もこ神さまのいるところ

和田島イサキ

もこ神さまのいるところ〈1〉

1 神さまのいるアパート

白くて綺麗な拾いもの

 僕が神さまを拾ったのはもう九年も昔、小学一年の夏休みのことで、

「うわっ、ビッチだ」

 というのが初見の感想、間違いではないにせよ少し言葉を知らなさすぎたと思う。


 いや厳密には大間違いもいいところなのだけれど、でも頭は真っ白だし制服のスカートだって短いし——そういえばなんでセーラー服なんか着てたんだろう神さまのくせに——こういうのをビッチというのだと、そう母さんが言っていた。まあ母さんといっても昔の話、当時はまだほとんど父さんで、そして父さんは嘘つきだ。

 ——ビッチじゃなくて、神さまだった。

 いやそれともビッチの神さまなのか、いずれにしろその程度は一目見たらわかる。

 そんなものが駅前の小さなスーパー、フードコートに一柱ひとり思い詰めた顔をして、そしてその目の前にはできたてほやほやのたこ焼きがあった。そこに「えいや」と爪楊枝を突き立て、一体どうするのかと思えばやっぱり食べて、

「すごい、さすが神さま」

 という僕の感動、あるいは子供らしい無垢な憧憬はでも、次の瞬間に雲散霧消した。

 ——いくら神さまだって熱いものは熱いし、舌を火傷したら涙目にだってなるのだ。

「なんじゃ小童こわっぱ。貴様、このわしが見えるのか」

 それが神さまの第一声、ちなみに次の一言は「あとありがとう」だった。僕が冷水機から汲んできてやったお冷や、それを飲み干す白い喉がこくこく上下するのがよく見えて、それから彼女はとても説得力のある顔で、

「しぬとこだった」

 と、呟いた。さらには「これはあぶないからきみは近づくな」とちょっぴりお姉さんらしいところを見せて、そして僕はそれ以来、彼女がたこ焼きに近寄るのを見たことがない。

 とまれ、神さまは一命を取り留めた。まだ舌はヒリヒリするみたいだったけれどそれは我慢の子だ。

「なんせ神さまだからな、わたしは」

 ふふん、と鼻を鳴らしてあとビッチにしては幾分物足りない感じの胸を張って、正直「それくらいは僕だって我慢できる」というのが率直な感想、でもそんなことは別にどうだっていい。

 小童だとか儂だとか、最初はこれ見よがしな年寄り口調だったくせにこの変わりよう。そっかこれが背伸びってやつか、と、幼心おさなごころに勉強にはなったのだけれど、でもそれ以上に引っかかるのがその言葉の内容だ。

 ——見えるのか、って。

 まさか節穴でもないんだし、というか仮に節穴だったとしても神さまくらい見える。

「そんなことはない。この殺伐とした現代社会、わたしの姿は純真な幼子おさなごの目にしか映らんのだ」

 なんせ神さまだからな、と、なんだか意味深長な微笑ほほえみ。一体なにをする気かと思えば、彼女はその場に立ち上がって、

「ほれほれ」

 と、両手でたくし上げたスカートをひらひら——なるほど彼女の言う通り、一瞬は「ぎょっ」とした表情を見せるものの、でもすぐさま顔を背ける周囲の大人たち。遠慮のない瞳で食い入るように見つめているのはまだ分別を知らない小さな子供くらいのもので、そして悲しいかな、当時の僕こそがその最たる例だった。若かったと思う。

「どうだ」

 というのはきっと「これでわかったろう」という意味合いだったといまにして思うのだけれど、でも神さまはまだスカートをひらひらさせたままで、だから僕はそこから目を逸らさぬまま、

「白い」

 と、見たままの感想を告げるのが精一杯だった。実際、それはとてつもなく白かった。純白という言葉になんらたがうところのない驚きの白さで、あまつさえちょうど真正面の位置、小さなリボンのようなものまでついていたものだから——いや、これは僕が悪い。いくら無意識の行動とはいえ、確かに僕が悪いことには違いないのだけれど、でも、

