scene9*「休日」
職場の同僚が昼休みにこんなことを言い出した。
『世の中やっぱり、週休3日制くらいあったほうがいいと思う』
その3日間をどう使いたいか訊ねたら『遊ぶための休みと、用事を済ますための休みと、休むための休みの3日間』という答えが返ってきたので、私はなるほどと思った。
じゃあ今日の休日はそのうちのどれに当てはまるだろうかなんて考え、休むための休みに決まっていると1人頷いた。
目を覚ますと同時にそんなことが頭に浮かぶなんて、私の頭はけっこう疲れているのかもしれない。
【9:休日 】
カーテンの明るさに何時だろうと時計を見ると、既に11時半を過ぎていた。
ベッドサイドに置いたリモコンでテレビをつけると、ちょうどお昼前のニュース番組が始まったばかりだった。
布団からノロノロとはい出しカーテンを開けると、電気をつけていないにもかかわらず部屋はあっというまに明るくなった。陽当たりを優先してなんとか見つけたこの部屋の一番気に入っているところだ。日はすっかりと高く、バルコニーに植えたバジルの陰が真下に作られている。
部屋を見渡すとおそらく衣類の繊維や塵であろうものが、射す光りに反射して小さくきらめいた。
しかしながら、舞う光の粒を綺麗だと手放しで喜ぶわけにもいかない。
平日に掃除できないぶん、休むための休日でもさすがに何もせずじゃ汚部屋の住人まっしぐらだ。
使い捨てワイパーで簡単に床を掃除しながら、テレビから流れ続けるニュースをぼんやりと見ていると、番組はそのうち天気予報へと変わり、キャスターのお姉さんが嬉しそうに桜の開花宣言を告げた。
私は手を止めて、もうそんなに暖かいのかと思い換気も兼ねて窓を開けると、予想外にひんやりした空気が舞い込んできたので慌てて閉める。
考えたら3月半ばといえども季節外れの雪がちらつくほどに急に気温が下がる時もあるくらいだから、完全なるポカポカ陽気がやってくるのはもう少し先のようだ。
それでもお日様は充分に暖かく、腕を上げてうんと伸びをすると、柔らかな春の陽光に眠っていた体がだんだんと目を覚ましてくる感じがしてきた。
「あー、お腹すいたぁ……」
誰が聞いているわけでもないのに一人で暮らしているとつい独り言が増える。
簡単に掃除を終えたところで今日のお昼は何にしようと考えた。本当なら自炊したほうが断然経済的なんだろうけれど、正直作るのは億劫だ。
買い置きしてあるインスタント食品のストックを確認しようとして、つい一昨日の夜に使い切ったことを思い出す。とうとう出かけないわけには行かなくなってしまったらしい。
私は小さくため息をつき、着替えることにした。
デニムにトレーナーというさして寝まきと代り映えのない服装に着替え、顔はもちろんノーメイク。顔を洗って化粧水で簡単に整えるとアクセサリーケースの隣に置いてある伊達メガネに手を伸ばした。これで髪をシニョンにすればそれなりに見えるだろう。完全なるお休みルックだ。
最近感じるのは、年齢を重ねるごとに可愛い服よりもシンプルな服の方が似合ってくるものということだ。昔なんてこんなシンプルな格好は逆に貧相に見えてしょうがなかったのに、今やしっくりくるだなんて同じ「わたし」のはずなのに不思議な感じだ。
そして大人になった証拠なのか、はたまた疲れ果てた社会人の正しい姿なのか、本当に何の予定もない日はとにかく全てがテキトーになりつつある。
メイクだって学生の頃から働き始めの頃くらいは、休みの日でも簡単なメイクをしていたけれど、20半ばになるとちょっとだけ肩の力を抜きたくなってきて、今や何もない休日は下手したら一日中すっぴん部屋着でいるくらいだ。
彼氏なんかいたら違うんだろうけれど、あいにく半年前に別れたばかり。
次を探そうかと考えてはいてもパワーもエネルギーもいる行動だと分かっている分、もう少しだけ充電したい気持ちが今は大きい。
