2-4:体育祭

「工くーん」

「姫……お前足踏みすぎだろ」


 ようやく姫という呼び方に慣れてきた経が、工へ駆け寄る姫海に文句をこぼす。対する姫海は気にした風もなく軽い口調で謝るが、進む足は止めようとしない。


「あれ、もう脱いじゃったの?」

「動きづらいんだもん」

「柄じゃないしな」


 パレードで姫海が着ていたのは、イエローのドレスだ。くびれた腰から、パニエによってふわりと広がるイエローのドレス。茶色の帯は決して地味ではなく、可愛らしい姫海の魅力を最大限に生かしていたと言っても過言ではない。

 ごちゃごちゃさせず、非常にシンプルな装飾のドレスに、頭上で輝くシルバーのティアラ。普段見ることのできない姫海の大人っぽい面も垣間見せてくれて、男子たちには大好評だった。

 対する経は、濃い藍色で襟と袖口に金色のラインが入ったジャケットに、黒いスラックスだ。

 あくまでも姫海を際立たせるため、しかしそれでいてかっこよく見えるように作られた衣装。女子たちの評判は上々だったが、工に着てもらえないことを残念がる女子の声もかなり上がっていた。


「似合ってたのに、二人とも」

「ありがとー」

「さんきゅ」

「……あ」


 嬉しそうに笑う姫海と、照れ臭そうに頬をかいた経。二人の様子を眺めたあと、工は思い出したように小さな声を出した。


「どうかしたか?」


 首をかしげる姫海の横で、経がそれを言葉にした。

 校庭では現在、三年の出し物の発表が行われている。軽快な音楽は耳に入るものの、三人の意識はそちらには向いていない。

 急に神妙な――といってもいつも通りの顔に少し視線が鋭くなった程度の顔になった工は近くに人がいないことを確認し、さらにあたりを警戒して小さな声で話し出す。


「経の力に、気づいてる奴らがいるかもしれない」

「は?」

「それは、まずいね」


 事の経緯を簡潔に話せば、惚けた声を出した経とは対照的に、瞬時に状況を理解した姫海が可愛らしい顔を歪ませた。


「少なくとも、あのとき僕は「経のガス」とは言ってない。それなのに「小僧のガス」ってあいつが言えたのは、経の力に気づいてるからだと思うんだよね」


 自分が原因で知られてしまったわけではない。それでも、人がいる中で軽率な発言をしてしまったと謝罪し、工は悔しそうに顔を歪めた。慌ててその頭を上げるようにと言った経は、話を違う方向へと持っていく。


「でも、どうやって知ったんだろうな」

「わからない。扱いには十分気を使ってたつもりだけど……」


 工の言葉にコクリと頷いた姫海もしっかりと注意して扱っていたようで、不思議そうに首を傾げた。


「悪い人たちだったらどうしよう……」


 ボソボソと喋りつつ、姫海が泣きそうな顔で拳を握りしめた。


「汎用性、高いからね」

「そ、うなのか?」


 現状ですでに、煙幕、爆弾、催涙ガス、睡眠ガス、痒みをもたらすガスが作れるようになっているのだ。もっと詳しく調べれば、それこそ素夫に全面協力を依頼すれば作れるものはたくさんあるはずなのである。


「うん。ごめん、経」

「…………」


 手を顎に当てて考え込んでしまった工と、猪突猛進の姫海が珍しくしている後悔。二人の顔を交互に見つめて、経にも再び不安がこみ上げる。


『以上で飛呂総合高等学校の体育祭は終了となります。今年の優勝は二年生。去年に引き続き二連覇となりました。みなさん、ご来場ありがとうございました。勧誘をご希望の企業様は、お近くの――』


 マイクから、体育祭終了のアナウンスが聞こえてきた。気づけばいつの間にか体育祭は終了していたようで、優勝が決まったときに上がったと思われる周りの二年の歓声すら、三人には届いていなかったようだ。


「……とりあえず打ち上げにでも行くか。今考えてたって仕方ないしさ」

「経がそう言うなら」

「ん」


 当事者である経の言葉に、二人の眉間のシワが和らいだ。


「それに、俺はお前らのおかげで普通に生活できるようになったわけだし」

「ん? 何か言ったー?」


 二人に聞こえないように、経は小さな声で感謝を口にした。振り返る姫海になんでもないと笑って、少し元気になった二人の背中を追う。

 悪い人とかではなく、警察に知られてしまったとしても経のこの生活はきっと終わる。あげていけばキリがないくらい屁のことで気になることはたくさんあるのだ。けれど、まだなにもわからない。それなら、体育祭あとのこの余韻を楽しむべきだろうと、そう経は思ったのだ。


「二連覇だね! ま、わかってたけど」

「当然の結果だよね」

「出し物がおかしすぎるんだよ」


 全校生徒が校庭を去る頃、いつもの調子を取り戻した二人と経は、三人で仲良く教室へと足を進めたのだった。

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