第279話 イネちゃんと世界の違い
「た、大変です!魔王軍と思われるものが近づいてきています!」
交易の取り決めを記載した公文書にお互いの代表者サインを書いている時に、帝国側の兵士らしき人が慌てて建物の中に入ってきた。
「数は、まずはそこの報告が先でしょう」
「数は1、上空を旋回しております!」
ん、1人でここの上空を旋回って……。
「既に迎撃を開始しておりますが、やたら素早いため……」
「よし、当てたぞ!これで落ちてくるはずだ!」
「あー……」
キュミラさん、いいやつだったよ。
「ちょ!本気で当ててきたッス!痛いッスよこれ!誰ッスか、膝に矢を受けてしまってなとかギャグが言えるとか言った人は!」
「え!?この声って……イネ!助けてきてあげて!」
「あ、そうなるよね、うん。じゃあちゃちゃっと行ってくるよ」
「え、リリア様?一体何を……」
「あの声は大陸のハルピー族、キュミラさんです!」
「まさか……全員戦闘中止!」
アーティルさんの号令も聞こえたけれど、外が見えてるイネちゃんには全力で槍で貫かれそうになっているキュミラさんの姿が!
これは……間に合わないかな?ごめんねキュミラさん。
「ちょ、イネさんすごく優しい感じの顔してないで助けて欲しいッスけど!?」
「えーだってもう槍を突かれる寸前だし?」
「そこでやたら諦め良くならないで欲しいッス!こう、キュミラさんに手を出すなー!とか熱く叫んで助けて欲しいッス!」
「冗談を言えるようなら自力でなんとかできるんじゃないかなー」
「あ、ごめんなさいッス、本当に助けてッス」
まぁ、コントみたいなやり取りを見て周囲の兵士っぽい人達はすっかりポカーンって感じにやる気が抜けてるから、結果的には助けられてるんだけどね。
でもまぁ、混乱した人が暴走する可能性はあるし悪ふざけはやめて助けるかな。
「で、どこに矢をもらったの?膝?」
イネちゃんはキュミラさんを囲んでいる兵士の人を押しのける感じで近づいて傷を確認して……。
「足ッスけどなんッスか、その『かすっただけなのに大げさだな』って顔は!」
「かすっただけなのに大げさだなぁ」
「本当に口に出さなくてもいいッスよ!?」
いやだってこれ、矢がかすった部分はもう血が乾いてるし……何よりキュミラさんとしては最重要になるだろう翼部分、被弾面積が一番大きそうなのにこれっぽっちも当たってない辺り、キュミラさんの危機回避能力ってすごいよなぁ。
「お、お前も魔王軍の関係者なのか!?」
そしてこの兵士の失礼な発言である。
「アーティルさん、どうにも国民の方々はイネちゃんたちと敵対したいみたいだけど、これはどう判断すればいいですかね」
「この者たちは後日処分致します、大変な失礼を働いてしまったことをどうぞ、どうぞお許しください」
「おっと……それ以上頭下げられたらそれこそ敵対行為しそうな人が増えそうなので土下座は勘弁してくださいね」
正直、女王にここまで謝罪させた時点で一族まとめて物理的に首が飛びそうな気もするけれど……この人ら、一応親衛隊みたいな能力は優秀なんじゃないのかね。
「イネ、キュミラさんは……」
「大丈夫大丈夫、リリアが治癒魔法かけるほどでもないよこれ。もう血も乾いてかさぶたになってるし、他に傷口もないからキュミラさんがすっごい大げさに騒いだだけだと思うよ」
「いや本当痛かったんッスからね……」
んーでも確かにキュミラさんが武器を構えている人の中心に、痛くて飛べないと思っていたとしても降りるとは考えにくい。
ということは……。
「ちょっと武器、見せてもらってもいいかな、特に矢」
兵士の人は女王様が頭を下げたことで既に武器は手放していたけれど、それは納刀したってだけだからね、矢筒も絶賛背負っているわけなので見せてもらうように言わないとダメなんだよねぇ……あ、流石に槍は地面に転がってるから、そっちは既に確認して毒とかは塗られてないのを確認していある。
毒を使うなら恐らく矢だろうしね、当然そこを見せてもらわないといけないのだ。
「見せて差し上げるのです。こちらが無礼を働いたのですから、丁重に」
困惑している兵士の人にアーティルさんが命令して、渋々ながらイネちゃんに向かって矢筒が提出された。
「では、確認させてもらいますね」
アーティルさんにそう言ってからイネちゃんは矢筒から矢を抜いて、矢尻を確認する。
何かを塗ってあるように見えなくもないけれど、材質はなんの変哲もない、純度の低い鉄……というかこれだとまともに硬度で負けそうなんだけど、それこそレザーシールドとかに、運動エネルギーとか考えても負けそうなんだけど……塗ってあるものに関しては鉱物とか由来じゃないっぽいので、ちょっとリリアを手招きで呼んで確認してもらう。
「リリア、この塗ってある奴って何かわかる?」
「んー……何か液体っぽいけれど……舐めてみてもいいかな」
リリアがそう言うと兵士の人の顔が青ざめた。
