第5話

 翌日。

 登校して席についた私は漠然と街の情景を思い浮かべて、B5サイズのスケッチブックに人物のスケッチを描いていく。

 無表情でスタスタと歩いていくサラリーマン、身ぶり手振りが大袈裟な女子大学生、転がったコインを必死に追いかける小さな男の子。実物を見ずに描いているゆえに自分の引き出し頼りだから、アイデアを出すには向かないけど上手く描く練習には十分だ。

 学校にいる間はピエロと話すか、こうやってこの練習をひたすらやっている。クラスメイトをスケッチしたこともあるけど、問題があったからやめた。

 昔はただ上手くなりたいからと上達を目指し、中心にして続けていたこの練習も、そこそこ上手くなった今は腕を慣らす準備運動くらいになった。その分アイデアを練ったり、新しい手法を試す時間に充てられるので、基礎技術は大切だ。

 次は自動販売機の上段にあるボタンを押そうと必死に背伸びしている小柄な女の子を描き始める。こんなことあったなぁ、としみじみ。


「……おはよっ」


「うえあっ」


 突然、耳元に異常な程のくすぐったさを感じて椅子から飛び上がった。

 耳を抑えて声の主を睨み付ける。コイツ、囁きに近い音量で挨拶をしてきやがった。

 とても面白かったらしく腹を抑えてくっくっと笑っている。


「おはよーハルちゃん。いー反応だね」


「いきなり……なんなの」


「いきなりじゃないとビックリしないじゃん。大成功だよ」


「いやなんでビックリさせようとしてんの」


「面白そうだったから!」


 快活といい放ち、腰に手を当てて胸を張る。なんだよもう。溜め息をついて席に戻る。

 灯色も、ふふーと満足げな声を漏らして隣の席についた。……席替えまだかな。新学期二日目で既にうんざりしている。仲良くないのに仲が良いかのような絡み方で、ものすごくエネルギーを使う。

 感覚がまだ残っている耳を気にしながら横を向くと、灯色がこっちを見ていた。


「ねーねーハルちゃん、今日私遅刻しそうだったんだけどさ」


 さも当然のように話しかけてきた。横を向いたことがトークスタートの合図だったのだろうか。もしそうだとしたら痛恨のミスだ。今度は見ない。


 「なんでかというとヘアゴムが見つからなくて。今日体育あるからまとめないと邪魔だからね」


 確かに灯色のセミロングはまとめる必要がありそうだ。


「芭瑠はショートだからそのままでも動きやすいね」


 私と灯色の間にピエロがしゃがんで入ってきた。手入れするには短い方が何かと便利だから、数年前に髪を切ってからはずっとショートにしている。ピエロや灯色みたいに肩まででもなかなか大変だ。


「なんで、なんでないのって引き出しとか鞄の中とか必死に探してさ。でも見つからないの。で、昨日の夜何をしてたのかようやく思い出したんだよ。何故か私、ヘアゴムをピンって飛ばして遊んでてさ! 飛ばしたまま寝ちゃってたの! 机の裏側見たら見つけたんだー、しかも前になくしたヘアゴムも! 同じこと繰り返したっぽい」


 心底すげーどうでもいい。馬鹿か。朝っぱらから自分の痴態を報告してどういうつもりなんだろう。彼女の崇高な思考は凡人の私には理解できそうにありません。


「芭瑠とお喋りしたいんだよ。灯色は私と姿が似てるでしょ? だから私みたいに仲良くしようとしてしまう運命なんだよ」


 ピエロ、それはとんでも理論だと思うよ。


「……ギリギリで危なかったなー。あ、ていうかハルちゃん、さっき絵描いてなかった?」


 しまった。近距離挨拶をかまされた時、私は気配を微塵も悟ることなく近づかれたために、無防備にスケッチしていた。視界に入るのは当然。絵を描いていることを知られること自体は別にいいけど、絵は見られたくない。どうせ、キモがられる。


「メッチャ上手くない? 見せてよ。もっと見たい」


「え?」


 予想してなかった言葉に面食らう。こんな明るい、というかウザい奴に褒められるとは思わなかった。だって、いや……。


「見せて―」


 両手を広げて催促する灯色。その姿はとてもピエロじみていて、抱き抱えたスケッチブックを渡しそうになる。でも横にいるピエロが私をじっと見つめてきて、思いとどまった。


「嫌だ」


「えー、いいじゃん減るもんじゃなし」


「減らない代わり憎しみが増える」


「なんで!? ちらっとしか見えなかったけどすっごい上手かったじゃん。見せる方が得だよ」


「見せるとなんで得するの、嫌だ」


「私に見せると褒め殺します」


「見せるだけ無駄だと分かった。じゃあね」


「無駄じゃない! 絶対楽しい!」


「見せない方が楽しいこともある」


「くそぅ!」


 私が拒否すると灯色は負けじと返してくる。その返事に付随する表情がどれも違って面白いことがずるい。リアクションの幅広いなコイツ。


「芭瑠の絵をじっくりコトコト見られるのは私だけだもんね」


 その通り。コトコトはともかく、今となっては絵を見せる相手はピエロだけだ。作品を応募した場合は勿論別だけど、私が描く絵は全ほぼてピエロのみ鑑賞する。


「えー、せっかく描いてるんだからもっと見せればいいのに」


 言い返す言葉はすぐに思いついた。でも口から出なかった。

 私だってそうしようとしたことはあったよ、でも弊害の方が大きい。リスクは減らすべきだ。

 灯色はうんうんと腕組みして唸る。数秒そうしてから何か思いついたかのように笑顔になって言った。


「見せてくれるまでちょっかい出します」


 やめろ。

 それからホームルームが始まるまで攻防は続いた。

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私の親友、ピエロちゃん。 仲村戒斗 @mugnefarious

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