2-1:おならまみれの猛特訓

 夏休みも残すところあとわずかになった。暑さはまだまだ残っているが、八月はもうすぐ終わりまた学校が始まる。だが経と工、そして姫海は夏休みの宿題を早々に終わらせているので、なにも問題はない。

 なお、一番遅かった経の宿題は工が手伝って終わらせた。効率を考えて工は丸写しをさせたかったのだが、勉強は出来ずとも真面目な経は自分でやると言って聞かず、渋々家まで教えに来たのだ。工の頑張りが身を結んだのである。

 そこまでして経の宿題を終わらせたかった理由、それは素夫との話で決まった戦闘訓練があったからだ。戦闘服の試作品を姫海がついに完成させ、素夫も研究施設を用意してくれた。宿題も終わっているので、今日から思う存分戦闘訓練を行える。


「……暑い、死ぬ」


 学校の体育館の四分の一くらいの広さで、バトミントンのコートよりは広い部屋の中。黒のラーバースーツを着て、頭を全て覆うタイプのガスマスクを被った工がマスクの下でありえないほどの深いシワを眉間に刻んだ。レンズ越しに見える目だけでも不機嫌なのがよくわかる。


「俺だってあっちいわ」


 そして工の目の前には、同じくぴっちりとした黒のラバースーツに身を包んだ男がいた。ゴツいオレンジのブーツと同じくオレンジのグローブをして、鼻から下を覆う黒いガスマスクをつけた経だ。なお、グローブは肘まであるとても長いタイプのもので、指部分には指輪と同じ仕組みの針が仕込まれている。


「ヒーローにはコスチュームがないとね!」


 部屋は一面だけガラス張りになっており、その向こう側には涼しげな格好の姫海がいる。元気よくマイクに向けて発された彼女の声は、当然ガラスを隔てた中にいる二人にはしっかりと届いていた。


「いらねぇだろ!」

「色は検討中なんだー。とりあえず経はオレンジって感じを出してみた」

「聞けよ!」


 話を聞かない姫海に疲れ果てる経と、未だ不満そうな顔の工。

 二人のマスクの中にもマイクが仕込まれているので、大きな声を出さずとも姫海にはしっかり聞こえるようになっている。意思疎通に関しては問題がないはずなのだが、本人に聞く気があまりないので意味がない。


「動いてもガス漏れはしないように作ってあるから、それで戦ってみてー」

「なんで僕が……」


 これから初めての特訓が開始される。そして、敵役に抜擢されたのは工だった。

 経の能力を知っている者のうち戦える。というより、まともに動ける者が工だけだったのだ。この特訓を外から見たい工にとっては、地獄でしかない。


「ほら、はーやーくー」


 経と工の耳に入っている小型のイヤホンから姫海の大きな声が聞こえてくる。キーンと響く声が不快なのか眉間に浮かぶシワの溝を深くして、工は嫌々ながらも野球のバットを手にとった。

 今回、敵である工は武器を使用する。一方経は、パッキング・ユニットから作られる風船。通称「GFUグフ」のみで戦うことになっている。


「仕方ない。素夫さんにやらせるわけにはいかないし……姫にやらせたら経が危ない気もするし……。まあでも、手加減はしないからね」


 経の右耳のイヤホンからため息と一緒に聞こえてきた工の声。同時に、ブンッと音が出る勢いで横薙ぎに振られたバット。躊躇なく狙われたのは経の胴体だ。


「そこ気遣うなら、ちょっとくら、い……ってあぶねぇ!」


 確実に当たる位置だったが、思いっきりバク転をすることでギリギリかわす。

 まともに動ける者と説明をしたが、工には高校生男子の平均以上の運動能力がある。何事も楽しむをモットーとしている工は、いざ楽しめる瞬間が訪れた時どんなことでもできるように常日頃から準備を欠かさない。

 それは常人以上のレベルとなった料理はもちろんだが、運動も含まれていたのだ。体育学科には及ばずとも、引き締まった体からもわかるように筋肉量はまあまあ多い。そんな工が振ったバットに当たれば、経が今着ている薄い装備だと簡単に吹き飛ばされてしまう。当たりどころが悪ければ、痣だけではすまないだろう。


「ちょ、たん、まっ」

「早く攻撃してくれる?」


 経が避けることに専念しているからか、工はバットを振り回すだけにとどめている。少し楽しくなってきたのか、経の耳に届いたその声はわずかに弾んでいるように聞こえた。


「くそ、どうとでもなれ」


 右足に力を入れた経が工から距離を取るために素早く二回バク転をしたあと、着地の衝撃を逃がすように地面に着いた両足でさらにポンっと後ろに一度大きく飛ぶ。


「そのくらいなら僕だって……」


 一気に距離を開いた経に近づこうと、工が足に力を入れた。思い切り地面を蹴った瞬間、振りかぶられる経の右手。


「なるほど、黒か」


 ボフンッという音を立てて広がる黒い煙。煙幕だ。黒く彩られた屁が、工の視界いっぱいに広がる。

 これが全て屁であると工は理解しているが、頭も全て覆っているマスクのためか不快感は感じない。むしろ、普段経験することのできない、視界いっぱい屁にまみれたこの状態が不思議で、興味心がくすぐられている。


「本当に何も見えないね。煙幕としては成功だけど、経はこのあとどうやって……」


 指輪でGFUを割るという性質上、経は必然的に煙幕の中心にいなければならない。キョロキョロとあたりを見回す工の耳に、経の声が届いた。


「後ろだ!」


 いつの間にか煙幕を抜け出ていた経は、工の背後に回り込んでいたのだ。


「次は……赤、か。厄介だね」


 今回の訓練で工にGFUの影響が及ぶことはない。だが、それでは工が無敵状態になってしまう。なので、マスクはつけていないものと思って行動するように、と姫海に念を押されていた。

 工も訓練としてその方がいいことはよくわかっているので、色を確認した瞬間腰の袋に入れていた三十センチ程度の棒を取り出した。本当に影響を受けるのであれば、赤いGFUは掻痒成分入り。吸い込みたくはない。


「くそ、やっぱ近寄んなきゃ無理か」


 開かれたそれは、通常よりも大きめの扇子だった。

 敵にはすでに、経のする屁が睡眠ガスだと知られている可能性が高い。工も経の武器が屁であるとわかっているので、気体に対抗できる道具を選んでくるだろう。

大きく扇子を振った工。目には見えないが、GFUに入っていた屁は当然吹き飛ばされていく。

実際に先ほどのGFUがどれくらいの影響を及ぼすのかは、ガスマスクにつけた装置で姫海がリアルタイムで計測中である。ガスの影響で戦闘不能になっただろうと姫海が判断すれば、その場でストップがかかることになっているのだ。まだ止められてないということは、ガスの影響はそこまで受けていないということ。

 次は確実に吸い込ませることができる位置でGFUを割ろうと決めて、経は再び地面を蹴った。

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