第2話 狐ヶ杜の頭領

「お久しゅうございます、水遥可でございます。ご存知の通り、世間知らずのふつつか者ですが、何卒よしなにお願い申します」

 水遥可は輝更義と並んで両膝をつき、胸の前で両手を重ねて頭を下げた。


 玄氏の本家、小広間である。

 一段高くなった場所には、輝更義の父・くろの利舜儀りしゅんぎが椅子に腰かけ、水遥可を見下ろしていた。彼女は皇籍を離れたため、玄氏の頭領である利舜儀に頭を下げる立場になる。


 利舜儀は、水遥可を見て相好を崩した。

「よもや、あなたさまをこの家にお迎えすることになるとは。玄氏は狐の武官の家、むさ苦しいところで不便もおありかと存ずるが、玄氏の一族は祈宮でお会いしたことのある者も多いはず」

 話しながら段を降りた利舜儀は、続きの間に二人を招き入れて椅子を勧めた。

「はい。わたくしのことをご存知の方が幾人もおいでのところへ嫁ぐことができ、不安もなく嬉しゅうございます」

 水遥可は微笑む。

 卓を挟んで向かい合い、表情を改めた利舜儀は、まず真っ先に淡々とこう告げた。

「輝更義はいずれ、玄氏の頭領を継ぐ男。そしてその彼のあとを継ぐ者もまた、玄氏一族の間から生まれなくてはならない。その点については、水遥可姫においてはよくご存知のことであろう」

「はい」

 水遥可はうなずいた。

「存じ上げていながら、伴侶選びの儀のときに、このお方しかいないと思ったのです。おそばに置いていただければ、わたくしはそれだけで嬉しゅうございます。輝更義さまの妻になったからには、玄氏の掟に従う所存にございます」

「うむ……」

 利舜儀はうなってから、輝更義を見て苦笑した。

「我が息子がこのように罪な男とは、父も知らなんだ」

「まあ」

 水遥可は口元を隠して笑い、いたたまれない輝更義は口元をもにゃもにゃさせた。


 笑いをおさめた水遥可が、口を開く。

有渦津ゆうずつさまや和格沙わかくささま、それに……刃凪茂さまも、つつがなくお過ごしですか?」

 輝更義の、三人の兄たちの名前である。神域で暮らしていた頃の彼らを、水遥可は見知っていた。


 刃凪茂は前日の明け方、輝更義と相討ちのような形になった後、狐の姿のままで足を引きずりながら本家の方へと駆け去った。

 輝更義はかろうじて人間の姿になり、水遥可の元に駆けつけたため、兄がその後どうなったのか知らない。水遥可は気になったのだ。


「兄二人は、果雫カダ国北方と西方の守護司の任についているが、刃凪茂はこの本家で暮らしている。あやつも忙しいが、数日の内に会えるだろう」

 利舜儀はさらりと言って微笑んだが、ちらりと輝更義に呆れたような視線を向ける。

(いや、父上……凪兄に挑発するようなことを言った俺も悪かったですが、そもそも凪兄が……うむむ)

 内心ため息をつく輝更義の耳に、利舜儀の言葉が届いた。

「伴侶選びの儀の演奏、見事であった。二人の強い結びつきを、人々に知らしめるものだったと存ずる。……さあ、ゆるりと休むがよい。何分急なことだったので、ひとまず離れの客間を用意させた。揃わないものもあろうが、侍女に申しつけてほしい」

「ありがとうございます」

 二人は揃って、頭を下げた。

 

