なないろマルチエレメント
我闘亜々亜
望まない入学
うちの身を襲うのは、ひたすらの恐怖だった。
故郷の地をおおうのは、絶望を作る闇。広がる闇は、昼を消すほどの混沌を作り出す。
見知った故郷の人たちから飛び交うのは、悲鳴に近い詠唱。冷静な面しか見たことがない人すら、混乱を隠せないでいる現状。
闇越しに攻撃魔法がかすめては、赤い惨劇がちらつく。
いやされる自然の香りすら奪われて、感知したくないほどの鉄の異臭が鼻孔をつく。吐きたい衝動に駆られて、呼吸が荒れそうになる。
目の前にいる兄さんすら、非日常を作る要因になって。
兄さんの口は絶え間なく詠唱を唱え続けて、そのたびに発動した魔法がわずかに闇を散らす。
攻撃が効いたのかわからない。その理解をする余裕すらない。
身を潜めて、萎縮した筋肉を震わせることしかできない。首からさげたペンダントを握る手は、すっかり硬直していた。
瞬間、世界がより濃い闇におおわれて。
「ネメ!」
兄さんの呼ぶ声に反応することすらできなかった。
うちの近くに、漆黒の闇が迫っていた。絶望の影がうちに落ちる。
恐怖と絶望で、声すら出なかった。
うちにまとわりつこうとする闇を遮る光がかすめるのと同時に。
絞り出すような声をあげて、闇に飲まれる兄さんが見えた。
「本日からこのクラスの仲間になった、ネメだよ」
学園の教室でミアイアル先生の隣に立たされて、注目を集めるうち。
10人にも満たないクラスメイトから向けられるのは、冷たい視線から明るい笑顔まで幅広い。そのどれも、痛々しく刺さる。
視線から逃れるようにうつむいて、大きな木目のある床を見つめる。壁にもシミが散見して、校舎に真新しさはない。設備や育成にお金をかけているかららしい。
古くささすら感じる教室は、うちを不安を少しだけ薄めてくれる。最新鋭すぎたら、故郷との違いを感じすぎて不安と緊張が強まっただろうな。
「ネメは先日の厄日の生存者なんだ。退院して間もないから、どうかよろしく」
数人のざわめきが届いた。誰が反応したかなんて、知る気も起きない。声音的に、女の人だけだったのかな。
うちの故郷が突然闇に襲われたことを『厄日』と呼んでいるらしい。呼称なんてどうでもいい。うちには、それ以上に重要なことがある。
闇は、うちからすべてを奪った。
故郷は当然として、故郷の人たち。すべてに、壊滅的な被害があった。大切な兄さんまで奪われた。
すべてを奪われた。
兄さんが最期に使った保護魔法のおかげで、うちだけ奇跡的に一命をとりとめた。ほかに生存者はいなかった。
優しくしてくれた人たちも、兄さんも、家も、思い出の場所も。すべてが消えてしまった。
保護された先でされた説明を、ぼんやりした頭で聞いた。
兄さんが死んだ。その事実が、いつまでも頭を抜けなかった。
うちだけ助かった事実もつらくて。
闇に襲われそうになったうちに保護魔法を使ったから、兄さんは隙ができて落命してしまった。そうとしか思えなかった。
「影の調査も進めている。どんな対策が有効かわからないから、修練を怠らないように」
故郷を襲った闇は『影』と呼ばれるらしい。故郷を、兄さんを奪った存在。
最近になって出現しはじめた原因不明の影。生命体とも思えない、未知だらけの敵。
人間の敵になっていることだけは確実で、各地に目撃情報があるらしい。根絶に向けて動けないか、日々調査が進められていると聞いた。
復讐心なんかわくこともなく、うちの心を襲うのは恐怖だけ。
目の前で闇に飲まれた兄さんが、今でも消えない。鮮明に残ったまま。もう数えきれないほど、その悪夢を見た。眠りに落ちるのが怖くなったほどに。
恐怖に震えても、優しく励まして手を握ってくれる兄さんはもういない。うちのせいで消えてしまった。
「君たちにも近いうち、討伐依頼を出すかもしれない。影に物理攻撃は効かないことは確認されている。魔力を宿した武器か、魔法で戦うように」
空気がピリリと変わった気がした。教室の空気が本当に変わったの? うちだけが過敏に反応して、変わったように感じただけ?
