第5話 妻を助けに

「え」

 再び目を見張る水遥可に、阿幕佐は素早い動きで立ち上がると近づいた。レイリが素早く割って入る。

「阿幕佐殿、少しお下がりを」

「侍女風情は黙っておれ。水遥可さま、二人で少し話をさせていただきたく」

 レイリを押しのけた阿幕佐は、水遥可まで一歩の距離だ。見上げる高さからのその眼力に、彼女は戸惑いながら答える。

「ええ……話はもちろん、構いません。けれど、二人、というのは」

「失礼つかまつる!」

 しびれを切らしたように、阿幕佐は一気に水遥可に両腕を伸ばした。

「あっ……」

「水遥可さま!」

 レイリとるうなが声を上げたのもつかの間。

 阿幕佐は軽々と、水遥可を肩に担ぎ上げてしまった。

 そしてそのまま、彼は斜面に飛び降りた。下生えを滑る力を利用しつつ、木々の合間をざっ、ざっと降りていく。

「お待ち!」

 一瞬で、るうなが茶色い狐に変化した。胸の白い毛が、三日月のように美しい。

 彼女は阿幕佐の後を追って飛び出そうとしたが、レイリが抱きつくようにして引き留める。

「待て」

「レイリ殿、どうして!?」

「るうなでは、阿幕佐にかなわない。あの男の修行は本格的なもので、岩をも砕く剛力を持っているそうだ」

 低く鋭い声に、動きを止めたるうなは息を呑む。

 レイリはるうなの茶色い瞳を見て続けた。

「狐のるうなは足が速い、輝更義殿に知らせて。私が阿幕佐の後を追う。そして、水遥可さまが危ない時には命を賭してお守りする。さあ、お行き!」

 年下のレイリの鋭い口調に呑まれ、るうなは一度ごくりと喉を鳴らした。

 が、すぐに鼻面を上下してうなずくと、ぱっ、と茂みに飛び込んで姿が見えなくなった。


 るうなはそのまま狐ヶ杜を出ると、皇宮まで疾走した。

 皇宮守護司の任についている輝更義が、現在皇宮のどこを警備しているのかはわからない。彼女は真っ先に守護司詰所に飛び込み、水遥可の使いであることを伝え輝更義の居場所を尋ねると、皇宮の北の見張り台である楼閣に向かった。

 北門楼閣は、皇宮の門としての役割も果たしている。人の行き来する門の上に屋根が二重、三重になり、手すり越しに守護司が宮の内外を睥睨していた。

「輝更義さまー!」

「るうなか!?」

 楼閣の上からるうなを認めた輝更義は、すぐに水遥可に何か起こったと察した。

 一気に手すりを飛び越え、地面まで飛び降りる。通行人が驚きの声を上げた。

 るうなは余計な前置きはせず、起こったことを告げた。

「阿幕佐と名乗る男が、狐神さまのお社のあたりから奥方さまを連れていってしまいました! 池を回り込むように下りたみたい。レイリ殿が後を追ってます!」

(阿幕佐!?)

 祈宮で働いていた輝更義も、彼のことは見知っていた。とにかく、伝令の部下に持ち場を離れることを伝え、楼閣へ代わりを呼ぶよう指示し、るうなと共に走り出す。

「阿幕佐は、何か言っていたか」

「陽廉陛下のことを知っていれば、伴侶選びの儀に名乗りを上げていたのに、って」

「何っ!?」

 ぞわっ、と、輝更義の首の後ろあたりに寒気が走る。

(まさか、あの男、水遥可さまを奪うつもりか!?)


 その瞬間、輝更義の頭の中で爆発したのは、三つの怒りだった。

 幼い頃から憧れ続けてきた水遥可が、傷つけられることへの怒り。

 千里眼の力を悪用されないようにという水遥可の願いを、台無しにされるのではないかという怒り。

 そして──


俺のものだ・・・・・


 ぐわっ、と黒い炎が疾った。

 輝更義は巨大な黒い狐に変化すると、るうなを置き去りにして風のように駆ける。

 都の家屋を飛び越えて走る彼の姿は、まさに風のように、人の目に止まることなく過ぎ去っていった。


 狐ヶ杜の木々の枝から枝へと走った輝更義は、ついに水遥可の気配を見つけ出した。

 使われなくなって久しい、小さな堂だ。両開きの扉は開かれていたが、片方が壊れて斜めに外れている。

 その中に男の大きな背中がうずくまり、背中越しに水遥可の着物の端が見えた。輝更義はカッとなった。

(水遥可さまが、あいつの下に……!)

