辞表①
ルシフェルは、その日、一封の書を持って神の部屋へとやって来ていた。扉の前で、何度もその書類を見直した。
ミカエルとも何度か相談したが、やはり気持ちは変わらなかった。
ルシフェルが持っているのは、辞表である。
昔ながらの一枚紙に、達筆な字で記されている。こんな日のために通信筆講座を受けていたのが役に立った。
これまでも、散々やめてしまおうかと考えた。しかし、責任感の強いルシフェルにはなかなかそれができなかった。それに、神への期待もまだ少しはあった。いつか、いつか元のように戻ってくれるだろう、と思っていた。
しかし、それがあの結果である。天界のどんな大事も、神にとっては、ゲームの前には全ては何もないに等しいのだ。せめて戦のときくらい、少しは動いてくれるかと思ったが、結局神は最後まで椅子から離れなかったようである。
もうすっかり疲れてしまったのだ。
とっととこんなところ辞めて、楽になってしまおう。他人の遊ぶ時間を作るために心血を注ぐなんて、馬鹿馬鹿しいことはもうゴメンなのだ。
天使を殺すにゃ刃物はいらぬ。神がゲームをすればいい。
ルシフェルは扉を叩いた。気の入らない小さな声で挨拶し、部屋に入った。
そして、驚くべきものを見た。
「おお、ルシフェル。よくぞ参った」
神が、パソコンに背を向けて、ルシフェルの方を向いているのである。しかも、その姿はあの忌々しい鎧姿の戦士ではない。かつての威厳ある老人の姿だった。
ルシフェルはその光景にしばし唖然とし、立ち止まった。
神はルシフェルに歩み寄り、その頭に触れた。
「先の戦い、お主の活躍ぶりは耳に届いておるぞ。よくぞ、天使らを勝利に導いた」
「は、はあ……」
ルシフェルは言葉も出なかった。一体、どうしたと言うのだろうか。
「考えてみれば、わしもお主に苦労をかけた。このような戯れに身を砕いて、周りの者への心というものを失っていたようじゃ。わしは、神として失格だ」
「い、いえ、決してそのような……」
「よいよい、分かっておるのだ」
神は、ルシフェルの頭をぽんと叩いた。
「のう、ルシフェルよ。わしは後悔しておる。一体わしはこのためにどれだけ時間を浪費しただろうな。そのためにどれだけお前に重荷を背負わせただろうな。のう、わしは償いたいのだ」
「神様……」
ルシフェルは、その言葉を涙ながらに聞いていた。
ああ、ルシフェルの大馬鹿者よ。一体、私の何が大いなる神を理解できると言うのだろう。聞け、この神のお言葉を。神は全て分かっておられたのだ。私の信心を試しておられたにすぎないのだ。ちっぽけな心で神を分かった気持ちでいて、見限ったように考えて、自分を何だと思っていたのだ。ああ、馬鹿だ馬鹿だ私は。こんなことくらいで神への信心を見失うとは、どうかしていたのだ。
どこからか光が差し込んで、ルシフェルを照らし出した。天界の鳥たちの祝福のさえずりが聞こえてくる。
ルシフェルは、自分のちいささを身にしみて感じていた。そして、自らの努力も、決して無駄では無かったのだと涙した。諦めずに心を注げば、いつかは通じるものなのだ。
ルシフェルは、言い得ない感動に打ちひしがれていた。
「でだ、わしは考えたんじゃが」
神がそう言ったとたんに、ルシフェルの中で、にゅっと悪い予感が頭をだした。
いや、まさか。
ルシフェルは頭を振ってその考えをけちらした。
「お前のためにこんなものを用意してみたんじゃが」
そう言って、神が雲の中から取り出したのは、一台のデスクトップPCに見えた。いや、それ以外のなにものでもなかった。間違いなくパソコンである。
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