第四章 互いを信じて
第1話 遣高使の帰還
秋も深まり、狐ヶ杜の木々もすっかり紅葉した頃――
高天国の使者が、
「近頃、天候が悪く海が荒れ、高天と大陸――絹の間の行き来が、困難になっているとの由。そこで、わが国からの物資にかかる関税を上げたい、との申し出です」
外交を任されている文官が、使者からの文書を皇帝・陽永に献上する。
陽永は詳しい内容の書かれたそれを一読し、
「高天国王が今の代になって、両国の間の約定をいくつも変えてきたが、税もか。絹の威を借りて、ずいぶんと強気なことだ」
「こ、今後も、交渉を続けて参ります」
皇帝の不興を感じ取った文官は、深く頭を下げる。
その場に同席していた玄利舜儀は、会議の後で文官から近頃の外交について聞き、そして狐ヶ杜に戻ってきた。
「まずいな」
輝更義を居室に呼んだ利舜儀は、卓を挟んで向かい合うなり、苦々しい表情で言う。
「高天国王が代替わりしてから数年、そろそろ落ち着くかという時に、こちらで陽永帝が即位なされた。今度はこちらから新しく外交要求をしたため、向こうは反発している」
「それで、今回の増税ですか。どちらの国主も、事を急ぐきらいがあるように見受けられます」
「互いの即位の時期が、悪かっただけといえば悪かっただけなのだがな。……しかし、税の問題は困ったものだ。果雫国から絹に品を運ぶためには、どうしても高天を中継せねばならない。そこで通行税をつり上げられては」
腕組みをして庭の方を眺めていた利舜儀は、横目で輝更義をみた。
「まあ、そのような不穏な空気であるのでな。……高天にいた
「そうですか」
輝更義はうなずいた。
そして、数秒後、聞き返した。
「え? 戻ってくる?」
「美弓羅さま……祈宮に参拝にきてくださったお名の中に、あったように覚えています。輝更義の従姉妹にあたる方ですね」
卓の上、花瓶に花を活けながら、水遥可が言う。
椅子に腰かけた輝更義はうなずいた。
「そうです。父の姉の子、ですね。
玄氏では、男も女も武術をたしなみ、果雫国を守る役目に携わる。美弓羅は輝更義よりひとつ年上の十九歳で、二年前から使節団の副使として高天国に行っていた。
「外交上の重要なお仕事をなさっているんですから、優秀な方なのでしょうね」
「まあ、実質は大使の護衛なんですが、高天の文化をよく学んでいたようです。しかし最近、両国の間で少々揉めているので、『肩身狭いから帰る』と文が届いたとか」
「そんなに……?」
「税の問題がどうなるか、注意が必要かと」
「そうですか。……でも、お戻りになったらあちらのお話を伺ってみたいわ」
「…………」
輝更義は座ったまま、水遥可を見つめた。
水遥可は立って花を活けていたが、手を止めて輝更義に笑いかける。
「……年頃の玄氏の女性が、狐ヶ杜においでになる。今度こそ、第二妃の話が動き出すかもしれないですね」
輝更義はあわてて、身を乗り出した。
「み、水遥可さま。もしかして、これからのことをもう具体的にお考えに? ある日突然、明日出て行きますさようなら、なんてことは」
「いえ、そんなことは。でも、ひとまず母の生家に文を書こうと思っております。なんと言いますか、そちらに行こうと思っていることを匂わせるようなものを。いずれは身を寄せたいと思っておりますので」
水遥可の亡き母、小雪野の生家は、瑞青よりも北、山に囲まれた土地だ。
輝更義が、もし狐の姿だったら耳を垂らしそうなほどしょんぼりした表情をしているのを見て、水遥可は少し声を励ました。
「ね、輝更義。わたくし、楽しみにしているんですよ、狐ヶ杜での冬。初めてですから」
水遥可が冬の間は狐ヶ杜にいるとわかり、輝更義はわずかながら元気を回復する。
「祈宮は雪がどっさりでしたが、こちらはそれほどでもないので動きやすいです。冬のナイロ街にも出かけましょう!」
「はい!」
狐ヶ杜に数頭の狐たちが到着したのは、それから十日も経たないうちのことだった。
