第76話 イネちゃんと本気のムーンラビットさん

「領主様、この決起は今の閉塞的な世界を壊すという目的もあるのですから、現在の世界の支配者側と仲良くなられては困るのですよ」

「リーグ将軍、一体何を言っている……」

「おや、まだ生きていらっしゃる。まぁ時期に毒が回るでしょうからご安心してお亡くなりください、軍は私が引き継いでしっかりと目的を果たしますので」

「な、何を……」

 優男さんが口から血を吐いたところで、ムーンラビットさんが動いて落馬した優男さんの横に降りて、優男さんをヌーカベの背中に向かって投げた。

「リリア、治療お願いねー。ササヤが干し草とか色々積み込んだと思うんで、それ使ってなー。イネ嬢ちゃんはマッドスライムが出てきたら発砲許可するんで、援護よろー……キュミラ嬢ちゃんはヴェルニアまで行ってギルド経由で報告頼むんよー」

「わかったッス!さっさと離脱するッス!」

 イネちゃんとリリアはあまりに急速な場の流れについていけずに、今の指示に慌てて反応を始めたのに、キュミラさんはこういう時凄いね、ぶれないでチキンっぷりのおかげで即応できた感じだけど、なる程、キュミラさんの的確な配置ってこういう感じなのか。

「あのハルピーを撃ち落とせ」

 まぁ将軍さんも当然阻止に動こうと指示を出すけど、今の一部始終を見ていて周囲の兵も混乱しているようで誰も動かない。

「まったく、私の手勢を分散配置したのは失敗だったか。私がやるしかないな」

 そう言って馬上弓を取り出してキュミラさんを狙ったところで、イネちゃんは反応して銃を抜いたけれど……。

「させんよ、元魔王軍幹部でヌーリエ教司祭を舐めすぎなんよー」

 ムーンラビットさんが指パッチンすると空気が震えて弱い雷が出て、将軍さんの弓を破壊した。

「まったく、邪魔をしないで頂きたいのですがね」

 それと同時に将軍は手をあげると、ヴェルニア側から矢が飛んできて。

「ひゃぁ!怖いッス!怖いッス!」

「キュミラさん!?」

 当たりはしなかったようだけど、どうやら将軍さんの手勢がキュミラさんの進路にいたらしく今のでキュミラさんの速度と高度が少し落ちてしまった。

「イネ嬢ちゃん、アレを使うのは許可しないけれどこの将軍君の無力化を頼むんよ、モヒカン君も手伝ってあげてなー」

「も、モヒカン?」

 ティラーさんがモヒカン呼称に驚きつつも素直に従ってヌーカベから降りようとするのを見て、イネちゃんも装備を確認してから降りる。

 P90とスパスは、まぁマントに固定してたし、ダネルさんもちゃんとある。ファイブセブンさんも太ももに固定しているからいいんだけれど……M25に関してはどうしよう、距離的にも威力的にも絶対必要ない……よね?

 いくら軽量化の魔法がかかっているとは言っても、重量を0にするわけではないのだから多少軽くするのはいい、それならダネルさんも置いていくべきだけど、マッドスライムが群れで出てきた場合はスパス以上に重要な武器になるからそのまま持っていく。

 そんなことを考えて、マントの左側に保持していたM25を優男さんを治療しようとするリリアの横に置いて。

「じゃあ、リリアも気をつけてね……って言っても難しいか、ともかく重要そうだし治療、頑張ってね」

「イネの方こそ気をつけてね、私は治療に集中しないといけないから……ばあちゃんも皆のことを……」

 とリリアが言いかけたところで、ムーンラビットさんの足元からマッドスライムが出てきて抱きついた。

「おぅ、流石に非生物に抱きつかれるのは好みじゃないんやけどな……肉体も溶けるし」

 むしろなんでそんな冷静なのかとツッコミたくなるけれどそれどころじゃない。

 ティラーさんも反応して持ち手も全部金属の斧でマッドスライムに殴りかかるけれど、有効打にはならないみたいでムーンラビットさんを完全に取り込もうとしている。

「ふん、生物である以上マッドスライムに奇襲されれば司祭だろうがこうなるのか。これは有意義なデータを得られたな」

「あ、こいつあんたらもマッドスライムって呼ぶんね。だったら覚えておきなーこいつヌーカベの毛皮までは溶かせないみたいやから、結局ヌーリエ教会を敵に回すのは無理やと思うけどなー」

 いやムーンラビットさんは本当なんでそんなに冷静なの?溶かされてるんだよね?

