scene76*「瞳」
引き寄せられるようにして瞳が合った瞬間、まるで目の内にプリズムが乱反射したような気がした。
それはあくまで錯覚に過ぎなかったのだけれど、その一瞬以来、胸がざわめいて仕方がなかった。
ちょっと待ってほしい。
だって高校1年生ってちょっと前まで中学3年生のガキんちょだったわけだろ?
1学年違いなんだから大して変わらないよ、と大人には笑われるかもしれない。でも当事者である自分たちにとってはやはり違うのだ。
小学6年生と中学一年生が微妙に違う事のように。
だから今回も、そんな些細なことを言い訳にして進むのを躊躇おうとした……のに、繋がり始めた運命とやらはどこまでも俺に希望をもたらしてくれるらしい。
【76:瞳】
生まれて初めて「一目惚れをする」ということを感じた。
高校2年生になって初めての体育の授業で、たまたま1年生のクラスと時間が重なった。
予鈴は既に鳴っているものの体育教師がまだきておらず、束の間を大人ぶってだるそうにしながらも、新しいクラスに少しだけみんなはしゃいでいた時だった。
「あの子可愛くね?」「1年生まだ幼いなぁ」
「あ、あいつ知ってる。バスケの主将やってたやつだわ」
新しい1年生の集団がちょっと離れたところで集まっているのを見ながら、俺たちは当然それを話題にしていた。
俺も、じゃあこの時間は今度から1年生と体育が重なるのか、と思い何となしに顔を向けたところ、それぞれクラスメートの人波があったにも関わらずパッと焦点がかち合ったのが分かった。まるで一つの的に命中するように。
その視線の的に、彼女がいた。
目が合った瞬間、周りの音が一瞬だけ遠くなって俺と彼女の存在以外の気配さえも鈍く感じた。
まさに「せかいにふたりきり」といった不思議な感覚。こんな表現自分でも引くけど、たしかにそう感じたんだ。
それくらい釘付けになった彼女の大きな瞳から目が離せなくなったし、それ以外のものが目に入らなかった。
その時間が終わったのは、1年生の担当教師がようやくきて彼女がそちらの方へ視線を移した時。
ふっと、俺を包んでいた時間がほどけてゆるんだ気がした。
「はぁー~……」
「何?お前さっきからずっとため息多いけどどしたん?」
昼休み。弁当を食べ終わると先ほどの事を思い出した俺は、またもため息をついた。
体育の授業が終わってから何だか胸が落ち着かず、気付けばずっとため息をついている。それはもちろん親友のホリエも呆れるほどに。
情けなくて突っ伏してた俺はホリエの言葉に顔を上げて、思い切って言う。
「コイワズライ」
「恋煩い!?」
「いや、1年生の子で。さっきの体育でさ」
「あ、あの髪の長い小柄で細くて目のデッカイ子だろ」
珍しくホリエの的を得た発言に、何だって!!?? と思わず席を立ったらホリエは何とも嬉しそうにニヤついたので悔しくなる。
「やったー、図星。あの子、結構可愛くね?目、めっちゃ大きくてクリっとしてて可愛いよな」
あの瞳に釘付けになったのはどうやら俺だけではなかったらしい。その事実に納得する部分はありつつも、あんまり面白くなかった。
それだけ競争率の高い恋愛ということではないか。
彼女の百合の花みたいな孤高の綺麗さに近い雰囲気を思い出す。
可愛いや美人というよりも、綺麗な子、と表現した方がしっくりくる。
どこか猫っぽい、ちょっと気の強そうな大きな瞳に惹かれてしまうのは必然的なものなんだろうか。
俺の気持が手に取るように分かるって顔をしたお調子者な親友のホリエは、余裕のない俺を見てニヤニヤしながら俺の肩を叩いて励ましてくれた。
「サエキぃ。まぁーあの子狙い多そうだから頑張れよ」
「つーか接点持てねぇっつーの」
「何とかなるっしょ、顔良いし。ガチで」
「や、ふつーだし」
「お前俺の前でふつーとか言うなっての。にしてもお前が慌ててるとちょっと楽しいんだけど」
「性格わりーな、ふざけんなよ」
余裕のない俺を見てニヤつく親友にパンチするもうまくかわされた。
クソっ、笑うなっての。
だけどおそらく、片思いで終わりそうだ。接点がまずねぇし。
それに考えたら3月までは中学生だったんだろ?
