3-1:ネーミング
時は、特訓を行うことを決めた日より数日前に遡る。
パッキング・ユニットも概ね完成して、体育祭も終了。夏休みに入った直後、熱意を向ける矛先がなくなったからか、はたまた連日のジメッとした蒸し暑さが辛すぎるからか。若干ぐったりとしていた姫海が突然体を勢いよく起こした。
「いつまでも風船じゃカッコ悪くない?」
姫海の今いる場所は、小規模工房の一つ。
ちなみに、夏の大会も終わり偶然部活がなかった経と、静かで涼しい場所にいたかった工も同じ部屋の中にいる。
「いや、別にカッコ良さを求めては……つーか、どう転んだってカッコよくはなれねぇだろ」
精密機器を扱うことが多いため、冷房がしっかりと効いた工房内。パソコンを見つめている工は無反応だったが、無視をすることができない性格の経は姫海の言葉に反応を返した。
「なれる!」
「名前、いいね。どうしようか」
姫海に応えるように工がスッと顔を上げる。無視をしていたわけではなく、真剣に名前を考えていたようだ。姫海と経がいる方へくるりと向けられたパソコンの画面には、アルファベットを繋げた二組の文字列が並んでいた。
――FIST フィスト
――MNU メヌ
カタカナで読み方も振られており、第一印象ではそこまで変な名前には見えないなと経は思った。だが、普通の名前を工が考えるはずがない。絶対に、変な意味があるのだ。
「おおー、さすが工くん」
「で、意味は?」
盛り上がる姫海とは違い、経は淡々とした口調で説明を求めた。今もし工がメガネをかけていたのならば確実にレンズをキラリと光らせ、中指でそれをクイッと押し上げる動作をしたことだろう。
それほどまでに楽しそうに、今までにないくらい意味深な笑みを浮かべた工が、まずは一番上に書いてある
「まずこれ。読み方はフィスト。単語の意味は……わかるよね?」
「えっと……」
「はいはーい」
筆記の成績があまりよろしくない経は、英語ももちろん得意ではない。鋭い視線から逃れるように目を泳がせれば、入り口から一番奥の誕生日席に座る姫海が元気に手をあげた。
「はい、姫」
「こーぶーしー」
「正解」
素早く姫海を指した工が、満足そうに小さく頷く。
「拳?」
「そう。
「風船が拳みたいだからってこと?」
差し出されたパソコンの画面には、一部大文字にした状態で各単語が綴られていた。それをつなげると、拳という意味を持つ FIST という単語が完成する。
「指で爆発する拳。まあ、意味的には悪くないんじゃないか?」
流石に finger と burst は理解できた経がそう言えば、楽しそうだった工の顔が一変。今度は不満そうに眉間にシワを刻んだ。
「でもちょっとカッコ良すぎるんだよね」
「いや、別にいいだろ」
経の静止も虚しく、サクッとFISTの文字を消した工は、次に書いてあるMNUをマウスで青く反転させた。
「そのまま
見返してみるとそんなに良くなかったなんてことは誰にでもある。自分で考えたくせに不満を言う工もそうなのだろう。
先ほどまでのFISTに関してはもう触れず、エム・エヌ・ユーとイニシャリズムで読むよりはアクロニズムの方がましだった。と誰にするでもなく言い訳を口にしながら、MNUの元となる単語を書き出している。
「なにこれ! これいいじゃん最高!」
「絶対嫌だ」
――
「面白さはピカイチだよね」
表示されている英単語は、もちろん経でも読める簡単なもの。そもそも英単語ではないものも混じっている。工もこの文字列自体は気に入っているようで、姫海の反応に満足そうに首を縦に動かしている。
「絶対嫌だ」
二回目となる断固拒否。聞き入れてもらえないかもしれないとわかってはいるが、絶対に嫌だと経は首を横に振る。姫海に関してはこれがいいと笑いながら言っているが、提案した工は呼び方が気に入らないのか少し悩んでいる。
「あ、じゃあさ。
「意味は?」
ニヤリと唇を歪めた姫海が、工にパソコンを貸してとねだる。頷いた工は姫海が打ちやすいようにパソコンの位置を移動した。
目の前に出されたパソコン。姫海は早速、開かれているメモ帳に両手の人差し指だけを使って元となった単語をゆっくり慎重に入力していく。
――
「採用」
「やったー!」
「待て! 意味を教えろ意味を!」
