東の魔女:1
石畳を、黒いブーツの踵が軽やかに蹴る。
東の街と呼称されるこの地は、ビュルレンシフェール国内でも屈指を誇る鉱脈の街だ。その土地柄故に街を形作るのは、石材やレンガ材を主に使用してデザインされた家屋。緻密に計算された景観は美しく、宝石類を使った装飾の類は一級品として知られ観光地としても人気が高い。街の中心を走る商店街を兼ねた大通りは敷設された蒸気鉄道の駅があることも相まってか、連日大勢の人々で賑わっていた。特にここ数日は城下の街で執り行われる新王即位の戴冠式に合わせて祭りが催されるために、どこもかしこも魔法がかけられたテープや風船、煌めく水晶やリボンで飾り立てられ、人々の中に流れる雰囲気も何処か浮ついている。
その往来を縫うように、ひとりの少女が駆けていた。
肩の位置で跳ねる明るい茶色の髪。煌めく琥珀の瞳。翻る淡い水色のスカートの所々に油のような汚れを染みつかせ、むき出しの腕を覆うのは革の防具。腰のベルトから下げた道具入れは腕の防具と同じ革素材で、駆ける度に金属同士が触れ合う軽い音をたてた。手にした蔓の篭は歳月が生み出した艶のある一級品で、中に入れたものを保護するように柔らかい布が覆い隠している。
道行く人々に挨拶を交わしながら、少女は目的をもって駆けていく。
やがてたどり着いたのは、一際賑わう街の中心だった。街中よりも一際豪勢に飾り付けられた噴水広場を後目に、広場の片隅に『装具店―アクセサリー・衣服装飾類―』と看板を出す店舗の扉を開く。
カランカラン、とベルが鳴った。
「こんにちは、おば様!今回の分を持ってきましたよ」
「ああ、シュティルちゃんいらっしゃい!ありがとう、そこに置いてくれるかい?」
店内は、あらゆる棚が淡く光っていた。よく見てみれば瓶の中に納められた小さな石たちやボビンに並ぶ糸などが発光しているのであり、明滅は不思議なメロディとなって店内を照らすランプを揺らしている。
シュティル、と呼ばれた少女はにこりと笑うと、店主である壮年の女性が作業するカウンターへと籠の中身を並べ始めた。
それは、色とりどりの鉱石があしらわれたアクセサリーだった。髪飾り、首飾り、ブローチなどが数点。すべて決して大きくはないが精巧な装飾が施されており、シルバー部分も繊細ではあるがしっかりとした存在感があった。
女性はその中からひとつを手に取ると、石の部分をランプに透かすと満足そうに頷いた。
「うん。シュティルちゃんの持ってくるアクセサリーはやっぱりどれもいい出来だね。流石は『錬金術師』だ」
「おば様ったら。私よりも優秀な人は大勢いらっしゃるのよ?おば様だってそのひとりだわ」
褒め言葉に、照れながらもシュティルは謙遜した。
シュティル・ベルンシュタインは一年前に錬金術師として認められ、登録と称号を得た少女だ。
錬金術は、数ある魔法分野の中でも魔具生成に次いで称号取得者が多い分野になる。その基本理念は『金属類を使役する』と、『生命研究』の二つ。だが、基本理念が示す通りに分野内でも部門分けは非常に極端で、使用する者の魔力量に左右される分野でもあった。
錬金術に於いて最高位にあたるのは、使い魔や合成獣、ホムンクルスなどの製造・研究する研究職。
次いで蒸気機関、建造物、日用品それぞれと連携する金属を基とした大型・中型・小型機構の製造・操作・修復を担う製造職。
シュティルが取得し従事しているのは、最も一般的な日用品小型機構の製造と修復だった。一般的であるが故、当然のように商売敵となる相手は多い。鉱脈の街となれば尚更だ。そんな中、まだ成人を迎えていないシュティルのつくったものを置いてくれるのがこの店の女主人だった。
「おや、優秀な人材ってだけならいくらでもいるさね。お世辞でもなんでもなく、私はシュティルちゃんが持ってくるアクセサリーが好きだから店に置くんだよ。謙遜もいいけど評価はありがたく受け取っておきな」
「……そうですね、ありがとうございます。おば様がそこまで言ってくれるなら、次も張り切ってつくらないと!」
「そう、その意気さ。期待しているよ!」
意気込むシュティルに豪快に笑いながら、女主人はカウンターに並べられたアクセサリーを丁寧に、しかし手早く箱へと片付けていく。
