【「のっぺらぼう」より】

オナジカオ

 ある夜の事、明かりが灯る歓楽街を1人の男が練り歩いていました。


「ふふ……今日はどの女子にするかな、っと♪」


 端正な顔も台無しなほどだらしない笑顔を見せる彼は根っからの浮気性。愛する妻がいるにもかかわらず、今日も夜に仕事が舞い込んだ、友人の家に泊めてもらう、と嘘を吐き、こっそり女漁りにやって来たのです。例えその妻が、近所でも評判の美人だとしても。


 当然、彼の友人はいい加減そのような性格は改めるべきだと注意を繰り返したのですが、男は全く聞く耳を持たず、それどころか美人は三日で飽きる、という失礼な事まで口に出す始末。そして、いつか大変なことが起きるだろう、と言う友人の忠告を無視し、賑わう街を歩く彼が目に付けたのは、自分を誘う美しい少女が佇む一軒の遊郭でした。


「よしよし、今日はここにしようかなー♪」



 そして男は、稼いだ金をありったけ使いながら、遊女たちとの快楽のひと時を存分に満喫しました。飲めや歌えや大騒ぎを繰り返し、妻とは一味違う女性たちの肉体を味わい、そして体全体に心地よい疲れをたっぷりと感じた時、ふと美女の一人がこんな話題を出しました。こんなに夜遅くまではしゃいでいるということは、一人暮らしなのか、と。


「なーに言ってんだい、俺様は妻持ちだぁ、ちゃーんとした妻をな!」


 酔っぱらった男は、すっかり上機嫌のまま、美女の言葉に正直に答えました。妻が寝ている間にこうやってたっぷり遊んでいるのだ、と。そんな事をしてばれないのか、と言う質問に対しても、彼はそんな心配はない、と余裕そうな表情を崩しませんでした。


「俺様が稼いだ金だぜ~、俺様が使って何が悪いんでぇおらぁ!」

「まぁ、ずいぶん豪快な人だねぇ♪」



 そして、そのまま彼は妻の事を洗いざらい話し始めました。確かに自分の妻は美人かもしれないし、あちこちから羨ましがられているのは確か。でも結局どれだけ美しくとも何日もいれば飽きてしまうもの、だからこうやって気分転換を楽しんでいるのだ――自分勝手なことを散々並べながら、すっかり顔を真っ赤にした時でした。


「ふふふ……♪」

「おいどうしたんだよ~、突然顔を隠してさ~♪」

「……その奥さんっていうのは……♪」

 

 急に顔を背けた美女に声をかけた瞬間、男はその顔を見て固まりました。



「こーんな『顔』だったかい?」



 彼の隣にいたのは、先ほどまでの遊郭の美女ではなく、彼が飽きるほど見続けていた美女――『妻』と同じ顔、同じ声をした女性ではありませんか。

 当然、最初は見間違えだと思い、彼は急いで目を瞑り、慌ててこすりました。そしてもう一度目を開いたとき、男は驚きの声をあげてしまいました。何故なら――。



「「ふふふ♪」」


 ――『妻』と同じ姿かたちをした美女が、二人に増えていたからです。



「……な、なに言ってるんだ……そ、そうだよな俺様……」


 きっと酒の飲み過ぎで、周りの遊女たちが妻と同じ姿形に見えているだけだ、と考えた彼は、悪酔いした分を覚まし正気に戻ろうと水を注文しました。そして、それを笑顔で持ってきた女性の姿を見て、またも彼は驚愕の表情を見せてしまいました。


「はい、水だよ、♪」


 そこにいたのも、自分の妻だったのです。そして辺りを見渡した時、男は自分が見ている光景を信じることができませんでした。遊女という遊女、客という客が一斉にこちらのほうを向き、笑顔を見せ始めたのです。それも、全員とも揃いも揃って、騙して家で留守番をさせているはずの『妻』と全く同じ顔、同じ声、そして同じ笑みを見せながら。


「「「「「「「「「「「「あれぇ、どうしたんだい?」」」」」」」」」」」」

「「「「「「「「「「「「「「もっとお酒を飲まないのかい?それとも……」」」」」」」」」」」」」」


「ひっ……!」



 あたしが注いだ酒は飲めない、と言うのかい?



「う、うわああああ!!」




 耳元に轟いた妻の声に耐えかねた男は、恐怖で顔を歪めたまま、遊郭を飛び出してしまいました。これは夢だ、酒を飲みすぎて頭がおかしくなって味わっている恐ろしい光景だ、外に出れば夜風で少しは落ち着くだろう――そう感じながら、息も絶え絶え近くの道で休んでいると、そこに心配そうな仕草で1人の少年が近づいてきました。何か非常に慌てているようだが、一体何があったのか、と尋ねてきた彼に、男は先程味わったこの世のものとは思えない光景を事細かに話しました。当然、自分の妻と同じ顔を持つ人物が何人も増えたなんて言う話、信じてもらえるわけはないとは考えていたのですが、それでも心の底から湧き続ける不安を払うべく、男は必死に話し続けたのです。


「いや、もうあんな妻の顔を見るなんて勘弁だよ……」


「ふーん……ところであんた、その妻っていうのは……」

「ん、どうしたんだ……え……えっ……」



 そして、素っ気ない返事をした少年の顔に目が行ったとき、男は一瞬で青ざめました。

 先程まで女とも男も言えない中性的な顔つきだったはずの少年の顔、声、そして姿は――。



「こーんな『顔』だったかい?」



 ――家で待っているはずの『妻』へと変貌してしまったのです!


「ふふふ♪」

「う、うわあああああ!!!」



 新たな『妻』の笑みに背筋を凍らせながら、男は悲鳴を上げてその場から逃げ出しました。そして一目散に家へ帰り、布団を被って寝ようと急ぎ始めたのです。ですが、彼の周りに現れる『妻』の大群は、少年だけにとどまりませんでした。老若男女、彼の傍をすれ違う人々は、その声やその姿を一瞬でも感じた時、あっという間に新たな『妻』へと変身してしまうのです。


「「「「「「「「あら、あんた♪」」」」」」」

「「「「「「「「「「そんなに急いでどうしたんだい♪」」」」」」」」」」

「「「「「「「「「「「「「「少し休んでいきなよー♪」」」」」」」」」」」」」」」



「ひいいいいいいい!!!ゆ、許してくれええええええええええ!!」



 流石の彼も、四方八方から妻の笑い声や楽しそうな声が響き続ける中を走り続ければ、自責の念に駆られざるを得ませんでした。文句も言わず献身的に支えているはずの妻を放置して、自分勝手にやりたい放題していたせいで、とんでもない天罰が下ってしまったのだ、とようやく男は反省の心に芽生えたのです。やがて、夜道を無我夢中で走り続けた彼は、ようやく自宅へとたどり着きました。そして家の戸を開き、大きな声で謝ろうとした時、彼が見たものは――。



「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「おかえり、あんた♪」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」

  


 ――満面の笑みを作りながら、家の中をぎっしり覆いつくして旦那の帰りを待っていた、何十何百もの美人妻の大群でした。



 その地獄とも極楽とも言えない情景を目に焼き付けながら、男は気を失っていきました……。

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