第28話 ドラゴンの入浴方法

 心地よい睡眠だった。

 ざらざらした表面が肌に気持ちよく、微かに伝わる温もりが安心感を与えてくれる。そのクッション性と言ったら、どんな寝具よりも快適でくつろげる。

 どんどんと深く埋まっていって、それが顔に覆いかぶさると、たちまち呼吸が――


「ぶっは!」


 息苦しさで目を覚ますと覆いかぶさっているものを払い除けた。肩で息をしながら周りを見回すと、私の体に巻き付いた尻尾の先が顔の上に乗っていたのだと想像出来た。危うく寝たまま死ぬという体験をしそうになった。


 尻尾の正体はエルさんである。昨晩、感情失禁を起こした私は冷静さを取り戻すのにひどく時間を要し、見かねたエルさんにあやされる内に抱きついたまま眠りこけてしまったらしい。


「危ない…これは危ない」


 しかしよくよく考えれば相手は自分の10倍はある巨体だ。お互いの寝相によるミラクルが発生すれば、私はあっという間に圧迫死してしまうだろう。今後は気をつけなければ。


 感情失禁とは、一般的には認知症患者など脳内の病気を持つ方が、小さな刺激によってその感情が振り切れてしまい、大泣きしてしまったり震える程激怒してしまったりと感情をコントロールできなくなる状態を指す。健常な大人なら通常そのようなことは起こらないが、過度な精神的負担を受けると、同じ様に本人では到底コントロールできない状態にまで達してしまう。感情は喜怒哀楽存在するため、全てのベクトルについて発生してしまうと社会性を維持するのが大変になる。先にも触れた通り、基本的には脳内に病気がある方についての同症状を指しているため、そこに本来のその人の性格はまったく影響していないという事を忘れてはならない。


 私の場合は、自身では気がついていなかった「自己肯定欲」を失いそうになり、発生してしまった。私にとって介護という生き方は生きがいだけでなく、自我を保つために必要なことだったのだ。自分がエルさんにとって必要の無い存在なのかもしれないという事実が、私の心をひどく追い詰めた。


「ごめんね、エルさん」


 未熟だな、と思う。

 しかし自分でも驚いた。私の中でこのドラゴンがとても大きな存在になっている事に。


 私はエルさんを起こさないようにそっと尻尾をどけた。目覚めの空気が素肌に気持ち良い。エルさんの大きな顔に身を寄せて、その体温を頬で味わう。


「これからもよろしくね、エルさん」


 エルさんの心地よい寝息が私を再び眠りへと誘う。目を閉じ、その温もり感じれば、私の心が満たされていくのを感じた。


 ふと、目を開けると、入り口に何やら黒い影がある。逆光でよく見えないのだが、それはドラゴン程もある――


「あ、アカネさん、い、一体何を…」


 ドラゴンの正体はウルさんだった。その横にいるアッテリアが両手を口に当てて顔を真っ赤にしている。


 私は改めて自分を見た。乳丸出しの上、パンツ一丁だった。振り返れば尻尾の下あたりに薄汚れた生地が見えた。どうやらエルさんの尻尾の中でもみくちゃにされている間に脱げてしまっていたらしい。


 ドラゴンの寝顔に素っ裸で抱きつく女。それが私だった。


『おうアッテリアよ。俺達はどうも来るタイミングってのを盛大に間違えちまったらしいぜ。ここは大人しく引いてやるのが甲斐性ってもんだ。男女の時間を邪魔しちゃいけないぜ』


「ちょ、ちょっとまって、何か勘違い――」


「私何も見てませんから! 続きをどうぞ!」


 続きって一体なんだよ、とツッコミを入れるより前に、アッテリアは猛スピードでどこかへ行ってしまった。


『うまくやんな』


 ウルさんは踵を返し途中で立ち止まると、『フ…』とウィンクしながら言った。



 $$$



「だから違うんだってばー」


 二人と二匹は湖畔へ来ていた。太陽が照り返して皮膚を焼いていく。まるでリゾートのようだ。


「別に隠さなくていいんですよ。ドラゴンと従者は深い絆で結ばれているといいますし、それが心だけとは限りませんから…」


「いったい何を言ってんだあんたは」


 アッテリアは人差し指を砂に擦りつけ何やらぐるぐる描いている。


 私達がこうして砂浜に揃って体育座りしているのには訳があった。今回の機能訓練では私達は見守り担当だった。ではドラゴン二匹は何をしているかと言うと――


 ぶしゃあっ!


 湖の中に浸かって水浴びをしていた。

 と言っても、ただの水浴びでは無い。ドラゴン同士の水浴びだ。


 ばしぁあっ!


 地竜の皮膚はしなやかで頑丈だが、その体の構造上、自身の腕などでそれを拭ったりなどは出来ない。中には水に浸かっただけでは落ちない汚れというのも当然出てくる。そういった時、ドラゴンは信用できる相手と一緒に水浴びをする。


 ぶしゃぁ!!!


 水面に顔をつっこみ大量の水を蓄えると、それを水鉄砲のように相手の体に吹き付けるのだ。その勢いは凄まじく、水圧洗浄機を通り越して消防車の放水レベルに達している。先程からたまに顔面にかかる水しぶきはこのせいだ。


『親父、ありがたいぜ。だがな、もうちっと強くやってくれねぇと、俺の背中の痒みが取れねぇんだよ』


『むぅ、そうか、ならば――――これでどうだ!』


 ばしゃあっ!


『くぅー気持ちいいねー!』


 こうしてじゃれ合うようにやるのには、ウルさんの狙いがあったのだ。

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