その兵士の顔を見たアーティルさんは真剣な表情で。
「毒を、使ったのですか」
「い、いえ……」
「使ったのですね、異世界の客人を相手に。毒の種類を言いなさい」
「痛毒ですが……それと放った際に鋭化する錬金術も施してありますて」
あーやっぱり毒だったか。
まぁそれよりも鋭化の錬金術のほうがキュミラさんの皮膚を切り裂いたってところかな、紙とかでシュッとすると普通に切っちゃうよりも痛いっていうあの原理かな。
「毒……?」
そして大陸的には毒というのは普及していないので知識が殆どないわけである。
ヌーリエ様の加護のおかげで毒とは無縁だもんなぁ、トリカブトの天ぷらとかあるくらいだし。
ただまぁ、ハルピーはヌーリエ様よりも空の神様であるノオ様の加護のほうが強いから、ちょっと影響を受けて痛みに負けた感じなのかな……となるとヌーリエ様の加護が薄い人が毒をくらった時のこと、考えておかないといけないかもねぇ。
「毒っていうのは、人体に害のある何かしらの物のことを指す言葉だよリリア。大陸以外では武器として使われることもあって、アーティルさんが兵士さんを叱責した理由は毒武器っていうのは普通なら殺傷能力が極めて高いからってことだよ」
「え、じゃあキュミラさんは……」
皆の視線がキュミラさんに集まる。
「え、なんッスか?皆で私に注目するなんて照れるッスよ」
「大丈夫そうだけどね。そもそも大陸の人ならヌーリエ様の加護のおかげで毒とかそういうものとは無縁だからね、リリアが知らなかったのも無理はないよ」
「あ、そうなんだ……もうイネ、最初に不安になるようなこと言うからびっくりしちゃったじゃない!」
「いえお孫様、恐らくイネ様が想定した展開になっております」
スーさんが耳打ちしたタイミングでリリアが周囲を確認した。
既に大陸の細かな情報を持っているアルザさんを除いてムータリアス側の全員が驚いた顔をしていた。
まぁ、気持ちは大変よくわかる。
普通なら毒武器っていうのは相手を確実に仕留める、殺すためのものなのに、大陸出身者は軒並みそれに対して耐性を有しているなんて言われたわけで……純粋な身体能力の差もあるのに毒も効かないなんて言われたら敵対者なら絶望でしかないよね。
うんうん、イネちゃんもマッドスライムやらゴブリンスライム相手にしたときはそんな心境だったよ、まーだ体を結構吹き飛ばせてた大地の四天王……ガイアテラだっけか、そっちのほうが途方に暮れるってだけで絶望感はなかったよね。
「ほ、本当に毒が効かないのですか……?」
アーティルさんがすごく震えた声で聞いてきたよ。
「なんならこれで実証してみようか」
イネちゃんは軽いノリでそう言って、勇者の力による防御力を一時的に下げつつ、尚且つこの矢尻の材質を変更して自分の左太ももに刺して見せた。
まぁ当然痛いは痛いけれど……勇者の力の回復力で矢はすぐに体外にはじき出されて、傷のほうはすぐにこれまた勇者の力で塞いだけれど……。
「イネ、無茶なことはしないって約束したよね」
うわぁリリアの笑顔が怖い怖い怖い。
「いやまぁリリア?まずちょっと離れてもらっていいかな……ところで毒って即効性のものでいいんですよね?」
「え、えぇ……そうでなければ兵器としては使いにくすぎますから」
アーティルさんがどもっちゃってる。
まぁ毒があるってわかっておきながら自分の足にぶっ刺すなんて見せられたらこうもなるか。
「それでイネ、体調とかは問題ないの?」
「うん、即効性ならもう毒の効果が出てないとおかしいし。というかヌーリエ様の加護が強ければ、むしろ毒が強ければ強いほど無効化対象になるんじゃないかな。弱い毒なら薬になるっていうことで有効かもだけれど、人体の自由がなくなるレベルなら加護のおかげで自動的に解毒なり浄化なりされると思うよ」
今こうイネちゃんが皆に説明しているときにも脳内でヌーリエ様が『でも無理はダメですよー』とか言ってるから間違いない。
毒が効かないとわかった瞬間にアーティルさんの表情はなんというか……安堵と驚愕と他多数の感情が読み取れるのか読み取れないのかわからない複雑な表情をしている辺り、ムータリアスの世界では毒は必殺って感じだったんだろうねぇ。
自分たちの持っている最大の攻撃力が無効化されるとわかれば絶望するだろうし、それと敵対しなくていいどころか味方に引き入れるチャンスでもあるし……まぁ現時点でムータリアス側からしてみればその相手に明確な敵対行為を行ったってことですごく大変な流れにはなるだろうけれど……これは今後の交渉がキュミラさん次第になってしまったなぁ。
この時イネちゃんは、とりあえずキュミラさんを射った人が一族まとめて斬首とかされませんようにと願うことしかできないのだった。
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