第46話 雷竜アキマサとの出会い

 そこからの世界は想像を絶していた。


 飛行機に搭乗した事のある人なら、その窓から大地を見下ろした経験はあるだろう。全ての世界が小さく、そしてゆっくりと後方へ流れていく様はなんとも不思議で、文明の進化を肌で感じる瞬間でもある。


 今、私の眼の前に同じ現象が起きていた。


 雷竜は第一の雲の層の遥か上空を飛び、航空写真のような下界がかなりの速度で流れていく。前方には遠く広がる雲の海に陽光が眩しく光り輝き、しかし見上げれば雲の層がまた別世界のように広がっていた。にも関わらず、私の周囲は悠然としていた。どんな原理なのかはわからないが、私が跨る雷竜の周囲は不思議な力によって守られていて、激突する大気や雲が逃げるように割れていく。おかげて私は強風にさらされる事無く、ただひたすらに無音の空の世界を滑っていた。


 これが雷竜のちから。


 地竜であるウルさんは「俺達は竜の中でも空を飛ぶのが苦手だ」とこぼしていたが、なるほど、こんな奇跡を見せつけられたのではそう言わざるを得ない。


 遠く、雲の海から島のように頭を出している高山が見える。それを見るなり雷竜は静かに高度を落としていき、雲の海を突き抜けそれが天井へと姿を変えると、今後は黒い雲の塊が見えてきた。それらは磁力に吸い寄せられるが如くその山へ密集しており、隙間からは高密度に圧縮された入道雲の内部と同じで、雷が放つ閃光が明滅していた。


『あの山が、我ら雷竜の住処です』


 終始無言だったトシコの言葉に、私もそこへ目を凝らす。その山の天候は不順なんてものでは無い、恐らくはずっとこんな調子なのだ。どす黒い雲に覆われ天空では常に雷鳴が轟き、山肌をその雨で濡らしている。いかにも雷竜の住処といえばその通りだった。


『本来なら、私の父……、現精霊王の元へ立ち寄るのが道義ですが、まずは祖父を直接ご覧頂きたいのです』


 山が近づくと、宝石のような竜達がいくらか飛んでいるのが見えるようになった。その姿はこの薄暗の中でも美しい輝きを放っている。その飛び方からして、幼い竜もいるのだろう。まるで山の守り神達のようだ。


 トシコは山を迂回するように飛んだ。既に世界は強い雨に打たれているが、不思議な力は雨すらも弾き飛ばしており、その球体の界面があらわになる。


 山の反対側に回ると、今度は旋回しながら徐々に高度を落としていく。褐色の山肌には深くえぐれた場所があり、どうやらそこが目的地のようだ。その傷跡の痛痛しさは形容し難く、あえて言うなら巨大な雷でも直撃したのでは無いかという所だ。


「寂しい所……」


 地竜の根付く場所は緑豊かになっていくと聞いたが、比較するとまるで別世界だ。エルさんの住処が楽園なら、ここは地獄だ。これだけ自然環境が厳しければ、食料にも乏しいだろう。


 トシコはそこへ吸い込まれるように飛翔した。翼を巧みに使ってブレーキを掛けながら洞穴を行けば、最奥は直ぐに見えてきた。噴火後のように垂直に伸びる巨大な穴の中央に、鈍く輝く岩石が置かれていて、私は直感でここが竜の住処だというのが理解できた。恐らくそこに置かれている巨大な岩石が、ここの主。


 予想通りトシコはその前でゆっくりと着地し、その体を地面に這わせると、私の手足を縛っていた力がどこかへ消え失せた。それを合図に、私はトシコの翼を滑り台のようにして地面に足を下ろす。


 洞窟内は他のドラゴンの巣穴と同じく、光り輝く石がそこら中に埋め込まれていて明るかった。前例に習えば、あの石達は雷の精霊石なのだろう。


 突然、脳内に声が鳴り響いた。


『何を連れてきたのかと思えば、人間か。ずいぶんと酔狂な真似をするようになったじゃないか』


 気がつけば、中央に座する岩石がドラゴンの体裁を成していた。トルマリンに岩石をコーティングしたような体表をもち、場所によってその透明度に差がある不思議な体は、それ全体を生物として認識しようにも脳が上手く働いてくれない。生き物であって、岩でもある。そんな不思議な存在が、私を睨みつけていた。


『アキマサじじ様。この者は全大地の精霊王、エル・キャピタン様の従者。私の一存で連れてきました』


 トシコはそう言いながら軽やかにアキマサじじに寄り添い、首を上手く使って舐めるようにその全身をチェックしていた。


『前にも言ったであろう。無駄な事はせんでいいと。全く、お前の跳ねっ返りっぷりは昔からだなぁ』


『そう言わないで、じじ様。私の気持ちもわかって』


 アキマサじじは今でも孫が可愛いのか、柔らかく優しさを感じる物腰だった。そのトシコの懇願こんがんが胸にくるのか、致し方ないといった様子で首をこちらに向けて来た。


 殆ど開いていないその目から淡い光りが発せられている。


『人間よ。わしは雷竜アキマサ。元雷の精霊王だが、この通り、それもずいぶんと昔の話になる。今は余生を楽しむ老骨よ』


 それは私がこの世で初めて看取ることになるドラゴンとの出会いだった。

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