第45話 エルさんからの大切な訓示

 神殿には三匹のドラゴンがいた。一匹目はその主である地竜のエルさん、その前で頭を低くしているのは雷竜のトシコさん、そしてアッテリアの横に控えているのがドラグーンのテトちゃんだ。


『事情はわかった。面を上げよ、トシコよ』


 今しがた、トシコさんから事の経緯について説明があった。どうやら、事態は深刻らしい。


『祖父の容態の変化は依然、緩慢としております。しかしここ数ヶ月は目に見えて活気がありません』


 トシコさんの話によれば、トシコさんのおじいちゃんである雷竜アキマサおじいちゃんは高齢で、余生の殆どを寝て過ごしているような状態だと言う。認知症等のボケ類は無いが、やはり体調がかんばしくないらしく、その場から動くことも難しいと言う。人間の高齢者で言う所の、いわゆる寝たきり状態だとは想像に難しく無い。


『雷竜アキマサには我も世話になった。アカネよ、行ってやれ』


 アッテリアの話だと、恐らくアキマサじいちゃんは生存最古の竜だと言う。この大地に残した功績は大きく、敬意をもって接するべき相手なのだとも。


「でも……」


 話を聞く限り、日帰り旅行のように行ってすぐ帰ってくるとはならないだろう。私はドラゴンの介護福祉士だが、それよりも何よりエルさんの従者なのだ。長期間エルさんを放って置くなんて、出来ない。


『我なら大丈夫だ。アッテリアもおる。ここにいる限り何か起こるという事もあるまい』


 本当は私がエルさんと離れたくないのだった。単身この世界に舞い降りてから家族と呼べるのはエルさんだけなのだ。そんな彼と離れて遠い場所で一人だなんて。急に私の中で不穏感情がせり上がってくる。


『無理を言っているのは承知です。どうか』


 トシコさんは私の眼の前の地面に完全に顎を付けてしまっている。恐らく人間でいうところの土下座に値する行為だろう。


 ここまでされると返って自信が無くなってしまった。高位な存在から向けられる期待は、言ってしまえば重圧だ。その責務を果たせるのだろうか、役に立てるのだろうか、期待を裏切ってしまわないだろうか――。


『アカネよ』


 エルさんの声で急に世界が開けた。気がつけば私の耳には自問自答と自らの跳ねる心音しか聞こえていなかったらしい。蒼白な私を見て、いつになく優しい表情のエルさんが語りかけてくれる。


『誰も主を責めたりなどせぬ。その身と能力をもって、出来ることだけしてくれば良い。主なら大丈夫だ。他ならぬ我の従者なのだから』


 私はせり上がってくるものに耐えられず、その大きな頭にしがみついた。


 人間は弱い。普段は明るく気丈に振る舞っていても、ちょっとしたバランスの違いで歩くことすらままならなくなってしまう。今の私の世界の充実感は、全てエルさん有りきなのだ。エルさんがいるから、私の居場所がある。


 依存だな。と思う。


 子が親に対して思うそれか、恋人に対して思うそれなのかは分からない。ただ私は、彼と離れるのが嫌で不安で、泣きわめいて駄々をこねる子供とまるで同じなのだ。


「行ってくる」


 私が小さくそう言うと、エルさんは喉を鳴らしてゆっくりと目を閉じた。普段はボケてるしツッコミも辛辣だけど、こういう時は厳しくそして優しいのだ。


「私、行きます。お役にたてるかはわかりませんが」


 潤む目元をごまかすように力強く振り返って答えた。それを見たトシコさんは、ありがとうございますと言った。



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「テトは同行させます。私からは呼鐘で呼び出せますから、足としてお使い下さい。とは言え、とても雷竜様の飛行には追いつけませんから、現地集合で」


 エルさんの面倒はアッテリアが見てくれる事になった。私の考案したメニューを出来る限り継続して実行してくれるとの事だ。

 リハビリは日進月歩。一日でも怠るとその後退は著しい。日々の継続こそが本当に大切なのだ。今までに得られた成果を無駄にしないためにも、その内容や動作まで細かく引き継いでおく。アッテリアは素晴らしい速度でメモを取りながらも、一人で難しいことはトーダちゃんに手伝ってもらうからと優しく笑ってくれた。


「じゃあ、失礼します」


 私は低く伏せられたトシコさんの翼の骨格を伝って背中によじ登っていく。トルマリンのような表皮はすべすべでしかし柔らかく、まるで赤ちゃんのほっぺたみたいだ。


「振り落とされないかな、私」


 あの日の事が思い出される。雷竜は最速の飛行速度を誇るドラゴンらしい。テトですらとんでもない想いをしたというのに、そのテトがついていけない飛行速度など想像出来ない。


『ご安心を、アカネ様。雷竜は飛行に関して全ての生物に勝っています。では』


「いっ!?」


 トシコさんの言葉をきっかけに、私の全身にちくっと何かが走った。気がつけば私の膝と手が何かに吸い付けられたようにピタっと動かなくなった。まるで体全身が磁石になったみたいだ。


『これでアカネ様が振り落とさる事はありません。もちろん、アカネ様の身に何かあれば大変ですから、細心の注意を払います。しばし、この体勢となりますが、我慢して下さい』


 そう言うとトシコは立ち上がって、再度エルさんの方を向いてくれた。エルさんの大きなおめめがそこにある。


「行ってくるね。終わったらすぐ帰ってくるから」


『うむ。世界は広いぞ、アカネ。ついでの機会だ、何も急がんでも、存分に羽を伸ばしてくると良い』


「……もー。そう言うことばっかり」


 むくれる私にトシコさんが笑った気がした。


『……トシコよ。我が従者、頼んだぞ』


『仰せのままに』


 トシコさんはゆっくりと神殿の出口を向いた。室内に比べて圧倒的に多い光量のそこが、まるで新世界への入り口のようにさえ見えてくる。


 私はやれることをやる。私はドラゴンの介護福祉士なんだから。


「アッテリア、あとはよろしくね」


 アッテリアは何も言わずに優しく手を振ってくれた。


『ではアカネ様、参ります』


 なにか雷が弾けるような音が聞こえた。トシコさんが腰を低く落としたかと思うと、まるで滑り出すように加速していき、その世界はやがて目で追うことすら叶わぬ程になった。気がつけば、眩い太陽を目指して天空へと舞っていた。

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