嫌だ。あんな怖い思い、もうしたくない。
どうしてうちはこんな学園に来てしまったの? また影と対面しないといけないような学園に。
すべての原因は、うちの故郷の純血人が持つ『マルチエレメント』という能力のせい。
基本的に人間は、1人1種の属性しか保有できない。炎属性を持つ人なら、生涯炎魔法しか使えない。
マルチエレメントは違う。その人の素質によって、複数の属性魔法が使えるマルチエレメント。すべての属性の魔法が使える人もいる。
それだけではなく、使える魔法と同じ属性を持つ人の魔力を一時的に得て、自身の魔力以上の威力を魔法に付与することもできる。
厄日でも、その能力を駆使して戦った人は多かったと推測されている。
戦った人数に対して、倒せたと思われる影の数の多さに注目が集まった。『影の討伐にマルチエレメントが有効なのでは』という仮説も立てられた。
厄日の生き残りはうちだけ。マルチエレメントが使える可能性がある純血人はうちだけ。
影を倒すために、魔法学園への入学をすすめられた。
最初は当然、断った。
戦うのなんて苦手だし、今までもさけて生活してきた。兄さんがいたから、戦う必要なんてなかった。厄日でも、うちは隠れて震えることしかできなかった。
うちも純血人ではあるけど、マルチエレメント能力は使ったことがない。
純血人全員が使えたわけではないマルチエレメント。使いこなすには、きっと技量が必要になる。うちに使える保証もない。今は風魔法しか扱えない。
そんなうちが入学しても、役に立たないに決まっている。
大人の説得はとまらなかった。
相手の言うことにも理解はある。
こうする今も、どこかで影が猛威を振るっているのかも。誰かが傷ついているのかも。
もし影を対処できるのがマルチエレメントだけだったら、うちにしかできないことになる。うちに頼るのは必然だ。
でも故郷の人全員でできなかったことが、うち1人だけでできるわけない。期待させるだけさせて、結局壊滅の道を歩むだけ。
わかっていたから、断り続けた。相手は納得してくれなくて、話は平行線を極めた。
続いた説得に先に折れたのは、うちだった。
断り続けても、うちを襲うのは『影の恐怖におびえる誰かを見捨てた』という重責。それにさいなまれるくらいなら。
入学して『役立たず』と認めてもらって見放されるほうが、精神的に楽だ。うちも『やれることはやった』と思えて、少しは重責を軽くできる。
無能なうちに焦って、マルチエレメント以外の手段を見つける意欲が進むかもしれない。調査が進んだら『マルチエレメントは不要』と判明するかもしれない。マルチエレメント以外の有効な対策が見つかるかもしれない。
こうしてうちは、渋々ながら魔法学園入学の道を選ぶ運びになった。
「ネメは、この学園のシステムはわかるかい?」
唯一の救いは、担任のミアイアル先生が優しくて親しみやすい人だったこと。
魔法学園の入学をすすめる大人たちの1人でもあったミアイアル先生。最初はほかの大人と変わらない印象しかなかった。
ほかのオトナは、うちを『マルチエレメントが使える可能性がある純血人』としか見ていなかった。
ミアイアル先生はうち個人を見てくれて『つらいことがあったばかりなのに、強いてごめん』と言ってくれた。兄さんを思い出して泣きそうになった瞬間には、強引に話を進めようとしないで静かに寄りそってくれた。故郷にはなかった花の話をしてくれて、うちが外の世界に目を向けられるように配慮してくれた。
少しずつ、確実に『ミアイアル先生はほかの人と違う』と思えるようになっていった。
元来の性格なのか、うちに気をつかって優しくしてくれるのか、上の人の命令でそうせざるを得なかったのかな。
学園の入学を承諾する気になれたのは『ミアイアル先生が担任になる』と聞いたことも大きい。ミアイアル先生からも『全力で支える』と言われた。
ミアイアル先生のやわらかい笑みに鼓舞されて、うちは魔法学園に入学する選択をした。