 イネちゃんが慌てて降りようとしてヌーカベの毛を掴んで、体を外のほうに持っていこうとしたところで、リリアの冷静な表情が確認できた。

 そういえば実の祖母が溶かされてるのに悲鳴の1つもあげてないよね、リリア。

「……とにかくムーンラビットさんの援護をしに行く、リリアは降りないでね」

 それだけ言ってヌーカベから降りて、さっきムーンラビットさんが言ったように将軍さんに向かって飛びかかる。

 なるべく奇襲の形になるように降りたと同時に優男さんの乗っていたお馬さんの下を潜って、その勢いのまま下から脇を抱える形で後ろに周り、空いているほうの手でナイフを抜いて将軍さんの首に当てる。

「とりあえず、動かないでね。後あのマッドスライムを早く大人しくさせて」

「それはできないな物騒なお嬢さん、あれはまだ不完全でね、命令も簡易的なものしかできず、撤退命令を出すとその場で地面に潜ろうとするのだよ」

 つまりムーンラビットさんは離さないということなんだろうか。

「捕まえている人を離せとかは」

「獲物を捕食中の動物に喰うのをやめろと言って、やめると思うかい?」

 それは……無理だね、よほど調教されている動物さんでも難しいと思う。

「ともあれ私を解放してくれないかね、離してくれれば君たちと兵の安全は保証させていただくのだけれど」

「……ヴェルニアを包囲していた理由もわからないのに離すと思う?」

「なる程、最もだ。今君たちの庇護者を殺したわけだから尚更だな」

 ここで少し違和感を感じた。

 いくら軍人で、それ相応に暗殺とかをされかねないだろう地位の将軍さんと言っても首元にナイフを当てられてここまで冷静でいられるんだろうか。

 なんだかこの場はおかしいくらい冷静な人ばかりで、イネちゃんどうしたものか悩んでしまう。

「まぁここで捕まってあげてもよろしいのですが、少々計画に支障が出てしまうので騒ぎを起こして逃げさせていただきますよ」

 将軍さんがそう言ったと同時に、いろんなところから叫び声が聞こえてきた。

「ば、化物だ!」

 そんな叫び声が聞こえた場所を、目だけ動かして確認するとかなり大きいマッドスライムが複数匹確認することができた。

「さて、犠牲者を少なくしたいのなら私なぞ逃がしてさっさと対応しなければならないだろう」

 うわ、こういう人は始めてだ。

 仮にも自分の味方を犠牲にしてって徹底的な利己主義なのか、ただの現実主義リアリストな冷徹な人なのか。

 少なくとも自分の目的のためだとか言ってたからどちらとも取れるけど、今の状態でイネちゃん以外にアレをなんとか出来そうな人がいないのも事実ではある気がする。

「さぁどうする、私を逃がして命令に従っただけの兵を助けるか、私をこのまま捕らえて兵たちを見殺しにするのか」

「……イネちゃんはね、こっちの世界の広さを知る機会はほとんどなかったけど将軍さんみたいな悪意が強い人もいるって始めて知ったよ」

「それはお嬢さん、教会のぬるま湯にしか知らなかっただけと思いますよ。さぁ、どうするのです!」

 将軍さんが強い語気をイネちゃんにぶつけた直後、不思議なことが起こった。

『んじゃあんたを捕えたままアレを駆逐すればええんねー』

 ムーンラビットさんの声がこの周辺一帯に広がると同時、マッドスライムが地面からの雷に打たれて地面に溶けていくのが見える。

『はい、奥の手はこれだけかね、将軍閣下殿?』

 その声と一緒に、ヌーカベの上に半透明のムーンラビットさんが浮かび上がってきた。

「な……これは……」

『何なんだこれは、一体何が起きているのだ。かい?簡単なことなんだけどねぇ、貴族なら歴史のお勉強、または復習ってところで分かりそうなもんなんやけど』

 ムーンラビットさんはそう言って将軍さんの頬に触れると、将軍さんの体がビクっと震えて体温が一気に上昇した。

『私は純粋な夢魔でな、物理的な肉体のほうがおまけなんよ。サキュバスっていう種族をしっかりとお勉強してればわかるもんなんやけど……まぁ今となっちゃ関係ないな、んじゃあんたの手勢もまとめていい夢見て寝んねしなー』

 その言葉が終わったのとほぼ同時に、将軍さんの体から力が抜けて、将軍さんを拘束していたイネちゃんも一緒に馬から落ちた、痛い。

『さてと、んじゃ決着ついたんで包囲軍の連中はヴェルニア復興に力を貸すか、故郷に帰りなー。足元からマッドスライムが出て来るかもしれんから十分に注意するんよー』

 と今度は指揮官レベルが全員いなくなったことを兵士に知らせて、解散するように指示を出してからイネちゃんたちのところまで半透明の体で来て。

『じゃあ私達は一旦ヴェルニアに入ろうか、私も肉体再生成しときたいし。あ、その首謀者は簀巻きにして連れてきてねー』

 それだけを言ってムーンラビットさんはそそくさとヴェルニアのほうへと飛んでいった。

 いやまぁ将軍さんを拘束するのはいいんだけど、落馬した時にどこか痛めたみたいで、特に左腕が少し鈍い痛みを感じている。

「大丈夫かイネちゃん……って大丈夫そうには見えないな、腫れてやがる。こいつの拘束は俺がするから、イネちゃんはリリアさんに頼んで応急処置してもらいな」

 ティラーさんが将軍さんを持ち上げて、イネちゃんの左腕を見てからそういった。

 その言葉でまず、イネちゃんは自分の左腕を見るとひと目でわかるレベルで肘辺りがどす黒い感じのアザのついでに腫れているのがわかった。

 そしてこういうのは安全な状態で認識すると痛みが一気に増してくるわけで……。

「いっ…………」

 叫ぶ余力もないくらいの痛みを感じて倒れたところで、ティラーさんのイネちゃんを呼ぶ声だけが聞こえた。

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