scene78*「一人遊び」
最近、冷たいって思うのは私に魅力がなくなったから?
ときめきなんて、私だって欲しいのよ本当は。
【78:一人遊び 】
何年も付き合ってきて同棲までしちゃって、何となくそろそろ結婚したいかな~なんてお互い思いつつ、まだこのままをもうちょっと楽しみたいかなって思っているのも本当で。
それなりに仲良しなんだけど、マンネリ?熟年感?すっかり慣れた間柄の私たちにある最近の空気はまさにそれ。
私は二人掛けのダイニングテーブルにつき、読んでいた雑誌から目線を外して朝からずっと甲子園の中継にかじりついている彼氏を見た。ソファから微動だにしない姿に、よくもまぁずっと同じ体勢でいられるなぁとある意味感心してしまうほどだ。
もちろん私の事なんかおかまいなし。
だから私だって、彼氏のことなんておかまいなし。
時計を見たらもうお昼すぎをさしていて、お腹がちいさくきゅるると音を立てた。
休みの日なんて大して活動していないのに、規則正しい体はすごい。あまり必要のないカロリーを摂るおかげで太ってしまう一方だ。
朝はパンだったから、お昼か夜どっちか麺にしてどっちかをお米にしよう。チャーハンを作ろうかと思ったけど、夏バテってわけじゃないけど何となく食べたい気持ちじゃなかった。
冷蔵庫に何があったっけと頭の中で簡単に描いたら、そういえば冷やし中華めんが安くなってたから買っといたんだったと思い当たった。
そうと決めたら誘導尋問のごとく「冷やし中華食べたいね」と口にしたら彼が「そうだなぁ」とぼんやり答えたので、他の意見が出てこないうちに「じゃあ作るね」とすぐに席を立った。
きゅうりを刻んでハムも多めに刻んで、錦糸卵を作ったらガラスの器に麺とおつゆと刻んだ具を入れる。せっかくだからミニトマトもトッピングしてみたら鮮やかながらも涼しげな一品のできあがりだ。
テーブルにセッティングすると甲子園の中継はニュース番組に切り替わった。
彼はようやく腰をあげると冷蔵庫にまっすぐ向かい麦茶のボトルを出す。
あ、私も欲しい、と言おうと思ったら彼がグラスを2つだしてくれたのでラッキーだった。
二人してテーブルにつき、私が冷やし中華にコショーを振りかけると彼が「俺も」と言ったので手渡した。
初めて冷やし中華を食べた時に私の仕草を見てすごく驚いてたっけと思い出す。
「そういえば、最初コショーかけるの超引いてたよね」
すると彼は「あぁ、アレ超新鮮だった」と思い出したようで笑った。
「冷やし中華に酢がたっぷり入ってる時点で味的に充分じゃんって思ってたけど、コショーかけはじめると結構ハマるなって大発見」
「大発見って」
「俺の中では大発見だったんだよ」
何となくな会話をひととおりしたところで、部屋に響くのは、ズズッ、むしゃむしゃ、とひたすらな咀嚼音と、テレビのアナウンサーの声だ。
天気予報になり、どうやら今日含めここ一週間はずっと天気がいいらしい。むしろウナギ登りの暑さだと聞いてちょっとうんざりしそうになる。
これではますます夏バテに拍車がかかりそうだ。
それで食べられなくて痩せられたらいいのにって思うけど、現実にはそういかないのだからますます夏の暑さは憎たらしい。
夏の中華めんはあっという間に食べ終わり、彼がシンクに一緒にお皿を持っていってくれたので「私は作る係、ヒロトシは洗う係~」とでたらめに囁くように歌ってみたら彼は「居酒屋バイト時代の皿洗いのテクを見せつけてやるぜ」とわざとカッコつけて上機嫌で洗ってくれた。
これが普通に頼んだらちょっとだけ面倒臭そうな表情をするのだから、こういうときはふざけて持ちあげるのが一番、という手のひら作戦。
彼がちょうど皿を洗い終えたところで、ニュースで中断していた甲子園中継が再びテレビに映し出されると、お皿なんて拭くわけがなくまたもソファに動かぬ地蔵と化した。
まぁ、洗っていただけただけでも上等だ。
私は食後のアイスを食べながら、雑誌を再び広げる。
何の雑誌かって、何の気なしに買ったファッション雑誌だ。30代のOL向けの、フェミニンもコンサバもどっちの服も載っているからコーデの参考にはなる。
けど洋服を買う予定は今のところないので、眺めるだけに買ったようなものだ。
無駄遣いになるんだろうなぁとぼんやり思うけれど、たまに眺める雑誌くらい自由でいないとあっという間に地味になりそうで、そっちのほうが怖い。
オシャレな方ではないかもしれないけれど、何となく忘れたくないために読んでいるに近いかもしれない。
