第261話 イネちゃんと聖人の最後

「イネ、お待たせ!」

 ずっと睨み合っていると、修道会の人たちを避難させたであろうリリアが到着する。

「うん、私なら大丈夫……というよりずっと睨み合ってるだけなんだけどね」

 おかげで毒溜りを見失うとかそういうこともなかったからいいんだけれど、ずっとこのままというわけにもいかなかったからリリアの到着は丁度よかった。

「……ここまで近づいても多少臭いが気になる程度というのは、本当にあなた方の結界はすごいのですね」

 ……なんでアルザさんがいらっしゃるんですかね。

「異界の勇者様がどのように戦われるのか、興味がありまして。危険なのは承知ですが無理を言って同行させていただきました」

「邪魔です」

 いやこれは嫌われるためとかそういうのじゃなく本当に。

 カカラちゃんは少しはヌーリエ様の加護を受けていることもあって最低限の防護があるからまだマシだけれど、ヌーリエ様の加護がまったくないアルザさんが毒溜りとの戦闘の場にいると命の保証なんて私はできない。

「……はい、当然そう言われることは覚悟しております。私が命を落としたとしても修道会はあなた方に責任を押し付けないよう手は回してありますので、どうぞお慈悲を」

「慈悲とかそういうのじゃなく、単純に邪魔です。私はあなたの提案通りに見捨てる判断もできるのですが、リリアは絶対に見捨てないでしょうからリリアの命に関わりますから、邪魔と言っています」

「イネ、本当に危険なら私がヌーカベで無理やり連れて行くから、ここは私に免じてお願い」

 ……本当ならリリアのお願いでも拒否したいところではあるのだけれど、ティラーさんも疲れた顔で力なく首を横に振っているのを見て私も折れる。

「……わかったけど、危険なら、じゃなくなりそうってところで逃げること。それに現状膠着状態だから、リリアの自然魔法で浄化してもらいたいから、その間ティラーさんがヌーカベの手綱を握ってて」

「ありがとうございます」

 アルザさんは深々と一礼をしてじっと見つめてきた。

 そういえばカカラちゃんの姿が見えないあたり、アルザさんと交代する形で残されたのか、私たちの拠点に避難誘導するために残ったのか、どっちかかな。

「リリア、広域にヌーリエ様から教えてもらった浄化、できるかな」

「やってみないとわからないけど……うん、やってみる」

 リリアはそう言うと魔法を発動させるためにロロさんの故郷で見せた……程ではないにしても、リリアの纏う雰囲気は普段の優しいものではなく、それこそムーンラビットさんに近い本能に近い部分に訴えかけるようなものに代わり大きく稲穂を振ると、毒溜りを包み込むように光が広がっていく。

「ま、魔族!?」

「いいかお嬢さん、俺たちにとってそいつは蔑称だ、それを使うならイネちゃんだけじゃなく俺もそれなりの対応を取らせてもらうからな」

 後ろのほうでイネちゃんの代わりにティラーさんが注意してくれてる。

 ともあれ今は毒溜りの状態確認が最優先、リリアの使った魔法によってみるみるその巨体が縮んで行き、既に半分くらいの大きさになりつつある。

「うん、効果絶大だね。リリア、大丈夫?」

「大丈夫、むしろ今はちょっと調子が良くなったくらいだよ」

 まぁ、リリアの本来の姿はこっちだろうからなぁ、ムーンラビットさんは封印って明確に発言してたし。

「それじゃあ一気に浄化して、大地の毒も取り除いちゃうよ!それでいいんだよね、イネ!」

 あ、これはちょっとまずいかも。

「うん、それでいいけれどリリア、もうちょっとテンション下げようか」

 ちょっと暴走気味みたいだなぁ、まぁ制御できてる状態で自分の力を純然と行使できるっていうのはリリアにとって始めてのことだろうし、テンションが上がるのも当然なんだけれども……またロロさんの故郷の時みたいになったら大変どころの騒ぎじゃないし、悪いけど抑えてもらわないとね。

「うんわかった!」

 あ、ダメだ。

 リリアはテンションを抑えるどころかそのままの勢いで稲穂をブンブンしだしちゃってるよ、その度に毒溜りはどんどん小さくなっていってはいるのだけれど、なんというかもうトランス状態と言って差し支えないレベルでリリアがハイテンションになっちゃってるわ。

「ティラーさんちょっといいかなー」

「いや俺には止められないと思うぞ?」

「あぁそうじゃなくて、リリアを引っ張って後退してもらっていい?」

「いや無理だろ……」

「あははははははは」

 もう、なんというかリリアが怖い感じになってきた。

「……仕方ない、リリアごめんね!」

 リリアのお胸のお肉をふにっと持ち上げると。

「……イネ、急に何やってるの?」

「うん、元に戻った。後はイネちゃんがやっておくからティラーさんたちのところをお願い」

「え、あ、うん……」

 状況が把握できていないリリアに引くように指示すると、イネちゃんはすっかり小さくなってイネちゃんくらいの大きさになった毒溜りにゆっくりと近づくと火炎放射器を構える。

