【「奥方に化けた狐」より】

二人に増えた奥方様

 昔々、まだ侍が各地の領土を治めていた頃、とある国で奇妙な事件が起きました。


「こ、これはどういう事だ……!?」

「そ、それが、先程様子を見ましたところ……」


 この国を治めていた殿様が散策から戻ってきたところ、城で留守を任されていた奥方様がなんと二人に増えていたのです。


 遠くの国からお嫁としてやって来た彼女は、出会った時から一目惚れだったという殿様によって大事にもてなされ、互いに愛を育みあっていました。当然、奥方様に双子の姉や妹がいたなんて言う話は一切聞いたこともありませんし、そのような秘密があれば包み隠さず話すよう互いに心がけていました。ですが、お殿様の目の前にいる奥方様は、間違いなく『二人』いました。頭のてっぺんからつま先、凛々しさと可愛さを併せ持つ顔も、何もかも寸分違わぬ姿だったのです。


 そして愛する殿様の姿を見るや、二人の奥方様は急いで彼のもとへ駆けつけ、口々にこう言いました。


「殿、何とかしてくださいまし!突然わたくしそっくりの偽者が現れまして……」

「いいえ、偽者はそちらでしょう!殿、わたくしが本物でございますよね!ね!」

「何を言っておりますの?偽者は貴方でしょう!?」

「いいえ、貴方こそ偽者でしょう!いい加減正体を……」


「ええいやかましい!二人とも落ち着け!」



「「も、申し訳ありません……」」


 まったく同じ声で言い争いを始めてしまった二人の奥方様の様子に頭を抱えた殿様は、互いに手を出してしまう前に何とか一喝して二人を抑えました。このまま口々に言い争ってはこちらのが収まらない、とこっそり口から出た言葉は、幸い誰にも気づかれる事はありませんでした。


 そして、何とか良い方法はないか、と家来たちに相談しましたが、彼らもまたこんな奇想天外な事態は初めてということですっかり頭を悩ませていました。かかりつけの医者や学者にも尋ねてみましたが、素っ頓狂なことを言うばかりで到底解決に導けそうもありません。



「『ぱられるわあるど』だの『どっぺるげんがあ』だの、さっぱり分からん……」


「「殿、本当にどちらのわたくしが本物か……どうなさいました?」」


「だ、大丈夫だ、心配ない!必ず何とかしてやるからな!」



 それに、どちらの奥方様も愛らしさまで全く同一となっては、殿様にとっては喜ぶべきか否か、ますます複雑な事態になってしまいました。


 そして、城中の面々が一斉に悩み続けていた時、突然辺りに何かが響く大きな音が鳴り響きました。何事か、と一瞬慌ててしまった殿さまでしたが、すぐその正体はわかりました。側近格の家来が、呑気にも腹の虫を鳴らしてしまったのです。空気を読まない事態に急いで謝る家来でしたが、殿様はすぐに許してあげました。彼だけではなく、城中からお腹が空いた事を示す音色が響き始めたからです。殿様も例外ではなく、人一倍大きな音が轟いたのは言うまでもないでしょう。


「そうだ、まだ揃って飯を食べていなかったな、すぐに用意を……ん……?」


「「どうなさいました、殿?」」



 その時、彼にある考えが閃きました。


 常識では考えられない不可思議な事態とならば、原因は恐らく『アレ』かもしれない。少々心苦しいが、この異常事態を解決に導くにはこれしかない――昔からの言い伝えを思い出した殿様は、家来にある命令を下しました。二人の奥方様にご飯を用意せず、城の奥にある座敷へと閉じ込めておくように、と。当然二人の奥方様は驚き、すぐに辞めるよう訴えましたが、潤んだ4つの瞳を何とかこらえた殿様は敢えて心を鬼にしました。



「……ええい、黙れ、偽者め!今すぐ正体を露わにしてくれるわ!」


「「……!?」」




 そして数時間後、日がすっかり傾いた頃合いを見計らって、殿様は二人の奥方様が閉じ込められている座敷へと向かいました。



「どうだ、何か変な様子は無かったか?」

「いえ、お二人とも全く変わらず……あ、でも少しだけ仲良くなっておりましたが……」

「仲良く?うーむ……」



 ともかく、今は本物の愛する『妻』を見つけるのが先決。

 殿様は家来に、二人の奥方様に『ご飯』を用意するよう命令しました。それも、用意できる限り最高の食材を使ったものを。そして、出来上がった山盛りの料理が座敷の前に置かれた、その時でした。突然一方の奥方様が、料理のほうに飛びかかったのです。どう見ても人間とは思えない体制で。


 殿様の考えは確信へと変わりました。


「分かったぞ!お前が偽者だな!」


「!?」

「と、殿!?」


 慌てて胡麻化そうとする奥方様――食べ物にとびかかった奥方様でしたが、時既に遅し。殿様や家来によってあっという間に捕らえられてしまいました。そして、その体を城の敷地内に生えていた一本杉へと括り付け、下から煙でいぶり始めたのです。