「ただいま戻りました!」
顎で切りそろえた黒髪に、つまみ細工の大きな花飾りをつけた紫の装束の娘。
「ずいぶん早いな。戻る、と文があってから大して経っておらんぞ」
謁見の間で彼女を迎え、呆れ顔の利舜儀。美弓羅は胸の前で手を重ねる挨拶をしてから、赤い唇でにっと笑った。
「狐の足ですもの、船さえ出れば陸路はあっという間でしょ。天候が悪いから税を上げたいとかいっちゃって、海は穏やかなもんでしたよホント。果雫の役人が現地調査をするのは時間がかかるかもしれないけど、狐の調査の早さを高天のお役人は舐めてたんでしょうね、失礼しちゃう。大使が高天にきっちり抗議してくださってるはずだから、しばらくはあちらの要求もおとなしいんじゃないかしら」
ずらずらと話す美弓羅に、利舜儀はとりあえず短く答える。
「そうか。まあ、ご苦労だった」
「あっ」
ぱっ、と振り返った美弓羅は、謁見の間に入ってきた輝更義と、その後ろに続く姿を見て目を見開いた。
「わ! まあ!」
「久しぶりだな、美弓羅。ゆっくりしてくれ」
輝更義はそれだけ言って、さっ、と脇へ一歩よける。そこへ美弓羅が突進し、水遥可の真ん前に立った。頬を染め、目をきらめかせて、挨拶の仕草をする。
「
「どうか、水遥可、と」
水遥可は少し驚いた様子を見せながらも、両手を胸の前で重ね、頭を低くした。
「お疲れさまでございました、美弓羅さま。初めて言葉を交わさせていただき、嬉し……」
「わた、私のことも美弓羅と! いえ、いっそ『弓』と!」
美弓羅は、よほど深い仲でなければ呼び合わないような略称を口走り、そして続ける。
「参拝の時にお姿を垣間見て、ずっと憧れていた方が目の前に! 輝更義がうらめやましい! でもこうしてお会いできたのは輝更義のおかげか!」
「あ、あの、どうぞよしなに」
「美弓羅」
見かねた利舜儀が声をかけ、美弓羅はようやく我に返った。
「申し訳ありません、興奮してしまってっ。こちらこそ、仲良くしてくださいませねっ」
「ぜひ。あの、髪、お似合いでいらっしゃいますね」
水遥可が自分の髪に触れながら言うと、ああ、と美弓羅も同じようにした。
「高天で流行ってるんです、この長さ。頭が軽くていいですよー! 色々、あちらのものをお土産に持ち帰ってきたので……って荷物はまだしばらくかかるのか、届いたらお持ちしますね! それから」
「美弓羅」
「あっ、また止まらなくなっちゃった。またゆっくり! お話しましょう!」
美弓羅は肩をすくめ、ひとまず帰還の挨拶を終わらせたのだった。
離れに引き取った輝更義と水遥可に、レイリが茶を運んでくる。
「お疲れさまでした」
輝更義が笑うと、水遥可ももらい笑いする。
「ちょっと、輝更義に似ているところもおありの方だな、と」
「え、そうですか!? まあ、俺と同じく水遥可さまに憧れていましたからね、美弓羅は。祈宮で拝見して、ぼーっとなったらしいです」
「私もです」
水遥可は頬を染める。
「さっきお会いしただけですけれど、なんだか憧れてしまいました。美弓羅殿に」
「えっ、憧れ!?」
「そうです。遣高使を務められるほどの才色兼備で、護衛ができるほどの武術の達人で、しかもあんなにご自分を素直に表せて――その内面も、人を明るくさせるような方」
水遥可は片手を頬に当て、視線を浮かせる。
「わたくしも、あんな女性になりたい」
「か、勘弁してください」
「どうして?」
「水遥可さまは水遥可さまでけしからんほど最高の極みだからです!」
真顔で言い切る輝更義である。
そこへ、るうなから声がかかった。
「輝更義さまー、皇宮守護司の方がおみえですよ」
「うっ、わかった。水遥可、それでは仕事に行って参ります」
輝更義は名残惜しそうに水遥可をじーっと見つめ、それから立ち去っていった。
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