学園入学で不安にそまるうちを、優しく慰めてもくれた。うちに向けられるこの優しさが、命令から作られたかりそめだったとしても。支えになった事実はある。
「詳しくは知りません」
軽い説明はほかの大人から聞いた。『詳細は入学したらわかる』と言われた。説明が面倒だったのかな。
「各教室ごとに課せられた任務をこなすことで、学園の単位になるんだ」
ミアイアル先生は、柔和な視線を前に移した。その先にいるのは、うちに視線を注ぐ6人の生徒。
大規模な学園を想像していたけど、教室にいる生徒は少ない。教室もこぢんまりしている。複数ある教室のどこも、これくらいの人数で回しているみたい。
任務についても、軽くは聞いた。人手を欲するだけの内容から、武器や魔法を使って戦う必要がある内容まであるらしい。
戦わないで生活してきたうちにできるのかな。不安しかない。
教室の人数の少なさで想定できるけど、任務は全員参加。誰に任せるか、任務によって選抜するシステムではない。
うちもいつか、戦う任務が課せられることになるのかな。よぎりそうになった兄さんの最期を、きつくまぶたを閉じて払拭した。
「この教室に転入したネメは、任務もこの仲間とこなすことになる。仲良くね」
うちの仲間となる6人に、ゆっくりと視線を移す。
席に座った少女の笑顔と目があって、とっさに視線をそらす。仲良くできるのかわからないよ。仲良くしていいのかわからないよ。
「最初は自己紹介だね。1人ずつよろしく」
ミアイアル先生の言葉を合図に、1人の少女が起立した。
肩より長い、柑橘系の色の髪がまっすぐと伸びている。かっちりとした着衣には、シミやシワが一切ない。完璧な性格がうかがえる。
とっつきにくさすら感じる、りんとした表情。芯のある瞳には情熱すら感じられて、どんな性格なのかつかみかねた。
「雷属性のセリオよ。困ったことがあったら、いつでも相談して」
よどみのない口調には、少しの隙も見当たらない。まっすぐとした声は、畏怖しそうなほどだ。
「セリオはとっても頭がいいんだよ! 勉強でお困りなら、真っ先に頼りにしちゃう!」
着席したセリオさんの説明を補足したのは、最初からうちに笑顔を向けてくれた少女だった。
セリオさんはその少女に一瞥しただけで、否定も肯定もしなかった。周囲も特に反応はない。見た目の印象のまま、本当に頭はいいみたいだな。
「あたしはビビ! 仲良くしよーね!」
片手を天に高くあげての元気な挨拶。ころころとした声に反応するように、2つに結ばれた髪がぽんと舞った。
明るい声に反応するように、数人の表情がゆるんだように見えた。空気をなごやかにする能力があるのかな。
「ぼくはエウタ。戦いは苦手だけど、一緒に励もうね」
くりくりとした髪と目を持つ小柄な少年が続けた。外見だけで判断するなら、この中で最年少に見える。
それもあってか、周囲の人はあたたかい視線を向けていた。紹介が済んでいない1人の少女が、音のない拍手を送っていた。
『戦いは苦手』と言っても、うちよりは断然動けるんだろうな。あきれられたら、学園は追い出してくれるかな。
「オレはアヴィドだ!」
教室内に響くほどの声。まだ挨拶を済ませていない1人の少年が、不快そうに眉をひそめた。
挨拶をしたアヴィドさんは、背も高そうでわりとがっしりした体格。強めの顔つきもあって、怖そうな印象がある。周囲にそんな感情はないのか、おびえた様子は少しもなかった。
「わたくしは風属性のフィリーですわ。よろしくお願いいたしますね」
物腰のやわらかそうな少女が丁寧に頭をさげた。ビビさんとは違う、おだやかで心休まるような笑みがある。ゆるくまかれた髪も、その雰囲気を演出したのかな。
それを最後に、教室内を静寂が走る。アヴィドさんが鋭く振り返って、少年に向いた。
「お前の番だろ!」
まだ名前を聞いていないのは、残された少年1人。
さらさらとした細かい毛束の奥にある表情は、歓迎を作っていない。切れ長の目は冷めていて、冷酷さすら感じる。
さっきからずっと笑みがなかった、この人。冷たい視線を向けるか、興味なさげに窓に視線を飛ばすだけ。明らかにうちを歓迎していない。
