第5章 未来へ ⑦小さな奇跡

「そろそろ、時間になるんじゃないか」

 おじさんが壁の時計を見た。

 2時20分。後26分で、あの時間になる。

「どうすっか。広場から海を見るか、浜辺まで行くか」

「美咲ちゃんは海まで行ったら寒いんじゃないの。広場から見たほうがいいでしょ」

 おばさんの意見に、美咲もオレも賛成した。

 6人の大人+子供1人でぞろぞろと、近くにある公民館の広場に向かった。近所の人たちも集まってきていた。

「太陽、抱いてみますぅ?」

 さくらちゃんに言われて、美咲はおそるおそる太陽君を受け取った。

「あら。抱っこの練習ね」

「うわ~、重い」

「もう10キロあるんですよぉ」

「10キロ! うわあ、ずっと抱いてるの、大変そう」

「うん、おっぱいあげるとき、腕が途中で疲れちゃってぇ、下ろそうとしたら泣くし、大変でぇ」

「だから、私が腕を下から押さえてあげてるのよ」

 女性陣3人で盛り上がっている。

 美咲の腕の中で、太陽君は笑顔を見せた。美咲の顔もほころぶ。

 ああ、いいなあ。こういうの。

「子供産まれたら、顔見せに来るんだぞ」

 おじさんが、いきなり肩にもたれかかってきた。息が酒臭い。オレもだろうけど。

「産まれたばっかのころは、ムリだろ。新幹線のなかで、赤ちゃんビービ―泣くぞ」

「あんときさあ、隼人が東京行ったとき。こいつ、ずっと泣きっぱなしだったんだから」

「なんだよ、突然」

「こいつ、いつの間にかお兄ちゃんになった気でいたんだよな。隼人、一人で大丈夫かなって、もう守ってやれないって、ビービ―泣いててさ。本気で、引き取ろうって考えてたこともあったんだよ、あんときは。でも、東京で暮らしたほうが、まともに暮らせるんじゃないかって思ってさ。ここにいたら、これから大変だから。でも、あんな冷たそうな家でさ。本当は、大変だったんだろ? 東京に何度も電話したんだけどさ、電話に出た女の人が『隼人はいません』って、ガチャって電話切っちゃうんだよ。何も話せなくてさ。どこの学校に通ってるのか知らなかったから、学校にも電話できないし」

 初耳だった。おじさんたちから電話があったなんて、一度も聞いたことはない。

 家の電話は、ほとんど伯母さんが出ていた。改めて、あの伯母さんのやっていたことはひどすぎる。その電話に出ていれば、あのころのオレはどれだけ救われたことか。

「本当は、迎えに行こうかと思ったんだよ。でも、そんときはカネはないしさ。仮設住宅で3人でやっと暮らしてるのに、そう簡単には、さあ」

 その気持ちだけで充分だ。

 オレが一人で膝を抱えて泣いていたとき、オレのことを本気で案じてくれていた人たちがいる。それだけで、それだけでオレは、生きてきた意味があると思う。


 オレの目に涙が浮かんでいるのを見て、おじさんは、「なんだよ、泣くなよ。昔の話だろ」と頭を軽く叩いた。

 卓也はうつむいている。きっと、泣くのを堪えてるんだろう。おばさんを見ると、ハンカチで目を押さえていた。

「でもさ、ちゃんと育っててよかった。まっすぐ育ってて、よかったよ。お前はやっぱ、強い人間なんだよな。津波んときも、一人で耐えててさあ。あんなちっちゃい子供なのに、なんて強いんだろって思った。もっと頼ってくれてもいいのにさあ」

 おじさんは段々涙声になっている。

「でもね、夜中にうなされているときに布団の上からポンポンと叩いてあげたらね、しがみついてきたこともあってねえ。やっぱり、子供なんだなって思った」

 おばさんは鼻をすすりあげた。

「えっ、オレ、そんなことしてたの?」

「うん、何度もね」 

 オレは、ホントに、いろんな人に支えられてここまでこられたんだ。大樹兄ちゃん、そうだろ?


 美咲は、俺たちの会話を聞きながら、ゆったりと太陽君をあやしている。

「ランラン、ララララランラン」

 あっ、その曲。

 さっき、ラジオで流れていた曲だ。

 母ちゃんが口ずさんでいた曲を、今、美咲が口ずさんでいる。

 あのころ、夕方の台所で。一緒に入ったお風呂で。買い物帰りの自転車の荷台で。何度も聞いた、あの曲を。

 これは、奇跡かもしれない。

 母ちゃんたちが起こしてくれた、小さな小さな奇跡なのかもしれない。


 



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