「そうして干物というやつになってくわけか」
何気なく口に出したら、何だか増してくる絶望感。
やっぱり充電なんて言い訳せずに街コンでも繰り出すべきなんだろうか。いいや、今日は無理せずこの休みを満喫するのだ。読むつもりの本も雑誌も積んだままだし……って、先週も何だかそんな風に考えていた気がする。
これじゃだめだ。気分転換しなければ。
そもそもどうしてこんなに枯れたような事を考えてしまうんだろう。
……あ、大事な事忘れてた。ふと気づく。
「私お腹すいてるからじゃん」
そんな単純な理由にいきつき、気分転換の素を物理的にチャージしにいくためにトレンチコートを羽織ったのだった。
コンビニはうちから歩いて5分のところにある。
駅までは15分ってところだけれど、道中にコンビニはもちろん商店街もあるから女性が暮らすには安心できる町でなかなか気に入っている。っていうかはるか遠くの地元である田舎には歩いて5分のところにコンビニなんかない。
コンビニに入るとちょうどお昼時だからか、けっこう人な人で賑わっていた。
立ち読みしているカップルや、公共料金を払いにきたおじいさん。普通にお昼を買いにきたであろうファミリー連れ。
レジの人はせわしなく接客をして、カウンター隅っこにある小さな料理場ではフライドチキンがどんどん揚げられている。
ドリンク売り場のほうに行くとやけに賑やかで、地元のスポーツ少年団に入っているらしい野球のユニフォーム姿の男の子たちがわらわらといた。みんなスポーツドリンクを手にしており、一緒にいるらしき父兄の人の持つカゴには大量の氷が入れられているのを見て、確か近くにある公園に野球のグランドが併設されていたのを思い出す。
私は子供たちの間を割るようにして、とりあえずお酒コーナーのドリンク扉をあけた。
だって休日だし。桜は咲いてないけど開花記念ってことでいいよね。
お給料日の時にご褒美で絶対買うお気に入りのお酒へと手を伸ばす。リンゴの発泡酒だ。
お酒を手にした後は肝心の腹ごしらえ。選ぶのはお酒に合わせてパスタにしようか。
すると今日は特に大人気なのか、いつもはもっと種類があるのにたった2種類しか残っていない事に気付き、慌てて売り場の前に近づいた。
残っているのはぺペロンチーノとナポリタン。それもどっちもラス1だ。
この短時間で少しでも迷ったらあっという間にかっ攫われそうで、久しく食べていないナポリタンを手に取った。どうせ部屋にバジルもあるんだし、とろけるチーズをコンボしてジャンク感を楽しむのもいい。
これだけでお腹はいっぱいになるかもしれないけど……ついでに上の棚にあるサンドイッチも追加してみる。
……あれ、これって大食いかな。自分甘やかしすぎ?でも別にパスタだけでお腹一杯になったら明日の朝食べてもいっか。そんなことを思っていた時……
「あれ?リコ?」
不意に呼ばれたはずの自分の名前が一瞬知らない名前みたいに感じた。
けれど確実に私に向けられたその声は、私がよく知っているものだった。それも少しだけ懐かしい。
まさかと思いながら振り向く。……そのまさかだった。
「やっぱりリコだ」
そこにいたのは、大学時代に付き合っていたアサトだった。
目の前にいるアサトに、私は一体何が起きているのか分からなくて返す言葉もなく固まる。もちろんアサトも信じられないといった感じだ。
私だと確信したアサトは、久しぶりの再会に嬉しそうにしながら傍へとやってくる。
「久しぶりじゃん。もしかしてここの近所?」
その一言にやっと我に返り、あわてて返事をする。
「えっと……久しぶり……。うん、ここの近所に住んでる。え、アサトこそどうしたの」
「マジで?俺もここの近所に引っ越してきたばっか!地方勤務だったんだけどこの春から異動で戻ってきたとこ」
「そうなんだ」
「リコ、前と雰囲気少し変わってたから、人違いだったらってちょっと思ったけど……でも横顔見て絶対にリコだよな~って」
