」

 あとを追うように、準備を終えたアヴィドさんも続く。

 残りの人たちもつられるように、次々と影に駆けていった。

 残されたのは、うちとビビさん。

「大丈夫? 自分のペースでいいよ?」

 準備すら手間どるうちにも、変わらない優しさ。ビビさんは既に氷を宿した武器を持っている。準備は終わったのに、うちのためにそばにい続けてくれた。

「……平気」

 できる準備は終わった。満足に準備したって、うちにできることなんてない。すぐに終わらせて、ビビさんをいち早く戦場に送らせるほうがよっぽどいい。

「わかった。なにかあったら助けを呼んでね。すぐ駆けつけるよ!」

 うちに笑顔を向けて駆けるビビさん。その奥に広がる戦場と、ちらつく影。

 それはまるで、ビビさんが影に飲まれる光景に見えて。徐々に小さくなるビビさんが、永遠に手の届かない存在になってしまうように思えて。

 どうにか押さえつけていた恐怖が、急速にあふれ出した。

 瞬間、暗かった洞窟が誰かの魔法で一瞬だけ明るさを宿す。

 うごめく影が視認できて。

 それは、小型とは思えない大きさだった。複数の小型が重なって、そう見えただけだったのかもしれない。恐怖が作った幻覚だったのかもしれない。

 影に走っていくビビさん。

 影に飲まれる兄さんと重なって。

 うちの恐怖の許容量はあっさりと超えて、震える足は1歩も動けなくなった。




 うちはいなくても、影に勝利できたらしい。

 耳に届いたビビさんの声と、なでられ続ける背中で正常を戻して。ようやく認識した。

 無意識ながらも、うちの両手はペンダントを強く握りしめていた。

「大丈夫? 立てる?」

 すっかり心配にそまったビビさんの声。うちをのぞくビビさんからは、いつもの笑顔が消え去っていた。

「なにしに来たんだ」

 戻った意識が拾うのは、クリシスさんの冷酷な言葉。いつも以上に冷めた、刺すような視線。

 ほかの人の表情にも一切の明るさがなくて、重苦しい空気を演出する。

「はじめてだもん。しょーがないよ」

 うちを気づかってか、反論するビビさんの声は控えめだった。

「初心者を免罪符に――」

「クリシス」

 続けられそうになったクリシスさんの声を遮ったのは、セリオさんの鋭い語気だった。うちをかばっての言葉だろうに、鋭利さに恐怖を感じてしまう。

「歩けるかしら?」

 うちに戻ったセリオさんの視線は、いつもより冷たく感じた。うちの無能さに愛想がつきたからなのか、うちの心がそう見えさせたのか、この空気がそうさせたのかはわからない。

 恐怖はまだ皆無にはならないけど、小さく点頭する。『歩けない』なんて言ったら、余計に空気を悪くする。無理をしてでも、起立して歩かないと。

「動けないなら、ずっとそのままでいろ。足手まといにもならない場所にいたほうが楽だ」

 遮る人がいなかったクリシスさんの冷酷な声は、洞窟に反響した。

 アヴィドさんは無言でクリシスさんににらみを飛ばす。気づいているだろうに、クリシスさんは身じろぎすら見せない。

 動けないほうが、皆を邪魔しないで済む? そう、なのかも。

 役に立たない、足手まとい、無力。うちにある肩書きは、そんなものばかり。無理に戦おうとしても、戦況を悪化させるだけ。戦えない無能のままのほうがよかった?