いきなり来たうち。この反応が自然なのかな。まともに戦えないうちが加入したら、戦闘系の任務に響いちゃうもん。
「……クリシス」
かろうじて名乗ってはくれた口調には『仕方なく』という感情しか乗っていなかった。
うちからの視線を拒絶するように腕を組んで、視線をよそに向けられる。明確なまでの拒絶。
アヴィドさんは顔をしかめて、姿勢を戻した。椅子の背もたれに全体重を乗せて、不快をあらわにしている。
ほかの4人も、ミアイアル先生も、クリシスさんの態度を笑みのない表情でうかがっている。
「……ごめんなさい」
なぜかセリオさんの謝罪が小さく届いた。うちに向いた視線は、うちに向けた謝罪だったのかな。心当たりはない。反応に困って、視線をうつむかせる。
「今から早速、模擬戦闘をしたいんだ」
空気を変えるような突然のミアイアル先生の言葉に、床に向けた視線がピクリと揺れた。映す木目は、うちの心のぐらつきを表現しているみたい。
「はーい」
1人だけ、明るい返事をした。ビビさんの声かな。同時に、バタバタと席を立つ複数の音が届く。
「いきなり本番は荷が重いだろうからね。敵は弱いから、安心して」
事情を飲めないうちを思ってか、ミアイアル先生の優しい声が届いた。ゆっくり仰いだら、変わらない笑顔があった。
『模擬』とついても、戦うことには変わりないんだ。さらりと準備に移った生徒たちを見るに、この学園では『戦う』ということはさして珍しくはないんだ。
改めて、そぐわない学園に来てしまったんだと実感した。戦うなんて、できるの? 不安がちりちり騒ぐ。
「必要なものとかはないよ。行こっ」
突っ立ったままのうちに、ビビさんが声をかけてくれた。変わらない笑顔がまぶしくて、視線をそらすことしかできなかった。
震える体を、とめられなかった。
模擬戦闘の敵の姿は、影とは大きく異なったのに。
あの日の光景が鮮明に想起して、目の前で闇におおわれた兄さんがよぎって。
なにも、できなかった。
「大丈夫? 休んでいいよ」
へたるうちの背中を優しくさすってくれるビビさん。
ビビさんにほかの人を心配する様子はない。まともに動けなかったのは、うちだけだったんだ。戦況を見る余裕なんてなかった。
戦い終わったのか、うちがこうなったせいで中断になったのか、それすら判断できない。
皆が動きをとめてうちを見ていることは、どうにか理解できた。どんな表情をしているかは、怖くて視認できない。
「ごめんね。まだ早かったかな」
始終を見ていたミアイアル先生の心配の声も届く。
皆からしたら、ただの足手まといだ。教師たちからしても、期待はずれの役立たずでしかない。
誰からの関心も失って、学園から去れたらいい。誰からも責められることも、責任を感じることもなく戦いとは無縁の日々を送れるんだ。
影の脅威は消えないけど、うちにできることがないなら、学園にいてもいなくても変わりはしない。むしろ学園にいないほうが、まだうちは平穏な日々をすごせる。皆もカセなく、戦う任務を遂行できる。
「大丈夫だよ。ぼくも最初は怖かったもん。みんなの支えで、ここまで動けるようになったんだよ」
エウタさんの激励の言葉すら、今のうちには心をえぐる鋭利な刃物にしかならない。期待されたらされるだけ、うちは戦わないといけない。
こんなに怖い思いを、これからも続けないといけないなんて。迷惑をかけ続けないといけないなんて。嫌だ。
「お気になさらないで。少しずつ進んだらいいんですのよ」
「体は大丈夫?」
フィリーさんとセリオさんも配慮の声を続けてくれた。優しくされるほど、ふがいなさが身を切る。
「……使えないな」
ぼそりと届いたクリシスさんの言葉に、ビクリと体が反応した。瞬時に変わった空気に、ビビさんのさする手がとまる。
「ちょっ――」
「クリシス!」
発話しかけたビビさんより先に、鋭く声を発したのはセリオさんだった。
恐々と視線を送る。クリシスさんをにらむセリオさんが視界にあった。クリシスさんの視線に臆さないで、セリオさんも強気の表情を貫く。