「おい、よせ。それはどうやら取れないつくりになっている」

 と、なんだかムッとした調子のお叱りに、そのうえ「というか、やらん」とまで言われて、一応その場はきちんと「ごめんなさい」しておいたものの、でも僕はいまもってなお納得がいかない。

 ——最初から外れないようにできているのなら、じゃあそのリボンはなんのためにあるのだろう。

「そんなことはしらない。きっとそういうものなのだろう。そも、それをいうならこのわたしとて、一体なんのためにこの地上に存在しておるやらわからん」

 いまにして思えばずいぶんと哲学的な問い、それを当たり前の事みたいにさらりと言ってのけて、でも残念だったのはその二秒後、

「……と、いうことは。小童、きみの下着にはは付いていないのだな。そうか。ふふん」

 とかなんとか、また例の平たいのを張って得意げにして、そのうえ小声で「勝った」とか大変大人げのないことを呟いて、でもそれもまあ仕方がない、なんせ神さまのやることだ。

 僕はこのとき神さまというのを初めて見て、もちろんビッチも初めてで、それは母さんに曰くとても頭が弱くてそういう彼女らがこの現代日本をどんどん駄目にしていて、そしてそのときの僕にはその言葉の意味がよくわかった。神さまは、頭が弱かった。少し大人になったような気がした。

「とにかく、小童。これはあぶない。きけんなものだ。だが、なにかに使える」

 と、神さまはたこ焼きのパックをくるくる輪ゴムでとめて、そのまま鞄(スクールバッグだった)にしまい込んで、でも「なにかってなに」と聞いたらなんと「こわい犬とかに投げる」とのこと。あまつさえ「だから大丈夫だ。犬はまかせろ」となんかキリッとしたかっこいい顔までしてみせて、まあその提案の是非はともかく、確かに顔だけならなかなかの格好良さだ。

 大人っぽい、という感想はまあ、当時の僕の年齢を考えれば当たり前のことなのだけれど。

 でも鼻筋はすっと通っているし薄い桜色の唇は艶めいているし、なによりぱっちりと大きな瞳が印象的だった。それは真っ赤な、本当に赤いとしか形容できない不思議な瞳で、髪や肌の雪のような白さと相まってか、なんだか吸い込まれるような心地がしたのをよく憶えている。

 たぶん、背はそう低い方でもない。制服姿、つまり〝高校生のお姉さん〟としてはおおよそ平均くらいで、でもスカートの丈がそう見せるのか、長くて白い脚が本当に綺麗だった。

 総じて、見た目は悪くなくて、つまり顔が可愛くてスタイルもそこそこで、なのにどうして胸だけがこんなにも平たいのか、もう悔しくて悔しくて僕は泣いた。本当に泣いた。まだ世の中のことをなにひとつ知らない子供にとって、こんなのはほとんど詐欺も同然だった。若かったと思う。

「す、すまない。申し訳ない。泣かすつもりはなかったのだ」

 慌てた様子で謝りだした神さまは、でも胸元に視線を落としてしかもわしわし揉んで確認して、

「……そこそこあるほうだと思っていたが」

 と、なんだかものすごく往生際の悪い言い訳をした。反省の色なし、とその当時こそそう思ったものの、でもいまにして思えばそれはまったくの正論、少なくとも「十人並みと言える程度にはあった」という現実を後に大人になった僕は思い知ることになるのだけれど、でもそれはまた別のお話だ。

 結果から言うと、僕は神さまを許した。正確には神さまの胸が必要以上に平たくできていることを容認した。仕方がなかった、だってそんな悲しげな顔をされてはどうしようもない。