「大丈夫だよ。あたしがそばにいる」

 クリシスさんの言葉のトゲを消すかのように、ビビさんの優しさはじんわりと胸にしみた。

 今この瞬間も、ビビさんは誰よりもうちの近くにいて、うちの背中をなで続けてくれる。

 うちの心に広がりかける優しさを、よぎったさっきの光景が消し去る。

 影に消えるビビさん。兄さんと重なったあの姿。

 いつかビビさんも、あの光景みたいになっちゃうのかな。兄さんみたいに、うちの前から姿を消しちゃうのかな。

 ただでさえうちはなにもできなくて、今もこうして迷惑をかけたんだ。ビビさんの愛想がつきるのも、時間の問題だよ。

 影とは違う形で、ビビさんはうちの前から姿を消してしまうのかな。別の形なのに、うちのせいで失う事実だけは同じ。

 よぎった予兆が、届き出すビビさんの優しさを拒絶した。

 ペンダントを握る力をこめて、蹌踉としながらも起立する。補助するように伸びたビビさんの手は、一切借りなかった。

 起立したうちに、再度ビビさんの手が伸びかける。首を小さく横に振って拒否した。理解してくれたのか、心配の表情ながらそれ以上手を出されることはなかった。

「平気?」

 エウタさんの声に、弱々しく点頭する。あとは帰るだけ。この洞窟に、影はもういない。だから平気。くり返して、どうにか冷静を保つ。

「ご無理はなさらないで」

 心配の声をくれたフィリーさんに、点頭して返す。しっかり出せるかわからない声で返事をしても、説得力がない。

「外に出ましょう」

 セリオさんの言葉を合図にするように、皆は出口に歩き出した。行きで戦ったのもあってか、ネズミとかの敵とは遭遇しなかった。

 皆の歩くペースは早くて、しっかりしないうちの足はついていくのに必死だった。それでも、どうにか1人で歩き続けられた。

 隣にビビさんがいて、優しい声をかけ続けてくれたからかもしれない。




 外に出て、学園に帰って、ミアイアル先生に報告も済んだ。全員大きなケガはなくて、無事に成功したと思っていいみたい。

 気をつかってくれたのか、報告の必要がないのか、うちが動けなかったことを伝える人はいなかった。ミアイアル先生の一瞥がうちに向いたから、雰囲気で察知されたのかな。

 報告を終えて、ミアイアル先生に別れを告げた。クリシスさんは早々と輪を抜けて、1人で去ってしまった。誰も強くはとめなかったから、いつもこうだったのかな。

 残った6人で学園の廊下を歩く。

「これで任務完了! 単位になるんだよ」

 はじめて任務を終えたうちに、ビビさんは笑顔で説明をしてくれた。

 うちにも平等に単位が与えられるんだとしたら、皆の心中はおだやかではないよね。なにもできなかったのに、活躍した皆と同じだけの単位がもらえるなんて。不公平って感情はうちに向けた態度に出て、うちの立ち位置はますます悪くなる。

 この環境から抜け出せないなら、この環境を極力悪くしない方法を考えないと。

 つまり、今回みたいな事態をくり返さないこと。動けるようになって、足手まといにならないようにすること。

 できる気がしない。

 影を前にして、あっさり動けなくなった。影は小型だったはずなのに、恐怖はとても大きかった。

 どうにか動けるように気力をつけて、邪魔にならないように戦えるようにするなんて。

 一体どれだけの精神的、肉体的修練が必要になるの?