「お代は次回までにまとめておくよ。それで、今日はどうするんだい?」
「本当ならお手伝いをしていきたいんですけど、今日は用事があって……ごめんなさい」
「いいって、構わないよ!ああでも、ちょっとだけ待ってくれるかい?」
言うや店の奥に引っ込んでいった店主は、それほど待たずに戻ってきた。中身の詰まった大きな包みが抱えられている。
「祭りで使う教会の飾り具さ、昨日やっと完成したところでね。家が近かっただろ?神父様に渡しておいてくれると助かるんだけど」
「はい!わかりました」
「ついでになっちまって悪いね、よろしく頼んだよ!」
女主人に見送られ、シュティルは再び来た道を戻っていく。
しかし店のある噴水広場が完全に見えなくなると、素早く薄暗い路地に逸れた。不審な行動だが、大通りを行き交う人々の喧噪に紛れて見咎められることはない。念のために振り返り、路地を注視している者がいないか確認するシュティルの表情は先程までの柔やかな表情と異なり険しいものだった。
「……ティファナ、いる?」
明るい大通りを警戒するように見据えたまま、シュティルは潜めた声で誰かを呼んだ。
しかし、路地にいるのはシュティルのみ。応える者はいない―――
「シュティル、ここだよ」
筈だった。
呼びかけに応えたのは、路地の中で最も暗い場所。太陽の光が届かない柱の影。そこからずるり、と湧き出るように闇がひとりの少女のかたちをとったのだ。
肩の位置で揺れる明るい茶色の髪。闇の中でも煌めく琥珀の瞳。捌いたスカートは淡い水色で、所々に油のような汚れの染みつきがある。腕を覆うのは無骨な防具。ベルトに下げた革の道具入れがカチャリ、と揺れる。
更には身長、顔のパーツに至るまで寸分違わずシュティルと同じ。向かい合って立つ姿は双子というよりは鏡に映る鏡像のようだった。
「遅くなってごめんね、ティファナ。お店のおば様から教会宛ての荷物を預かってしまって……」
安堵に混じる当惑を察し、ティファナは滔々と頷いた。
「気にしていない。教会への届け物は私が代わるよ。申し訳ないけど、彼を閉じ込めておくことは私では最終的に不可能」
「そう。……今はどうしているの?」
「……暴れてはいない、部屋の隅にいる。多分、傷口が開いたと思う。私の体を崩して出入りを塞いでいるから、直接診に行った方がいい」
「わかったわ」
不自然な程に似ている二人だったが、個人の判断はひどく容易だった。ティファナは妙にちぐはぐな言葉遣いの少女で、朗らかに話すシュティルと比べるとその違いは顕著に現れる。覚えたての言葉を操る幼子のように拙く、機械が話しているかのように抑揚もない。加えて彼女は表情もひどく乏しかった。シュティルは常に笑みを湛えており、温かな印象と雰囲気を纏っているが、ティファナは面を張り付けたような印象すら与える冷えた容貌。琥珀の双眸も冷然とシュティルを見据えている。
「私の記憶、ちゃんと共有されてる?」
「大丈夫、同期は常にしている。問題はない」
「うん。じゃあ、お願いします」
意味深な言葉を交わすと、頭を下げたシュティルと入れ替わってティファナが大通りへと踏み出した。
変化は劇的だった。
機能していないのではないか、と勘繰ってしまうほど固かった表情筋にふわりとした柔らかな笑みを浮かべ。道行く人に挨拶を交わす口調も、先程までのぎこちなさとは程遠い。纏う雰囲気すら一変させて駆けていく姿はまさに『シュティル・ベルンシュタイン』という少女そのものだった。別人に入れ替わっているとは誰も思わないだろう。
本物のシュティルは『シュティル』を忠実に演じるティファナを見送ると、彼女が出てきた場所へ素早く近付いていった。薄暗い路地の中でも一等暗い柱の影によく目を凝らすと、扉が隠されているのが見て取れた。元々空気中の魔力が溜まり易い地点に設置された扉は更に魔法で厳重に隠され、限られた者だけが知る『通り道』の入り口として利用されている。
そんな扉の中へ、シュティルは躊躇うことなく滑り込んだ。扉を閉めてしまえば内部は完全な闇に支配され、自身の手すら視認できない。鼻腔を満たすのは湿った黴と埃が混じった独特の臭気だ。自然と眉根が寄る。
「やっぱり慣れないなぁ、ここ」
