【「浦島太郎」より】

浦島太郎と無限の乙姫

 苛める子供たちから亀を助けた漁師・浦島太郎。

 彼は感謝する亀の背中に乗り、海の底にある美しいお城・竜宮城へ向かいました。


 そこで待っていたのは、この世のものとは思えない美味しい料理に愉快な踊り、周りに広がる広大な海の景色、そして――。


「いやぁ、こんなにお礼をして頂いて……」

「いえいえ、助けて頂いた恩でございます故、ご遠慮なく♪」

「ありがとうございます……えへへ……♪」



 ――綺麗な肌に長い髪、胸元や腰つき、太ももを見せつける艶やかな衣装に身をまとった竜宮城の主、乙姫様でした。

 彼女の美貌に浦島太郎はすっかり一目惚れ。いつも親切で、自分の様々な願いをなんでも聞き入れてくれる彼女に魅了された浦島太郎は、このまま一緒にいてもよいのではないか、とまで考えるようになりました。


 ですが、同時に彼の心には地上の皆がどうしているか、心配の心も湧き上がるようになっていきました。

 父や母はどうしているだろうか、友達やあの子供たちは元気にしているだろうか、そもそもこんなに何日も竜宮城に居座り続けているのは、逆に乙姫様たちに申し訳ないだろうか――次第に彼の心に、ある決意が生まれ始めたのです。


「父上……母上……みんな……」

 

 そしてある日、浦島太郎は意を決して乙姫様にこう言いました。今まで面倒を見てくれて本当に感謝している、でもやっぱり自分は地上の人間。父や母のためにも、戻らなければならない、と。

 そんな事を言わずもっともっといて欲しい、と懇願する乙姫様の顔につい良心が揺らいでしまいそうになった彼でしたが、それでもここで帰らなければ、一生このまま地上へ帰ることはできないかもしれない、と考え、敢えて自分の心に対して鬼になる事にしました。



「すいません……オレ、本当に感謝してます……だからこそ……!」

「……分かりました、そこまで言うのでしたら……。ですが浦島太郎様、私からも最後に贈り物を授けさせてはくれませんか?」

「贈り物……ですか?」


 そんな浦島太郎が受け取ったのは、美しく光る黒い玉手箱でした。

 もしも辛くなったり悲しくなった時には、これを――乙姫様は普段通りの優しい笑顔で、心優しき若者の旅立ちを後押ししたのです。いつでもいつまでも、私は貴方の傍にいる事を忘れないでほしい、と付け加えながら。


 そして彼は乙姫様たちと別れ、竜宮城から遥か離れたあの浜辺へと戻っていきました。




 ところが、彼を待っていたのは信じがたい光景でした。


「ほう、見かけない顔ですなぁ……」

「あんた誰だい?最近越してきたのか?」



 どこへ行っても、浦島太郎の目に入るのは見た事もない人々ばかり。自分の家があるはずの場所へ向かっても、そこにあったのは鬱蒼と茂った雑木林。そして、その近くで彼は思いもよらぬものを見つけてしまいました。


「お……お……お墓……!?」



 小さな石の上に刻まれていた文字に書かれていたのは、浦島太郎を大事に思い続けていた父と母、そして自分自身の名前でした。

 その時彼は気づいてしまいました。竜宮城で過ごしていた時間は、自分にとっては数日間。でも海の外――この地上では、途轍もない速さで時間が進んでしまったのだ、と。



「あ……あ……うわああああ!!」



 彼はこの村、いえこの地上で、文字通り一人ぼっちになってしまったのです。

 そして、墓の前で泣き叫び、自分の行いへの後悔、それを許す人も怒る人もいない寂しさに打ちひしがれ続けた浦島太郎は、ずっと小脇に抱え続けていた綺麗な玉手箱へと目をやりました。あの時、乙姫様は寂しくなった時や辛くなった時にこれを開いてほしい、と告げていました。まさにそれが今――永遠ともいえる孤独に耐えられなくなった、まさにこの瞬間だ、と彼は確信したのです。



「乙姫様……俺は一体、どうすればいいんでしょう……!!」



 助けを求めるかのように紐を解き、箱の蓋を開いた彼の目の前に現れたのは、中から凄まじい勢いであふれ続ける煙でした。どこか懐かしい海の香りがする青白い煙が、あっという間に浦島太郎の視界を覆いつくしてしまったのです。一体何がどうなっているのか、という驚きで涙も引っ込んでしまうほどに慌てた彼は、ふと肩に誰かの手が触れた感触を味わいました。そして、煙に包まれた景色の中で彼がはっきりと目視したのは――。