 戦いを諦めて、どれだけ悪い環境でも生きられる心を作るほうがいい気がする。

 それでも、うちの心は耐えられるかわからない。

 どの道を選んでも、うちを待つのは過酷なんだ。

「やるうちになれるから、平気だよ。ぼくもそうだったもん」

 両手をのびのびと広げて、エウタさんは気づかいの言葉をくれた。エウタさんはこの苦境を乗り越えて、今があるの? 小さな体の中に強い精神があったのかな。

 枯れ葉のようにもろい心しかないうちには、戦えるようになるなんて到底無理なのかな。

「エウタも最初はひどかったもんなー」

 首の後ろで手を組んで笑い声を漏らすアヴィドさん。戦闘中とは違うリラックスした姿は、終わった任務を実感させる。

「最初は皆様、そうですもの。支えあって今があるのですわ」

 フィリーさんはうちを、皆を見て発話した。支えられるばかりのうちは、皆を支えられえる力はない。支えあうなんてできるのかな。

 皆がくれるのは激励の言葉。うちを思いやっての言葉すら、うちは素直に受容できない。

「仲良くなる意味もこめて、皆でご飯でも食べない?」

「いいね。食べよー!」

 セリオさんの提案に、ビビさんはくるりと顔を向けて明るく賛成した。跳ねたツインテールが、喜びの内情を表現したみたい。

「おなかすいたー。早く食べたーい」

 本当に空腹だったのか、エウタさんは小さく跳ねて感情をあらわにした。愛らしい仕草を前に、フィリーさんははにかんで口を開く。

「いいですわね」

「任せるぜ」

 最後のアヴィドさんも、賛成の言葉を続けた。全員でご飯を食べる提案に、特別な反応はない。自然なことなんだ。

 残されたうちに視線が集まる。

 それぞれにリラックスした笑顔がある。任務完遂の祝賀の意味もあるのかな。

 これはきっと、うちを思っての提案。うちも賛同するべきなのに。

 うちはなにもできない。

 ひたすらに優しさをくれる皆に、なにも返すことができない。

 無力で役立たずなうちに、いつまでも皆が優しくしてくれるわけがない。

 いつしか1人、また1人と消えて、うちの仲間でいてくれる人はいなくなる。

 仮にうちのそばにい続けてくれたとしても。兄さんがそうであったみたいに、なにもできないうちをかばって影に飲まれてしまうかもしれない。

 目の前で影に飲まれる兄さんがよぎる。

 飲まれる人がビビさんに、セリオさんに、フィリーさんに、次々と変わって。恐怖がこんこんと蓄積される。

「休みたい、から」

 かろうじて伝えて、逃げるようにその場から駆けた。背中に届いた声も拒絶して駆けた。

 怖い。

 わからないけど、なにかが怖い。

 皆はうちに優しくしてくれるのに。優しさに恐怖を感じてしまう。

 得体の知れない感情のまま、どこを目指しているのかもわからないまま駆け続けた。




 気がついたら、学園の中庭のベンチに腰をおろしていた。

 息はあがっていない。この場所に身を置いて、しばらくたったのかな。経過した時間すらぼんやりとしか認識できないほどの感情で、ここに来ていた。

「ネメ」

 届いたおだやかな声に、ゆっくりと視線を向ける。

 ミアイアル先生がたたずんでいた。嫋々と揺れる髪の奥にある表情は、変わらない優しさがあった。名前の作られない感情が、少しだけゆるまってくれる。

「任務はどうだった?」

 ミアイアル先生が気になるのは、やっぱりそこなんだ。

 『大丈夫』と返すべきなのかもしれない。ミアイアル先生が求める答えはそれだとは、ぼんやりとわかっている。

「動けませんでした」

 それでも口は、その言葉を選んでいた。

 ミアイアル先生に言っても、どうにもならない。こんな状況に追いやられた不満を、誰かにぶつけたかったのかな。

 ミアイアル先生を困らせたくはないのに。責めたくはないのに。

「怖かった?」

 変わらない口調のまま投げられた質問に、ゆっくり点頭する。影を見ただけで恐怖がよぎって、筋肉が完全に硬直した。

 動けなかったうちですら、無傷で終えられたなんて。奇跡だな。うちに危険が及ばないように、皆が動いてくれたのかな。迷惑をかけてしまったのかな。

「『小型ならいけるだろう』の判断だった。無理をさせて、ごめんね」

 この様子だと、ミアイアル先生が任務を選んだわけではなかったんだな。大人に命じられるまま、うちたちに任務を告げたんだ。

 任務を伝える際のミアイアル先生の表情が想起する。平静を装っていただけで、内心はつらい心情にあふれていたのかな。

 改めてわかって、今の発言に小さな罪悪感がにじんだ。

「今回の件は上に伝えるよ。考慮されるかはわからない」

 マルチエレメントを持つうちに影を倒させるために、大人たちは強引にでも影と戦わせる。うちが恐怖で動けないなら、恐怖の感覚が狂うまで戦場にくり出される。

 きっとそれが、うちに課せられた未来。ねじ曲げられない、うちの義務。

 ミアイアル先生にどれだけ強く訴えても、変えられない。ミアイアル先生を困らせるだけで終わる。作られた理解で、拳を強く握った。

「誰だって、戦うのは怖いんだ。相手が未知の多い影なら、余計に」

 皆の戦いぶりは、いつもより腰がひけていたなんてことはないと思う。怖くてほとんど覚えていないから、確証は持てないけど。

 そんな皆が、影相手に恐怖を覚えたというの? 任務の完遂を伝えたあとは晴れやかで、すぐに食事の話題を作れるほどだった。恐怖を押し殺す手段を身につけているだけ?

