オナジカオタチ
「……っ!!っ!!」
「……きて、起きてよあんた、大丈夫かい……?」
「……はっ……はぁ……よ、よう……」
目覚めた時、男の体は見慣れた部屋の布団の中にいました。そして傍らには、彼をずっと心配そうに見つめる最愛の妻の姿がありました。夜更けに寝床に入ってから、彼は全身に汗をかきながら苦しそうに唸り続けていたのです。その理由が見続けていた恐ろしい悪夢にあるということを、男はよく知っていました。
「えぇ?あんたが浮気性?」
「そうなんだよ、お前を置いて街に出て、思いっきり遊ぶっていうさ……」
家で待ち続ける妻を放置し、歓楽街に出てはそこの遊女と思いっきり遊び続け、ほかの誰かの忠告にも一切耳を貸さず我がままに生き続ける――それはこの男にとって、完全に真逆の恐ろしい内容の夢でした。大事な妻の事を一切顧みないとどんな目に遭うか、言わずとも知っていたのに、夢の中で彼はそれを実行し、この世のものとも思えない恐怖に苛まれてしまったのです。
でも、ここはお天道様が暖かく照らす現実の世界。あの時の妻の恨み交じりの笑顔は本当に怖かったけど、それでも思い返せば可愛いほほえみだった、と冗談めいて話す彼の言葉には、最愛の女性に対する愛情がたっぷりと込められてました。
「んもう、変な冗談やめなよ、あたし心配したんだからさ」
「悪い悪い……はは、でも無事戻ってこれてよかったぜ」
「全くだねぇ、お前さん……ふふ」
笑顔を見せあいながら元気を取り戻した男は布団から立ち上がり、妻が用意してくれた美味しいご飯を食べ、一日仕事に励む力をたっぷりと養いました。玄関で彼はいつものように、最愛の女性の柔らかい唇をその頬に思いっきり感じる事ができました。
そして、意気揚々と家を飛び出した彼の視界に今日も入ったのは――。
「お、おはよう!」「おはよう、あんた!」「今日は寝坊しなかったんだねー」「ふふ、おはよう♪」
「お、よう皆!」
――辺り一面を埋め尽くしながら、彼に向けて笑顔で朝の挨拶を交わす、同じ顔に同じ体、同じ衣装に同じ髪型、そして同じ名前を持つ妻の大群でした。
「「「「「「「「「「へー、そんな夢を見たんだ」」」」」」」」」」
「そうなんだよ、ったく変な夢だったぜ全く……」
彼女と結ばれてから数年が経った彼にとって、以前は異様で恐ろしいと思っていたこの光景は今や日常、そして極楽のようなものになっていました。周りを見渡せばどこを見ても大好きな存在が大勢笑顔で待ち、自分と楽しく会話するのを待ち望んでいる、これを陣税の絶頂と呼ばずしてなんと呼ぶのか――彼はすっかりこの光景にのめり込んでいたのかもしれません。
仕事場に向かう道の先々で次々に出会う新たな妻たちにも、男は昨晩見続けた奇妙な夢について語りました。もしかしたら、自分の中にある悪い虫か何かが、幸せすぎる自分の足を引っ張るためにこんな夢を見させたのだろう、という持論を交えながら。そんな彼を見て、何十何百と加わり続ける妻たちも負けじと自分の愛を見せつけ始めました。
「「「「「「そんなに悪い虫なら、あたしが治してあげるって」」」」」」
「本当か~、そりゃ助かるな~」
「今日はあたしのところに泊まりなよー」なんだよ、あたしだってばー」あたしのところでもいいじゃーん」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」あたしだよー」…
あっという間に引っ張りだこになりかけてしまった男は、慌てながらもすっかり笑顔になっていました。それに、いくら争奪戦になろうとも、結局はどの妻が住む家も埃の数まで寸分違わぬ同一の場所、どこに泊まっても同じだけ愛を感じる事ができるのです。それを指摘された妻たちは、自分同士を見合いながら少し恥ずかしそうな照れ笑いを見せました。
「まあ、仕事しながらゆっくり考えるぜ、な♪」
「「「「「「「「「「あんた……大好きだよ♪」」」」」」」」」」」」」」」
「俺もだぜ♪」
やがて、大勢の妻に見送られながら、男は仕事場にたどり着きました。
たっぷり働いて稼いで、帰ってきた時の妻が笑顔で待っているのを楽しみにしていよう――彼の心は、幸福感で満杯でした。
「おはようございまーす」
そして、今日も彼は――。
「おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」おはよう♪」…
――山の向こうまで埋め尽くしながら、一つだけある目を微笑ませる妻たちと一緒に、仕事に励むのでした……。
<おわり>
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