「あ、あ、あ」

「うん、元々言語能力もあったのかな、でもあなたは休んでいいんだよ」

 毒溜りは明確な言語を持っていないとは思うけれど、何かを言おうとしている気がしたから会話してみたけれど……実際のところどうなんだろうね。

 まぁ生物兵器で命令を聞かせられないと本末転倒というか、ただの自爆を招いて滅びるフラグだから言語は学習させているんだろうけれど、ヌーリエ様翻訳がここでちゃんと機能しているかがわからないからなぁ。

『……イネちゃん、この人を終わらせてあげてください。このままだとかわいそうです』

 ヌーリエ様、今『人』って言った?

『はい、この子は元々人です。しかもまだ意識があるようで……生物兵器から戻すことはできるでしょうが、この人は既に精神が壊れてしまっているので……』

 なんというか、ムータリアスの闇を垣間見た気がする。

 そういえばマッドスライムも人を媒体として作ってたっけか、でも研究中みたいな感じだったけれど……。

「まぁ、いいか。毒溜り……いやこの人を休ませてあげないとね」

 そう言って改めて火炎放射器構え直して。

「今は火葬しかできないけど、ごめんね。本当はムータリアスの埋葬ができればよかったんだけどさ……おやすみ」

 語りかけるようにイネちゃんが言うと毒溜りがゆっくりと動きを止めて。

「あ、が、と」

 そう聞こえたと同時に、イネちゃんは引き金を引いて毒溜り……いや戦争の犠牲者は炎に包まれた。

「……最後、ありがとうって言ったのかな」

 本当のところは、この際どうでもいいか。

 ともかくずっと苦しんで来ていた人間が1人、ゆっくりと長い眠りにつけたってことだけは確かなんだし。

「お見事でした」

 そしてこの喜々として近づいてくるアルザさんである。

「……あなたはアレが元は人間だったと知っていたの?」

「どのような人物かは知りませんが、はい……生物兵器とは命令系統を安定させるためにその時代の軍人から志願者を募るものですから」

 ……反吐が出る。

 軍事目的のための致し方ない犠牲とかよく使われるけどさ、絶対その志願した人は寿命がなくなって半永久的に生き続けることになるなんて想像していないし、ましてや守りたかったものからも命を狙われるなんて考えてなかったはず。

 だからあの人の最後の言葉は、今から命を奪おうとしているイネちゃんに向かって残した言葉は『ありがとう』だったんだ。

『イネちゃん、この世界の人たちにとって今の反応が普通なんです。怒ってもいいですけれどぶつけるのは……』

 ……ヌーリエ様にマテをされてしまった。

 まぁ、制止されなかったらぶん殴ってる自信はあるから、ヌーリエ様が制止してきたのは正しいけどさ、これはすごくモヤモヤする。

 そしてリリアもヌーリエ様に同じことを言われたのかすごく複雑な表情をしてるのが見えるあたり、大陸の価値観とムータリアスの価値観の絶対的な差を今目の当たりにしたってところだね。

 遠からずぶつかっただろうけれど、今このタイミングっていうのはよかったのか悪かったのか判断に困るところだね……。

「まぁ、それがあなたたちムータリアスのやり方であるということはわかりました」

 そして下っ端にはそれが周知されてないだろうこともね、カカラちゃんはマッドスライムの件でちょっと引いてたし。

「ただイネちゃんたちは大陸のやり方でやらしてもらいますので、そこはあらかじめ理解と把握をしておいてくださいね」

「それはそうでしょう。そして友好的である限り私たちは敵対しないということも」

 今割とその友好的が揺らぎつつあるんだよなぁ、イネちゃんですら手が出そうになるあたり、ヌーリエ教会の教えで育ってきたリリアはもっとだろうし……。

「ま、今回は水源の毒は払った。後は浄化と整備をするが問題ないよな?」

 そんな様子を察したのかティラーさんがお話を進めだした。

「はい、しかし水源の量は有限ですので……」

「わかってる、イネちゃんもリリアちゃんも問題ないよな」

「……うん」

「イネちゃんもそれで問題ないよ」

 うーん、リリアのケアが今後重要になるか……ササヤさんやムーンラビットさんならこういう時でも飲み込むんだろうけれど、リリアはそのへん純粋だから。

「じゃあリリアちゃん、アルザさんを送って戻ろうか」

「わかった」

 うーん、イネちゃんとしてはリリアの静かな怒りが怖くて、イネちゃん自身の怒りゲージがもりもり減っていくのがわかる……今夜はリリアの愚痴を聞いてあげることにしよう。

 ヌーカベに乗りながら、イネちゃんはそんなことを考えていたのだった。

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