アサトの発言に内心、しまった、と思った。
雰囲気が違う。アサトがそう思うのも無理はない。
だって大学時代の自分は今より無駄に背伸びをして、アサトと付き合っていたんだから。
私たちが付き合っていたといっても、大げさな事じゃない。続いたのだって1年ちょっとだ。
知り合った当時、大学を機に上京したてで田舎くさいのがコンプレックスだった私は、とにかく赤文字系雑誌でオシャレを知るのに夢中だった。
ファッションも女子アナ風のコーデ意識して大人可愛く背伸びをしたり、少しでも都心での友達を作りたくてインカレサークルに入ったりと、無駄に必死になっていたときだった。
そんなとき、他の大学にいたアサトと知り合ったのだ。
アサトは人あたりも良く男子にも女子にも慕われていたから、まさか付き合えるなんて思わなかった。
けれどそのぶん私は無理をするようになった。
周りからアサトとお似合いに思われたい、アサトにも可愛いって思われたい。
人の目ばかり気になって、少しでもアサトに気にかけてもらえないと不安になった。
結局お互い大学が違うこともあり、ちょっとしたヤキモチすらうまく伝える事が出来ない自分がどんどん嫌になって別れてしまったのだけど、それでも険悪な別れにならなかったのはアサトが優しかったからだと思う。
経験知のなさゆえに終わった恋なんて、大学生の甘くも苦い思い出……なーんて心の思い出にしていたのに。
いや、アサトにだって「可愛くなろうと頑張っていた元カノ」という思い出のままであってほしかったのに。……実際そう思ってくれていたかなんてのは置いといて。
それなのに、大人になり素敵になった元カノどころか、休日仕様のすっぴん部屋着の気抜けファッションで再会とは思い出も台無しだ。
ファッションの系統も昔と違うどころか、ましてやこんな部屋着ルックで彼の前に現れた事なんか一度だってなかった。
むしろこんなすっぴんに伊達メガネで、髪の毛だってルーズにシニョンにしただけの生活感丸出しスタイルにもかかわらず、気付いて貰えただけ奇跡だ。
っていうか、こんな気の抜けた格好で出くわすだなんて思わなかったし。予知夢だろうが超能力だろうが、少しでも分かっていたなら私だってもうちょっとちゃんとしていたかもしれない。
青臭い昔に胸を痛ませ、今の自分を心で嘆きながら「だいぶ久しぶりだもんね。……驚いたぁ……」と小さく笑い、心許なくて何となく自分の手元に目を落とした。
しかし私の目に入ったのは……先ほど手にしたばかりのナポリタンとミックスサンドイッチと缶のお酒。
いかにも「一人暮らしだけど自炊めんどくさいし、休みだからガッツリ食べちゃえ」メニュー。
隠しようのないそれに恥ずかしくなってくるとアサトも気付いたらしく屈託なく笑った。彼の笑い顔を見て、あ、笑うと目じりがくしゃっとなるの変わらない、と知っていた表情とダブって懐かしい気持ちになった。
「リコ、もしかして昼これから?」
「えっ……あ、うん」
「俺も。引っ越してきたばっかで冷蔵庫何もなくてさー。とりあえず何か買いにきた感じ」
「……そっか」
「コンビニって便利だよなー。な、良かったらそこに公園あるしせっかくだしちょっと飲まねぇ?」
「えっ」
「だってほら。お互い酒持ってるし」
アサトの持つカゴを見ると、お弁当と缶ビールが2本入っていた。
提案にちょっと戸惑ったけれど、私の気まずさなんてまったく気にしていないアサトはニコニコ顔だ。
それを見たら拒否するのが悪い気がして、たしかに彼の言うようにせっかくなんだからという気持ちになった私は頷いた。……ニンニク香るペペロンチーノじゃなかっただけまだマシかもしれないなんて思いながら。
私たちはコンビニを出ると、歩いて少しのところにある公園へ向かった。
遊具があるだけでなく隣には野球グラウンドや水遊びのできる広場もあり、公園周りは緑道になっていてジョギングなんかもできる。そこそこ大きな公園だ。