こないだまで中学生なんて、まだガキじゃん。
そんな風に思い込んで忘れようと思った。
……それなのに恋がこんなにもぐいぐい心に食い込んでくるとは思わなかった。
数日たって少しだけあの日の事が薄れかけてきた頃。
委員会の後に先生に掴まって学校を出るのが遅くなった。
バイトも休みで、とくに用事があったわけでもないから良いのだけれど、誰もいなくなった教室に鞄を取りにいくと窓に映る空はどんよりと灰色がかっていた。
しかも下駄箱にきて気がついたけど、雨が降ってくるし最悪だ。
もちろん傘なんてない。
雲の様子からこれは本降りになりそうだ。
雨は空気中の色んなものを含んでいるような土っぽい匂いがした。なんとなく、春の匂いだと思って、あんまり嫌いじゃない自分がいて何故か懐かしい気持ちになった。
それはいいとして、このまま本降りでは帰るのに困ってしまう。知り合いでもいいから誰か残ってないかとついまわりを見渡すも、見知った奴はいそうにない。
まぁ、ダメだったら走ればいいや。
そんなことを思った時に、ここの下駄箱にはご自由傘のコーナーがあったのを思い出した。
ご自由傘とは引き取り手のいない忘れ物の傘がとりあえず突っ込んでいる傘立ての事で、誰が使っても自由だからご自由傘。
できれば返却を、というルールがあるけどあんまり守られていない気がする。
俺は例の傘立てを探そうと方向を変えて踏み出した瞬間、正直驚いた。
彼女がいたからだ。
体育の時に見かけた、あの彼女だ。
そしてどうやら彼女も傘を持ってないらしく、その横顔は「どうしよう」と言った感じに昇降口でしばらく空模様を眺めていた。
それを見て、傘立てまで行く時間がつい惜しくなった俺は、下駄箱の一番上に放置してあった傘2つを拝借した。
拝借つっても下駄箱の上にあるのはだいたい捨てられてるのと変わんねーやつだから、二度と戻す事なんかないのだけれど。
むしろ傘立てまで行って、彼女を見失う事のほうが嫌だったので迷う暇なんかなかった。
俺は彼女に近づいて、「よければ使う?」 そう言って傘を差し出した。
もちろん彼女は何事?と思ったように、少し驚いた顔して俺を見上げてきた。
見上げられると大きな目がさらにパッチリと感じて、何だか的になった気分だ。
彼女は少しだけ戸惑うと、遠慮がちに口を開いた。
「……いいんですか?」
「ああ」
ご自由傘というカッコ悪さに後ろめたくも彼女の色よい返事に少しホッとしていると、今度は彼女のほうから意外な事を言われた。
「あのっ……火曜日の体育の時間、一緒でしたよね?」
その確信めいた言葉に珍しく胸の奥がドキッとした。
やっぱりむこうも気づいてたようだ。気づいてくれてたってことに、嬉しさと恥ずかしさが何となく出てきた俺は、ちょっとしどろもどろになってしまう。
「あ、うん。……俺、2年だけど、体育の時間一緒だったよね」
「……目が、合ったから」
「いや、あれはわざとじゃないっていうか……」
やっぱ気づいてた!思わずフォローに走ったけど、わざとらしい。
キモがられたかなと思って内心すげぇ焦った。
さっきから心臓がうるさい。
だまれ心臓!! こんなに緊張するなんていつ以来だろうか。
そしたら彼女はそんな俺には全く気付くことなく、「わかってますって」と笑った。
その笑顔がめちゃくちゃ可愛かった。
「あのさ……」
「はい?」
「通学、電車?」
「はい」
「俺も電車。よかったら駅まで一緒にどうですか」
「もちろん。いいですよ」
電車ってことは、もしかしたらこれから登下校に会えるかもしれないチャンスもあるってことだ。
心の中でガッツポーズするも、悟られたくなくてつい目をそらしてしまった。
声かけただけでもこんなに緊張するなんて。
同級生が勝手に言うほど恋愛経験なんかそんなにあるわけがない。
ましてや自分からこんな風に誘うなんていうのもない。
ホリエは人の事を百戦錬磨みたいに考えてるけど、ホリエのほうがよっぽど女の子に惚れやすくて撃沈もしている。今思うとよく何回も回数を重ねられるなと思うよ。俺なんか確信がなきゃ怖くて動きけなかったってだけなのに。
