2-3:おならまみれの猛特訓
KFは、経から出た物質の総称。続く物質名が現存する物質の中でもっとも性質が近いものの名前だ。
イソフルランは、通常、0・5%の濃度から徐々に手術などに適した濃度に上げ、最大でも4%の濃度で利用するようにと説明がされている。そして、クロロアセトフェノンでメモされている刺激閾値とは、人間が反応を起こすのに最小限必要な刺激の強さのことだ。書かれている数値を見ればわかるように、二つとも基準となる数値よりかなり多い。特にクロロアセトフェノンに関しては、工が扇子でガスを吹き飛ばしているにも関わらず、刺激閾値の倍も検出されている。
「すごい結果だよね」
笑いが収まったのか、姫海が工と経の間からヌッと顔を出した。
「催涙ガスの方はある程度成分調整する必要があるけど、催眠ガスに関してはいっぱい吸い込んでも副作用が出る可能性はゼロっておじいちゃんが言ってたんだよね」
「それって」
通常、そこまで強い効果を持ったものは人体に悪影響を及ぼす。だが、経が作り出したものは副作用の心配もなにも無い画期的なものだったのだ。
「うん。たとえこれから戦うことがあったとしても、その人が経の力で今後動けなくなったりとか、死んじゃったりとかすることはないよ」
「っ……」
力強く背中を叩いてきた姫海に、言葉が詰まる。けれどそれは痛みからではない。睡眠ガスに関してだけではあるが、人を傷つける心配がないとわかった安堵感からだ。
「かゆみを起こす物質も、このあと確認出来次第強さを調節する。万一がないように……何かあった時にも、経が躊躇なく全力で戦えるように」
無言で姫海のまとめたノートに視線を落としていた工が、開いていたノートを閉じて顔をあげた。
今は、まっすぐに経を見つめている。
「まあ、何も起こらないかもしれないけどね」
「心からそう願ってるよ」
経と工は真顔で視線を合わせたあと、ほぼ同時に苦笑した。
その後、暑さのせいかかなりのスピードで消耗していく体力の関係で合計三回で訓練は打ち止めとし、初めての戦闘訓練はまあまあの成果をあげたのだった。
「一番の課題は通気性だねえ」
訓練終了後、シャワー室で汗を流して出てきた経と工に姫海が真面目な顔で呟いた。
クーラーをつけているにも関わらず滝のように流れ出る汗。さらに工に関しては、ガスが充満しているせいで気軽にマスクを取って水分補給ができない状況なのだ。
「それ解決しない限りもう着たくない」
「俺はそもそも屁を他人にぶつけたくない」
「夏休み明けまでになんとかするからそれまで我慢してー」
経の言葉は見事にスルーされた。楽しそうに笑う姫海の声だけが、オレンジ色に染まる道に響いている。
夏休み終了まで、あと一週間。
特訓内容で得た結果は素夫と共有し、成分量の調節などをする必要もある。
「じゃあ、あと一回だけね」
成分量の調節には今日の訓練だけだと情報が足りない。それがわかってしまった工は、ため息混じりに呟いた。
「やった!」
「……まじか」
対照的な反応をする姫海と経。二人を視界に入れてから、工は姫海から預かったノートを見えるように持ち上げる。
「このノートは素夫さんに預けるんでいい? 僕らが持ってたら、何かあったときに守れないから」
「わかった」
「いーよー」
本当に誰かが狙っているのかどうかはまだわからないが、それでも管理は厳重にしておくに越したことはない。そう言った工に二人は同意する。
「じゃ、今日はこのまま三人でじいちゃんとこ行くか」
訓練の際には三人でノートを取りに病院へ行き、訓練が終わったらノートは三人で病院へと戻す。この動きを徹底しようと言葉を交わし、三人は病院へ向けて足を動かした。
他愛ないことを話しながら歩く道のり。
この訓練が、この日々が、無駄だったけど本当に楽しかった。そう言って笑い会えることを、口にはしなかったが三人全員が願っていた。
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