桜の木もたくさん植えられていて、季節になると屋台も出て花見客でいっぱいになる。提灯が桜並木の道沿いに下がっていて、去年は夜桜の散歩を元彼としたんだった。
空気はほんの少し冷たいと思っていたけれど午後からぐんぐん陽気が上がるのか、気が付けば春の暖かさになっていた。これで桜があれば完璧なのにと思っていると、アサトは「あそこのベンチ空いてるから座ろっか」と少し先のベンチをさした。
そこに腰を落ち着けると、アサトは真ん中に買ったお酒やら焼き鳥やらをの宴会セットを広げ、レジで一緒にもらったおしぼりとお酒を私に差し出した。
「じゃ、とりあえず再会ってことで乾杯な」
そう言ってアサトは嬉しそうに缶のプルタブを開けた。
私も同じようにしてお酒を開けると、炭酸が空気を吸い込んでプシッと良い音がした。
「はい、乾杯」
カツンとアルミの軽い金属音をさせて、私はほんのひとくち。アサトは美味しそうにごくごく飲む。昔はビールなんか苦くてあんまり好きじゃないなんて言ってたのにと思いながら、それを何故だか言い出せなくて、代わりにもう一口飲んだ。リンゴの甘味がしゅわしゅわと喉を降りていく。
するとアサトに突然聞かれた。
「リコはここに住んでどれくらい?」
「えっと……もう4年に、なるかな。就職が決まって会社近くにしたから」
「そうなんだ。事務?営業?」
「営業寄りの事務、かな。登山具メーカーで広報担当してる」
知ってるかな、と社名を言うとアサトは「俺も使ってるし!結構憧れのブランドだよな」と驚いてくれてちょっとだけ嬉しくなった。アサトのほうを聞くとどうやら建設系の会社に就職したらしかった。
「アサトは就職してからどれくらい地方にいたの?」
「4年だね。研修半年やってから2年は九州、そのまた2年は関西ってとこ」
「へー。じゃあ慣れるのに大変だったね」
「まぁ色んな観光名所も回れたし楽しかったけどな。でもやっと遠恋じゃなくなったのはひとまず安心したな」
「あ、そうなんだ」
はい、私は一体何を期待していたんだろう、と胸のわずかな痛みに気付いてすばやく蓋をした。
そりゃアサトくらいの良い男がフリーなはずないじゃないか。それでも少しだけ胸をドキドキさせながら聞いてみる。
「彼女とは長いの?」
「同期入社だから長いっちゃ長いのかな。でも付き合いだしたの去年くらいだから実質まだ半年くらい。リコは?」
「うー……お恥ずかしながらフリー。半年前に別れました」
できるだけなら言いたくなかった事実。だけど見栄張って嘘ついたところで近所なのだからボロがでるのは目に見えている。そもそも彼女持ちの元彼なんてもう完全脈なしなわけだから私は取り繕うのをやめた。
「なーんかさ、彼氏と別れてこの半年間意外と気持ちスッキリしちゃってるんだよね。悲しい事に」
「結構長かった?」
「んー、1年半くらいだから何とも言えない。けど、プロポされそうな気配なかったし仕事も忙しくて休みも違ったから結局最後の半年間はすれ違い」
私は心の苦さを誤魔化すように甘いお酒をぐいと飲む。甘いはずのお酒なのに、わずかな炭酸のせいかほんの少しだけ喉元が苦しくなった。
「なんか、だんだん私の方が疲れちゃって、嫌になっちゃった」
あーあ。友達の紹介で最初はキラキラな彼に見えたのに。
バルコニーのバジルだって、公園のフリーマーケットに行った時に彼がおまけでもらったものだった。
けして上手とは言えない私の料理だって美味しい!ってニコニコしながら平らげてくれた。
けど交代制の仕事だとやっぱり休みは合わなくて、その中で1年半も続いたんなら良かったほうなのかもしれない。
夏のお祭りも、秋の落ち葉散策も、冬の餅つき大会も、春の桜だって、全部楽しかったのが嘘みたいだ。
すると、ふいにアサトが思いがけない言葉を口にした。
「……でも、ちょっと安心した」
