2-2:おならまみれの猛特訓

 元に戻していた右手の指輪の安全装置を再びずらし、ボタンを準備した。だが、ここで押してしまっては持っているGFUが割れてしまうので、指と指の隙間は開いた状態をキープする。

 先ほどとは違う色。青のGFUをしっかりと握りしめて、左手に扇子、右手にバットという不思議な武装をした全身黒ずくめの工へと突っ込む。

 経の突進を防ぐため、工は右手に持っていたバッドを左から右へと大きく横薙ぎに振り抜いた。経はバットの下をくぐることで簡単に避けたが、工は扇子を捨てて両手でバットを掴むと遠心力がかかり遠ざかったバッドを力任せに引き寄せ、今度は右から左にバットを振り抜こうとした。

 経の今の位置では、止めることも避けることも難しい。

 瞬時に足を踏ん張り、経は曲げていた腰を伸ばした。そして、バッドを握っている工の両手首を左手で掴み、できる限り勢いを殺す。さらに、手首を掴んだタイミングで開いていた右手の指の隙間をゼロにした。

 ボタンを押した感触が指に伝わり、食い込んできて少しだけ痛い。

 完全には止め切れていないバッドの勢い。このわずかな間にも、確実に経までの距離を縮めてきている。


「顔面に喰らいやがれ!」


 だが経は冷静に、青のGFUを握っている右手を工の顔面へと突き出した。


「あ」


 珍しい間の抜けた工の声と、GFUが割れる乾いた音が重なる。


「はーい、そこまでー」


 マイクを通じて、姫海の元気な声が二人の鼓膜を激しく揺らした。声に従うように工はバットを下ろし、投げ捨てた扇子を拾い上げると腰につけていた袋の中に再びしまう。


「今の攻撃で工くん眠っちゃったから止めるね。扉から戻ってきてー」


 リアルタイムに物質量を確認していた姫海は、彼女が今いるコントロールルームに置かれた工のパソコンで相応の効果が期待できる物質の量を確認しながら訓練を見ていた。さらに、眠る、目を開いていられなくなる、尋常じゃないかゆみが出るなど、人体に強く影響が出ると予測される量の物質を工のガスマスクにつけた装置が計測した場合、即座に訓練を止られるようコントロールルームのアラームが鳴る設定をしていた。今回の睡眠ガスはかなりの威力があったようで、今の顔面への一発で即眠りに落ちる代物だったようだ。

 工と経はガスマスクをつけている顔を見合わせてから、この部屋の中で唯一の扉へと足を進めた。扉に入るとそこは二メートル四方の簡易更衣室になっており、ここで服の着脱ができる。


「ほい、じゃーマスクはとってOKです」


 簡易更衣室の中も、空気中の物質を調べることができるようになっている。二人の体についていた危険物質がなくなった、もしくは影響を及ぼさない量になったことを確認し、姫海がマイクから指示を出した。


「あっちぃー」

「マスクが一番暑い」


 声を聞くなり、暑苦しいマスクを二人は同時に脱ぎ捨てる。特訓のためのスペースもクーラーが効いてはいるが、動いている二人にはまるで意味をなさない。クーラー程度では着ているラバースーツの表面が冷える程度で、中まで温度を伝えてくれないのだ。

 特に、顔面を覆っているマスクは特殊なフィルターを介していて、呼吸をする時以外空気の動きがない。ガスを吸い込まないために一番必要な道具ではあるが、あり得ないくらい熱がこもる。

だが、再び訓練をする予定なので全てを脱ぐことはまだできない。ひとまずマスクだけでも脱げたことにホッとしつつ、置いてある水で喉を潤した二人はようやくコントロールルームに繋がるドアを開いた。

 椅子に座り、その椅子を左右に揺らしながら楽しそうにしている姫海の格好は、薄ピンクの半袖Tシャツにジーンズ生地の半ズボン。Tシャツからは、わずかに黒のキャミソールが見え隠れしている。


「お疲れー」

「お前も少しは暑い思いしろよ」

「大丈夫! 熱い想いがあるから!」


 成立しないキャッチボール。

 ただでさえ暑く、そのやりとりが無意味だとわかっている工は無言のまま置いてあったパイプ椅子に腰を下ろした。


「あれだね、最後のはまさしくにぎりっ……んん。自重しよう」

「遅えよ」


 楽しそうに笑う姫海に自重する気は無いのだろう。


「僕もろに食らったけどね、握りっぺ」


 ただでさえ笑える状況なのに、工が真顔で駄目押しの爆弾を投下した。それにより、ギリギリ耐えていた姫海の腹筋は崩壊した。

 ヒーヒー言っている姫海を横目に見ながら、工は彼女がまとめていた資料に目を移す。

 機械いじりは得意な姫海だが、パソコンを操作すること自体はそこまで得意では無い。今回も工のパソコンを貸してもらってはいたが結局諦めて手書きにしたようで、机の上には細かい効果と具体的な数字が数ページにわたり書き込まれたノートが置かれていた。

 物質ごとに表示された数値の詳細は、姫海にはわからない。なので、特訓後に工が素夫と一緒に記録を確認し、別でまた資料を作成する予定だ。


「うわ、最後の握りっぺやばいね」

「……連呼すんな」


 突っ込むのに疲れたのか、若干諦めたのか。力ない声で呟いた経は、工の隣にパイプ椅子を移動させると腰掛ける。


「周りの人が卒倒した理由がよくわかる」

「…………」


 事件を思い出したのか経は黙り込み、工もそれ以上は口を開かずに紙を見つめた。

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