第5話 千里眼


「……は?」

 輝更義きさらぎは、固まった。

(いきなり、新皇帝批判!? こ、これは確かに、人に聞かれたら大変だ!)


 水遥可みはるかは軽く顎を上げる。

「さきほど、覗き見をするのははしたなく失礼で、そして信頼関係を壊すことだと言いましたね。新皇帝――叔父さまに千里眼はありませんが、とても、はしたなくて失礼なことをなさっていました。詳しく言えなくてごめんなさい。でも、都で暮らしていた頃、私も母上もずいぶん不愉快な思いをいたしました」

「は、はあ」

 一体何があったのだろう、と思った輝更義がためらっているうちに、話は先へと進む。

「もしも、ですよ。私に突然現れた、この千里眼の力が、次の乙女に受け継がれてしまったら……どうなると思いますか?」

 水遥可は言い、ため息をつく。

「次の乙女には、おそらく私の従姉妹である絵鳥羽えとりはが任ぜられるでしょう。陽永叔父さまの娘です」

「えっ? しかし、祈乙女は占いで選ばれるのでは……」

 祈乙女は、国にとってなくてはならない重要な職であり、その人選は神に委ねられる。つまり、皇家の血筋の未婚の女性から占いで選ばれるのだと、輝更義は聞いていた。

「建前上は、そう言われています。でも……」

 水遥可はまた、恥じらうように目を伏せた。その睫毛に、後ろめたさのようなものが陰を落としている。

「実際には、政治的な理由で選ばれた皇女が任ぜられることが、ほとんどです。わたくしも、そうでした。……皇宮にいない方が良い邪魔者でしたから、祈宮にやられたのです」

「そ、そんな」

 水遥可は邪魔者などではない、と輝更義は言いたかったのだが、彼のその反応を彼女は別の意味でとらえ、苦い微笑みを浮かべた。

「幻滅させてしまいましたね。でも、本当なのです。こんなこと、皇家を守ってくれる玄氏げんしの後継者に言ってはいけないのでしょうけれど」

 そして、彼女は気を取り直すように姿勢を正す。

「……とにかく、次の祈乙女は、現在の皇族の力関係から考えると絵鳥羽以外にはおりません。小さな頃から、優しく、おとなしくて、お父上のおっしゃることには逆らえない子でした。そんな子が千里眼の力を持ち、それを陽永叔父さまが知ることになったら……」

「乙女に命じて、何かよくないことをなさるのではないか、と……?」

「その通りです」

 柳眉を潜め、水遥可は言う。

「私のことも、他の方のことも、絵鳥羽に命じて覗き見なさるかもしれないと思うと……耐えられません」

「な、なるほど」

 次々と皇族の裏事情を暴露され、輝更義は落ち着かない気分になった。

(そりゃ、綺麗な水遥可さまのあれやこれやを誰かに覗かれるのは俺も嫌だけど)


 輝更義のよく知る水遥可は、どこか超越しているような雰囲気を持っているが、冷たくはないし決して人を傷つけない。誰かを嫌いだと発言すること自体、今までないことだ。


(もしかしたら、他にも事情があるのかもしれないな。どうしても陽永陛下に力を使われたくないような、よほどの事情が)

 輝更義は推し量りながら聞く。

「それでは、水遥可さまはどうなさりたいのですか?」


「……幸い、私がこの力を持っていることは、亡くなった母上しかご存知ないことでした。輝更義、あなたに打ち明けたからには、今はあなたが唯一です」

 水遥可は表情を引き締める。

「他には知られないまま、この力が、誰にも受け継がれないようにすればよい。わたくしで終わらせましょう」


「しかし、そのう……水遥可さまがご結婚なさったら、受け継がれてしまう、かも……」

 あけすけに言えば、彼女が純潔を失ったその瞬間に、次の乙女に力が移るかもしれないのだ。

 言いにくいことを彼がモゴモゴと言っていると、水遥可は続けた。

「ですから、そうならないように、したいのです」


(水遥可さまが、誰のものにもならない! そういうことか!?)

 一瞬、喜びのあまり耳と尾が飛び出しそうになってしまったが、輝更義は我に返った。

「ご結婚なさらないとなると、新しい祈乙女にお役目を引き継ぐ儀式が行われない、ということに!」

「結婚は、します。皇籍を離れるのが嫌なわけではないのです。乙女としての、最後の使命ですから」

 水遥可はうなずく。

「つまり……わたくし、白い結婚がしたいのです」 

「ええっ!?」

(白い結婚ということは、つまり、水遥可さまは清らかなまま……!)