私はその真意が読めなくて「なにが?」首をかしげると、アサトは「だって俺と付き合ってた時のリコ、ちょっと無理してそうだったから今は素直に嫌な事をちゃんと言うようになったんだなって」と答えた。
私が「無理……かぁ」とオウム返しのように呟くと、「してただろ。ちょっと」まるで分かっていたように苦笑されてしまった。そんな風にされたら、私だって白状せざるをえなくなる。
「そんなこと…………ごめん。あった」
アサトは私の正直な言葉に音を立てて笑った。それがとても素直な感じで、アサトはやっぱり何も変わってないなと思った。
「……俺まだ女の子と付き合うってほんとに分かってなかったから、リコの気持ちとかちゃんと聞けなくて悪かったなってしばらくずっと思ってたんだ。俺もあの頃は大学生になりたてで少しかっこつけてたんだよね」
「えぇっ!?嘘でしょ?」
「嘘じゃないって。それにリコってみんなにニコニコして優しくて、全然ワガママも不満も言わないから大丈夫なんだって安心してて。だからリコから突然別れたいって言われた時はすごく驚いたしリコが無理してたのも気付かなかった……」
「そんなの……私はただ……ニコニコしてたのは人に嫌われたくなかっただけだよ」
「だけどさ、ちゃんと今は嫌な事を嫌って言うようになったんだなって。むしろ今の方が完璧さが抜けてこうやって話せて、何か安心した」
安心したのは私の方だ。
アサトの言葉に、ちっぽけな劣等感が少し軽くなった。そしてアサトの中で私はわりと完璧な彼女だったことに驚いた。
アサトは昔も今も私の事を覚えていてくれて、気にかけてくれていた。見せたことのないすっぴんなんか気にせずに迷いなく声をかけてくれるほどに。
逆に、再会してあんなにも自分の事ばかり、過去ばかり気にしている自分がすごく恥ずかしい。
……私は、アサトの何を見て付き合っていたんだろうか。
昔の私はどうして取り繕うばかりでアサトにちゃんと甘えなかったんだろうか。
こんなに良い人にどうして素直な自分を見せられなかったんだろうか。
取り戻せない過去の自分が本当に未熟な女の子だったんだと改めて思ったら、なぜか不思議と笑えてきて思わずクスリともらした。今度はアサトが首をかしげる。
「どした?」
「ううん。なんでもない。なんか、大人になんなきゃわかんなかったことってたくさんあるなって」
そう言うとアサトはごもっともといわんばかりに頷き「例えばビールの美味さとかな」といたずらっぽく笑って缶を掲げた。
私は「それ、言えるかも」なんて答えてみせて、また二人で大きく笑った。
それから私たちはもう一度乾杯をかわして、本当に他愛のない事を話しながらお酒を楽しみ、やきとりをかじった。
卒業してからの事、出張先での美味しかったもの、転勤先で驚いた習慣。
職場であがった「3つの休日」について話したら、「女子ってそういう話よく浮かぶうよなぁ」なんて面白そうに笑いながらもアサトは「何もしない休日っていいつつ、俺は多分飲む休日だな」と答えた。
そして最後に「そういう楽しみも、働く大人になんなきゃ分かんなかったことだよなぁ」と付け加えたものだから、私は大いに頷いた。
見上げると桜はまだもう少し先だけれど、だんだんに蕾をつけつつある。枝の合間から射す光にプリズムがふと見えた。
空気にまじってわずかに土の薫りがしたのを感じ、まるで春の入口にいるようだと思った。
あたたかさでぼやけた輪郭の景色に思わずあくびがでそうになって、アサトの手前それを飲み込んだ。っていうか、取り繕うのをやめたくせに今の私も昔の私もアサトの前であくび一つできないだなんて、自分はやっぱり本当にアサトが好きだったのかもしれない。
またひとくちと飲んだリンゴのお酒は、舌の上でゆるくはじけた。
( 大人になるって、切なくて楽しい。 )
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