第2話 別れはすぐそこに
輝更義に用件を伝え終えたるうなは、侍女の控えの間に入った。レイリは卓で、何か書き物をしている。
「レイリ殿、美弓羅さまを見た? 祈宮にも参拝したことがあるって」
卓のもう一つの椅子に座って、るうなは話しかける。レイリは顔を上げないまま答えた。
「覚えているし、先ほどもお見かけした。あの頃よりさらに美しくなられた」
「だよねぇ。お年頃だし。私もお年頃になったら、今よりはマシになるかなぁ」
「るうな殿」
筆を置き、レイリは青い瞳をるうなに向けた。何となく、るうなは座り直す。
「何?」
「水遥可さまにお許しを得たので、話しておく。この件は他言無用だ。……水遥可さまはやはり、輝更義さまが第二の妃をお迎えになることが、お辛いとのことだ」
レイリの口調は淡々としていたが、るうなはハッとなってうつむいた。
「そう……。そうだよね。わかっていてお嫁入りしても、気持ちはままならないよね。あ、もしかして、美弓羅さまがお戻りになったから?」
「第二妃にという話が持ち上がるのではないかと、水遥可さまも輝更義殿もお考えだ」
「白尾城に行った時だって、そういう話になりかけたもんね。そろそろ……ってなるよね。でも」
るうなはにこりと顔を上げる。
「輝更義さまはあんなに、水遥可さまに夢中じゃない。端で見ていてこっちが恥ずかしいくらいだよ。だから、第二妃をお迎えしても、きっと水遥可さまを一番に大事にしてくださるよ」
「それも、水遥可さまにはお辛いことなのだ」
レイリは口調を変えない。
「皇宮で冷遇されてお育ちになった水遥可さまは、ご自分のような思いを第二妃の子にさせたくないとお思いだ。父が、自分の母よりも他の妃を大事にする、跡継ぎは自分なのにと……子どもの心を痛めたくないと仰せなのだ」
「待ってよ、それを納得させるのが第二妃。玄氏の頭領の妻なら、掟の通りにちゃんとするよ」
「水遥可さまも、はじめはそう思っておいでだった。しかし、玄氏でも掟に納得しない、刃凪茂殿のような例があることがわかった」
「うっ」
論破されて黙り込むるうな。
実際のところ、水遥可は結婚前から刃凪茂について薄々知っていたのだが、狐ヶ杜を出る理由付けをするためにレイリが少々ごまかしている。
レイリはさらに、決定的な事実を伝えた。
「るうな殿。水遥可さまによく仕えてくれているあなたには申し訳ないことだが……水遥可さまは、狐ヶ杜を出ることになると思う」
「……えっ」
るうなの顔から、血の気が引く。
「うそ」
「私も残念だが」
「やだ、そんなのいやよ!」
「聞いてくれ」
珍しく、レイリはそっと手を伸ばし、るうなの手に自分の手を重ねた。喉を鳴らしたるうなは、震える唇をかみしめて黙り込む。
レイリはわずかに、口調を和らげた。
「水遥可さまは繊細なお方だ。揉めて、辛い思いをしてから狐ヶ杜を去るより、傷の浅いうちに去った方が、輝更義殿との関係も良好なまま……夫婦の形にこだわらず、時々お会いになることもできるだろう。どうせ会いに来る、あの方は」
「…………」
るうなの目に、涙が浮かぶ。それは、痛みを受け入れようとする涙だった。
「……レイリ殿も……それで、納得、してるんだね。水遥可さまと一緒に、ここを出るんだね」
「うん。るうな殿と離れるのは寂しいが」
「ふふ」
目を細めた拍子に涙をこぼしながら、るうなは笑った。
「うそだぁ。それこそ、私みたいに騒がしいのとは、時々会うくらいでちょうどいいって、思ってるでしょ」
「本当に、寂しい」
真顔のレイリは、懐紙を差し出しながら続けた。
「初めは騒がしいと思っていたが、今はるうな殿といるのがとても楽しい。一緒に来てほしいと思っているくらいだ。どうかな?」
「またまたぁ。……でも、うん、とにかく、わかったよ」
懐紙で涙を抑えてから、るうなは続ける。
