第4話 宮司は見た
狐の足は飛ぶように大地を駆け、輝更義たちは翌日には祈宮に到着した。
「輝更義さま!」
守護司の狐たちが出迎え、輝更義たちは報告を受けながら、祈宮の奥、岩壁を這う階段を上っていった。
「佳月さまを連れ去った男たちは、ここに来る前はモンザイの町で働いていたようです。刃凪茂さまと数人が、調べに行っています」
祈乙女の住まいである奥の宮の一つ手前、謁見の間━━以前、輝更義が水遥可から秘密を打ち明けられた場所━━で、真っ青になった老女官が輝更義たちを待っていた。
「まさか、こんなことに……」
憔悴しきった様子の女官は、それでも途切れ途切れに、輝更義の質問に答えた。
佳月は、若い女官二人と散策中に、連れ去られたようだ。
「神域で、このような。下手人には必ず、天罰が下ることでございましょう!」
「佳月さまは、お健やかにお過ごしだったのか?」
輝更義が尋ねると、女官はうなずく。
「はい。元々、お静かな生活をされていて、おひとりで歌を読んだり月琴を弾かれたりして過ごすのを好んでいらっしゃいました。霽……水遥可さまからの文が来たときが一番、笑顔になられ、私たちに文の内容などお話になることもありました。占いのおつとめも、きちんと果たしておいででした」
「散策には、よく?」
「いいえ、ほとんど」
「では、連れ去られた日はなぜ散策に?」
「たまには外の様子も、と、佳月さま自らおっしゃって」
男たちは、佳月がいつかは宮を出るだろうと待ち構えていたのだろうか。
そう考えながら、輝更義は続けた。
「奥の宮のまわりに、男たちの形跡があるかもしれない。他の女官たちの話も聞きたい、上がらせてくれ」
「奥の宮は、刃凪茂さまの命により、出入り禁止になっております。出入りを許されているのは私のみ」
女官は目を伏せる。
「参拝客が騒ぎ立てぬよう、このたびのことが漏れないようにと。表向きには、宮の階段で崩落があったために乙女は本殿まで降りられない、ということにしております」
いったん、輝更義は守護司の詰所に入った。しかし、ここの命令系統は刃凪茂が中心になっているため、輝更義に全ての報告が入ってくるわけではない。
(じっとしていても仕方ないな。……そうだ)
ふと、輝更義は詰所を出た。
向かうのは、宮司の住まいだ。
「輝更義殿!」
神域の中腹にある宮司の館には、阿幕佐がいた。相変わらずの剃り上げた頭に、白装束である。
阿幕佐はいきなり、輝更義の胸ぐらをつかむ。
「水遥可さまに何してくれとんじゃあ!」
「言われるよな、お前にはな」
一瞬、遠い目になった輝更義だったが、阿幕佐はすぐに手を離した。
「……一言くらい、言いたかっただけでござる。水遥可さまからは、文をいただいたでござる」
「……そうか。文には、なんと?」
「秘密に決まっておろう! 水遥可さまからそれがしへの文だからな!」
阿幕佐は得意げに鼻を鳴らしたものの、付け加えた。
「ただ……輝更義殿を選んだのは自分だ、と」
「言うのか結局。ブレブレだな」
「うるさい。傷心の輝更義殿に、せめてもの情けでござる」
「……傷心、って」
「水遥可さまが、そう書いていらっしゃった。玄氏に嫁入りすることを決めたのは自分なのに、自分から狐ヶ杜を去るのだ、輝更義殿は振り回され傷ついている、申し訳ないと書かれていた」
「…………」
輝更義は一瞬、顔をゆがめたが、すぐににやりと笑った。
「水遥可さまに振り回されるなら本望。もしお前でも、そう思うだろう?」
阿幕佐もまた、にやりと笑った。
そして二人は、肩をたたき合う。矢立がいたらツッコミを入れるところである。
表情を引き締め、輝更義は話を変えた。
「今は佳月さまのことだ。知っているのだろう?」
「もちろん。占いの結果が降りてこないのだからして」
阿幕佐も厳しい表情になる。
「それがしも自ら調べようとしたのでござるが、守護司が任せるようにと。……しかし、やはり気になり申す。輝更義殿、行ってみようではないか」
「どこへ?」
「奥の宮の裏手。佳月さまが連れ去られたときにともにいた女官と、話せるかもしれないでござる」
夕暮れの神域。
狐の姿になった輝更義は、阿幕佐を背中に乗せて森の中をぐいぐいと登っていった。