目に飛び込んでくるのはモデルさんたちのとびきりの笑顔。
1ヶ月着回しコーデは会議ファッションや得意先回り、同僚とのアフターファイブに彼の友達とのBBQ。
なんとも忙しそうな設定だし、小さな商社で事務をしている私にとっては全く持ってピンとこないものばかりだけれど、見ている分には楽しい。
それでも考えるのは早くも今日の晩御飯のことだけれど。
夏に入った休日のルーティンは実に単純だ。
朝の涼しいうちに活動出来れば最高だけれど、やっぱり休日だからこそダラダラ寝てしまう。洗濯物は夜のうちにしてしまっているから、朝とお昼の真ん中ぐらいに起きて顔を洗ってお湯を沸かしている間、ぼんやりとした頭で簡単に掃除をしながらテレビを眺める。
そのうち彼が起きてきて、ちょっと軽めのブランチをする。
ブランチなんて言葉はオシャレだけど、コーヒーにトーストに目玉焼きとサラダとヨーグルトって本当に簡単なメニューだ。
それに汗ばむ夏場に朝からお米を入れるのはちょっとヘビーだし。
そんなわけで昼間は今みたいにゆっくりして、夕方からスーパーに買い物に行って、一応夏バテしないようにとりあえずお肉とかスタミナあるようなご飯を作り、夜は一つのベッドに微妙な距離で布団に入る。
ふと思うのだけれど、暑い時期になると不思議とセックスも減るような気がする。体が汗ばむ事を自然と拒むのかなぁ。と、どうしようもない事を考える。
たぶん、今日もそれと同じだろう。
休みの日だっていうのになんて味気がないだろう。
ってゆーか、世間一般の同棲カップルってどんくらいの頻度でしてんだろ。
それについて当然彼の前では何でもなさそうに過ごしてるけど、本当はけっこう気にし始めてる。
周りが結婚し始めてるってのもあるけど、子供が欲しいなぁなんて。
今私が読んでる雑誌も、サブ特集が彼氏との同棲・結婚特集だったりするし。それも「結婚したい!」みたいなバリバリな部分じゃなくて、マンネリカップルが結婚するきっかけ、みたいな取材部分を読んでいた。
窓の外は蝉の声がうるさいくらいで、甲子園の声援も賑やかなものだからせっかくクーラーで涼しい部屋も真夏の熱気のさなかにいるような気になってしまう。
私は読んでいる雑誌を閉じて、冷蔵庫に麦茶を取りに行くついでに彼にも聞いた。
「飲むー?」
「うん。頼むわ」
たしかにお昼ごはんの時は他愛ない話で楽しかったけれど、普段の会話もこれだけだと思うと、ちょっとだけ肩がしょんぼりする。
好きなんだけどこのままでいいのか迷いそうになる。
いや、好きも迷いも同じ一本の棒なのだから、平行線にもなりゃしない。
「あ、そーだ。来週の土曜日、会社の先輩の結婚式行ってくるわ。カレンダーに書き忘れてた」
夕方になって甲子園中継も終わったところで私がベランダで洗濯物を取り込んでいると、彼が思い出したように言った。
「たしか前に招待状きてたね」
「時間が夕方から夜の披露宴だったんだよなぁ」
「珍しいね。じゃあサンセットの中での挙式でナイトパーティーだ」
「御祝儀袋買わねーとな」
「礼服も早めに出してチェックしといた方がいいよね」
なんだ、そっか。
実は土曜日に彼氏と行きたいレストラン、ひそかにあったんだけどなぁ。
招待状きてたのは知ってたけど、ちゃんと予定聞いてなかったなと思い返す。
まぁ私とのレストランなんて別の日に行けばいいし、おめでたいことは良い事だ。
「嫁さんすげー美人らしいよ。そしたら、うちの受付嬢らしい」
「じゃ、きっと先輩の一目ぼれだねー」
そう笑いながら取り込んだ洗濯物をコツコツと畳むと、彼も手伝って一緒に畳み始めた。
ふと、ソファテーブルに置いてあるグラスが目に映る。
さっきまで彼が飲んでいた麦茶のグラス。ダイニングテーブルには同じように私のグラスがあった。同じデザインが離れてふたつ。近いのに違う場所にある距離に、何だか胸の奥に寂しく引っかかる。
私は赤いラインで、彼は青いラインの入ったペアグラス。同棲が決まった時に親友がプレゼントしてくれたやつだ。
お揃いのものも付き合い始めや同棲したてはウキウキしながら揃えてたなと思い出す。
前はもっと色んなもの共有してた気がするけれど、彼はもうそう思ってないのかなぁ、と普通に疑問として浮かんだ。
「ねぇ」
「ん?」
「あたしのこと、すき?」
「なんだいきなり」
「いいからさ。ほら!」
「好きだよ」
顔はこっちに向かなかったけど、さらっと言う。簡単すぎるくらい。
こんなんさらっと言われたらずるいし、それがたとえ嘘っぱちだとしてもやっぱり嬉しいし信じちゃうし、何だかんだ私も彼の前では簡単だなぁ。なんだか悔しい。
