第224話 イネちゃんと聖人タタラ
「えっと、じゃあ何も技術はないってことかな?」
「寒村出身で兵士になれば母さんを食わせることができたんだ。戦う以外の技術なんて持ち合わせてねぇよ」
「寒村……農村の間違いじゃないのか?」
「水の少ない荒野に種を蒔いても芽なんかでねぇよ」
いや出るんじゃないかなと一瞬思ったけれど、この人の話しは異世界のお話なんだったと思い直してお話を続ける。
「木工とか石工もやってなかったの?」
「腕っ節だけだったからな、魔物を追い払うために剣と槍だけ練習してたんだよ。でも魔物に復讐する機会すらないから俺にはもう何もない」
「復讐って……」
「ティラーさん、そこは突っ込んだらだめ、察するの」
まぁ順当に考えれば兵士として雇われた直後とかに故郷が襲われてってパターンだろうね、気の毒だとは思うけど、自分の見た地獄や絶望をほかの人に押し付けるなんてバカバカしいとも思う。
「でもまぁ荷物運びはできるでしょ、そのへんの雑用からお願いできるかな。なんだったらムーンラビットって人に相談すれば技術教育も受けられるかもしれないし」
結構なお仕事を丸投げされているお返しに、この人の処遇を丸投げにするイネちゃんなのであった。
「ムーンラビットってあの魔族か?」
「あぁそれこの世界だと蔑称だからやめたほうがいいよ、少なくともそれを聞いてなんとも思わない人のほうが圧倒的に少ないから。そうなると待遇が悪くなっても文句言えないからね」
「じゃあなんて呼べばいいって言うんだ」
「普通に夢魔なら問題ないし、ムーンラビットさんなら案外サキュバスだの色情魔くらいまでなら許されるかもしれないし……まぁ無難なところで名前呼びじゃないかな、うん」
案外ロリババアまで許されるかもしれないけれど、イネちゃんはそれを口にする勇気はないのだ、目の前で思い浮かべるくらいはしちゃうかもしれないけれど。
「しかしイネちゃんどうする。俺たちは目下最優先の居住区域の整備担当だし連れて戻るなんて時間ですら惜しいくらいに時間が取られてるが……」
「それなら問題ないんじゃないかな。おーいキュミラさーん」
イネちゃんは上空を見上げて大きな声で最近姿を見ていないキュミラさんの名前を呼ぶと大きな影が1つ降りてきた。
「急になんッスか、っていうか今どういう状況ッス?」
「ひっ!?」
だるそうに現れたキュミラさんの姿を見て捕虜の人が短い悲鳴を挙げる。
「ん、誰っス?」
「捕虜の人、今朝脱走した。悪いけどこの人集会場まで連れて行ってくれないかな、持ち物検査……というか金属や石とかはイネちゃんが力で確認した感じ持ってないし、両肩を掴んで空輸すれば反撃もないだろうからさ」
イネちゃんのこの言葉に、キュミラさんだけでなく捕虜の人の表情まで変わった。
キュミラさんはなんで私がって感じの嫌そうな表情で、捕虜の人は絶望っていうのがよくわかる青ざめた表情だった。
「じょ、冗談じゃない!」
「む、私のほうが冗談じゃないッスよ、人を運搬するって結構な労力なんッスからね!」
「
「ハルピーはそのようなことはしないぞ」
2人のやり取りを呆れながら聞いていたら、イネちゃんの上に影が落ちてきた。
慌てて振り向くと岩肌のような肉体がそこにあって、上を見上げると見覚えのある顔、タタラさんが立っていた。
「きょ、巨人!?」
「いや人間だ。ヌーリエ教会の神官長を勤めさせていただいているタタラという」
「教会……異教徒である俺をどうするつもりなんだ」
「畑を耕し、種を植え、育った作物を食べさせるくらいしかできないが……あぁいや怪我をしているようなら治療もしてやれる」
タタラさんの言葉に捕虜の人が鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になる。
まぁ、異世界ってなんでもすぐ上の意向に反するものは死罪って勢いっぽいもんなぁ……生存戦争とかしてるならそういった権力というかイデオロギーというか、そんな感じのもので1つにならないといけない世界だったんだろうね。
「……立てそうにないな、イネちゃん、彼の拘束を解いてもらって構わないか?」
タタラさんが屈んで捕虜の人の状態を見てからイネちゃんにお願いをしてきた。
「いいですけど……大丈夫です?」
「あぁ、私も鍛えていないわけではないし、そもそも今のこの状況で更に逃げ出すようなこともないだろう。少なくとも、私たちの庇護下にあれば食うに困ることはないと理解しているようだしな」
タタラさんがそう言うと捕虜の人も首を縦に振る。
うーん、本当に大丈夫かなぁ……一応逃げ出そうとしてもイネちゃんが即応できるし、キュミラさんに頼めば嫌々ながらも捕まえてくれるだろうからここはタタラさんに従って外しておこう。