「……お久しぶりです、浦島太郎さん♪」


「お……乙姫様……!!」



 ――美しい顔に長い髪、胸元や腰つき、太ももを見せつける艶やかな衣装に身をまとった、本物の乙姫様でした。


 嬉しさのあまり、涙を流しながら飛びついた彼を、乙姫様は優しく抱きしめました。よほど辛い事があったのだろう、でももう大丈夫だ、と慰める彼女でしたが、真面目な浦島太郎はそれでも後ろ向きな発言を繰り返し続けていました。父上や母上を生涯寂しい思いにさせてしまった自分は、もう何も出来ない悪い男だ、と。そんな彼の元に、更に優しく励ます声が後ろから聞こえ始めました――。



「心配ありませんよ、貴方はとっても優しい人です♪」



 ――全く同じ声、同じ服、同じ顔、そして同じ姿を持つ、もう1人の乙姫様の口から。



「え、え、え……お、乙姫様が……!?」



 当然浦島太郎は後悔も涙も引っ込むほどに驚きましたが、事態はそれだけに留まりませんでした。もうもうと立ち込め続ける煙に包まれた彼の周りに、何十、何百と新たな黒い影が現れ、やがてそれらは全て『乙姫様』と同一の容姿を持つ美女の姿を露わにしていったのです。


「浦島太郎さん♪」会いたかったですわ♪」浦島太郎さん♪」会いたかったですわ♪」浦島太郎さん♪」会いたかったですわ♪」浦島太郎さん♪」会いたかったですわ♪」浦島太郎さん♪」会いたかったですわ♪」…



 予想だにしない事態にすっかり固まってしまった浦島太郎の意識を取り戻させたのは、彼の頬に当たった乙姫様の柔らかい唇の感触でした。貴方はとてもやさしく聡明な人、父や母、仲間たちもきっと貴方を許してくれるはず、それにもうこの世界は誰も貴方を知らないし受け入れてもくれないだろう――四方八方から次々に聞こえる乙姫様の声の合唱の中で、次第に浦島太郎の心の中の何かが溶け始めていきました。


「「「「「「「「「「「「「ふふふふ……♪」」」」」」」」」」」」」


「お、乙姫様……乙姫様がいっぱい……」



 何から何まで自分の理想にぴったりの美女が優しい言葉をかけてくれる。しかもあらゆる場所から大量に、その美しい笑顔と柔らかい胸をこちらへと存分に向けながら――浦島太郎は、少しづつ彼女たちに包み込まれるような感触を覚えました。そして彼の心からは、少しづつ寂しさや辛さが薄れていきました。乙姫様が傍にいるだけで幸せ、いや乙姫様だけがずっとそばにいてくれればよい、という思いすら浮かび始めたのです。

 そんな彼が悶々とした心を抱く中でも、玉手箱からは限りなく煙が立ち込め続け、その中からは数限りなく新たな乙姫様が現れ続けていました。


「浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」浦島太郎さん♪」…


「乙姫様……オレ……」


「「「「「「「「「「「「ふふふ、なんですの?」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」



 

 そして、浦島太郎は自分の思いを正直に告げました。これからずっと、乙姫様たちと一緒に居続けても良いか、と。

 勿論、何千何万もの数に膨れ上がり、なお増し続けている乙姫様たちが、その頼みを断るわけはありませんでした。



「「「「「「「「「「「「これからは、ずっとずーっと一緒ですよ、浦島太郎さん♪」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

 

「お、乙姫様ぁぁ……」



「うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」うふふ♪」…


 全てに満足したような笑みを見せた浦島太郎は、どこまでも溢れ続ける青白い煙と、無限に増え続けていく乙姫様の大群の中に埋もれていきました。やがて、彼の姿は乙姫様たちの中に溶け込んでいき――。



「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「……ふふふ……私♪」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」



 ――意識も肉体も、すべてが『乙姫様』へと混ざりこんでいきました。

 そして、自分たちの視界から浦島太郎という名の男が完全に消え去ったのを確認した乙姫様たちは、一斉に自分たちの顔を見あいながら微笑みました。その口元には、彼への感謝の気持ちと同時に、決して浦島太郎に見せることがなかった感情が混ざっていました。



「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「上手くいったわね、私♪」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「そうね、私♪」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」


「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「これで計画は実行に移されたわ、私……♪」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

 


 彼女たちの周りに広がっていたのは、『海の底』のような青く澄んだ煙と、周りを一様に敷き詰める自分自身でした。

 やがて、乙姫様たちは再び笑い声をあげ始めました。全てが上手くいった事に対する高笑いでした。

 

 『浦島太郎』と言う存在を利用し、玉手箱の力を使って、この地上の全てを『竜宮城』――自分自身の領地にするという計画が、成功の未来とともに実行に移された事を祝福するかのように……。



「あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」あはははは!」…


<おわり>

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