無言のにらみあいは数秒だったのに、とても長く重く感じられた。息が詰まりそうな感覚の中、背中にふれたままのビビさんの手のひらのぬくもりだけが不安の膨張をゆるめてくれた。
セリオさんとの対立を嫌ったかのように、クリシスさんは言葉なく背中を向けて歩き出す。
「おいっ」
声をあげたアヴィドさんを意に介さないで、クリシスさんの背中は小さくなっていく。
ミアイアル先生も口を開きかけたけど、うちを一瞥してつぐんだ。クリシスさんより、うちを優先してくれたのかな。申し訳なさが胸を痛める。
うちの心情が伝わっちゃったのか、ビビさんの視線がうちに戻った。さする動きも再開されて、ぬくもりが強まる。
『気迫に負けてその場を去った』とかの雰囲気ではなかったクリシスさん。うちと一緒の空間にいたくない。そんな感じみたいで。
クリシスさんが去った方角を見つめ続けるセリオさんは、どこか険しい表情に見えた。
「気にしないでね。クリシス、いつもああなの」
ビビさんはセリオさんの様子には干渉なく、うちに明るい言葉をかけてくれた。すぐにうちに向いてくれたから、あるいはセリオさんの様子に気づかなかったのかな。
『いつも』だったとしても、今回は確実にうちが原因だ。うちのせいでこの空気になったんだ。自責にむしばまれそうになる。
「いけ好かないヤツだぜ」
腰に両手を当てて、アヴィドさんは忌むように吐き捨てた。教室でも、クリシスさんと対立する様子を見せたアヴィドさん。
本当にいつも、この空気になるのかな。うちのせいで、いつもより悪化してしまったのかな。
さすり続けてくれるビビさんにさえ『うちを気づかう』という負担をかけさせてしまっているんだよね。ほかに優先したいこともあったかもしれないのに。
フィリーさんもうちを気にかけるように、アゴに手をそえて憂慮のまなざしを向けている。
「戦いでは頼りになるのになぁ」
去った方角を見続けながら、エウタさんが発した。自己紹介の際にあった軽やかさが消えた声音。エウタさんも、この空気に感じる心があるんだ。
クリシスさんの戦いぶりは、うちにはわからない。ついさっき目の前でくり広げられたはずなのに、見る余裕はなかった。
否定的意見があがらないから、真実なんだろうな。強いからこそ、まともに動けないうちが邪魔だったのかな。お荷物でしかなかったのかな。
視線を戻したセリオさんは、へたったうちに歩み寄っていく。なにか言われるのかな。瞬時に体がこわばる。
「ごめんなさい。クリシスには、あとできつく言っておくわ」
うちの心情に反して、うちとわざわざ目線をあわせて伝えてくれた。にらみあいの厳しさを消した表情だったのに、自責のせいで緊張が作られる。
うちのせいで作ってしまった空気。内心、セリオさんはどう思っているのかな。迷惑に感じているのかな。芯がある目をまっすぐと見られない。
クリシスさんがいつもあんな態度なら、言うだけで直るのかな。注意する負担をセリオさんに与えてしまったのかな。消えない不安。
戦わないといけないのに、恐怖で動かない体。うちを受容しない存在。急速に変わってしまった日常。
先の見えない不安で、服の中にしまったペンダントをぎゅっと握りしめた。
小さい頃に兄さんからもらった、大切な宝物。肌身離さず身につけていたおかげで、これだけは失わないで済んだ。残された、兄さんとの唯一のつながり。
幼い頃は体が弱くて、外で遊べなかったうちのそばにずっといてくれた。ベッドで寝るうちに、摘んだお花を渡してくれた。『元気になれる』って励まし続けてくれた。
外に出られるようになっても、同じ年頃の子とすぐになじめなかったうちを助けてくれたのも兄さんだった。
兄さんはいつもうちを支えてくれて、なにもできないうちを励まし続けてくれた。
弱いうちが生きてこられたのは、ほかの誰でもない兄さんのおかげ。
なのに。
兄さんは、もういない。
そんな世界で。
変わりきった環境で、どう生きたらいいの?
