リライト作品
川は流れる(水円岳さん)
昨晩から降り始めた豪雨はずっとその威力を保ったままで、我が家の屋根を脅かす、翌る日の太陽を雲の上に監禁するといったマフィアも黙る悪行三昧ぶりを披露しており、この調子だといずれ川の水がひっくり返ることまで考えられた。洗濯物を畳みながら近所に流れる一級河川の水位情報をはらはらしながら逐一確認するが、いかんせんグラフじゃ実感は湧かないし、10分おき更新の上に宵のうちの水面を写すには解像度不足のライブカメラは却ってこちらを苛立たせるばかりだった。
夕食を食べ終えると流石に雨足も落ち着いてきた。妻に「そういう油断が命取りなのよ」と戒められたが、「ほんとに、ちょっとそこまでだから」と言って、俺は雨合羽の姿で家を出た。
雨の勢いは弱まったが、反対に風圧が強くなっていた。ばたつく雨合羽のフードを掴みながら荒れ狂う風を割いて歩く。川に近づくにつれて唸りのような轟きのような鈍く重たい音が体を震わした。
台風が来るとへんに興奮する人種がいるが、堤防の遊歩道がそういう人で氾濫しているのはやたらめたらに焚かれるフラッシュから遠目でもわかった。俺は角度の急なスロープを上がり、家屋二階分はあろうかという高さの堤防に立つ。
人混みを抜け、やっと河川と対面した。
大和川——奈良にある上流から生駒山と葛城山の間を抜け、大阪平野を横断し大阪湾に繋がるこの川は、かつては柏原のあたりで急カーブをして北に進路を変え淀川と合流していた。古くから度々氾濫し、幾度となく堤防工事が行われたが却って行く手を阻まれた土砂が堆積し、天井川となってしまったため、江戸時代にさる農民の呼びかけで大規模付け替え工事が施工され、今の進路になったとのことだ。現在の河口付近では、ちらほらと見られる小規模な中洲がゆったりとした流れを象徴している。
そんな、普段は穏やかな大和川下流の、目の前で猛々しい水龍への豹変ぶりに圧倒され、自然の脅威やある種の神々しさといったものをまざまざと感じさせられた。激しい怒りとも凄まじい悲しみとも取れるような迫力あるうねりは
否。きっと河に意思などはない。ときには平穏で、ときには横暴で、非線形的に不安定に振る舞う現象群。雲の動き。川の流れ。大地の震え。いのちの生まれ。誰に定められることもなく、ただなすがままに廻る、地球の呼吸。これこそが自然なのだ。
久方ぶりに見た暴れる大和川に、俺はそんなものを垣間見た。
思索に耽っていたところだが、妻からの着信音で意識を取り戻した。妻はいささか不機嫌そうだった。
「あなた、生きてる?」
「そりゃ、生きてなきゃ応答できないだろ。」
「あ、そ。」
ほんの数秒ほどで通話が打ち切られ、いささか微妙な気持ちにはなった。しかし、知らぬ間に通知欄にびっしりと妻からメッセージが届いていた。さんざ心配をかけた謝罪の念と、心配してくれた嬉しさを持って、そうだコンビニで妻の好物のプリンでも買って帰ろう。
そんな調子で思索は卑近な思いつきに落ち着き、日常へと回帰してゆくも、またいかにも自然なのである。
原作(水円 岳さん)
https://kakuyomu.jp/works/1177354054885331595/episodes/1177354054885331629
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