第75話 イネちゃんと突撃、隣のヴェルニア包囲軍

「はぁ、流石に全軍をとは思っていなかったのね。それならそれで早く、はっきりと言ってください」

 2発目のボディブローが入ったところでムーンラビットさんが指揮官周りだけと言ったことで、ササヤさんが呆れた顔で体勢を戻した。

「い、いや……これ、私じゃなかったら死んでるんよー……」

「だって母さんはこれくらいやらなきゃ止まらないじゃない。それに母様以外にはこういうのはやらないから安心して」

 第三者から見ると、結構えげつない音が出てたのでやらなくても怖いですよ、ササヤさん。とは流石に口に出して言えない……。

「いや、第三者から見れば十分怖いからね、母さん」

 さすが娘というべきだろうか、リリアが皆の思ったことを言うとササヤが不思議そうな顔で。

「え、そうかしら……頼りがいのある、とかじゃなく?」

 いや流石に恐怖が先に立ちます。

 リリアだけじゃなく、周囲にいたイネちゃん含めた全員が首を縦に振るとササヤさんは。

「……難しいものね、もっと力加減を修練すべきかしらね」

 そう言いながらも、リリアが連れてきていたヌーカベにいくつか大きいバッグを下げ始めた。

「ともあれヌーカベで近寄れば、指揮官だけというわけには行かないでしょう。全軍となれば流石に止めようと思うけれど……母様は犠牲者0を目指すのかしら」

「最初からそのつもりなんよー」

「魔王軍再来と呼ばれない程度なら、娘としては黙っておくわ。不肖の弟子も今動いているでしょうから、母様たちが無理をする必要は無いということも覚えておいてくださいね」

「おうよ、とりあえず順序を間違えた連中に教育を施す程度にするから安心するんよ、わが娘よ」

「はぁ、孫とその友人を言い訳のために連れてくる点は娘として教育したいけれどね」

「と、ともかくよ。それは帰ってからな!ほら、リリアにイネ嬢ちゃん……とおまけ2人も早く乗るんよー」

 なんだか口を挟む余地が無い流れで、イネちゃんたちはヌーカベに乗り込んだ。

 いやぁ、本当にこれイネちゃんたちおまけだね、うん。

 装備はしっかり整えてきたものの実際出番があるのか怪しい所な気がしている辺り、この飄々とした司祭様の言動は力強いものがある。

「と、ケイティお姉さん、行ってきます」

「え、えぇ、行ってらっしゃい」

 そう言って手を振ろうとしたところで……。

「んじゃまずは領境まで飛ばすんよー」

 というムーンラビットさんの声とともに、ヌーカベが走り始めてすぐに町の外に出てしまった。

 ……というか全速力をだしたのか、既に森と湿地帯の境に到着していた。

「ば、ばーちゃん!全速力を出す必要なんてなかったでしょ!」

「いやぁ、私達がヴェルニア向かっている情報が広まる前にと思ってな」

 それってケイティお姉さんがってことなのかな……、まぁムーンラビットさんからしたら同じ中立とはいえ傭兵も所属しているギルドに情報が渡るのはって考えたのかもだけど、少し複雑な気持ちになるね。

「キュミラ嬢ちゃんが盛大に空を飛んで居場所を知らせちまったかんな、ここは急ぎ一択なんよー」

 あ、そっちか、キュミラさんには悪いけどよかったっていう安堵感。

「う、私が原因ッスか……申し訳ないッス」

「いや、何も悪いことばかりではなかったけどねー。ヴェルニアの現状を把握できたわけやし、教会とギルドは連携してるって言っても情報伝達に難があって、最新情報は今ギルドにしかなかったんよー」

 なる程、こういうのをなんて言うんだっけ、えっと……怪我の功名?

「でもここからどうするのさ」

 イネちゃんが少し考え事をしていたら、リリアが次の動きを聞いていた。

 確かに、ヌーカベで突撃はしないんだったらここからどうするのかってお話だよね。

「ん、正面から堂々と歩いていくんよ?ヌーカベに乗ったままだけど」

 それは、作戦なんだろうか。

「なんだったらイネ嬢ちゃんとキュミラ嬢ちゃんには包囲している連中の中に偉そうなのがいないか探してもらいたいけどな、最短で向かえるに越したことはないし」

「いや、でも悠々と歩いている最中に攻撃されたりするんじゃ」

「イネ嬢ちゃん」

 疑問に思ったことを質問したら、強く短く、名前を呼ばれて口を紡ぐ。

「大丈夫、こいつは伊達にヌーリエ教の神獣じゃないんよ」

 すごく抽象的な答えで返ってきた!

 ……いや、ある意味具体的なのかな。

 ヌーリエ教会の神獣を攻撃するってことは、明確にヌーリエ教に対して敵意を向けるって意思表明と捉えられるし……。

「万が一攻撃されたところで、こいつの毛皮で攻撃のほとんどは無力化できるから心配しなさんな」

 割と、いやかなり直球的な内容だった。

「最悪私が守るから、大丈夫よー。1つお願いするとするなら……イネ嬢ちゃんの持ってきたその武器は使わんでな、犠牲者0が前提なんで。そいつだと死者0ってのは難しいじゃろ」

