第65話 ドラゴンと雷雨

 アキマサじじを乗せた車椅子は、二匹の巨大なドラゴンによって牽引されていく。それはとても緩やかな旅のようでいて、実際はアクシデントの連続だった。


 道を十分に均したとは言え、地盤の強度にはムラがある。岩盤と岩盤の隙間のような所を通れば、その都度車輪が引っかかったりする。多少の段差なら問題なく牽引できるものの、車輪が埋まってしまうような状況ではそれも難しかった。都度、狼男達が持ち込んだ木の板を地面との間に差し込み、極力段差が少ない状態を維持しながら、慎重に進んでいく。

 なにせ石ころひとつといえ馬鹿に出来ない。小石を弾き飛ばせば車体にはかなりの負荷がかかる上、二次被害を発生させるリスクにもつながる。実際は、ゆっくり進むしかないというのが本音だった。


 それでも出だしは順調と言えるだろう。洞穴から山頂までをとおで均等に割れば、このあたりは三から四と言ったところ。六を超えたあたりから斜面がきつくなり始め、七からはあの急斜面が待っている。八から先は雲に包まれていて見えないが、雲の層を超えてしまえば山頂まではすぐだ。後半につれて難所が増えていく都合、どうにかこの序盤は消耗を少なく抑えたい。


 とは言え、出だしがあの調子である。


「アキマサじじ、大丈夫?」


 序盤に力んだせいもあり、アキマサじじは明らかに疲れていた。牽引され始めた当初は『他の者がわしの為に頑張っているのに、休めはしないよ』と気丈だったが、今では意識レベルが下がっている。放っておけば眠ってしまうだろう。


『うむ、正直に言って、かなり体力を使った。しかしまだ大丈夫だ。それよりアカネさん、ちょっと見てもらいたいのだが』


 アキマサじじが眼球だけを後方に向ける。首から振り向く程の体力は残されていないのだろう。


「うん、わかったけど……」


 私は台車から転落しないよう、アキマサじじにより掛かるようにして台座の上を進んでいく。


 台座の四方八方には常に数人の狼男達が控えており、路面や車輪に目を光らせている。特に前方に控える狼達数人は、本来の狼の歩行である四足歩行をしながら、僅かな小石や凹凸も見逃さまいと必死だ。散歩中の犬がくんくんと鼻を路面にこすり付けながら歩いている様子と言えばよいだろうか。後方はと言えば、そういった集中力と体力を使う役割から交代したメンバーが後に続いている。これを彼らは一定間隔事にローテーションしており、群れのリーダーであるツェプトによって規律よく管理されていた。


 台座の後方に到着し、アキマサじじのお尻付近を見る。気になるところといえば褥瘡部分だろうとは踏んでいたが、言わんとしていることがその光景を見ればすぐにわかった。私は台座にへばりつくようにしてそれを念入りにチェックし、慎重に先頭へ戻っていく。


「痛む?」


 私はアキマサじじの耳元によって小声で伝える。洞穴から飛び出した時の衝撃で、アキマサじじの体にはかなりの負荷がかかっていた。台座との接地面はもとより褥瘡じょくそうに侵されており、そういった部分がよりダメージを受けているらしい。出血もある。


『痛みはそこまでではないのだ。ただ、先程から少し、滑る感覚がある。おそらくは血だったり死した肉片が原因だとは思うのだが。小刻みに揺れるであろう? 傾斜がきつくなってくると不安でなぁ』


 確かに、言われてみればアキマサじじの前足が少し前に伸びているように見える。これはつまるところ、体がその分後退したことを意味している。出発時点と比べて、台車後ろ側の余裕があまりなかったのは事実だ。


「一度停めようか」


『いや、今の所は大丈夫だよ。危ない時にはわしからも声をかけよう。それに、ここで停まった所で打つ手はあるまい』


 まだまだ傾斜はゆるいとは言え、自転車で登るには骨が折れる程の斜面だ。そろそろ立ち漕ぎでも登り切るのが困難になってくる。一直線に登り切ることしか考えていなかったので、途中で休憩できる場所を用意していなかった。斜面で停まることは出来ないし、停まった所で手は打てない。


「わかった、すぐに声をかけてね」


 私はそう言ってアキマサじじの額を二回タッチして離れる。その様子を見ていたツェプトに目線を送れば、なにかを察したツェプトさんが駆け寄ってくる。


「アキマサじじの体勢を直したいの。どこか休める場所、ないかな」


「確認致します」


 ツェプトが首を振ると、数匹の狼男が動く。何かの情報を交換すると、うち一匹がツェプトに耳打ちし、斜面を駆け上がっていった。


「この先、傾斜がきつくなるあたりに、使えるかも知れない場所があるとのことです。先行している部隊に確認をさせています。そこで手を打ちましょう」


「わかった。ありがとう」


「いえ。ではアキマサ様はおまかせします」


 そう言ってツェプトも駆け出していく。


 ツェプトの言う通り、傾斜がきつくなる手前で、少々平坦な場所があった。いよいよ過酷を極める牽引作業の為に、体力を温存した狼男達が控えている場所でもあった。


 事情を聞いていた狼男達はその場を開けて待ち構えていた。その場所は狭く、アキマサじじの車椅子一台がギリギリ水平を保って停車できる程度しか無い。車輪に岩を挟み込んで固定し、大勢の狼男達がアキマサじじを介助する形で、ズレた位置を直して行く。その距離は1メートルと言った所。後ろ足があったその場所の台板は、赤く染まっていた。


『すまんのぅ、みんな』


 以降は、水平停車出来る場所を見つけられるかどうかは運次第だ。斜面がきつくなる一方、牽引ルートから逸れれば今度はそこに戻ることが難しくなってくる。位置調整は、可能ならこれ一回きりにしたい所だ。まごまごしていて雨でも降り出したら、それこそ大変だ。


 しかし、予感というのは常に良くない方に当たるものである。


「あ」


 気がつけば空はあっという間に黒雲に包まれていた。雨粒が山肌に斑点模様をつけ始めたのと、雷鳴が轟いたのは殆ど同時だった。

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