【「アリとキリギリス」より】

キリギリスの価値

 とある草むらの夏。今日もキリギリスは木陰で自慢のバイオリンを奏で、その音色に酔いしれていました。


「うぅん、チューニングもばっちり、リズムも狂いなし、流石俺の腕前だな……♪」


 すると、彼の目に、遠くへ向かって歩き続ける一筋の行進が留まりました。こんな暑い日に太陽の日差しを浴びながら懸命に働き続けるなんて、と思った彼は、その行進の主であるアリたちに声を掛けました。そんな事をやっていても今の時期は損、のんびり音楽でも奏でながらゆったりと過ごすべきだ、と。ですが、アリたちは彼の甘い誘いに見向きもせず、一心不乱に歩くのをやめようとしませんでした。


「なんだよ、釣れないなぁ……よし、俺の演奏を聴けば……♪」


 更に、キリギリスが奏でる美しい音色にも、アリたちは一切関心を示す事はありませんでした。『彼女たち』はただ餌を運ぶという労働だけに明け暮れていたのです。


「ちっ、つまんねえ生き方だな……」


 のんびり気ままに暮らすのが一番、その生き方に気づかないとはマヌケな連中だ、とキリギリスはアリたちを小馬鹿にしながら木陰へと戻っていきました。最後までアリたちは、自分たちの行列を遮る者がいた事に気づかないようでした。




 それから時は経ち、暑かった草むらも涼しくなり、やがて涼しさを通り越して寒さすら感じるほどになりました。空からは雨の代わりに、真っ白の氷の結晶――雪が降り始めるようになったのです。そんな中、キリギリスにはのんびり暮らす余裕も、バイオリンを鳴らす落ち着きもありませんでした。夏から秋の間ずっと気ままに暮らしていたことが災いし、冬を越すための食べ物をほとんど収集していなかったのです。


「う、うぅ……寒い……どこかにご飯落ちてねえかな……」


 寒さを我慢しながら雪をかき分け、懸命に明日の食料を探していた時、キリギリスはあることを思いつきました。夏の間、アリたちは文字通り一心不乱に大量の餌をかき集めていたはず。それを少しばかり頂戴すれば、十分この冬を越せるのではないか。

 そして、キリギリスはアリの巣を訪れ、大声で叫びました。食料が余っているのなら分けてくれ、ここに今にも飢えて倒れそうな哀れなキリギリスがいる、と。



  

 それがどんなに愚かな行為だったか、キリギリスが気付いたのは――。



『……呼んだ?』


「あ、アリさん!そ、そうそう呼んだ……えっ……」



 ――巣の中から、まったく同じ姿形をした『女性』たちが、彼のもとに集まり始めた時でした。



『貴方は、だあれ?』『貴方は、私?』『貴方は、私なの?』

「な、なに言ってんだよ……?」


 アリたちが投げかけてきた奇妙な質問に対し、キリギリスはその場の勢いで否定の回答をしてしまいました。当然でしょう、自分は美形のキリギリス、相手は同じ姿形、同じ声を投げかける、可愛いですが少々不気味なアリたち。同じわけは無いですから。

 ところがその途端、アリたちの眼の色が変わりました。



『貴方は私じゃない……』『私じゃないと言った……』『匂いも違う……』『形も違う……』


「……あ、あははは……お、俺お邪魔だったかな?」



 流石のキリギリスも様子がおかしいと察し、逃げ出そうとしましたが、その時既に彼の逃げ場は、新手のアリたちによって完全に防がれてしまっていました。恐怖に震え上がる彼は少しづつ近づいてくる彼女たちを振り払おうとしましたが、それも敵いませんでした。背後からも、彼の体はアリたちによってがんじがらめにさせられていたからです。


「は、離せ!!話せば分かるって!!」



『貴方は私じゃない……』私じゃない……』私じゃない……』私じゃない……』私じゃない……』私じゃない……』私じゃない……』私じゃない……』私じゃない……』私じゃない……』私じゃない存在……』私じゃない存在……』私じゃない存在……』私じゃない存在……』私じゃない存在……』私じゃない存在……』私じゃない存在は……』私じゃない存在は……』私じゃない存在は……』私じゃない存在は……』私じゃない存在は……』私じゃない存在は……』私じゃない存在は……』私じゃない存在は……』私じゃない存在は……』私じゃない存在は……』私じゃない存在は……』私じゃない存在は……』私じゃない存在は……』私じゃない存在は……』…



「えっ……?」




 この冬の、『私の一部』となる。


 

 一斉にその言葉が放たれた直後、あっという間にキリギリスの体は無数のアリによって覆われました。大声で悲鳴を上げ、助けを呼ぶキリギリスの甲高い声は次第に小さくなり、やがて同じ姿形をしたアリたちの無機質な声の中に沈んでいきました。


 そして、何千何万ものアリたちがその場を離れ、地下深くにある巣――同じ姿形をした女性たちだけが暮らす楽園に戻っていった後、入り口には長い静寂が訪れたのでした……。




<おわり>

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