そんなことを考えていると彼女は優しく微笑んで、傘を受け取った。
「じゃあ、お言葉に甘えて。えっと……名前、教えてもらっていいですか?」
「サエキ……」
「えぇ!!」
「な、何?」
俺が慌てると、彼女はごめんなさい、と言って笑った。
「実は、私も同じ名字なんです。びっくりしたぁ」
「えっ!そうなの!?」
「こんな偶然あるんですね。名前はヒトミって言います」
目の大きい彼女になんてぴったりすぎる名前だろうか。
それも同じ名字の偶然に俺もびっくりしながらも当然嬉しいに決まってる。
帰り道は案の定緊張したけど、話してみるととっつきにくい印象はなく意外と素朴な性格のようだった。
見た目の割には昔から人見知りでなかなか友達ができないこと。
大人しい性格なのに瞳の印象のせいで、よく誤解されてしまう事が多い事。
部活はカタチだけでも入らなきゃいけないから何にしようか悩んでること。
運動はそこまで得意じゃないこと。
他にもバイトをしてみたいとか、高校一年生らしい悩みや希望を話してくれて、可愛いなって思った。
駅に着くと、どうやら彼女は俺とは反対方向だった。
改札抜けて反対のホームへ別れる時に、何となくアドレスを交換した。
向かいのホームで電車が遠くなるまで、やわらかな動きで振る指先。
彼女の姿が見えなくなっても残った感情が、まるで丸くなって寝ている猫を胸に飼っているかのようにほんのりと温かい。
しかしながら、あんまりにもとんとん拍子な展開に自分でも拍子抜けしてしまう。
もしかしてここで運を使い果たしているんじゃないか、この先がちょっと心配になってしまうほど。
何だ、こんなにとんとん拍子でいいのか!?っていうか彼女、絶対モテてきたよなぁ……。
俺は自分の部屋のベッドで、そんなことを思いながらケータイとにらめっこしてしまった。
さっそくメールを送ろうか、でも自分からすぐ送ったらなんか女々しいか?なんて、考えていたら手の内でブルっと振動があった。
ビックリしつつもディスプレイには彼女の名前が表示されていた。
『リクト先輩。今日はありがとうございました。傘も助かりました。また、学校で会った時は仲良くしてくれると嬉しいです。本当にありがとうございました。では、おやすみなさい。』
女の子って絵文字使うイメージあったけど、逆に絵文字もないとこが新鮮で、彼女らしいかもしれない。
さて、返信をどうするか。
俺は悩みに悩んで、文字をタップし始めた。
『こちらこそ。学校生活、慣れるといいね。学校で会った遠慮なく声かけて。』と、何ともそっけない返事をしてしまったが、今の俺にはこれが精いっぱいだった。
たしかに恋愛なんてこれが初めてなわけじゃないのに。
初恋だって、デートだって、してきたことはしてきたけど、だけどこんな気持ちになるなんて初めてだった。
もっと彼女の色んな表情を見てたいし仕草を知りたい。
そして自分の事も知ってほしい。
ぐいぐいと本音がフォーカスされて、このままでは引かれそうで怖い気もする。
……恋って、こんなに余裕ない感じだったっけか?と、昔の恋を思い出そうとしたけれど跡かたもなくその感情は残っていない。
すっかりと更新されてしまったようだ。
「次はもっとスマートにかっこつけてたいわ……」
あれだけこないだまでは中3なんてガキだって思ってたのに、珍しく余裕がない自分にうろたえる。
だけど、そんなのは言い訳だ。
落ちちゃったんだ。ホントの恋ってやつに。
スマートに先輩ヅラできないほど、今日一緒に帰ったりメルアド交換しただけが嬉しくてたまらない。
そして彼女もまさに、俺と同じだった事。
それを知ることになるのは、そこまで遠くない話だなんて思いもしないまま、俺は恋に落ちた幸せを夜中噛みしめていたのだった。
( 『運命』の始まり )
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