3-1:シヴァ神の使者
都内にあるとあるマンションの一室で、鏡の前に立つ男がいた。
肩まである黒髪に、切れ長の瞳。紺色に近い黒色の髪は触らなくても滑らかであることがよくわかる。髪から覗く顔も非常に美しく、女性と勘違いしてしまいそうだ。その男は一度目を閉じてから、フッと意味深に唇を緩めた。
「シヴァ様」
「今いくよ」
ノックの音と中荷の声。シヴァと呼ばれたその男は慌てる素振りも見せずに返事をすると、手に持っていた銀色のカツラをかぶる。
「お待たせ」
「いえ」
のんびりと歩を進め、扉を開けると迷いなく赤い絨毯を踏む。自分に向けて頭を下げる五人には視線を落とすことなく、まっすぐ進むと玉座に腰掛けた。
シヴァの目の前で片膝をついて頭を下げる五人の男女。その様をゆるい笑みを湛えたまま見渡し、頭をあげるようにと指示を出す。
「それで、どうだった?」
優しい口調だが、どこか威圧感がある声。人形のように整いすぎた笑みを顔に貼り付けたシヴァが、中荷に報告をと促した。
「はい。やはり、須賀志経には特殊な力があるようです」
「根拠は?」
いつかも中荷に言ったセリフをシヴァはもう一度投げかける。
「小僧の高校の体育祭に潜入したところ、小僧の友と思われる男の口から『あのガスに含まれる別の物質を使えば』という発言がありました」
また「次は爆弾」とも言っていたと続ける。
中荷からの報告に、シヴァはほんの少しだけ唇を歪めた。だが、部屋にいる人々はシヴァのこの変化には気づいていないようだ。
「ガスという発言と、警察で聞いた。その……えっと『すかしっぺ』をしたのが自分だと言う発言。それらの情報から、小僧のガスに特殊な物質が含まれているのはほぼ間違いないと判断しました」
すかしっぺの部分だけやけに小声になりながら、それでも最後はしっかりとした言葉で締めくくった中荷の報告を聞いたシヴァは、その白く細長い指で自身の口元を覆い、その下で楽しそうに唇を歪めた。
「……うん。よく頑張ったね」
褒められた中荷は、シヴァの表情に気づくこともなく嬉しさに震えている。
「一つ、よろしいでしょうかシヴァ様」
スッと上がった手。その手の主は黒いスーツに身を包んだ女性だ。まっすぐと伸びた黒い髪を一つに結わい、背筋をピンっと伸ばした状態で片膝をついている。
「いいよ」
シヴァから許可が下りると、女性は頭を一度下げる。そして片膝をついた状態でシヴァを見上げた。
「先ほどのサドの報告ですと、『あのガス』が『少年のガス』だと断定するには弱い気がします。特殊能力があるとは思えません」
「……イシャーナ」
サドと呼ばれた中荷は、ギロリと鋭い視線をイシャーナに向けた。しかし、イシャーナはその視線を無視している。
「そうだね」
「では――」
「私も興味があったから、調べていたんだよ」
続けようとするイシャーナの言葉を手で制して、感情の読めない笑みを貼り付けたままシヴァが言葉を紡ぐ。
「デーヴァ」
「あ……はい」
一番後ろにいた男が顔を上げ、そばに置いていたパソコンを開く。中肉中背に黒縁メガネ。肩まである少し脂ぎった黒髪を一本に結んだその男は、無精髭はあるが、年齢は意外と若そうだ。
「……対象、須賀志経。年齢は十六歳で高校二年。好きなものはゲームと漫画。運動神経抜群で、飛呂総合高等学校の体育学科所属。仲の良い友人は緒澤姫海、白金工。祖父が医者で、集団催眠事件以降から祖父の病院で繰り返し何かの検査を行なっている。ガスについての記述資料を見つけたが、厳重なロックがかかっていて閲覧不可」
「ん、ありがとう」
パソコンを開き、調べ上げた経の情報をぼそぼそとした聞き取りにくい声で話す。全て話し終わると、シヴァが労いとともにゆるい笑みを送った。
「じゃあ、ついでに友人たちのこともお願いできるかな」
「は、い」
さらに振られた言葉にぺこりと頭を下げて、カタカタとパソコンを操作してから再び調べた対象の情報を読み上げる。
「……対象、白金工。同学校同学年、情報学科所属。SEの父を持つ。面白そうだと判断したものに異常なまでの執着を見せ、アプリ開発やHP制作がプロレベル。また、楽しいことを実行するためには手段を厭わず、情報収拾能力も限りなく高い」
「うん。次」
内容に満足なのか、シヴァが小さくうなずいて続きを促す。
「……対象、緒澤姫海。同学校同学年、機械工学科所属。整備工場に務める父と服飾デザイナーの母を持つ。作りたいと思ったものはなんでも形にし、その性能は高く企業の目にも止まるレベル。去年の体育祭では三メートル級の人が搭乗し操縦できるロボットを作り、ロボットダンスを披露した」
「ん。長々とありがとね」
最後まで話しきったデーヴァは、ぺこりと会釈をしてパソコンを閉じた。聞き取りにくい声ではあったが、話していたのはデーヴァだけだったこともあり全員に内容は伝わったようだ。
「さて、今の説明を聞いて私が言いたいことがわかったかな?」
「すでに、少年の『ガス』に何らかの力があることを把握していた。ということですね」
視線を向けられたイシャーナが、小さく口を開いた。その内容に満足したのかシヴァは小さく頷く。
「けどどんな力なのさ。だって『おなら』でしょ?」
ダークブラウンの髪の小柄な男が、ふわふわの短い癖っ毛を揺らしながら声をあげた。男にしては若干高い声が部屋に響く。
「プルシャ」
「でも姉さん」
諌めるようにその男の名前を呼んだのは、同じ色の髪を持つ前下がりショートカットの女性。ふっくらと丸い体系の彼女はパッチリした目を少しだけ鋭くさせ、男をプルシャと呼ぶと睨みつける。その声は女性にしては低く、そして太くかすれていた。
「言葉遣い。いつも言っているでしょう?」
「うう……どんな力、なのですか?」
「あはは、構わないよラヴァ。プルシャも、話しやすい話し方でいい」
拙い敬語が面白かったのか、珍しく声を出して笑ったシヴァが女性をラヴァと呼んで制した。
「しかし……」
「姉さんに恥かかせたくないし、僕頑張るよ。あ、頑張ります」
「ん。わかった」
不満そうなラヴァに目を向けたプルシャが、一旦視線を下げてからまっすぐとシヴァを見上げる。姉を困らせたくない、その気持ちを乗せた視線にシヴァは人形のような感情の読めない顔で頷いた。
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