「よけいな装飾がなくて、なんだかとてもすっきりした気持ちになる離れですね。素敵です。庭もとても美しいわ」

 水遥可は嬉しそうな様子で、格子窓から外を眺めている。

 輝更義は内心、胸をなで下ろした。

 玄氏は男でも女でも武官を多く排出する家で、華やかなものにあまり縁がない。水遥可がこの環境を気に入るかどうか、心配していたのだった。

「あら?」

 水遥可は部屋を見回す。

「あの、刀はどこに置くのですか?」

 武人の妻は、夫の刀を受け取って刀台に置くものだ、ということを彼女は聞いたことがあった。

「ええとですね、水遥可さま、これは、こうです」

 輝更義が腰の刀に触れると、しゅん、と刀は風を巻くようにして消えてしまった。水遥可が、あ、と声を上げる。

「そうでした、刀も身体の一部なのでしたね」

「そうです。狐の牙ですから、狐牙刀こがとうと呼びます。刀の状態で研いでおくと、狐の姿の時に牙が鋭くなります」

 輝更義が説明すると、水遥可は感心したようにうなずく。

 輝更義は話を変えた。

「お疲れではないですか? 隠し事を抱えての、父との対面……さぞ緊張なさったことでしょう」

「大丈夫です」

 水遥可は微笑む。

「祈乙女を、十三年の間務めたわたくしですよ」

 神託と皇帝の意向、どちらもうまく立てながら過ごしてきた年月が、水遥可という女人を鍛えている。

(身体を鍛えてきた俺たちとはまた違った強さを、水遥可さまはお持ちなのだな)

 輝更義は感じ入った。


 ふと、水遥可は視線を逸らす。

「どちらかというと、輝更義と過ごす方が、緊張します」

「えっ!?」

 ぶわっ、と冷や汗をにじませながら、輝更義は慌てた。

「おおお俺が何か失礼をっ!? ならばいっそ手打ちに!」

「そ、そうではなくて」

 水遥可は睫毛を伏せる。その頬が、ほんのりと上気した。

「輝更義とは、何もかも、初めてのことばかりなのですもの。殿方と同じ寝間で夜を過ごしたり、手に、振れたり……」


 そっと片手を自分の頬に当てる水遥可に、輝更義は口を開けたまま見とれた。

(俺が水遥可さまを、照れさせている!?)

 彼は思わず、すぐ脇にあった床几を手にとって、自分の頭をゴンとぶん殴った。水遥可が仰天する。

「何をしているのです、大丈夫ですか?」

「いや、早く現実に戻らないと、と思って」

「何のことかわからないけれど、しっかりしてください。ただでさえ怪我をしているのですから、これ以上は本当に、気をつけてくださいませ! さあ、座って」

 水遥可は輝更義を窓のそばへ誘う。

「それでは、細かな取り決めをいたしましょう」

「と、取り決め」

「はい。お義父さまから二年の猶予をいただいたのでしょう? その間にどのように事を運ぶか、決めてしまった方が、輝更義も都合がよいでしょう」


 二人は、庭の見える窓のそばの小卓で向かい合った。

「他の男性と結婚することになっていたら、わたくしは子ができないことを理由に離縁するつもりでおりました」

 水遥可はそう切り出す。

「けれど、今のわたくしは子ができなくともよい立場。いえ、できない方がよい立場です。そうですね?」

「その通り、です」

 少しためらいながらも、輝更義はうなずいた。


 玄氏の掟に従えば、輝更義は水遥可とは別に玄氏の女も娶り、その妻との間に子をもうけて後継ぎとする。人間である水遥可が子を産もうが産むまいが関係ない。

 むしろ、よけいな火種を抱えないためには、人間との間に子は産まれない方がよいということになる。


 そのあたりは承知の上での契約結婚なのだが、輝更義は落ち着かなかった。

 水遥可が皇宮で邪魔者扱いをされていた――そんな話を聞いてしまったため、離縁だの、子ができない方が良いだの、まるで今も彼女が邪魔者であるかのような言葉には、複雑な思いを抱いてしまうのだ。


 一方の水遥可は、色々と考え込みながらも割り切った様子で話を続けている。

「他に、離縁する理由を考えなくてはなりませんね。わたくしが原因で、何か……離縁する理由を」

 輝更義は少し身を乗り出した。

「あの……。白い結婚であれば、いいのですよね。もしも水遥可さまがお嫌でなければ、ずっとここにいて下さっても」

「いいえ。それはなりません」

 きっぱりと、水遥可は首を横に振った。

「輝更義の子を産む玄氏の女性にとって、わたくしの存在は辛いものになってしまいます。母上を見て育ったからこそわかります、輝更義の奥方にはそんな思いをしてほしくありません。まして、わたくしは子さえ産まないのですから、玄氏にとって百害あって一利なし。なるべく早いうちに、ここを去らねば」

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