「それでも皆、戦っている。戦わないと、自分の身を守れないからだ」

 あっさり恐怖に負けてしまううちと皆は違う。自分の身すら守れないうちと皆は、根本的に違う。

「そして、大切な人を守れない」

 続けられた言葉に、指先がピクリと震えた。

 大切な人を守る力。

 うちにはない。守られることしかできない。

 そうだったからこそ、うちは兄さんを失った。なによりも大切だった存在を、うちのせいで失った。

「小型の影なら、魔法だけでも倒せる。未知しかない大型の影でも通用するかわからない。だから無理を承知で、ネメに頼るしかないんだ。影を倒すために、マルチエレメントが必須かもしれないから」

 うちに求められるのは、結局マルチエレメントだけ。

 『生き残ったのがうちでなかったらよかった』と思う人は、多いよね。

 マルチエレメントを使いこなせないし、まともに戦えないうちより。マルチエレメントを使えて、戦える人が生き残ったらよかったとやきもきさせたよ。

「少しずつでいい。動けるように変わろう」

 肌寒い空気が、ミアイアル先生の言葉をじんわりと届ける。

 わざわざうちに声をかけた理由は、うちを心配したからでなくて、これを伝えたかったからだよね。

 うちに思いやりをくれるミアイアル先生。うちがこの状況から抜け出せないと理解しているミアイアル先生。だからこそ、現状を受容できる心を作らせようと必死なんだ。

 うちが戦えるようになったら、ミアイアル先生も大人に意見する必要がなくなる。気をもむ必要がなくなる。ミアイアル先生が楽になれる。

「できると、思っているんですか?」

 こんなうちなんかが動けるようになるなんて、戦えるようになるなんて。想像すらできないよ。

「信じているよ」

 その言葉はうちの支えになるのか、重荷になるのか。今はわからない。ミアイアル先生の本心なのかすら、判別できない。

「本意ではないかもしれないけど、任務もどんどん困難な内容になる。それにつれて、君に頼らざるを得ない部分も多くなるよ」

 なにもできないうちに秘められた『マルチエレメント』という能力に頼るしかない現状。

 ミアイアル先生もそうなんだ。頼りないうちを抱えて、嫌でもこう言わないといけないんだ。

「ネメが動けないと、クラスの仲間も危険におちいりかねない。厳しい言葉にはなるけど、それが戦いの現実なんだ」

 今回の任務は、うちがいなくても勝利できた。ミアイアル先生も『アヴィドだけでも倒せる』と話していた。協力しなくても倒せるレベルだったんだ。

 影が大型になったら。魔法だけでは倒せないレベルになったら。

 皆の安全を、うちが預かることになるの?

 押し寄せる恐怖と重圧で、体が小さく震えた。

「怖がらせてごめんね。仲間と協力しあったら、どんな困難も乗り越えられるよ」

 ペンダントを握っても、心を占める感情は変えられない。

「皆と仲良くすることからはじめたらいいよ。少しずつでいい。信頼は、協力しあう上で必要不可欠だ」

 仲良くして、親交を深めて、協力しあって。

 そうして戦って、どうなるの?

 大切な人を守るための力を入手して、戦って。

 皆がうちを『大切な人』と認識して、うちのために守る力を振るってしまったら。

 目の前で影に飲まれた兄さん。あれの再来になってしまわないの?

 友好関係を築いて戦って、皆がうちを守るために傷ついてしまう。

 動けないままのうちでいて、誰からも守られないで、誰も傷つけることもなく、誰も守れることもなく終わる。

 どっちのほうがいいの?

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