 するとどうでしょう、奥方様の体はみるみるうちに変貌していき――。



『……く、苦しい……っ!』


「やはりそうか!」



 ――一頭の女狸の正体を現したではありませんか。


 その姿を見て殿様は怒りました。当然でしょう、目に入れても痛くないほど愛していた奥方様の姿を真似たばかりではなく、自分たちの心も弄び、一日中引っ掻き回したのですから。必死に謝る狸の言葉を受けても殿様の憤りは収まらず、汁にして食べても飽き足らない、たっぷりと火であぶり、塵にして処分してやる、とまで脅したのです。



『も、もうしません!許してください……!』

「ええいやかましい!!者ども、あの狸を……!」



 その時でした。突然、殿様の体に縋る者が現れたのは。



「殿!どうかおやめください!」



 その姿を見て殿様は驚きました。彼がずっと愛し続けている『本物』の奥方様が、あの狸に罰を与えるのを止めるよう訴えたのです。

 殿様たちは最初その声に耳を傾けず、家来に火を用意するよう命令しようとしましたが、それでも彼女は懸命に頼み続けました。あの狸は、決して殿様やこの城の面々を脅かすために自分の姿に変身した訳ではない、と。



「わたくしは、あの座敷の中で聞きました。あの狸さんは、このお城の料理を食べに、わたくしに変身したのです……!」


「……何?」

「ど、どういう事でしょうか、奥方様……?」


 

 ここの城で出される御馳走がとても美味しい、と言う噂を偶然耳にしたこの狸は、何とかしてそれを一口でも味わいたいと考えた末、偶然森の近くの庭園で寛いでいた奥方様の美しい姿を見て、誰からも警戒されることのないその姿に化けて潜入する事を思いついた、というのです。凛々しく真剣な表情で語る彼女の言葉に、縛られ続けていた狸も同意の頷きを示しました。

 

「う、うーん……そういう事だったのか……」


『左様でございます……わたくしは……』

「ええい、黙れ狸め!」「よくも俺たちを騙したな!!」


「待て!!」



 そんな狸に敵意を向けようとした家来を、殿様は止めました。

 確かに今日ずっと城中大混乱になってしまったとはいえ、実質損害は何一つ起きていなかった、と言うのも事実。それに、被害者であった奥方様自身がこの狸を許してほしい、と懸命に声を上げている状況では、どうあがいても罰を与えることなど出来そうにはありませんでした。そして、念のため奥方様を一本杉の所まで向かわせたうえで、殿様は家来の手を借りず、自ら狸の縄を解くことにしました。


 ようやく自由の身になった狸は、嬉しそうに奥方様の体に抱きつき、互いに無事だったことを喜びあいました。その様子を見た殿様は、ずっと屋敷の中で二人を監視していた家来に、あの中で何が起きていたのか改めて聞くことにしました。


「最初は言い争っていましたが……その後何やら小さな声で言葉を交わしまして……」

「その内容までは分からないのか?」

「申し訳ございません……ですが、その直後からでしたね、『お二人』が妙に仲良くなったのは……」

「ほう……」


 その言葉を受けてしばし考えた後、殿様は家来たちに狸を自由の身にするよう告げました。そして家来たちがあたふたと動き出す中、彼はそっと奥方様と狸の方へ目をやり、片眼をつむって笑顔を見せました。その事に一瞬戸惑う狸でしたが、奥方様はその耳元へこっそりその真意を教えてあげました。



「殿は貴方の事を全て許してあげたのですよ」

『本当ですか……?』

「ええ。『もう二度と来ないように』、と言うお触れもないでしょう?」


『あ、あぁ……!』



 そして、最後に奥方様は、そっと狸に伝えました。本当は、今日の出来事――『自分』が二人に増えると言う摩訶不思議な時間を、殿様は心の底では楽しんでいたのかもしれない、と。

 やがて皆が見守る中、狸は迷惑をかけたことを頭を下げて謝りつつ、住処である森の中へと消えていきました。



「ふう……全く、食い意地の張る狸は困ったもんだ」

「ふふ……でも、終わってみますと大変でもあり、面白くもありましたね……」

「そ、それは違うぞ!お前に化けて色々と……」



 気づけば外はきれいな三日月が輝く夜。奥方様の本物の笑顔の持つ更に眩い輝きに殿様が慌てていると、二人のお腹が一斉に大きく鳴り響きました。騒動に夢中になっていた彼は勿論、閉じ込められていた奥方様もあれからずっとご飯を食べていなかったのです。それに何事もなく済んだことへの安心感も重なり、今までにないほどの空腹が襲い掛かってしまいました。

 それを聞いた家来が、すかさず二人のもとに近づきました。


「殿、奥方様!騒動解決の祝いに、おいしいご飯を用意いたしました。お早めにどうぞ!」


「おお、それはありがたい……!」

「殿、さっそく参りましょう」

「そうだな、お前の愛らしさと飯の美味さが、狸に取られてはたまらん!」



 さらりと出た言葉に顔を真っ赤にした奥方様を抱きしめながら、殿様は家来たちに見守れながら一路美味しい食事が待つ部屋へと向かうのでした。何事もなく平和なひと時を満喫するために。


 

 めでたし、めでたし――。



「『……ふふ♪』」



 ――かな?



<つづく>

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