イネちゃんが力を使って捕虜の人の足を覆っていた岩を地面の中に引っ込めると、タタラさんが手を貸す形で捕虜の人が立ち上がった。
「すまない……」
「構わない、私のできることをしているだけなのだから。では集会場に戻るとしようか。彼は任せて構わないだろうか」
「え、あ、うん。ただこの人は石工技術を持ってないから運搬役にしようと思ってたから、なんだったらタタラさんのほうで農作業のお手伝いとかしてもらったほうがいいかもです」
「ふむ、ならばそこも含めて義母上と相談してみるか。私をここまで連れてきてすぐ、義母上は逃げ出したものを捕まえると言って行ってしまったから集会場に戻ってもいないとは思うが……」
そう言ってタタラさんは困った顔をする。
「なんだったらリリアに顔を見せてあげるのはどうですかね、この人はリリアのお手伝いでもいいですし……」
正直、イネちゃんたちのほうに来てもらっても運搬するものがものだけにあまり役に立つか怪しいところだからね、それなら確実に活躍できそうな場所に行ってもらったほうがいい。
「あぁいやもう戻るっぽいッスよ、なんか魔法で大量の人を浮かせて集会場に向かうムーンラビットさんを渡りさんたちが確認したみたいッス」
「む、もう戻られたのか。さすがは義母上だ」
キュミラさんがなんだか焦点が合ってない感じにみょんみょん呟いたと思ったら通信だったのか……そしてタタラさん、多分さすがとか言ってはいけない気がするよ、ムーンラビットさんが超速で終わらせたってことは割と生臭いことになってそうだし。
案外、イネちゃんたちとエンカウントしたこの人は幸運だったのかもしれないとイネちゃんが感じていると、ティラーさんが話しかけてくる。
「1度戻ってもいいんじゃないか、今戻ったところでそれほど時間がかかるわけでもないし、脱走者が全員捕まったのなら人手が確保できるかもしれん」
「んーその提案は割と魅力的だけどイネちゃんはいやーな予感がするのでこのまま作業場に行きたいかなって。それにどちらにしてもイネちゃんの作業は、ね?」
人手があっても結局イネちゃんが掘らないと先に進まないからね、その後の家具搬入とか立て付けとかになれば確かに人手が欲しいけど、それまでは完全にイネちゃんぼっちな作業なのが悲しい。
「それじゃあ俺は1度タタラさんと戻ろう、人手が確保できればイネちゃんの手伝いを早くできるからな」
「ティラーさん……」
見た目がヒャッハーじゃなかったらすごくモテるだろうに……。
ヴェルニアに居たときにキャリーさんたちとそれっぽい話しになったときに、ティラーさんはないかなと皆一致してたから、多分大陸でもモヒカンって女子ウケしない髪型なんだと思う、キャリーさんたちはヨシュアさんが理想っぽいからあまり参考にはならないかもだけれど、ちょっと勿体無い感じはするよね。
「しかし今から耕して種を植えるなんてしてたら明らかに間に合わないだろ、食わせてもらえるのはいいが結局できませんでしたと言われないか不安なんだが」
今まで勢いに流されていたからかようやくその疑問にたどり着いた捕虜の人が落ち着いた感じにタタラさんに聞く。
まぁ、もやしや豆苗が異世界にあるかはわからないけれど、そのくらい成長の速い植物だって3万人の胃袋は満たせないだろうって思うもんね、この捕虜の人の疑問は大変よくわかる。
「そうか、ヌーリエ神官の自然魔法のことを知らないのか。異世界から来たばかりなら当然であった、すまない」
タタラさんはそう言って、懐から稲穂を取り出し、種として地面に植えて手をかざし。
「恵みよ……皆に分け与え給え」
タタラさんが呟くと種が植えられたところが少し光、見る見るうちに立派な稲穂へと成長した。
「き、奇跡……いやでもこんな奇跡は見たことがない……」
「奇跡か……ヌーリエ様にお願いして大地の恵みを貸していただいているだけなのだが、なる程、見ようによっては奇跡と言えるのか」
ふむ。とタタラさんがまとめると、捕虜の人は呆然とした表情になった。
気持ちは大変よくわかるけれどちょっとオーバーだなぁ、日本の人も最初は驚いたみたいだけどイネちゃんはあまり驚かなかったんだよね、元々大陸出身だからかな。
「もしかして王はこの世界のことを以前から……」
ん、捕虜の人が何か呟いたけど……帝国じゃなかったっけ、降伏勧告をしてきた人は皇帝だのなんだの言ってた気がするけど。
「では戻ろうか、土の様子も見なければいけないしな」
イネちゃんの疑問は、今解決することはなかった。
タタラさんが捕虜の人とティラーさんを連れて集会場に戻っていくのを、イネちゃんは見送ってから作業場に向かったのだけれど……なんだかモヤモヤする。
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