 彼は黒い風のように、堂に飛び込む。残っていたもう片方の扉が吹っ飛んだ。

 振り向きかけた男の白装束の首根っこをくわえざま、輝更義は首を振って脇へと投げる。

「うわっ!」

 男の身体が堂の壁に叩きつけられた。小さく、水遥可の悲鳴が聞こえる。

 しかし男は気絶することなく、ぱらぱらと欠けて落ちる木片にまみれながら立ち上がろうとした。

 その時には、輝更義はすでに人の姿を取りながら鯉口を切っていた。一気に狐牙刀を抜き、水遥可の気配を背に、男に向かって刀を一文字に構える。

 鋭い声が飛んだ。

我が妻・・・に触れるな!」

 彼の背中で、水遥可がハッと身じろぎするのが感じられた。


「ううっ……輝更義殿、か」

 剛の者とはいえ衝撃は大きかったのか、阿幕佐は顔を覆うように抑えながら立ち上がる。

 油断なく構える輝更義の背後で、ひそやかな声がした。

「輝更義……来てくれたのですね」

「水遥可さま」

 輝更義は、やや斜めに下がった。人間よりも広い視野で水遥可を捉える。

 水遥可は驚いたように胸を抑えていたが、着衣の乱れもなく、きちんと床に座っている。単に、大柄な阿幕佐の陰に入ってしまっていただけのようだ。

 すぐそばにレイリが寄り添い、飛んできた木片を冷静な仕草で水遥可の膝から払い落としていた。

「お怪我は!? 阿幕佐は何を!?」

「わたくしは大丈夫です、ありがとう。……見て」

 水遥可が、阿幕佐の方に視線を投げる。 


 輝更義が阿幕佐に視線を戻すと──

 立ち上がった阿幕佐が、顔から手を離したところだった。頬に、幾筋も黒い跡がついている。

 涙だ。彼はぼろぼろと泣いていたようで、そこへ輝更義に吹っ飛ばされ、砂埃が付着してひどい有様になっている。

「ううう、水遥可さまぁああ」

「あの、阿幕佐殿」

 水遥可が何か言おうとするのもつかの間、阿幕佐はおいおいと泣きながら、堂を飛び出していってしまった。


「は……?」

 輝更義は少々、呆然となった。

 ちょうどそこへ狐のるうなが追いつき、飛び出していく阿幕佐と堂の中を、目を丸くして見比べている。


 輝更義は、水遥可の隣に片膝をついた。

「何があったのです!?」

「お話をしているうちに、感極まってしまったようで……」

 水遥可は困ったように首を振る。輝更義は真顔で身を乗り出した。

「詳しく。何を、お話しになったんですかっ」

「わたくしはほとんど、話していないのです。聞いてばかりで。その……」

 珍しく、水遥可は歯切れが悪い。

「玄氏の輝更義が、わたくしを娶ったなら、自分にもその資格があったはずだ……というようなことを、繰り返していました」


 輝更義は眉根を寄せる。

(伴侶選びの儀で、俺以外の候補は皆、陽永陛下のご親戚だった。阿幕佐も、水遥可さまのような雲の上のお方が降嫁なさるなら、皇族の縁者のはずだと思っていたのだろうな。……ところが、水遥可さまはその面々ではなく、俺を伴侶とした)


「わたくし、説明しようとしたのですけれど、気が高ぶっておいでのようだったので、しばらく様子を見ていて……もっとうまく、落ちつかせることができていればよかったのですけれど」

 水遥可は目を伏せて肩を落とした。

(俺を選んだこと、どのように説明しようとなさったのだろう)

 輝更義はちらりと思ったものの、また阿幕佐が何かしないとも限らない。周囲が気になり、あたりに気を配りながら言う。

「阿幕佐がまた、水遥可さまの前に現れるやもしれません。とにかく離れに戻りましょう。警護をつけます」

「でも……ええ……そうですね」

 落ち込んだ様子の水遥可も、力なく立ち上がった。

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