問いかけに返る答えはない。答えをくれる人はいない。
兄さんなら、どう返してくれる? 兄さんがいたら、この状況でも奮起できるだけの力がわいたのかな。それすらわからない。
たった1人になってしまった世界。
兄さんに会いたい。
うちは結局、ミアイアル先生に案内されて学園の医務室で休むことになった。つきそってくれたビビさんは、道中も優しく声をかけ続けてくれた。
医務室のベッドに腰を落とす。不快な薬品臭がする医務室は、より気分を沈ませた。
「ありがとう。帰っていいよ」
ビビさんに視線をやったミアイアル先生は、おだやかに声をかけた。
「でも……」
ビビさんと視線が重なった。うちを気にかけてくれたのかな。思いやりすらどうしていいかわからなくて、視線をうつむかせる。
「少し、話もしたいしね」
ミアイアル先生のこの言葉がきっかけになったのか、ビビさんは逡巡をのぞかせながら医務室の扉に手をかけた。開ける前に、心配の乗った顔がうちに向く。
「ゆっくり休んでね。なにかあったら、なんでも言って」
最後まで続いたビビさんの配慮。後ろ髪をひかれる様子でうちから視線を外さないまま、ビビさんは扉の外に歩く。静かに扉が閉まって、足音が遠のいていく。足音が完全に消えてから、ミアイアル先生がうちに座り直した。横目でもわかるマジメな様子に、図らずとも緊張が走った。
「怖い思いをさせて、ごめんね」
漏れた気づかいにも、返す言葉を見つけられなかった。そう思っているのなら、すぐに解放してほしい。
「任務では、本物の敵を相手にする。もっと強くなる可能性はあるから、危険はあがる」
不安をあおりたいのか、現実を突きつけたいのか、ミアイアル先生の言葉は厳しい。考えたくもない未来に、精神がどんどん磨耗していく。
精神的にも肉体的にもまともに戦えないうちが、これから本当の戦いの場にくり出される? どうなるかなんて、目に見える。
今回みたいに動けなくなって、迷惑をかけて。全身にまとわりつくカセにしかなれない。
「できるかい?」
教師として、責任者としての不安があるのかな。だからこそ模擬戦闘を組んで、少しでも戦いにならしたかったのかな。
でも、意味はなかった。
うちは戦えない。戦える精神ではない。身に刻まれるように、痛感した。
目の前で見たミアイアル先生も同様だよね。なのに聞いたのは、やっぱりそんな意味なのかな。
「無理と言ったら、解放してくれるんですか?」
無理だから切り捨てる。
うちをそうできるだけの情報が、まだ集まっていない。
うちの意見がどうであれ、大人たちはうちに戦いを強要する。
学園の入学をすすめられた際、大人たちの強引さは身にしみるほどにわかった。拒否しても、また強引な説得という未来が待つだけ。
『マルチエレメントは不要』って調査結果が出ない限り、うちはこの学園から逃れられない。『無理』と言っても、結局無意味なんだ。
「僕個人の一存だと、どうにもできないよ。『ネメの意見』としては伝える」
やっぱり。無理と言っても、子供のダダとしか思われない。『世界がどうなってもいいのか』とかの偽善を並べられて、嫌なことを押しつけられるだけ。
「どうせ無意味なのでしょう。うちの思いなんて」
周囲が見るのは、マルチエレメントだけ。うち個人の意見なんてどうでもいい。それが大人たちの総意。
うちがどんな感情を持とうが、周囲が気にかけるのはマルチエレメントだけ。
「ごめん。正直、困難だと思う」
うちは無力。大人たちに逆らうなんて、できやしない。ましては、意見を変えさせることなんて。
うちにできることは、おとなしく従うだけ。従順なフリをして、状況を今より悪化させないようにするだけ。時間が『マルチエレメントは不要』という解決を届けてくれることを待つだけ。
それがなによりも最善なんだ。
「僕はネメの仲間だよ。当然、クラスメイトもだ。今はつらいかもしれないけど、耐えてほしい」
ミアイアル先生は、ほかの大人たちと違った。『担任だから』というのもあるかもしれないけど、うちを個人として見てくれているみたいで。
うちを思って、本当に『仲間』になろうとしてくれているのかな。『うち個人を見るほうが、うちのためになる』と判断して、計画的にこの態度にしただけ?
クラスの人たちは、うちをどう思ったかわからない。仲間と思った人、いるのかな。少なくとも、全員からは好かれていない。模擬戦闘で痛感した。
「傷のいえないネメを戦いにくり出すなんて、本当は人徳に反する行為だ。誰もがわかってはいる」
わかっているなら、そっとしてほしい。でも、できない理由がある。事情も理解はしている。
「ネメの力が必要になるかもしれない。理不尽に感じるかもしれないけど、協力してほしい」
うちがどう返しても、行きつく先は結局1つしかない。そこに行くまでの道が複数あるだけ。
マルチエレメントがある限り、うちは魔法学園にしばられる。ほかに有効な手段が見つかるまで、うちに自由はない。抵抗は認められない。
ミアイアル先生の言葉を断って、別の大人に説得されるくらいなら。ミアイアル先生の言葉に点頭するほうがいい。
「善処、します」
この道の先に続くのは、どんな未来なの? 兄さんを襲った闇がよぎって、ペンダントをきつく握りしめた。
「ありがとう。僕も全力で支えるよ」
道の先をてらす光はない。
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