第223話 イネちゃんと脱走者
「えー本日は残念なお知らせがありまーすー」
ムーンラビットさんがいつもとは違う感じのすごくだるそうな口調で皆を集会場に集めていた。
「本日、急造した野営地から50人くらいが逃げ出しまーしーたー」
あぁやっぱり間に合わなかった……、異なる文化圏に侵攻をしたってことは相手がどう動くのかわからないってことでもあるしね、そういう時って大抵の場合自分たちがやる行動を前提にして動くから、多分ひどいことになるって思った人が全力で逃げ出したってことなんだろうね。
「そういうわけでギルドの冒険者には追撃……っていうか周辺の人里に行って警戒を促すのと、場合によっては防衛をお願いしたいんよ。これはギルド長と話しはついてるし、新規依頼として出すから報酬のほうは安心してええからねー」
よく見るとムーンラビットさんの後ろ、部屋の扉が少し空いているけれど、その隙間から逆さ吊りにされた夢魔のお兄さんの姿がちらっと見えるけれど、なんというかちょっとお見せできない感じになっているように思えるので気にしないでおこう。
「その間少々手薄になる分は管理職の我々が穴を埋めるから安心してくれ、ハッハッハ」
「そんなわけで他が多少手がまわらなくなるが、大陸にとっちゃ今この場が最前線と言ってもええからな、私はタタラを連れてくる予定だから少し席を外すことにはなるが、半日で戻ってくるんでその間、まーた逃がすことの無いよう頼むんよー」
夢魔の人たちが今のムーンラビットさんの言葉にビクンって身体を震わせた。
あぁうん、気にしないで置いたけど今もチラチラ見えてる夢魔のお兄さんがやらかしちゃったわけだね。
しかしまぁ50人脱走かぁ……普通に考えればすごい人数だけれど、そもそも捕虜が3万人もいるんだから出ないほうがおかしいとも言えちゃうのがイネちゃん複雑になるところである。
「というわけでイネ嬢ちゃんは早く施設を作ってくれたら嬉しいんよ、あの子……ヌーリエ様からの提案もあってゴブリン被害にあった土地にも山を削った時に出た資材で収監施設を建造することにもなったし、3万人全員入れなくてもええけど、それでも早めにやって欲しいんよ」
「そこはまぁ、遅れるとまた脱走者が出ちゃうと思うし、頑張るけど……家具の取り付けとか、そもそも家具が無いのが問題だと思うかな、むき出しの岩床に雑魚寝とかそれもそれでストレスだし」
お父さんたちでも数日で嫌になるって言ってたしなぁ、任務ならやるけどとも言ってたけど。
「そのへんもまぁタタラが来てからやね、タタラ、あいつ農作業以外にも結構多趣味やし家具とかも作れるやろ、多分」
いや多分ってのはいらなかったかな、うん。
でもまぁリリアがツッコミいれないし、最低限のものは作れると思ってていいのかな……ムーンラビットさんも一応は身内なわけでそこまでデタラメなこと言わない……よね?
「んじゃ今朝の緊急連絡はここまで、作業に戻ってくれなー」
へーいというだるそうな声と共に集会場から各々の作業場所へと戻っていった。
……ん、ちょっと待って。今イネちゃんたち、全員ここにいない?
「ムーンラビット様!捕虜が村の中に移動してます!」
イネちゃんの不安が的中というかここまですぐに考えた事案が発生するとある意味で爽快感がなくもないね。そんなもの欲してなかったけど。
「あぁうん、全員ここで集会してたかんな。んじゃ逃げた連中をとっ捕まえようかねぇ」
「婆ちゃん!わざと逃がしたの!?」
「そういう考えを持った連中は昨日のうちに把握しておいたかんな、村にしか逃げられないように移動させておいたんで大丈夫よー」
「ムーンラビットさん、わざとでしょ……」
「意図せず逃げられるよりはってな、こっちが想定しやすい逃走ルートを使ってくれるように誘導してやったほうが楽やろ。最初っから満遍なく隙のない監視なんて不可能やったわけだし、ガス抜き感覚でこうしてやったほうがお互いのためよー」
「ちょっとリスク高くないですかね……」
まぁ村人さんがシックに避難していて、今この村にいる非戦闘員はリリアと渡りハルピーさんだけだからってことなんだろうけれど、ちょっと大胆すぎてイネちゃん怖い。
「んじゃ私は脱走者の捕縛してからタタラを呼んでくるんで、イネ嬢ちゃんは引き続き洞窟掘りお願いな」
「あ、はい……あぁでも作業場に向かう最中に脱走した人を見つけたら捕まえておいていいよね?」
「ええよー、いっそ懲罰的に作業を手伝わせるのもありよー」
そう言いながらムーンラビットさんは手を振りながらふよふよと村の中へと姿を消した。
しかしながら懲罰を与えていいと言われても、イネちゃんはどのくらいの加減で科していいのかわからないし、そんなふうに言われても困るのだけれど……。
「ムーンラビットさんはもう行っちゃったし、仕方ないか……ティラーさん行こっか」
「なんだかわからないがイネちゃんが納得できてるなら問題ないか、そうそうないだろうが向かう最中に捕まえられればいいな、俺の作業的にも」
ティラーさんは手伝わせる気満々だなぁ、まぁ慣れてない石工のお仕事だもんね、イネちゃんが作業の合間に見たティラーさんの仕事っぷりってお世辞にも素晴らしいとは言えないし、贔屓目で見て普通くらいだからね、普段斧を使ってるのも細かいことがあまり得意じゃないとか言ってたからなぁ……実のところ斧って結構繊細な武器だったりするけど、まぁいいか。
