第8話 縁(えにし)

 水遥可は足を止め、二人の顔を見比べた。

「阿幕佐殿、ここにいらしたのですね。輝更義さま、よくおわかりになりましたね」

「……はい」

 輝更義は視線を落とす。見つけたきっかけは、水遥可が作ったのだが。

「祈乙女の占い花と、同じ花の、花畑です。ここを阿幕佐が見つければ、ここにいるだろうと。……阿幕佐はずっと、水遥可さまをお慕いしておりましたから」

「そ、そ、その通りでござるっ」

 足を肩幅に踏ん張ったまま、阿幕佐は頭を下げる。

 水遥可は微笑んだ。

「それは、わたくしが霽月としてきちんと、祈乙女の任を果たせていたからだということでしょうか。でしたら、嬉しいことです」


「み、水遥可さまっ」

 輝更義は思わず、一歩踏み出した。

「水遥可さまは、いずれ、その……!」

「わたくしを」

 珍しく、水遥可は輝更義の言葉を遮るように口を開いた。 

「阿幕佐殿は、心配してくれたのですね。感謝しております。でも、わたくしは今、とても幸せにしています」

 阿幕佐はあえぐように、口を開けた。

「……霽月さま」

「玄氏を継ぐ身のお方に嫁ぐことに、ためらいもありました。けれど、輝更義さまは言ってくださいました。『俺を信じて、俺を選んでください』と。自分はこの時のために生を受けたのだ、と」

 輝更義はこっそり、額の汗を拭く。

(うう、あの時は本当に必死だった……他の男に渡してなるものかと思って、お願いですうう、っておすがりしてまで俺を選んでいただいて)

 しかし、焦る輝更義とはうらはらに、水遥可は静かに胸に片手を当てる。

「輝更義にも色々なことが起こりました。が、伴侶選びの儀にたどり着いてくれた。その姿を見た時……思ったのです。今、ここに、『えにし』の糸がある、と。輝更義とわたくし、他の誰にも作り出すことのできない、他の誰にも代われない、縁が」

「えっ……」

 輝更義は目を見開く。

「水遥可さま」

 水遥可は、胸に当てた手をきゅっと握った。

「わたくしは、この手を伸ばしてえにしをつかんだのです。……お嫁入りして驚きました、輝更義さまと過ごすことが、こんなに安心できることだなんて。玄氏の掟も、輝更義さまを形作ってきたものの一部。この先何があっても、悔いることなどないでしょう。ですから、大丈夫です。……今の幸せな気持ちを、ずっと覚えていようと思います」


 輝更義は、鼻の奥がツンとして、何も言えなくなってしまった。

 水遥可の言葉が、阿幕佐に対してだけではなく、半分は輝更義への言葉だと気づいたからだ。

(伴侶選びの儀のとき、水遥可さまのおそばにいたのは、他の誰でもなく俺だ。俺は間に合ったのだ・・・・・・・・・。そして今、水遥可さまは日々を笑顔で過ごしていらっしゃる)

夫婦二人の視線が、出会う。

水遥可は、ほのかに恥じらいを含む笑みを浮かべた。


 低い阿幕佐の声が、輝更義の耳に入ってくる。

「……今日、それがしがご無礼をはたらいて水遥可さまを連れ去ったとき、飛び込んできた輝更義殿を見て……今、組み手をして。そして、水遥可さまのお言葉を聞いて、それがしも腑に落ち申した」


 阿幕佐はいつの間にか、霽月ではなく水遥可と呼ぶようになっている。

 それは、彼にとっての彼女が憧れの祈乙女ではなくなり、輝更義の妻であると認めたことを示していた。


 阿幕佐は輝更義に向き直り、深く頭を下げる。

「申し訳なかった。すぐそこに見えていた、お二人の強いえにしを、後から来たそれがしは見ようとしなかったのだ。それがしは間に合わなかった、縁がなかった……そのことに目をつぶって」

「阿幕佐殿」

 輝更義も、阿幕佐に向き直る。

「俺は、水遥可さまを大事にする。どうか見守っていただきたい」

(今は、これしか言えない。水遥可さまが幸せであることこそ、最も大切なことだ)

 少し先の未来へ、輝更義は思いを馳せた。

(俺と別れた水遥可さまがそのとき幸せなら、阿幕佐にはそれを見守ってもらえれば……そして不幸なら、手をさしのべてくれれば)

きっと自分も、阿幕佐の立場ならそうするだろう。そう、輝更義には思えた。


 阿幕佐は輝更義の目をじっと見てから、一つうなずいた。

 そして、水遥可に向き直って頭を深々と下げると、さっと身を翻して花畑の彼方に足早に去っていった。


 夜風が、さやさやと花を揺する。

 輝更義は恐る恐る、水遥可を振り返った。

 水遥可はゆっくりと、彼の隣まで来ると、柔らかな声音でささやく。

「勝手に、あんな話をして、申し訳ありません」

「水遥可さま」

胸を高鳴らせる輝更義を、潤んだ瞳で水遥可は見つめる。

「母と一緒の時でさえ、どこか不安でした。祈宮でも、寂しかった。でも、輝更義と一緒にいると、安心するんです。何があっても大丈夫だと……こんな気持ちは、初めてです」


(信頼されている。俺となら、白い結婚は全うされ、水遥可さまの不安は消えるのだ)