 驚く輝更義に、水遥可は軽く身を乗り出して続けた。

「輝更義、どうか頼みます。都に戻ったら、私の夫候補になれそうな地位にある殿方の中で、お金に困っている人を探してくれませんか? 今年は都周辺で災害もありましたし、そこに父上の急逝で、資金のやりくりに困っている家が必ずあるはずです。私の結婚資金でその方の家を救う代わりに白い結婚をするよう、契約を取り付けてきてほしいのです」

「と、取引を?」

「はい。もちろん、力のことは言ってはなりません。私が、殿方がひどく苦手なのだとでも言って下さい。輝更義の選んだ方が私の伴侶選びの儀に来れば、私はその方を選びましょう」


 祈乙女の任を離れた者は、次の乙女への引継のため早急に伴侶を選ばなくてはならない。

 そのため伴侶選びの儀を行い、その場で夫となる者の条件を挙げ、男たちを競わせるのだ。


「一度結婚すれば形式は保てるのですもの、すぐに離婚して私は一生操を守ります。降嫁した乙女の離縁は、過去に例がないこともない」

 水遥可はそう言うと、一度言葉を切って深く呼吸した。肩の力が抜けたのか、少し表情を緩める。

「いい考えだと思いませんか? うまくいったら、玄氏の者たち風に言えば……そう、『上首尾グッジョブ!』ですね」

 彼女は扇の陰で、「こうだったかしら」と軽く握った右手の親指をピッと出した。


(ふわあああ)

 自分たち一族の合図を真似る乙女の愛らしい仕草に、輝更義はとろけて椅子から床にトロトロと流れ落ちそうになったが、すんでのところで固形を保った。

 そして、背筋を伸ばし、即答する。

「そっ、その任務、喜んで承ります!」

「よかった……ありがとう」

 水遥可はようやく扇をたたみ、胸に抱くようにして微笑んだ。



 大河を船で下り、船着き場から再び旅をして、一行は果雫国の首都・瑞青ズイセイに入った。

 入城する吉日よりも早く着いたため、まずは皇族ゆかりの邸である牡丹邸に向かう。

 表門を入って階段の手前で輿が下ろされ、水遥可が足を下ろして立ち上がったその時、階段の上から高い声がした。

「おねえさま!」

 衣の裾を引いて転がるように降りてきたのは、水遥可の従姉妹、絵鳥羽である。十四という年齢の割に幼い外見をした彼女は、水遥可をとても慕っていた。ここ数年は毎年、祈宮を訪れていたし、文のやりとりも頻繁だった。

「絵鳥羽、久しぶりですね」

 しがみつくように飛び込んできた絵鳥羽を、水遥可は笑顔で受け止める。

「道中で、知らせを聞きましたよ。お役目を引き継ぐのは、あなただと。あなたは祈宮という場所に心引かれていたようだから、嬉しく思います」

「ええ……。私、都よりも静かな場所で暮らしたいと、ずっと願っておりました」

 絵鳥羽は笑顔を見せる。

「あんな面白味のない場所、という人もいますけれど、私はきっと、好きになれると思います。でも、おねえさまが一緒ならもっと嬉しいのに」

「会いに行きます、もちろん」

「はい! あっ、いけない」

 絵鳥羽はいたずらを見つかったかのような表情になる。

「実は、お父さまがお待ちなのです。おねえさまをねぎらいたいのですって。さぁ、お上がりになって!」


 水遥可は一瞬言葉を詰まらせたものの、すぐにうなずいた。

「ええ」

 彼女は守護司一行を振り向き、声をかける。

「お役目、ご苦労様でした」

 彼女にぴったり寄り添ったままの絵鳥羽が付け加えた。

「水遥可さまより、宿舎に御酒が届いていますよ」

 おおー、と守護司たちから声が上がる。祈宮では、行事ごとの際に配られる神酒しか口にすることは許されていなかったのだ。 

 輝更義は部下たちに声をかけた。

「皆、ご苦労。見張りの者以外は宿舎へ移動してくれ」

 よく訓練された部下たちは「応」とこたえて移動を始める。

「次の祈乙女は、あの絵鳥羽さまか」

「お美しい方だったな」

 彼らの噂話に輝更義は微笑み、

(でも、やはり一番は水遥可さまだし!)

 と拳をグッと握ってから階段に近づいた。

「お気遣いを賜り、ありがとうございます」

 彼が片膝をついて頭を下げると、水遥可はわずかに表情を曇らせた。

「……輝更義」

 いつも彼女を見つめている彼は、その表情と声音に含まれた意味をすぐに理解した。

 本当ならここから先、水遥可に付き添うのはレイリだけで十分である。輝更義は部下たちと宿舎に酒を飲みに行って構わない。しかし、水遥可はそれを望んでいないのだ。

「お供つかまつります。参りましょう」

 彼は笑顔で、水遥可を見上げる。脇で待っていたレイリが、ちらりと彼を見た。

 水遥可は安堵したように、頬をほころばせる。

「ええ」


(あああお美しい! 俺を見てホッとされるとか! 陽永さまにお会いするのが不安なのか……。おそばにいることしかできませんが、輝更義はここに!)

 輝更義は、水遥可と絵鳥羽、そしてレイリが歩く後ろを、ぴょこぴょこしながらついていった。

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