掌に鉱石加工で多用する小さなサイズの炎を浮かせ、ひとり呟く。零れた愚痴は闇に解けて消えた。
便利である為に『通り道』の存在を知ってからは重宝しているが、シュティルはこの場所がそう好きではなかった。明かりがなければ発狂しそうな程に闇は広く、重く、終わりが見えない。
まるで立ち入った者を、飲み込もうとしているようで。
二度と、光のある場所へ戻ることができなくなりそうになる。
どうしてもそんな考えが、頭の片隅を過ってしまう。
「……さて、と」
嫌な想像を振り払うように首を振る。乱れた心は大袈裟に息を吐くことで落ち着かせた。
右手を掲げ、目を閉じる。思い浮かべるのは自身が暮らす街はずれの家。床や壁の材質、配置した家具の質感、匂いなど。できるだけ仔細に、実際にその場にいるように。
目指す場所は、一番奥まった位置にある部屋。
壁の殆どを本棚が埋め、僅かに残ったスペースに配置された木製の机に散らばるのは、山に積まれた本と宝石を抽出した鉱石の塊。机の端には秤があり、片方の皿には大量の赤い石が乗せられている。加工の時に削って出た細かな滓は机だけでなく、床にも落ちて広がったままになっていた。
片付けなければ。内心でしっかりと決意しつつも、手が伸びたのは本棚の間に隠れた小さな扉だ。手前には岩のような鉱石がいくつか転がっていた。見るからに重そうなそれらは扉の開閉を完全に邪魔していたが、移動させる必要はない。どれだけ精巧でも、これらはまだ現実ではなく、シュティルが脳裏に描いているものだ。
扉の向こう側を強く思い浮かべる。
レンガに囲まれた空間は涼しく、元々は貯蔵庫や保管庫を想定して設計されているために棚はあっても窓はない。天上付近に浮かぶランプが、陽光を遮られた室内を薄く橙色に照らしていた。
ぐるりと、閉じた瞼の裏で室内を見回す。かくして、探していたものの姿を部屋の片隅に認め、シュティルは目を開けた。
「……傷、診せてもらえませんか?」
そして立っていた自身の家の一室で、彼女は手を差し出した。
先にあるのは、手足を投げ出してぐったりと床に座り込む人影。黒い髪は毛先が床に散らばる程に長いが、体格は骨張った年若い青年のもの。髪の隙間から覗く紫の双眸は、シュティルを眼光鋭く見上げている。あちこちを怪我している為に纏うローブやシャツはボロボロだ。指摘したのは、青年のぜいぜいという荒い呼吸の原因になっている一際大きな腹部の傷。致命傷には遠いものの、シャツにはジワリと新たな赤が滲みだしている。放っておけば傷から細菌が侵入して悪化する可能性があるだろう。
「診るだけです、何もしません。……貴方が抵抗しなければ、攻撃もしません」
「……なんのつもりだ?」
発せられたのは、威嚇の低い声。
警戒は当然だろうとシュティルも頷く。何せ彼女は二日前、何者かに追われていた青年をあっさりと捕まえ、追っ手を撒くばかりか更には青年を気絶させて此処まで運んできた。己よりも体格で勝るこの青年を、である。その手腕は『ただの錬金術師の少女』というには無理があったし、加えてこの部屋には内側にあるものを閉じ込める、防壁のような魔法をかけていた。
見るからに訳ありな青年の脱走を許さないことで、警戒されるのは仕方がない。
しかし、シュティルにはどうしても青年を確保しておかなければならない理由があった。ここで倒れられては困るのだ。
「……そうですね、挨拶が遅れてしまってすみません」
自然、背筋が伸びる。突然雰囲気の変わったシュティルに、青年は怪訝な目を向けた。
「この出会いに喜びと感謝を。私はシュティル・ベルンシュタイン。錬金術師であり―――」
緊張で、口上を紡ぐ唇が乾く。同時に不安があった。ちゃんとできるだろうか、堂々とできているだろうか。
―――いや、できなければいけないのだ。
恭しく礼をする。上流階級の令嬢のように。
ふてぶてしく、自信に溢れた笑みに見えるように意識して口を笑みの形に整えた。
「『東の魔女』の名を、拝命しています。どうぞ、以後よろしくお願いします」
魔女裁判 上山 詩生 @snowchild
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