「私はやっぱり、お引き留めしたい。騒ぎ立てたいわけじゃないけど。水遥可さま、いつ出るかまでお決めになっているわけじゃ、ないんだよね?」
レイリはうなずいた。
「少なくとも、これから冬を迎え、春がくるまでは、ここにいる」
「じゃあ、まあ、水遥可さまがここを去りたくなくなるように、頑張ってお仕えするわ」
るうなは鼻をぐずぐずいわせながらも、笑顔で言った。
「もしここを出られても、寂しくてお戻りになるかもよ。そうしたらレイリ殿も一緒に戻ってね!」
レイリはただ、薄く笑みを浮かべただけだった。
狐ヶ杜の冬は、水遥可にとって楽しいものとなった。
狐たちは、平地の雪などものともしない。黒狐の姿になった輝更義は、水遥可を乗せて狐ヶ杜の山頂まで行き、瑞青の雪景色を見せて彼女に歓声を上げさせた。
美弓羅の高天土産は、凧や独楽などの玩具が多かった。意外と不器用な美弓羅が、うまく扱えずに四苦八苦しているのへ水遥可が手を貸し、ああでもないこうでもないと結局降参。レイリとるうなが呼ばれ、頭を悩ませ……といった調子だったが、全員が冬の間に扱い方を会得。そこからは習熟度を競った。
そんな中、水遥可は少しずつ、根回しを進めていた。
「伴侶選びの儀の際に、輝更義から何か事情があるようなことは聞いていた」
利舜儀が、腕を組んでうなる。
格子窓にかかった御簾越しに、雪景色が見える謁見の間。卓の下には火鉢が赤く熾り、利舜儀と水遥可の足下を暖めていた。
「妻を娶って跡継ぎをもうけろ、と言ったら、二年の猶予がほしいと言われた。水遥可殿を助けるために必要なのだと。私は、掟を破らないのであれば、と許した。しかしまさか、別れるとは」
「詳しい事情をお話しできないまま、お義父上さまと呼ばせていただくことをお許しくださり、心から感謝しております」
水遥可は両手を重ねる。
「困っていたわたくしを、輝更義さまは救ってくださいました。いずれご恩に報いたく思いますが、まずはこれ以上のご迷惑をおかけすることなく、跡を濁さずに発ちたいと思っております」
「いや、あの様子だと、輝更義は強引にあなたを救う役割を奪い取ったのだろう。かえって迷惑をかけていないといいのだが」
利舜儀は苦笑いしながら続けた。
「水遥可殿の悩み事は解決した、ということで良いだろうか?」
「……はい」
水遥可は微笑んだ。
千里眼の力を、陽永帝に利用されることなく今後も守るためには、水遥可が誰とも結ばれないまま一生を終える必要がある。降嫁の窮地さえ切り抜ければ、後は水遥可だけの問題で、そしてそれは一人で可能であると、彼女は考えていた。
「僭越ながら輝更義さまのご体面を考え、お時間をいただきましたが、あまりに……あまりに狐ヶ杜が素晴らしい場所で、このままでは長居をしてしまいそうです。もう、そろそろ、と」
「ふーん……」
利舜儀は顎を撫でる。
「つまり、本来ならもっと短くてもよかった、ということか。……降嫁そのものが問題だった……?」
「…………」
「いや、詮索して済まない。水遥可殿が問題にしていることが解決したなら、それだけで重畳だ。あなたが聡明なお方であることは、かつて霽月さまをお守りしていたこの利舜儀も存じ上げている」
その言葉を聞いたとたん、水遥可はこらえきれなくなって涙を溢れさせた。
「本当に……幼いころから……玄氏の皆さまには、感謝してもしきれません」
「これは困った、水遥可殿を泣かせたとなると輝更義に殺されてしまう。……出立の際には、見送らせていただきたい。水遥可殿の前途を祈ろう」
利舜儀はそう言って、笑った。
やがて、雪の中から花のつぼみが顔を出し、
皇宮でも、そして祈宮でも、密かに蠢き始めたものがあった。
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