ともあれリリアからお弁当になるおにぎりを受け取ってから作業場に移動する。
何事もない平和な日常というか、平和な旅にならないのはイネちゃん呪われてるんだろうかなぁ、割と身内がこの辺を弄って色々引き起こしている気がしなくもないけれど、多分気にしてはいけないのだろうね、うん。
とどうでもいいことを考えているところに事件が舞い込んでくるもので……。
ドンっという衝撃を受けて、完全に油断していたイネちゃんは押される形で尻餅をついてしまった。
とはいえ尻餅をついた痛みは殆どなく、勇者の力はちゃんと機能しているようで倒れたのはイネちゃんが意図的に足と地面をくっつけてないからというだけ……なんだけれども装備分の重量で質量の差があまりなかったのか、イネちゃんにぶつかった相手のほうも尻餅をついていた。
「おいおい気をつけろよ……ってこいつは……」
「クソっ、敵陣ど真ん中だからってもう見つかるなんて!」
まぁうん、こうなるよね。
イネちゃん、こういう厄介事を引き込む体質だったりするのかな……そうだとしたら割とゴブリン被害にあったのはイネちゃんが原因じゃないかとか思えてくるからやめて欲しいんだけどなぁ。
とりあえずイネちゃんは接地面が多いので力が使いやすいし、地面から岩を展開させて相手の足を動けなくする。
「な、なんだ!?」
「悪いけど拘束させてもらったよ、一応確認は取るけれど今朝脱走した人で間違いないよね」
「違うと言ったら自由にしてくれるのか?」
「まぁこっちの持ってる情報と今の状況だとそれは無理かな。最もそういう返答をしたということは肯定と取って問題ないよね」
笑顔で言うと、相手は下唇を噛んで静かになった。
「殺せ、脱走して捕まったんだ覚悟してる」
まーこうなっちゃうか、でも異世界の軍事常識では脱走者はその場でっていうのが基本なのかな。
こうなってくると人道とかいう言葉もなさそう、あってもごく一部の宗教家が口にしたりする言葉で深く意味を理解していないか、理解してても実現なんてしない絵空事……世迷言のほうが相手さんのほうにはしっくりくるかも。
「なんというか命を大事にしない奴はーとか口走りたい気分だけれど、それを言うと後々問題になりそうだから飲み込んで、こっちの言葉を言うよ?捕虜は殺さずにちゃんと拘留するから安心して。まぁ技術があるならちょっとお仕事とかしてもらうかもしれないけれど、これも拒否権はあるっちゃあるからあなたの権利は確認したくなったらその都度聞いてくれたら嬉しいかな」
お父さんたちから聞いたことのある権利の呼び上げ?だっけ、そんな感じの内容を伝えると何を言っているのかわからないという顔をされた。
権利だの言われても困るレベルの世界なのか……いやまぁ文化レベル次第では無意味なこともあるともお父さんたちから聞いた事があるから、今まさにそういう状態なのかな。
「仕事って……どうせ盾になれとかだろ。拒否権があるだのなんだの言って乗り気にさせて騙す気なんだろ」
「疑心暗鬼になってるところ申し訳ないけれど、こちら側は今言ったとおりあなたの人権は尊重する気満々だからね。ただまぁ収監する施設がなかったり、食べ物に関しても今村にある分だと切り詰めないと全員食べさせるのは不可能だから不便を強いてもらってるけれど、少なくとも食べ物の方は解決のめどが立ちそうだしもうちょっと我慢してくれないかな」
あ、また口を開いたまま固まった。
「今は人手不足でまともに建築も食糧生産もできてないだけだから、徐々に解消されていくから、ね?」
まぁこんな感じに相手に色々話しつつも、イネちゃんが今考えていることは、この人が石工技術持ってたらいいなーとかなんだけどね。
せめてティラーさんの家具作りを手伝ってもらえたらすごく助かるのになぁとか、ちょっとお腹空いてきたなぁとか、割とイネちゃんの中では緊張というものはまるでない。
一方チラチラ横目に入ってくるティラーさんは結構緊張しているみたいで、周囲を警戒するような素振りをしてる。
まぁ脱走した人がこの人だけってことはないし、他に仲間がいれば今のイネちゃんは襲うには絶好の機会に見えるからね、そっちのほうが後々楽になるけれどティラーさんの行動は正しいからイネちゃんは何も言わないし言えないよなぁ、ダメージを受けないイネちゃんがそういうところおなざりになってるだけだし。
「……本当に飯を保証してくれるんだろうな」
む、なんか嫌な予感がする。
これは……。
「それを証明するために今ここで何かを食べさせてくれないか。昨日殆ど食べていないんだ」
ですよねー……。
今イネちゃんの手持ちはリリアからもらったおにぎりだけなんだよなぁ、まぁ3つあるから1個挙げてもいいんだけどさ、問題は中の具材なわけで……。
リリアのことだから飽きないようにって絶対別の具で作ってるだろうから、イネちゃんの好きな具材を提供してしまったら、イネちゃんは泣くしかないのだ。
「ふん、やはりできないんじゃ……」
「いいよ、でも1個だけにしてね?」
イネちゃんはそう言っておにぎりが3つ包まれた風呂敷を広げながらゆっくりと目の前に差し出した。
相手は驚きながらも1個、おにぎりを取って口に運び……。
イネちゃんが泣くことが確定したのだった。
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