 胸なんて要らない、と優しい嘘をついて、そして「顔がいいから平気」と励ました。あと髪が長くて大人っぽくて、そのうえすべすべの肌がとても綺麗だから、総合力で言うならお隣の三弥みやちゃんにだって負けないと太鼓判を押した。事実、三弥では勝負にならなかった。だって当時の三弥には胸がない。ちなみに、いまもない。きっと永久にないままなのだと思う。

 とにかく、神さまは綺麗だった。なのでそのように保証した。若かったと思う。

「そうか。まあ、神さまだからな。なんせ」

 幾分機嫌を取り戻した様子の神さまは、またふふんと鼻を鳴らして得意げにする——のかと思えば全然そんなことはなく、さっきのお冷やを両手に包んでちびちび、なんだか椅子の上で所在なさげにもじもじした。僕にしてみれば想定外の反応の鈍さで、正直「なんだこいつ」という思いもないではなかったものの、でもそれ以上に、どうしてだろう——。

 なんだか思いもかけない拾いものをした、そんな気分になったことをよく憶えている。

 その頃、幼い僕は綺麗なものが好きで、よく道ばたに自分だけの宝物を見つけては、勝手に持ち帰って集めていた。よくある話といえばそうかもしれない。例えば変わった形の石ころだったり、あるいはなにかの部品と思しき謎の金属片だったり——いまとなってはまったく取るに足らないがらくた、でも当時の僕にとってそれは、大切な宝の山だった。

 つまり、非常に簡潔に、そして率直に当時の心証を書き表すならば、

「ラッキー、得した」

 と、まあ要するにそういうことだ。拾いものはもちろんタダなのだから、拾えば拾うほど得するに決まっている。そしてさっきも言った通り、僕は綺麗なものが大好きで、そして神さまは綺麗だった。断言しても構わない、僕のコレクションの中でもまず五本の指には入る。これほどのものが落ちていることは滅多になくて、つまり相当なレアものだ。拾うしかない。

 だから、そうした。若かったと思う。小学校最初の夏休み、当時生活していた祖父母の家のある、片田舎の小さな街でのこと。

 僕は初めて神さまを拾って、そしていつしか、それをなくした。

 まあ、つまりはそういう話だ。綺麗なものが好きな僕と綺麗な神さま、それを拾ったりなくしたり、夏が来る度繰り返して、最後に拾ったのはいつだったか。あれから九年、この春から僕は高校生だ。まだ大人と言うには少し足りないけれど、でもさすがに道ばたに落ちている変なものを、片端から持ち帰るようなことはしなくなった。

 ありがちな話で、そういうものだと思っていた。

 それが大人になるということ、成長とはなにかを捨てることだと、勝手にそんな風に思い込んでいた。いや実のところいまでもそう思っている部分はあるし、それはあながち間違いでもないのかもしれないけれど——。

 正直、思ってもみなかった。遠い田舎に置いてきたはずの、いまでは思い出すらおぼろなその拾いもの。思い出せても白い髪と紅い瞳と、あと「言うほど平たくもなかったよね」というほのかな申し訳なさくらいで、でも人間の記憶力というものは、これでなかなか大したもの。

 一目見た、ただそれだけのことでありありと、そして鮮やかに蘇る当時の思い出。

 まあ、無理もない。なんせ神さまだ、といっていいのか、さすがに彼女は普通ではなかった。なにしろ、見た目がなにひとつ変わらない——いや恰好そのものには多少の変化はあれど、でも初めて目にしたあの瞬間と、寸分違うところのないその容姿。

 結論から言ってしまうのなら。

 僕はまた、拾いものをした。

 ——と、いうか。


 なんか、いた。


 高校に入学してすぐのこと。放課後の校庭、桜舞う並木道の片隅に。

「久しいな。しばらく見んうちに随分大きくなったものだが、とまれ息災でなによりだ、同志」

 春風にめくり上がるスカートも意に介さず、「ふふん」と仁王立ちになる、神さまが。

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