最後の単語が打ち終わる前に、工が表情を変えずにグッと親指を立てた。嬉しさに声を上げつつ、姫海は律儀に最後まで打ち込んで経にパソコンの画面を向ける。
意味を理解できなかった経だが、この流れから真面目な意味になるはずがないと二人をジト目で見つめた。
「Grip は握る。Fart は、屁」
「お前ら……」
フルフルと拳を震わせる経に、二人は一度視線を合わせた。そして、姫海が再びニヤリとした笑みを浮かべる。
「ねえねえおきょう。パッキング・ユニットを略すとどう読むか知ってる?」
「は?」
半袖のため、姫海の白く細い腕が目に入る。姫海は手のひらを口に当て、わざとらしくクスクスと笑うと、唇を突き出した。グロスを塗っているわけでもないのにプルリとした唇が、見かけからは想像もできない間抜けな音を紡ぐ。
「プー……。って読むんだよ」
「関係ない名前にしろって言ったろうが!」
明らかに屁の音を真似ている気の抜けたその音に、経は頭を抱える。
「どっかのクマさんのことかもしれないよ」
「は? 工にそんな可愛い思考があるとは思えないんだけど」
ペットボトルのキャップを開けながら飄々と言ってのける工の言葉には、ひとかけらも心が入っていない。
「うん、まあ、嘘だけど」
ジュースに手を伸ばした工に対し、経は長い長いため息を吐き出した。
「いいじゃん。意味は言わなきゃどっちもわからないし」
手持ち無沙汰なのか、遊びで作っていた手乗りロボットをいじる姫海が今度は不満そうに口を尖らせる。
「意味が分かってんのに止めずにいられるか!」
「でもさ、GFUから意味は推測できないし、呼び名が欲しいのも事実だよね」
「俺はいらな――」
「決定でいいんじゃないかな」
「イエーイ!」
経の言葉を遮った工に、姫海はよく言ったとばかりに手に握りしめていたロボットを振り上げて喜びをあらわにする。
「俺の意思は!」
「ない!」
「ないよ」
バッサリと切って捨てられた経の叫び。
「作ったのも僕らだし」
「確かに! 名前をつける権利はアタシたちにあるよねー」
今更だが、そう言われてしまえば経はなにも言い返すことができない。
武器を望んだわけではないし、武器作成には反対だった。だが、実際このパッキング・ユニットがなければ普通の生活を送ることすらできなくなっていたことはわかっている。今が平和なのは、彼らが頑張ってくれたおかげなのだ。
「いいじゃん。ぷぅー……。かっこいいよ」
「言い方を直せ、言い方を」
上半身の力が抜けていくような声を真顔で出す工に、突っ込むことが疲れたと経は肩を落とす。
「まあでも無事決まったね!」
「そうだね。僕は満足かな」
「俺はかなり不満だけどな」
こうして、開発された武器全ての名前が無事に決まった。
***
余談ではあるが、実は経がいない場所でも名称は勝手に決められていた。
「あ、素夫さん」
「どうしたんじゃ?」
ここは、須賀志総合病院の理事長室。
工がここへ来たのは、追加の物質調達のため。それと特訓を行う前に、現在作っている催涙ガスと掻痒ガスの濃度が問題ないかどうか素夫に確認するためだ。
特訓の相手をするのはこの時点ですでに工だと決まっている。工自身、第三者目線で見られないのは残念だが訓練に参加できること自体は楽しみのようだ。だがそこで万一のことが起こり、経を傷つけたくはない。
そのために、姫海も訓練で使う戦闘服の開発に力を入れているし、工もこうして足繁く素夫の元へ通っているのだ。
なお、経は部活動で来られず。姫海は一緒に来る予定だったが課題のドローンの作成が調子に乗ってきたから一人で行って欲しいと言われ、結局今日、工は一人でこの場所に来ていた。
「経から出る物質の総称。
工から発せられた言葉に、素夫は一瞬だけ動きを止めた。だが、すぐに意味に気づいたのか楽しそうにその唇を歪める。ついでとばかりに、丸メガネを親指と人差し指で挟んで掛け直した。
「……へへ。それはいいのう」
「さすが素夫さん。経と違ってお上手ですね」
工は真顔のまま、素夫が出してくれた資料をパソコンにまとめる。けれど心なしか、キーを叩くその指は弾んでいたのだった。
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