第6話 占い花の行方
水遥可や侍女たちを本家の離れに送った輝更義は、玄氏の者に離れを見張らせておいて、狐ヶ杜の捜索を始めた。
いったん古い堂まで戻り、そこから阿幕佐の匂いを追ったものの、匂いは池で途切れている。
(飛び込んで匂いを消したのか? それからどこへ……)
池を眺めわたし、狐の耳を立てて音を探してから、彼は池に沿って注意深く痕跡を探した。
しかし、阿幕佐の姿はどこにも見当たらない。
空が茜色に染まり始め、鳥の黒い影が狐ヶ杜の上を横切った。
(水遥可さま、不安がってはいないだろうか)
輝更義はひとまず離れに戻ることにした。
二人で話をするのに使っている居間には、水遥可の姿はない。
(どこに行かれたんだろう。俺を待ってはいないのかな。なんて、少しがっかりしたり。……待てよ。さっき、『我が妻に触れるな!』なんて口走ってしまったけど)
にわかに、輝更義は焦り始める。
(契約結婚なのにあんな、まるで水遥可さまは俺のもの的なこと言って、図々しいと思われたんだろうか。いや、だって阿幕佐には、俺と水遥可さまは夫婦だって、こう、ビシッと言わないとまずいし。水遥可さまだって、契約とはいえ結婚したことには変わりないっておっしゃってたし!)
「だよな、矢立!?」
いきなり同意を求められた矢立は、輝更義の横に浮かびながら斜めに傾いだ。
(でも……あんな気持ちになるなんて。俺だけのものにしたい、いや、俺だけのものだ、と……)
首をブンブンと横に振り、雑念を払ってから、輝更義は声を上げた。
「……誰かいないか!」
すぐに、るうなが姿を現した。人の姿で、居間の外から胸に手を当て頭を下げる。
「輝更義さま、ご無事でお戻りでしたか!」
「あ、ああ。また出るがな。水遥可さ……み、水遥可は?」
「奥方さまは今……あ、お戻りです!」
廊下の奥に目をやってそう言ったるうなは、道をあけるように脇に退いた。
すぐに、水遥可とレイリが入ってくる。
「あ」
水遥可は輝更義を認めるなり足を止め、恥ずかしそうにうつむいた。レイリは水遥可の持ち物を居間の棚に置き、下がっていく。
輝更義は、ごくり、と喉を鳴らした。
しっとりした気配をまとった水遥可は、濡れ髪を背中で布に包み、頬を薄紅色に上気させていた。湯を使っていたらしい。
「ご、ごめんなさい、はしたない格好で」
「ゆあがりみはるかさまたまらん」
「え?」
「い、いえ!」
輝更義はハッと我に返る。
「そうですよね、あんな埃だらけの古い堂に連れて行かれたのですから! すっきりなさいましたか?」
「ええ、はい。それはもう。ですが」
水遥可はうつむいたまま視線を泳がせ──
そして、輝更義を上目遣いに見上げる。
「わたくし……においますか?」
「えっ」
「阿幕佐殿の、におい」
彼女は再びうつむく。
「玄氏は匂いに敏感でしょう? わたくしの身体からは、わたくしを担いだ阿幕佐殿の匂いがしていたはず……夫の前で失礼なことと思って、すぐに湯を使ったのですが……」
「水遥可さま」
「どうですか? もう、匂いはしませんか?」
水遥可は申し訳なさそうにしながら、彼の返事を待っている。
(は、早く安心させて差し上げねば)
輝更義は思い切って足を踏み出し、水遥可の肩に触れた。
はっ、と彼女が顔を上げる。
輝更義は水遥可に顔を近づけた。首筋のあたりを、くんくんと嗅ぐ。そのまま、肩、そして胸元へ。
(……心臓がバクバクする……)
「……あの……輝更義」
「え」
ささやくような声に身体を起こすと、水遥可は真っ赤になっていた。
「そんなに近くで、確かめなくても……」
「!」
がばっ、と、輝更義は飛び離れた。
「も、申し訳ありません!」
「そこからは……匂いませんか?」
「大丈夫です! いい匂いです! 死……最高です!」
「よかった」
水遥可は微笑んだ。
二人は卓を挟んで向かい合った。水遥可か心配そうに眉根を寄せる。
「阿幕佐殿は、見つかりませんか」
「はい。池に飛び込んで匂いを消した後、池から上がってはいるんですが」
「上がった場所がわかったのですね?」
「わかりました。ただし、複数」
「え?」
首を傾げる水遥可に見とれつつ、輝更義は答える。
「要するにあいつは、水を浴びては上がり、水を浴びては上がりしているんです」
「まぁ、どうしてそんなことを」
「欲念を払うためじゃないですか」
呆れている輝更義は、投げ捨てるように言って続けた。
「一体、何年も何を修行していたのやら。欲の固まりですよね」
スコンッ。
「痛っ」
輝更義が頭を押さえて振り向くと、矢立が一枚の紙とともに浮かんでいる。
『同』
「同じ? 俺と同じか!? どういう意味だよ!」
かみつく勢いの輝更義。
水遥可は口元を隠しながら微笑んだが、すぐに笑みを消して立ち上がった。そして、隅の棚の上に置かれている折り畳まれた紙を手に取り、戻ってくる。
「あの……阿幕佐に、これを最初に渡されたのです」
「手紙、ですか?」
受け取った輝更義は、すぐにそれを開いた。
とたん、ひらり、と小さなものがいくつか、机の上に落ちる。
くすんだ紅色のそれは、花びらだった。
「押し花……?」
輝更義がそれを手のひらに乗せて見ていると、水遥可はためらいがちに言った。
「わたくしの、占い花だと言っていました。川を流れてきたのを拾って、押し花にして……ずっと持っていたのだと」
元々は別の名前があった花だが、祈乙女が占いに使うため、今では占い花と呼ばれているものだ。
「…………」
輝更義は考え込んだ。
ふと、彼が顔を上げると、水遥可が宙を見つめている。その黒い瞳の奥に、青い炎のようなものが見えた気がして、輝更義は息を呑んだ。
水遥可はささやく。
「……花畑が見えます」
「花畑?」
輝更義はハッとした。水遥可は千里眼の力を使っている。
「阿幕佐が、花を見ています。占い花だわ。薄紅色の花弁……八重の花です。阿幕佐は今、そこにいるみたい」
輝更義は花を紙に戻して畳むと、水遥可に返した。そして、黙って立ち上がる。
水遥可は心配そうに、彼を見上げた。
「あの、何か、気を悪くさせましたか……?」
「え、いいえ! 全然! 思いついたことがあって」
輝更義はあわてて説明する。
「阿幕佐が行ったかもしれない場所に、心当たりが。ちょっと、見に行ってきます」
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