 またもや溶けそうになった輝更義は、あやうくこのまま花畑の養分になるところだったが、どうにか正気を保って答えた。

「こ、光栄です! 俺が無害だと信じて下さっていて、嬉しいです!」


「……あの、そういうこととは、少し、違うような……」

 軽く首を傾げたものの、水遥可はレイリとるうなが待っている方へ目をやり、そしてもう一度、輝更義を見上げた。

「お部屋に、戻られますか?」

「あ、ええと、他の者たちも阿幕佐を探してくれていますので……もう心配ないと声をかけてきます」

「わかりました。では、先に戻っていますね。……ありがとう、輝更義」

 水遥可は微笑みを浮かべ、そしてレイリたちと戻っていった。



 それから、一月が経った。


 椅子に腰かけた輝更義と水遥可の前、少し離れたところで、膝を突いている男がいる。

「祈宮に向かいます。そのご挨拶に伺い申した」

 いかつい顔立ちのその男は、阿幕佐だ。

「修行、修行といいながら、欲念を捨て切れなかった身ではござるが、水遥可さまに──お二人に断ち切って頂いた今、自分に何ができるかよく考え申した。やはり、それがしは宮司のせがれ。祈宮という場所を守っていきたいと考えたでござる。今度こそ」

 輝更義の目には、阿幕佐のまとう空気が先日までと違って見えた。まるで、土埃を立てながらごろごろと転がっていた石が、どっしりと鎮座したかのようだ。

「わたくしにとっても、嬉しいことです」

 水遥可が静かにうなずく。

佳月かげつさまを支えて差し上げてください」

「この力を尽くすことを、お約束いたす」

 まっすぐな視線で約し、阿幕佐は退室していった。


 輝更義は、軽く息をついた。まだまだ、結婚生活には慣れないが、今回の一件で何かが落ち着いたような気がしたのだ。

(一番落ち着いたのは、俺の気持ちかもしれないな)

 いつものように、卓越しに、輝更義は水遥可を見つめる。

 彼女はしばらく黙ったまま、阿幕佐が去っていった外廊下の方を見つめていた。

「……ご心配ですか?」

 輝更義は、声をかける。


 水遥可は、ハッ、と彼を見た。

 その、ほんの一瞬――

 彼女の瞳が映していた感情が、何かを決意した時のような光を湛えていて、今度は輝更義の方がハッとなる。


 すぐに、水遥可は微笑んだ。

「いいえ、祈宮のことを思い出していただけです。……あるべきところに物事が落ち着いて、ようございました」

「落ち着き、ましたか」

「はい」

 そこへ、レイリとるうなが入ってきた。

 レイリは文箱を、そしてるうなは同じくらいの大きさの布包みを捧げ持っており、二人はそれを卓の中央に置いた。レイリが言う。

手繭良たまゆらさまからの、お祝いの使者がおいでになり、これを」

「ありがとう。もてなして差し上げて」

 水遥可の言葉に二人は頭を下げ、退室していく。

「ヤエタでお世話になった、手繭良さまですね」

 輝更義は、先に文を読むように水遥可に促した。水遥可は文箱の文を広げる。そして、嬉しそうに言った。

「結婚のお祝いに、砥石を下さるそうです」

「ああ、砥石。……ええっ」

 思わず、輝更義は声を上げた。

「ヤエタの砥石ですか!? それはまた、貴重なものを……!」

 今度は水遥可が輝更義を促し、輝更義がもう一つの箱を慎重に開いた。


 中に入っていた艶やかな布を左右に開く。

 青磁せいじ色の、細長い石が姿を現した。


 玄氏では、輝更義の父・利舜儀りしゅんぎだけが所持している、ヤエタの砥石。輝更義が祈宮守護司を拝命したとき、利舜儀の命でお抱えの研師とぎしが一度だけ、この石で輝更義の狐牙刀を研いだことがある。砥石は使うと少しずつ摩耗するため、貴重なヤエタ石はここぞという時にだけ使われた。

 というのも、ヤエタの擁する霊峰から算出されるその石には、霊力が宿っているのだ。その霊力は、研いだ刃を強く固くする。

 刃を研ぐことが、牙を研ぐことに直結する玄氏にとって、その砥石は貴重な宝物なのである。


 しばらく石を見つめていた二人は、ようやく目を見合わせた。

「……つい、見とれてしまいました」

「わたくしもです」

 水遥可は輝更義にも、文を見せる。

『水遥可姫をお守りするために』……と書かれていた。

 手繭良は、輝更義が水遥可を守る一助として、この砥石をよこしたのだ。


 輝更義はいっそう、気持ちを引き締めた。

 今の水遥可は彼の妻であり、輝更義は妻を守る。それはとても、確かなことだった。 


 水遥可が彼に問いかけてくる。

「玄氏は武官の一族、腕の良い研師がいるのでしょう?」

「はい、それはもう」

 うなずいた輝更義の脳裏に、ある顔が浮かぶ。水遥可が軽く首を傾げた。

「どうか、なさいましたか? 少し、憂鬱そうな」

「そ、そうですか? それより水遥可さま、町にも出かけたいとおっしゃっていましたね、日取りを決めましょう!」


 輝更義は水遥可に微笑みかけながら、心の中で誓う。

(幸せにする。必ず)  

 


【第二章 狐ヶ杜の新婚夫婦 終】

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