 イネちゃんがえーって感じの表情になったところで、銃を使わないように釘を刺された。

「え、でも……」

「不安になるのはわかるけどね、まぁ全責任は私が取るんよ。ここにいる全員傷つけさせはしない、傷が付いちゃったら……1ヶ月ほど人参を我慢するんよー」

「いや、それは釣り合い取れて……」

 ないんじゃ。とイネちゃんが言い終わる前にリリアが驚愕した感じで割り込んできた。

「そ、そんな……ばーちゃんが人参を我慢するだって……」

 あ、それほどのことなんだ……。

「と、いうわけで事態が予想外な方向に動かない限りは私に任せてなー」

 予想外っていうのが何を指すのかとも思ったけど、わかっていたら予想外でも何でもないと思い、渋々首を縦に振って流れを見守ることにした。したのはいいんだけれど……。

「ぬ、ヌーカベだ……」

「おい、貴族相手の革命って話じゃなかったのか!」

「おっかぁ、許してけろぉ……」

 先ほどまでの心配が全部杞憂なレベルで、包囲していた軍がイネちゃんたちの進路上から率先して退いている。

 それどころか完全に戦意喪失する人までいるみたいで、時折自害しようとする人相手にムーンラビットさんが魔法をかけて阻止までしている。

「で、指揮官ってどこにいるん?ちょっとお話したいんやけどー」

「オーサ側の門のほうです……あ、あの、私達はヌーリエ教会からどのような扱いをされてしまうのでしょうか……」

 随分あっさりと教えてきちゃった、ヴェルニアを包囲している軍の士気は元々高くなかったのかな、ヌーリエ教会の権威とかが高いだけって可能性も高いけど。

「ん、別に扇動された上にまだ何もしてない連中にゃ何もする気はないんよー。まぁドンパチ程度ならまだしも、略奪しちまった部隊とか、あんたらを扇動した貴族には相応のことをしてもらうけどねー。それと指揮官の居場所教えてくれてありがとうねー」

 ムーンラビットさんがそう言うと周囲にいた兵士は安心したのか、武器をおいて祈り始めた。

「ま、いこうか。あんたらも戦う気がないのなら帰りなー、帰りにくいっていうなら一度シックに行くとええんよ。なんだったらトーカ領で今開拓中の町があるんで、そこの教会を頼るとええんよ」

「ちょ、ばあちゃん!そんなこと言って大丈夫なの!?」

「まぁ怒られるだろうけど、ヌーリエ教会としては正しいからまぁへーきへーき」

 かんらかんらと笑うムーンラビットさんにリリアはため息をついて頭を抱えている。

 でもムーンラビットさんってイネちゃんたちからみたら破天荒というか、めちゃくちゃだったりするけれど、しっかりするところは抑えているし、こういう皆を引っ張る力はすごく強い。

 本当、この人の底が見えない感じはちょっと怖いけれど、基本的には人が好きなんだろうし、今までの言動でも一度も悪いことにはならなかった気がする。

「ん、あいつかね、装飾鎧に馬にも鎧……あれが影武者だったら臆病者どころじゃないねぇ」

 ムーンラビットさんの独り言のような言葉を聞いて、向かっている先を見てみるとなる程確かに、豪華絢爛という言葉がふさわしそうな、どことなく頼りなさそうな顔をした優男が馬上からヴェルニアのほうを見つめていた。

 周囲の人たちがこちらに気づいたようで、慌てて優男さんに知らせるとこちらを見て、かなり驚いた表情をしていた。

「よし、あんたらは手を出すんじゃないんよー。口は挟んでもええけど、感情的なのは止めるからねー」

 指揮官と思われる集団と会話ができる距離まで近づく前に、ムーンラビットさんはイネちゃんたちに釘を刺した。

 話し合いで問題が解決できればそれに越したことはないし、それなら感情的になったほうが不利になるのはわかるけれど、ちょっと子供扱いされてるんだろうなと感じてしまう。そう感じることこそが子供なんだろうけれど。

「やぁやぁ包囲軍の皆さん。私ヌーリエ教会のほうから来ましたものですが。どうして包囲をなさっているんでしょーか」

 そしてムーンラビットさんのこの詐欺師っぽさである。

「き、貴様!神獣に乗っていればヌーリエ教会の人間だと無条件で思うわけじゃない、名を名乗れ!」

 こればかりはあちらさんのご意見が最もだと、イネちゃん思うな!

「これは失礼、私、ヌーリエ教会司祭のムーンラビットって言うんよー。貴族の皆々様方には元魔王軍のと冠を変えたほうが伝わりやすいかもしれんけどねー」

 そう言った直後、指揮官さんの周囲にいた人たちがざわついた。

 そういえばイネちゃん、ムーンラビットさんの言う魔王軍云々のお話は詳細知らないんだよね、こっちの世界の歴史とか調べればすぐに出て来るんだろうけど。

「じゃあもう一度聞くんよー、あんたらはなんでヴェルニアを包囲したりしてるん?」

「……貴女が本当にあのムーンラビット様なら、私の心を読めば良いでしょう。あなたの能力なら容易いと思うのですが」

「本人の許可が降りたんでそれじゃあ遠慮なく……」

 その短いやり取りをしてから、ムーンラビットさんの目が深紅に輝いて……。

「……いやぁこれは危ない。思考トラップ仕掛けてあんじゃん」

「まさかこの程度のトラップを掻い潜れないのですか、本物でしたら容易に突破できると思うのですが」

「いやいやいや、本物だからこそ、強引に突破したらやべーことになるんで止めたんよ。これでも私ヌーリエ教司祭の地位なんでねぇ、下手を打たなくても廃人にしかねない行為は避けるんよー」

 ここで少し間をあけてから、優男さんとムーンラビットさんは突然笑いだした。

「なる程、貴女は確かに本物の、あのムーンラビット様のようですね」

「ここまで露骨に私を試そうとしたのは珍しいんよー、それじゃあ目的とかは話してくれるんかね」

「そうですね、私は本来今回の決起には懐疑的でしたし……」

 優男さんがそこまで言ったところで、横にいた側近っぽい人が、優男さんを刺して……優男さんが落馬した。

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