すると今度は彼が反撃してくる。
「そっちは?」
こういう時だけ、こっちを見るんだから。
ますます悔しくって「……微妙」 と答えてみる。
すると彼が「おいおい」と弱ったように言ったので、自覚のなさについムッとしてしまった。私は洗濯物を畳み終えると、思い切って言ってみた。
「だって、最近ときめきないんだもん」
とうとう言ってしまった。
私は何だかバツの悪さから、その場に体育座りするようにして顔をうずめた。
「ときめきが足らない」
好きなのに。
大好きな人と傍にいるのに。
望んで一緒に生活してるのに。
そりゃあ付き合いが長くなったら、一緒に暮したら色んな思いもするし、周りだって呪いのように「最初だけよ楽しいのは」とか嫌な謙遜ばかり言ってくる。
だけど私はそれは嘘だと思っていた。
実際一緒に暮らし始めてから、もちろん喧嘩もあったけど好きな人と暮らすのはめちゃめちゃ楽しいし嬉しい事だったから。
だからどうしてみんなそんな風に言うのかさっぱり分からなかったのだ。
……つい最近までは。
何がきっかけか分からないけれど、どうにもこうにもときめきが薄くなる呪いが私にもかかってきたらしい。
嫌いなんかじゃないのに、疑問なんか持ちたくないのに「これでいいのかなぁ」って今の自分たちにぼんやりでも思ってしまうことが何だか罪に思えてしまう。
しかもそれはきっと私だけなんだろうなと思ったらますますだ。
私は、顔を上げられないまんま悲しくなって呟いた。
「ときめき、たまには欲しいです……」
それでも彼氏は無言だった。と思ったら、しばらくしてから隣で彼が立ったのが分かった。
床の軋むような足音が離れたと思ったら今度は近づいてきた。
そして、私の頭に、コン、と何かが乗せられた。それに思わず顔を見上げる。
泣きそうになって拗ねた顔の私をみて、困ったように彼が笑った。
「可愛いこと言ってんね」
余裕そうに言うから私はふてくされたように言う。
「女の子だもん、可愛いって言われたくて当然でしょ。……って何これ」
「早いけど、もうやるわ」
頭に乗せられた何かを手に持つと……小さな四角い箱だった。
ロイヤルブルーの。
ベルベット生地に包まれた。
ドラマとかに出てくるやつみたいなの……!
私は言葉にならなくて、おそるおそる開けたら……あった。
キラリと光る石にプラチナのリング。
開けられるのを待っていたかのように、私の前に突如現れたのだった。
「!!!!!」
本物を見て慌てふためく私に、どうやら照れくさいのかこっちを見ずに出掛ける支度をし始めた彼が言いだす。
「これから、飯でも食べに行くか。久々に」
「えっ!?な、なに!?」
「だから、これから飯。何食べたい?」
次々と起こる突然の展開に頭がついていかなくて、つい答えたのは我ながらまさかのチョイス。
「………ラーメン………?」
「じゃ、今夜はラーメンデートだな。デート」
「デート……」
「そ、デート。一番最初と同じだな」
私の傍へ来て、今日一番の彼の笑顔を見た気がした。
そういえば、私たちの最初のデートご飯はラーメンだった。
まさかちゃんと覚えてたなんて。その時もラーメン食べたいって言ったの、私だったなって思い出して……私って変わらないんだなと笑いそうになる。
彼氏の事が読めなくて、一人遊びのようにジタバタしてたのって、もしかして私だけだったのかな。そう思うと、やっぱり少し悔しい。
「ときめいた?」
彼が意地悪に笑う。そりゃあ……。
差し伸べられた手を私は握りながら「もちろん、です……」と言うしかなかった。
きっとこの先、何回も同じようなことがあるかもしれない。
そのたびに私は一人で寂しくなって、そのたびに彼にときめきをせびるんだろう。
けど、そんな私に呆れながらも何だかんだ付き合ってくれる彼に、自分が一番傍にいたいのはこの人だったんだと、そのたびに思い直すような気がした。
だって私って単純だし。
分かりやすいし。
今だってこんなにもニコニコしてしまっているんだから。
さっそくキラキラの指輪をはめた私はラーメンを食べる途中に
「せっかくならレストランって言うんだった!考えたらお昼も麺だったのに!」と、我に返りますます彼に笑われた、なんて結婚式にはとっておきすぎるエピソードになるとはまだ知らないままに。
( プロポーズのタイミング、考えてたけどこれはこれでいっか。 )
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