切り立った岩のすき間を抜け、やや強引に岩をよじ登ると、眼下が開けた。奥の宮の、屋根が見える。
『……確かにここから跳べば、なんとか屋根まで届きそうだ。なぜ阿幕佐がこんな場所を知ってる』
「霽月さまご在任のころ、お姿が垣間見えないかと、修行しながらいい場所を探し回ったでござる」
『修行中に何やってんだ。ていうかそれ修行じゃないだろ』
「まあまあ。ほら、女官が水を汲みに出てきたでござる」
阿幕佐の指さす方に井戸があり、確かに人影が現れたところだった。
輝更義は軽く身を沈めてから、跳んだ。いったん屋根に着地し、一枚二枚、瓦をはねとばしてしまったが、とにかく井戸のそばまで降りる。
髪を結い上げ、金属の首飾りをかけた若い女官が、木桶を取り落とした。
「きゃ……」
『静かに。
うなるように名乗ると、薄暮の中、女官は輝更義と阿幕佐を見比べながら目を丸くする。
「あ……輝更義さま?」
『しっ。驚かせて済まない』
輝更義は阿幕佐を下ろし、人の姿になった。
「奥の宮が封じられていると聞いたが、俺も話を聞きたい。兄を通してではなく、直接」
「そ、そうでございましたか……」
細面の女官は、驚きながらもうなずいた。輝更義は尋ねる。
「佳月さまが連れ去られたとき、ともにいたのは、お前か?」
「は、はいっ……私がついていながら、申し訳も……」
「どんな様子か、とにかく話してくれ」
聞かれた女官はどもりながらも、佳月と女官二人の三人で歩いていたときのことを話した。
「二人の、人間の男たちでございました。刀を向けられ、佳月さまを捕らえて……。殺すつもりはないが、お前たちが数日口をつぐむことができなければ、気が変わるかもしれない、と言われ」
涙ぐむ女官の話は、伝令から聞いた話と一致する。目新しい内容はない。男たちの特徴も聞いたが、それはすでに守護司の間で共有されている情報だった。
輝更義は、気になっていることを聞いた。
「事件と関係あるかはわからないが……水遥可さまが、佳月さまと文のやりとりをされていて、近頃お返事がないと心配しておいでだ。狐の伝令が運ぶのだから大して時間はかからぬはずなのに、事件よりも前、二十日ほど前からお返事がない。何かあったのか」
「……佳月さまは、元々おとなしいお方で、様子が大きく変わるようなこともなく……でも」
女官はぽつぽつと話す。
「最近、いつにもまして、おとなしくいらっしゃいました。お歌も詠まれず、月琴も弾かれず。何か紙をちぎっては、滝に流しておいでだったり。ですから、散策に行くとおっしゃったときは、私たち、嬉しかったのです」
「うん」
「それなのに、あんなことに。私たちの手から、するりと抜け出るように奪われて」
さらに女官は、口ごもった。
「抵抗してくだされば、守護司が気づく時間も生まれたのではないかと……いえ、どうにもならなかったとは思うのですが……」
「……抵抗なさらなかった、ということか?」
「は、はい。あの、きっと、突然のことに衝撃を受け、何もできなかったのでございましょうけれど」
そういいつつも、女官の様子は、どこか納得がいかないような風だった。
「あの女官、何か気になっているような様子でござったな」
宮司の館まで戻り、阿幕佐が言う。輝更義はうなずいた。
「普段の佳月さまを知っている女官が、違和感を覚えているのだ。何かしらはあったのだろう。しかし、一体、何が」
「それがしは、紙をちぎって、というのが気になり申した」
阿幕佐は顎を撫でる。
「もしや、文では? 文を誰にも見られないように、滝に流した……」
「水遥可さまからの文をか? いや、そうとは限らないのか」
輝更義は考え込んだが、顔を上げた。
「とにかく、ここにいても仕方ないな。俺はモンザイの町に行ってみる。阿幕佐、礼を言う」
「なんの。もしまた、神域の中で密かに動きたいようなことがあれば、それがしに言ってくだされ。奥の宮だけでなく、祈乙女を見やすい秘密の場所があれこれと」
「怪しい。お前、怪しいから」
「水鏡壇の霽月さまを見つめてでれでれしていた男に言われたくないでござる!」
「何ででれでれしてたって知ってる!」
似たもの同士の二人であった。
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